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色う焔と異界の剣士  作者: 手羽先すずめ
紅の撃ち手
32/44

嘘吐き


 私のもとで働かないか? それがあまりに衝撃的な発言だったので、一瞬呆気に取られた。何を言い出すんだとも思った。それはつまりエリーの所を辞めて、自分の所へ来いということか? 


「ちょっと待った!」


 そんな事を言われて、エリーが黙っている筈もなく。聞き捨てならないと、エリーは俺とリズの間に割って入るように現れる。


「嫌な予感はしていたけれど。やっぱり出たわね、アリムフェリアの悪癖が」

「悪癖?」

「アリムフェリア家の人間は、決まって人のものを欲しがるのよ。特に、人材に関しては見境というものを知らないわ。強引に引き離してでも奪い取ろうとするの」


 俺は目を付けられたってことか。ある意味、お眼鏡にかなったって事なんだろうけれど、そう聞くと嬉しくはないな。


「随分な言いようね、エクイストさん」

「本当のことを言ったまでよ」

「たしかに世間で、アリムフェリアがそのように思われているのは事実よ。けれど、私には私なりの流儀がある。強引に奪い取ったりはしないし、実力行使にも出ないわ。私はただ言葉を駆使して、彼を私のもとに来させようとしているだけよ」

「どちらにせよ、根本が同じ悪癖で違いはないわ」

「まぁ、大きく分ければ、そう言うことになるのかしらね」


 だんだんと室内の空気が剣呑として来たのだけれど。俺に出来ることと言えば静かにしていることと、それからこのギスギスとした空気に耐えることくらいだった。女同士の言い合いに男が口を挟むと、碌な事が起きないからだ。十中八九、とばっちりを食らう。ここは大人しく、成り行きを見守るのが賢明だ。


「第一、どうしてシュウを欲しがるのよ」

「誰だって強い護衛は欲しいものよ。それは私も例外ではないわ。聞けば、イリアンヌさんから貴女を救ったのも、シュウヤさんの功績なのでしょう? 今日のスペシャルマッチにも出場するようだし、実力と実績は申し分ない。それだけ条件が揃っているなら、声を掛けないほうが可笑しいのではなくて?」

「可笑しいのは、すでに雇われていると知りながら、なおも勧誘を止めない貴女の思考回路よ。アリムフェリア。だいだい貴女は――」


 と、そこまで言った所で、またしても扉からノックの音が三回ほど聞こえてくる。今回は間違いなくベッキーだ。そうであると信じたい。その一念で俺は速やかに扉へと向かい、ドアノブを捻る。


「遅れてすまないね。エリーはもう来ているかい?」

「……ベッキー」

「うん?」

「今はベッキーが救世主に見えるよ、俺は」

「は?」


 何を言っているのか分からないと、ベッキーは頭の上に疑問符を浮かべている。けれど、そんなことはどうでも良い。剣呑な雰囲気に耐え続けるのは勘弁願いたいところだ。このタイミングでベッキーが来てくれたことに、俺は感謝を禁じ得ない。


 来てくれただけでも十分だけれど、できれば二人の仲裁を頼みたいところだ。


「んんん? あ、その後ろにいる銀髪はもしかしてアリムフェリアか? それにエリーもいる。ということは……ははーん、シュウくんも厄介な奴に目を付けられたもんだねぇ」


 面白そうなことを見付けたとばかりに、ベッキーはにやりと笑う。


 当事者としては笑い事じゃあないんだけれどな。


「どれ、仕様がないから助けてあげるよ」

「助かる。本当にありがとう」


 今日ほどベッキーを頼もしいと思ったことはない。


「はいはい、いがみ合ってどうしたのさ、二人とも」


 そこからのベッキーは凄かった。


 もともとサバサバした性格の頼れる姉御肌なベッキーだ。すぐに二人の仲裁に入ると、歯に衣着せぬ物言いであっという間に話を纏め。二人のいがみ合いを、穏便に終了させてしまう。なんだかんだ面倒見のいい人だよな、ベッキーって。


「分かりました。今日の所はオルケイネスさんに免じて、これ以上の勧誘は控えておきましょう。シュウヤさんも、今のところエクイストさんから離れるつもりは無さそうですから」

「当然よ」


 エリーは両手を腰に当てて、まだ威嚇めいた態度を取っている。


 此処で鉢合わせした時から、険悪な感じだったけれど。この二人は元から仲が悪いのだろうか? 通っている学園は違うけれど、同じ七大貴族の令嬢だ。それなりに会うこともあれば、付き合いもあるだろう。


