贈り物
Ⅰ
「シュウ……シュウっ。シュウってば!」
大きく身体を揺さぶられ、眠っていた意識を引っ張り上げられた。
寝ぼけ眼を擦りながら、いま自分がいる場所と状況を把握する。部屋、控え室だ。椅子に座っていて、背中と首が若干痛む。目の前には壁があるが、たしかそこには映像が映し出されていたような。
隣にはエリーがいる。ベッキーはいないみたいだな。
「……エリー。俺、どれくらい眠ってた?」
「だいたい一時間から二時間ってところね」
「そんなにか? それは悪かった。肩を借りっぱなしだったな」
「いいわよ、戦って疲れていたんだから。それくらいどうってことないわ。それに」
それに?
「シュウの寝顔なんて、そうそう見られる物じゃあないもの」
そう言ったエリーは悪戯っぽく笑って見せる。
あぁ、これは後で絶対からかわれるな、と思った。もしくは今すぐにでもだ。迂闊に人前で眠るものじゃあないな、本当に。まぁ、肩を貸して貰った代金として考えれば安い。あんまり無いからな、男が女の肩を借りることなんて。
「おっ、シュウくん起きたのかい。残念だねぇ、もうあの寝顔が見られないなんて」
それ見たことか。
姿の見えなかったベッキーが帰って来たかと思えば直ぐこれだ。控え室の扉が開いた瞬間にからかってきた。きっと予め俺の目が覚めたらと、決めていたに違いない。まったく、趣味が悪いったらありゃしない。
「あたしは初めて知ったよ。凄腕剣士も寝てるときは子供に戻るんだって」
「あー! もう、勘弁してくれよ。からかうなっ」
「そう言われると、からかいたくなるのが人の心情ってもんさね」
ダメだ。この調子だと言い返せば言い返すほどド坪に嵌まる気がする。ここは大人になろう。広い心をもって受け入れて、寧ろ微笑ましいくらいに思ってやる。そう、何事も寛大な気持ちが肝要だ。相手のペースに乗らず、どっしりと構えるのだ。
「でも、本当に子供みたいだったわよ。可愛かったし」
「か、可愛いって。エリーまで言うか? そんなこと。うあー、地獄だー」
嘆き叫ぶも、両隣の小悪魔はくすくすと笑うのみだった。
そのうち魂でも抜かれそうな勢いだ。自分の身は自分でしっかり護らないとな。とりあえず、人前で寝ることだけは出来る限り避けるとしよう。また寝顔でからかわれては堪らない。冗談でも可愛いと言われるのは避けたい。
「ん。そう言えば対抗戦ってどうなったんだ?」
ふと気が付いて、そう尋ねてみる。
「シュウが眠っている間に、今日のところは終わったわよ。ベッキーが居なかったのは、閉会式に出ていたから」
「今さっき終わったばかりだ。安心しなよ、ニッキー先生には上手いこと行ってあるから」
「そっか、ありがとう。ベッキー」
閉会式が始まる時に起こしてくれれば、とは言うまい。時間ギリギリまで寝かせて貰ったのだ。感謝こそすれど、文句を付けるような真似は出来ない。ここはその気遣いに感謝するべき場面だ。
「んー! ……じゃあ今日はもう帰るだけか」
座ったまま寝たお陰で固まった身体をほぐすように、両手両足をうんと伸ばした。まだ身体から違和感が抜けないが、きちんとしたベッドで眠ればそれも無くなるだろう。今日、やるべきこともなくなったことだし。帰り仕度を始めるとしよう。
「あぁ、そうだ。あたし用事があったのを思い出したから、今日はここでお別れだ。じゃあね、エリー、シュウくん」
帰りの準備を終えて、あとはもう会場を出るだけとなった頃。ベッキーはぽんと手の平を叩いてそう言うと、俺達に別れを告げて一足早くこの会場を後にした。なにか急ぎの用事だったのだろうか。その足はどこか急いていた。
「それじゃあ私達も帰りましょう。近くでシャルナとクインが待ってるわ」
「んんん。そうだな、行こうか」
ベッキーとは対照的にゆっくりと歩みを進め、バトルロイヤルの会場を後にする。外はすでに夕暮れであり、茜色の空が広がっていた。白い雲も下半分だけ仄かに赤い。そんな逢魔が時の空の下、エリーと共にエリアの出口を目指していると、予定通りインクルストとクインと合流できた。
「なんだそれ?」
「イカ焼き、焼きそば、フランクフルト。クインさんに、買って貰った」
お祭りの屋台か。と、一瞬言いかけて喉の奥へと飲み込んだ。
たしかにインクルストの手や腕の中には、イカ焼き、焼きそば、フランクフルト、と思しき食べ物がある。たぶん、厳密には違う食べ物なんだろうけれど。頭の自動翻訳が、馴染みのある食べ物に訳したと思われる。
それらは、お祭りや縁日の際に屋台でよく見掛けるものと、ほぼ同じ形状をしている。強いて違う点を挙げれば、焼きそばの容器が長方形のプラスチックではないことくらいだ。紙コップを大きくしたような容器に、それは入っている。
そう言えば、それらしい物を午前中にエリア内で見掛けたような気がする。生憎、持ち合わせがなかったので、近寄りはしなかったけれど。そうか、あれは本当に屋台だったのか。
「シュウヤ。どうやら生き残ったようだな」
「あ、はい。なんとか」
そう記憶を掘り返していると、クインから声が掛かる。
「魔法に関してはまだまだ荒削りだが、今はそれを言うまい。代わりに、よくやったと言ってやる」
「……」
クインに褒められたのが衝撃的すぎて絶句した。それくらい驚いたのだ。初めてで会ってから罵倒しかされてこなかったと言っても過言じゃあなかったのに。褒められるだなんて思いもしなかった。この前は魔法の相談にも乗ってくれたし、これはいったい。
もしや、これは俗に言うツンデレという奴なのでは?
