意地
Ⅰ
「〝天使の矢〟」
それは圧巻と言わざるを得ない、光景だった。
空中に数え切れないほど現れる矢の群衆。紅色に色付くそれらは、まるで一枚の幕のように広がりを見せ。物量という圧倒的な数の暴力を、たった一人で再現してみせた。そしてベッキーは、言葉通り、宣言通りに有言を実行する。
「怪我したくなかったら、自分からリングを降りな」
指を弾き、鳴り響く乾いた音を合図にして、矢は一斉に放たれる。
歩兵の進軍の如き、その攻撃は勝利を確定付けるほどの制圧力を有していた。幾千、幾万もの魔力の束が直線を描き。敵前逃亡することなく、自らの魔法で防御を試みた数名の女子生徒を蹂躙する。
過半数以上が、ベッキーを恐れ、リングから降りていた。
「終わったかな」
ベッキーは心底、退屈そうに言う。
「ま……だよ」
けれど、その言葉に返事をするものがいた。
名も知らぬ彼女は、這い蹲った姿勢からよろよろと立ち上がる。満身創痍。気絶の一歩手前。もはや、まともに魔力を作ることも出来ないだろう。そんな状態でも尚、彼女は声を上げて自らの存在を誇示した。
前言撤回をしなければならないだろう。俺も、ベッキーも、初めから全員が戦意喪失しているなどと考えた自分の目は節穴だ。少なくとも一人いた。七大貴族の令嬢という強者に、勇敢にも立ち向かった女子生徒が。
「……キミ、名前は?」
「キャサリン……イグニシード」
「そう。キャサリンなら短縮はケイトか」
そう言うとベッキーは今一度、指を鳴らして複数の矢を精製する。
「ケイト。これはキミへの敬意だ」
ベッキーは容赦なく魔法を放ち。矢は正確に人体を襲い、彼女の意識を奪う。
実際のところ、止めなど刺さなくても勝っていただろう。ただその場から一歩も動かず、彼女が倒れるのを待つだけで良かった。けれど、それでも自らの手で引導を渡したのは、満身創痍ながら立ち上がり、意地を見せ付けた彼女に全力で応えたかったからだ。
俺だって、そうしたに違いない。
「勝者、レベッカ・オルケイネス。これでこの学年の出場代表者、その枠がすべて埋まった。バトルロイヤルは対抗戦の目玉にあたる。ここで負けるようじゃあ、例え他の種目の奴等が勝っても意味がねぇ。そいつを肝に銘じて本番に備えておけ」
こうして予選は終わり、俺とベッキーはバトルロイヤルに出場が決まった。
なんだかんだで、上手いこと乗せられたような気がするな。結局、流されるままに戦って、出場が決定してしまった。でも、勝ち残ったからには、その責任を果たさなければならない。期待に応えられるよう、努力するとしよう。
Ⅱ
バトルロイヤル出場が決まって、幾日か経った頃。まだ先にある対抗戦に備え、英気を養うために。出場代表者となった生徒たちには、特別な休暇が与えらた。みんなが学園に通っているのに、自分だけ公然と休めるというのは中々気分がよく。日課の剣の稽古にも、より身が入るというものだった。
「ねぇ、シュウ。折角の休日なのに、剣の稽古と魔法の訓練しかしないってどうなの?」
そんな風に訓練所で剣の稽古をしていると、近くで暇そうに稽古風景を見ていたエリーが、そう聞いてくる。休学が続き、休みにも飽き飽きしているのだろう。その声音は何処か退屈そうだ。少し前のベッキーと同じだな。類は友を呼ぶという奴か。
「どうなのって?」
「なんというか、何処かに遊びに行ったり、買い物に出掛けたり、色々と楽しみようがあるでしょう?」
「んー……」
エリーにそう言われ、剣の稽古を一時中断する。
しかし、かと言ってだ。別に特別どこかに行きたいと思うような所はない。また欲しい物も特にはないので、結局は剣や魔法を高めることに時間を使ってしまいがちだ。剣士としてはそれで良いのかも知れないけれど。こう考えて見ると、もっと色んな事に時間を使うべきかもな。
給料も殆ど手を付けていないことだし、この際、それを使って見るのも一つの手だ。
「じゃあ、たまには外に繰り出してみるか。エリー、付き合ってくれるか?」
「うん! じゃあ、さっそ――」
「あーっと、出掛けるのは剣の稽古が終わってからだ」
「むー」
いつものように頬を膨らませたエリーは、大人しく備え付けの簡易イスに腰掛けた。
それからエリーに何度か急かされながらも、剣の稽古をきっちりと終わらせ。出掛ける準備を済ませると、玄関口にて集合した。エリーはお出かけようの華やかな衣服に身を包んでいる。ワンピースのような、身軽そうなドレスだ。
「見たことない奴だな。新しく買ったのか?」
「そうよ。この白いドレス、素敵でしょ? デザインも気に入ってるの」
上機嫌でそう話したエリーは、その場でぐるりと回ってみせる。正面だけでなく、全体を満遍なく見た感想は、似合っているの一言に尽きた。品のある落ち着いた印象、回った遠心力でスカート部分がふわりと広がる様さえも、どこか優雅に見えた。