 昔、俺がこの世界にくる前に、なにかあったのかもな。それか単純に考えて、生理的に受け付けないか、だ。


「で? なんでちゃっかり椅子に座って陣取っているのかしら? アリムフェリア」

「あら、私はシュウヤさんの勧誘を一時中断するとは言ったけれど。此処から出て行くとは一言も言っていないわ。此処にいても良いでしょう? シュウヤさん」


 俺に話を振るのか。


 いや、けれど、そうか。さんざっぱら言ってきたように、ここは俺のために用意された部屋なのだから。決定権はエリーやベッキーではなく、俺にあるのだ。


「えーっと……そうだな、エリーと仲良くするって約束するなら、居てもいいよ」

「ですって」

「うむむ……まぁ、仕様がないわね。シュウがそう言うなら」


 エリーもなんとか納得してくれたようで、剣呑な雰囲気はベッキーの功績により緩和した。それからの約一時間、女子三人に対し男一人という肩身の狭い状況下の中で時間は進み。いよいよ午前の種目が始まりを告げる時刻とあいなった。


「よし、そろそろ外に出ても大丈夫かな。屋台に行ってくるけれど、三人とも何か食べたい物はあるか?」


 昨日、気になっていた屋台に向かうため。事のついでにと、そう希望を聞いてみる。


「私、リンゴ飴がいい」

「私はカステラをお願いするわ」

「エリーがリンゴ飴で、リズがカステラな。ベッキーは?」

「いや、あたしはいいよ。喰いたくなったら、自分で買いに行くさ」

「そっか、じゃあ行ってくるけれど。くれぐれも喧嘩するなよ、そこの二人」


 エリーとリズを二人纏めて指さして、部屋を後にする。会場の廊下を渡り、階段を幾つか駆け下りれば外はすぐそこだ。玄関口を抜けて外へと繰り出すと、人混みの中を掻き分けながら目当ての屋台を探しに行った。


「リンゴ飴は買ったし、カステラも買った。ベッキーは自分で買うって言ってたから、大丈夫っと。よし、これで買い漏らしはないな」


 左手にはリンゴ飴の棒と、カステラの紙袋。右手には自分用に買ったイカ焼きや焼きトウモロコシがある。ちなみに他にも色々と買ったが、屋台から屋台へと梯子するうちに食べきってしまった。


「後は戻るだけか。二人とも仲良くやってっかな」


 考えれば考えるほど、仲良くしている図が思い浮かばないのは何故だろう。ベッキーが居るから安心と言えば安心だが、一応、気持ち早歩きで帰るとしようかな。



「――ので、どうかお願いします。考えて下さい」


 バトルロイヤルの会場まで戻り、三人が待っているはずの部屋に向かう途中のことだった。


 ある階に差し掛かる階段を上っていると、ふと誰かの声が聞こえる。その声音はどこか切羽詰まっているようで、聞いていて息苦しくなるような声だった。


 なので、すこし気になった俺は悪いとは思いつつも、その階に到着すると共にちらりと声がしたほうに視線を向ける。そうして視界に入ったのは、二人の女子生徒だ。一人はまったく知らない他校の女子生徒、もう一人はベッキーだ。


 女子生徒がベッキーに頭を下げている。その妙な光景に首を傾げていると、女子生徒は頭を上げ、すぐに背を向けて何処かへと去って行く。今のはなんだったのだろう。どうしてあの女子生徒はベッキーに頭を下げたんだ?


「……おや、見られちゃったか」


 そうしていると、こちらを振り返ったベッキーが俺の存在に気が付く。


 その顔は何時ものような含み笑いではなく。すこし困ったような表情だった。


「その顔を見るに、ただ事じゃあないみたいだな。聞けば教えてくれるか? それ」

「そんな事を知ってどうするつもりだい?」

「別に、どうも。でも、力になれるかも知れないだろ?」


 そう言うと、ベッキーはらしくもなく迷ったように視線を泳がせる。けれど、それも短い間だけだった。彷徨わせていた視線は一点に留まり、俺を射抜いている。どうするかは、決まったようだ。


「うん、分かった。ちょっと聞いてくれるかい?」

「あぁ、聞くよ」


 ゆっくりとベッキーは話し始める。


「実はさ。さっきの子に試合で負けてくれないかって頼まれたんだよ」


 八百長を持ちかけて来たのか。どうも穏やかじゃあないな。


「ベッキーはなんて答えたんだ?」

「保留だよ。ちょっと考えさせてくれって言った」


 保留にしたってことは、ほんの僅かでも八百長に応じる気があったってことだ。


「きっぱりと断らなかったのは、なにか事情があってのことか?」

「……将来が……かかっているんだってさ」

「将来? あの子のか?」


 そう聞くと、ベッキーは無言で頷いた。


「あの子は親から出来損ない扱いをされて育ったんだ。学園に通う学費も、自分の稼ぎだけで賄っているらしい。その頑張りもあって、バトルロイヤルで最優秀者にもなった。けれど、それでもあの子の親は認めてくれないらしいんだ」