「なんだ? 何を見ている」
「いえ、なんでも。ありがとう御座います、これからも頑張ります」
なにやら唐突にツンデレ疑惑が浮上して来たが、なんだかもう嫌な姑が実は嫁のことを思ういい人だった。みたいな、そんな事実が発覚した時のような気分になる。そのような経験はしたことがないけれど、例え話をするならそんな感じだ。
「さて、全員揃ったのだから、そろそろ帰りましょ」
エリーの言葉を切っ掛けに、一度完全に止まっていた四人の足は動き出す。御者さんが手綱を握る馬車に乗り込み、俺達はゆったりと揺られながらエクイスト家の豪邸へと戻ったのだった。
Ⅱ
学園対抗戦の一日目が無事に終了し。今現在は一夜明けた二日目の朝である。エリーの肩を借りてあるていど眠ったとは言え、昨夜はぐっすりと睡眠が取れ。日課である朝の稽古も、はっきりとした意識の中で行うことが出来た。
ベッドを発明した人は偉大だと、実感させられたのは久々だ。
「……ふう」
剣の稽古を終わらせて一息をつき、斬魔の刀を納刀する。剣の稽古は、とりあえず此処までだ。まだ時間に余裕があるので、今のうちに今日使う武器を選んでおこう。そう思い、俺の爪先は訓練場にある武器の数々に向く。
「昨日は剣をダメにしちまったからなぁ」
雷の魔法を防ぐため、避雷針にしたこと。魔法で強化された剣と打ち合ったこと。そして自分の焔を纏わせたこと。それらが祟って、あのロングソードはもう使い物にならないほど痛んでしまった。
なので、クインに許可を貰い。訓練場にある武器の中から、どれか一つを貸し出して貰うことにした。
「んーっと……これがいいかな」
無茶苦茶な使い方をして剣を消費するなんて、まだまだ俺も修行が足りないな。そんなことを考えつつ、選んだ武器は前回と変わらないロングソードだ。流石はエクイストの訓練場だ、よく手入れが行き届いている。
「しゅうー……もう起きてるのー?」
ロングソードの根元から剣先までを眺めていると、入り口のほうから力の抜けるような声が聞こえてくる。何事かと思って振り返ってみれば、そこには寝ぼけ眼を擦るエリーの姿があった。
なんだかもう、半分寝て半分起きている。いつもはツインテールな髪型も、今は真っ直ぐに伸びたストレートだ。よくそんな寝ぼけた状態で、本邸から此処まで来られたものだな。
「なんだ、なんだ。大丈夫か?」
「うん……ねむい」
ダメじゃあないか。
「しゅう。目をつぶって、屈んで」
「なんで?」
「いいから」
半分眠っている癖に、妙に強制力がある発言だな。まぁ、かなりフレンドリーに接してはいるけれど。飽くまでも俺達の関係は雇用者と労働者だ。そう感じるのも自然なことなのかも知れない。
仕様がないから、言うことを聞いておくか。このままだと立ったまま眠り出しそうだしな。
「ん。ほら」
「目、開けないでよ」
「はいはい」
言われた通りに屈んで瞼を閉じる。すると、エリーの両手が俺の首に周ったかと思うと、すぐに離れていく。一体なにをされたんだ? 暗闇の中でエリーの言葉を待っていると、数秒と経たずに口は開かれる。
「はい。もういいよ」
目を開けてみる。別段なにかが変わったようには思えない。エリーは俺の首に触れていたけれど。そう何気なく首に手を持っていくと、指先が何か硬いものに触れる。細くて長い鉄のようなもの。鎖? そこまで思考が回ったところで、ようやく気付く。
エリーは俺の首にペンダントを掛けたのだ。
「くれるのか? これ」
「うん」
俺の首元にぶら下がっているのは、赤い色をした石だ。デザインとしては少々長細く、無骨なものになっている。こう言う贈り物を家族以外の人から貰うのは初めてだ。色んな意味で、ちょっとびっくりしている。
「その石に込められた思いは勝利。しゅうが、勝てますようにって買ったの」
すこし眠気が覚めて来ているのか、その柔らかな口調が元に戻りつつある。
けれど、俺のためにこのペンダントを買ってくれたのか。たぶん、インクルストと三人で買い物に行った時だな。俺とインクルストにバレることなく、ひっそりと買っていたらしい。いや、もしかしたらインクルストは知っていたかも知れないな。
「ありがとう。凄く嬉しいよ。大切にする」
「えへへー。じゃあ、お休みなさい」
「おっ、ちょっ!」
ふにゃっと笑ったエリーは、直後に気が抜けたのか、本当に立って眠ろうとする。当然、そうなれば体勢が崩れる訳で、俺はエリーが完全に倒れる前に滑り込み。きちんと、その身体を支えた。これじゃあ昨日と立場が逆だな。
「仕様がない。部屋まで連れて行くか」
エリーを横抱きに抱えて、訓練場を後にする。渡り廊下を渡ったり、階段を上ったりしたけれど。その間、眠ったエリーは決して起きなかった。その素振りすらもである。肝がが座っているというか、度胸があるというかだな。




