肉食獣
Ⅰ
仮眠から目を覚ますと、時刻はちょうど十時過ぎだった。控え室を見渡してみると、すでに人影はなく。二人とも退屈に耐えかねて外に出て行ったみたいだ。軽く眠ったことだし、俺もそろそろ此処を出よう。どうせ、午後まで暇だ。それまでは自由時間という認識で居ることにする。
椅子から立ち上がって控え室の扉に向かい、開くと遠くから人の声が漏れてくる。幾千、幾万もの人の声が混ざり合った音が、ここまで届いていた。すでに競技の幾つかが、始まっている頃だ。このお祭り騒ぎは、その所為に違いない。
俺もそのお祭りに参加させて貰うとしよう。
「見付けた! おーい、シュウ!」
開始された競技を順に回っていこうと、会場を目指して歩いている途中のこと。聞き覚えのある声がして、そちらを振り向いた瞬間、俺は思わず赤の他人を装いたくなった。
俺の名前を呼んだのはエリーだ。あの大きなサングラスを掛けて、頭にはつばの広い帽子を被っている。服装もインクルストから借りて現代風だ。変装は一応、出来ている。
だが、問題はその後ろにいる二人である。どうしてクインとインクルストまであの大きなサングラスを掛けているんだ。
「あら? どうしたの? そんな妙な顔をして」
「分からないのか? なら、一度うしろの二人を連れて鏡の前に立ってみるといい。サングラスを掛けた怪しげな三人組が映るから」
万全を期すならクインとインクルストにも変装をさせるのが定石だけれど。だからと言って、どうして同じサングラスが三つもあるんだ。買っていたのか? わざわざ三つも。なんだそのサングラスに対する並々ならぬ執着心は。
それに後ろの二人も素直に掛けるなよ。怪しいに決まってんだろ。余計に目立つわ。
「それ、どうにかならないのか? せめて後ろの二人はサングラスを外してくれよ」
「断る。エルサナ様のご厚意だ。それを私が無為に出来ようはずもない」
「右に同じ」
どれだけエリーに忠誠を誓っているんだよ、この二人は。そんなだからエリーが奔放になって御しきれなくなるんだ、まったく。俺は知らないからな、正体がバレて騒ぎになっても。
「ねぇ、シュウ。ベッキーは?」
「ベッキー? さぁ。まだ控え室から出て来たばかりだから、居場所は知らないな。まぁ、ベッキーも暇だろうし。どこかの会場で観戦でもしているんじゃあないか?」
「そう。なら、そのうち会えるわね」
「会うのもほどほどにな。あんまり俺とかベッキーの近くに居すぎると、正体がバレやすくなるぞ」
俺はすでにエリーの護衛役だと、生徒達にバレているし。ベッキーの親友がエリーであるということは、もはや周知の事実だ。ゆえに、接触は最小限のほうがいい。ここに来て残念な話だが、仕様がないと諦めるべきところだ。
「分かっているわよ。じゃあ、私達はもう行くから。午後に備えてばっちり準備しておくのよ」
「あぁ、抜かりなくやっておくよ」
そう返事をすると、エリーは満足したように頷き。うしろの二人と共に、目的の会場を目指して歩いて行った。家で缶詰になっていた分、今この時にその鬱憤を晴らしているって感じだ。一挙手一投足が生き生きとしている。これまでの分も、楽しめればいいな。
そうしてエリーが向かった方向とは違うほうへと爪先を向け。俺も競技の会場を目指した。
Ⅱ
対抗戦における競技種目は多彩である。しかし、障害物競走、徒競走、走り幅跳び、槍投げ、砲丸投げ、などなど。元の世界にある競技とくらべて、それほどルールに違いはいないと言える。
が、そもそも根本的な違いとして、魔法というものがあるこの世界だ。どうしようもない選手個人の能力が、この世界と元の世界では異なっている。否応なく、スケールが大きくなり、選手や審判、機材、道具、土、岩などが宙を舞うなどということが頻繁に起こる。
非常にダイナミックなのだ。
そんな選手達の迫力ある健闘を見るため、数多ある会場を梯子するように渡っていけば、時間などあっという間に過ぎていく。俺も気が付けば、白熱した競技に魅了され。時刻は午後に差し掛かっていた。
「そろそろ、会場に向かわないとな」
競技の行く末を最後まで見たいものだが、こればかりは仕様がない。大人しく会場の観客席から出ると、事前に集まるよう言われていたバトルロイヤルの会場へと足を運ぶ。
「ん。よう、ベッキー」
その途中で今まで鉢合わせなかったベッキーを見付け、声を掛けた。そうするとベッキーはその場で立ち止まり、こちらに振り返って俺の全身を視界に納めた。
「なんだ、シュウくんか」
「エリーには会えたか?」
「あぁ、会ったよ。私のぶんまで他校の生徒を蹴散らして、って応援された」
そうか、無事に会えたみたいだな。
「でも、一つ気になることがあるんだ」
「ん? なにがだ?」
「あのでかいサングラスは一体」
「あぁ、そこはベッキーでも不思議に思うんだ」
サングラスを掛けた三人組がいたら、誰だってそう思うに決まっているか。それが例え長年の付き合いである親友だったとしてもだ。俺だって最初に見たときには、ぎょっとしたし。ベッキーと同じくらいの付き合いだったとしても、同じ反応をしたと思う。