 言葉を紡ぐうちに、声音はどんどん重くなっていく。


「でも、このスペシャルマッチで良い結果を残せば、流石の親でも認めざるを得ないだろ? あの子、親に認められたら反対されていた夢を追うんだってさ。だから――」

「だから、一瞬でも負けてやろうと考えた?」

「……そうだよ」


 小さな声でベッキーは肯定した。


「あの子が負ければ、失う物が沢山ある。けれど、あたしが負けたって、失う物はなにもないんだ。だったら、あたしが負けたほうが良いんじゃないかって、一瞬だけどそう思っちまったんだよ」


 それに、とベッキーは続ける。


「あたしは戦うことが好きなんだ。頭を空っぽにして、互いの死力を尽くすような、そんな戦いがね。けれど、なんだか萎えちまうんだよ。そう言う事情を知って、あれこれと考えながら戦うのは。だったらいっそ希望通りにって思わなくもないんだ」


 いまベッキーを支配している感情は、哀れみや同情というものではないだろう。勿論、すこしはそれもあるだろうが、大半を占めるのは面倒臭いという気持ちだ。色んなことに気を遣って、色んなことを気にするのが、酷く面倒で気怠いに違いない。


 つまりは、もう面倒臭いからなんでもいいや、と投げやりになっているのだ。少なくとも俺からはそう見える。


「なるほど、事情は分かった。でもな、ベッキー。べつに色々と気にしなくたって良いし。負けてやる必要だって、これっぽちもないんだぜ?」

「……シュウくん? 話をちゃんと聞いていたのかい?」

「聞いていたさ。聞いた上で、そう言っているんだ。前に言っただろ、そんな志の低い奴のことなんか知るかって」

「べつに、あの子は志が低いわけじゃあ」

「自分が勝ちたいがために八百長を持ちかける生徒だぞ? そんな奴の志が高いわけないだろうが」


 親に認められないだとか、将来が掛かっているだとか、夢を追うためだとか。そんな御託を幾ら並べようとも、あの子がやっていることは醜くて卑劣な行為だ。そんな奴の志など、俺は高いとは認めない。


「それに此処でその八百長に応じたら、嘘吐きの仲間入りだ」

「うそつき?」

「そう嘘吐きだ。あの子は嘘の勝利で両親を騙した挙げ句、嘘の功績で目的を達成しようとしている。それを夢なんて聞き心地の良い言葉で飾り付けているけれど、事実は醜い欲望の塊でしかない。ベッキーがそんな物の片棒を担ぐ必要なんか無いよ」


 嘘で嘘を塗り固めれば、その場凌ぎにはなるだろう。けれど、その鍍金めっきは後になって必ず剥がれ、醜い真実が露わになる。この場合は、実力と評価が噛み合わないという事態が、将来において絶対に起こる。


「……やっぱり、君のそう言うところ嫌いじゃあないよ。けれどね、シュウくん。そう簡単に割り切れるものじゃあないんだよ」

「なんだ? 随分とらしくないじゃあないか」

「あたしだって人間なんだ、悩むことくらいあるさ」


 ふむ、重傷だな。


「ベッキー」


 そう名前を呼んだ直後、俺は広げた手の平で風を切った。振り回すようにして弧を描いた手は、ベッキーの顔に向かって吸い込まれ。接触する寸前に減速して、ぴたりと頬に貼り付く。


 音はほとんど鳴らなかった。痛みもそれほどないはずだ。けれど、目を覚まさせるくらいの衝撃はあっ

ただろう。ベッキーの目をみると、驚きで目が丸くなっている。


「ベッキー。バトルロイヤルの予選のこと憶えてるか? 矢の魔法を喰らって満身創痍になろうとも、立ち上がった生徒が一人だけいたよな? あの時、あの生徒にベッキーはなんて言った? 敬意を払うって言ったんだ」


 手の平を頬に貼り付けたまま、言葉を繋ぐ。


「その言葉には責任が伴う。言葉に恥じない戦いをしなくちゃあならない。払った敬意に相応しい行動を取るべきなんだ。それが八百長かどうかなんて、考えなくても分かる筈だろう。ベッキーが負けて失うものは、自分が思うよりもずっと大きいぞ」


 言い終わるまで一度も視線を外さず、真っ直ぐにベッキーを見続けた。すると驚いて丸くなっていた目がゆっくりと閉じ。同時に口が言葉を紡ぐ。


「そうだね、色々と目が覚めた気がするよ。あたしにも失う物があるんだ」


 いつの間にか俺の手に、ベッキーの左手が重なっていた。


「ありがとう、シュウくん」

「どう致しまして」


 本日、何度目かのどう致しましてだ。


 今日はよく人に感謝される日だな。

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