「まぁ、細かいことはどうでもいいさ。昼飯を食ったら、小休止を挟んであたし達の出番だ。無様な姿は見せないでくれよ、シュウくん」
「格好いい所を見せられるよう、善処するよ。」
そんな会話を交わしつつ、バトルロイヤルの会場へと向かう。そこで用意されていたのは、バイキング形式の昼食だった。みんな食べ盛りで、しかもこれから一戦交えようとする生徒達だ。一回で取る料理の量が尋常ではなく。裏で働いている料理人達が、物凄く忙しそうだった。
「凄いな。毎回、こうなのか?」
「そりゃそうさ。まぁ、こうなると分かっているから。事前に大量の材料を仕入れているらしい。お陰で喰い損ねることはないけれど、毎年、ぶっ倒れる料理人が何人かいるみたいだよ」
大変だな、料理人というのも。これだけ生徒が食べるのなら、その見返りも相当なものだろうけれど。代わりに体力を全部、持って行かれるのは正直辛いだろう。そう言う事情も加味した上で、ありがたく料理を頂くとしよう。
「相席、いいか?」
人と通り料理を取って空いていた席に座ると、すぐにそう言って来た生徒がいた。見れば、今日一番の強敵になるであろうアレックスだ。でも、だからと言って断る理由もないので、すぐに俺は快諾した。
「まぁ、あたしも構わないよ。それなりの態度でいるならね」
「先日は、本当に申し訳ありませんでした。此処に座らせてください、お願いします」
「よろしい、座りたまえ。ウルハリウス」
ベッキーの許可ももらい。アレックスは俺の隣の席に座る。
「うわっ。なんだそれ、肉ばっかりじゃあないか」
「良いだろ、別に。肉が嫌いな男なんていねぇんだから」
「それには同意せざるを得ないけれど、だからと言って肉だけ食う奴があるかよ」
肉、肉、肉。皿のうえには肉しかない。サラダも、スープすらもだ。強いて言えば、肉汁がスープと言ったところか。よく肉だけでこれだけ食えると思えるよな。絶対、胸焼けを起こすぞ。
「おっと、俺をその辺の男と同じにしてもらっちゃ困るな。これくらいなら朝からでも食えるぜ」
「朝からって、食生活どうなってるんだよ。なにをどうすれば、朝からそんなに肉が食えるようになるんだ。俺とベッキーをみろよ、このバランスの取れた食事を」
「ハッ、そんな食事で力が出るとは思えねぇな。やっぱ身体の燃料は肉に限る」
「ダメだね。なにを言っても肉しか食わないつもりだよ」
「みたいだな」
たぶん、肉と野菜を一緒に食ったこともないんだろうな。思考回路が丸っきり肉食獣のそれだ。あいつらは生肉食ってるから大丈夫だけれど。人間は焼いた肉だけだと死ぬぞ、本当に。まぁ、ここまで順調に育っているあたり、親かそれに類する人が無理矢理食べさせているんだろうけれど。
「あれ? じゃあシュウヤは俺の一個下なのか。じゃあ、今日は戦えないな」
「まぁ、そう言うことになるな」
食事を続けているうちに、会話はすすみ。互いの年齢の話になったところで、驚愕の事実が発覚する。アレックスは俺の一つ上で十九歳。学年で言えば三年生らしい。ゆえに、二年生である俺とはそもそもリング上で会わないのだ。
あの魔法を編み出した苦労が水の泡だ。エリーの笑い話にされよう。
「ん? ちょっと待て。今日は? まるで明日なら大丈夫みたいな言い回しだけれど」
「シュウくん、知らなかったのかい? 学園対抗戦ってのは基本的に一日で終わるように予定が組まれているんだけれど。それは人が沢山いる関係上、絶対に狂うから明日まで競技が持ち越しになることがあるんだよ。午前中に終わるはずだったのに、今の時刻になっても終わらない場合とかね」
「そうなのか? でも、それに何の関係が」
「持ち越しになった競技ってのは、大概すぐに終わるし。客の絶対数も減るから、二日目を開催する費用と釣り合いが取れないんだ。だから、二日目の目玉としてバトルロイヤルのスペシャルマッチをやるのが恒例になってるんだよ」
「あぁ、なるほど。そのスペシャルマッチってのが、学年を越えて戦える機会ってことか」
「そう言うこと」
それなら完成させた魔法も無駄にはならないな。
「でも、スペシャルマッチに出るには条件もあるぜ。各学年の最優秀者だけが、スペシャルマッチに参加できるんだ。だから、今日を勝ち残らねぇと、互いにリング上では戦えない」
「そうか。なら、アレックスが負けない限り、あした確実に戦えるって訳だな」
「おっ、言うじゃねぇか。でも、心配すんな。俺は誰にも負けねぇよ。むろん、シュウヤにもな」
互いに勝利を確信したまま会話は続く。勝つのは俺で、負けるのはそっちだ。スペシャルマッチで戦うことは決定事項。そんなつもりで俺達は、勝つだの負けるだと言い合っていた。
それを見て女子のベッキーは呆れたのだろう。もしくは子供っぽいと思ったのかも知れない。俺とアレックスが言い合いを続けるなか、ベッキーは一人肩肘をついて、しみじみと言葉を漏らす。
「男の子だねぇ」
その表情を見た訳じゃあないが、きっとこの時ベッキーは含み笑いをしていた筈だ。