「ブロンドの髪と相まって、良い感じだな。それじゃあ、そろそろ出発か?」
「んー、もうちょっと待って。まだシャルナが来てないから」
「インクルストも来るのか。なら、もう少し待つか」
また言ってなかったっけ? が発動したな。けれど、インクルストならいい。これがクインなら、俺は丁重にお断り願ったところだ。誰が好き好んで嫌味を言われながら出掛けなければならないのか、という話である。
そう言えば、インクルストの私服って見たことがなかったな。いつもあの厳つい無骨な黒いアーマーを身に纏っているから、その姿しか見たことがない。外に出掛けるのなら、流石にアーマーのままということはないだろう。
これは否応なく、期待が高まってしまうな。
「お待たせ」
そうこう考えていると、インクルストが姿を現す。そして面食らってしまった。
白地のシャツにパーカー。裾の短いスカートと黒のニーソックス。服装が完全に、俺の知る現代風だったのだ。この世界にも、こう言う衣服があるのか。元の世界との共通点を見付けられたのは嬉しい限りだが、一目見た時の驚きで、期待やら何やらが吹っ飛んでしまった。
「なに?」
「いや、なんでもない」
ずっと見ていては変質者と思われかねないので、そっと視線を外しておく。
「さて、じゃあ行きましょうか。今日は王都の案内も兼ねて、各地を回ってみるわよ」
そう言って馬車に乗り込んだエリーは、俺以上に張り切っていた。学園にも行けず、退屈していたエリーに取っては、この上ないストレス発散の機会なのだろう。楽しそうにしているし、今日一日はエリーに振り回されてみるか。
思えばここに来て一ヶ月以上が経つが、観光らしい観光をしていなかった。この王都とやらの地理を正確に把握する良い機会になる。兎にも角にも、エリーの案内に期待するとしよう。
「で、結局こうなる訳か」
年頃の花も恥じらうような若い女子二人と出かけたのだから、こうなる事は薄々感づいていたけれど。悪い予感は当たる物で、観光の話はどこへやら。いつの間にか俺は二人が買った品物を一手に引き受け、運ぶ役割をこなしていたのだった。
ようは荷物運びだ。右手に積み上がった品物が、左手にも積み上がった品物がある。それらを倒さないように、絶妙なバランス感覚で持ち、二人の背中を追いかけている。店を出たら荷物を置きに馬車に戻れば良いものを、あの店も気になる、この店も気になるで、ちっとも戻ろうとしない。
お陰で重量は軽く十キログラムは越えている。片方だけでだ。両方を合わせると二十キログラムくらいある。確実に俺じゃあなければ、運べていない総重量だ。
「たしか各地を案内してくれるんじゃあなかったっけ? お二人さんよう」
「ごめん、シュウ! あと、この店だけだから」
「頑張れ。応援してる」
その言葉を今日だけで何度聞いたことか。まぁ、今日一日はエリーに振り回されると決めたし。これはこれで筋力トレーニングになるから、損はないけれど。それでもウィンドウショッピングじゃあダメなのか? と思わざる終えない。
エリーは貴族令嬢、インクルストもそれに使える私兵である。二人とも金は持っているから、欲しい物を直ぐに買いやがる。少しは節約や我慢という概念を覚えたほうが、良いんじゃあないかと思わざるを得ない。
「シュウ。はい、これ」
そう考えていると、唐突に名前を呼ばれ。急に口の中へと何かを突っ込まれる。
初めは何事かと思ったが、口の中が冷たくなり、また舌が甘さを感じ。どうやら御菓子か何かの食べ物を、口に運ばれたのだと理解した。それにしたって乱暴であることは変わりないけれど。
「なんら? これふぁ?」
「えーっと、氷結糖ですって。甘い果物の果汁を氷の魔法で固めた物らしいわ。どう? 美味しい?」
見れば、近くの露店にそれらしい物が売っていた。色取り取りの宝石のような氷が、幾つか並んでいる。味の感想を言えば、文字通り味の付いた氷だ。ただ果汁をそのまま凝縮して凍らせてあるので、若干濃いというのが正直なところだな。
あと、ずっと嘗めていると口の中が冷たさで麻痺してくる。
「まぁ、美味しいよ。できれば暑い日に食べたい」
「そうなの、じゃあ私も食べよっと。シャルナも食べる?」
「頂きます」
なんだか上手いか不味いかの、毒味をさせられたような気がするな。
しかし、これは結構ロシアンルーレットだぞ。今、口の中にある氷がリンゴみたいな味だから良かったものの。これがレモンの如く酸っぱいものだったら、地獄を味わうことになる。
「これ、なかなか良いじゃない。またデザートにでも――あれ? シャルナ、どうしたの?」
「な……んでも……ない」
なぜか突然インクルストが顔を伏せ、ぷるぷると震え始める。言葉も途切れ途切れで、目には涙を浮かべている。しまいには口元を手で押さえ始める始末だ。これはもしや、外れを引いたのかもな。
「インクルスト、何味だ? それ」
「わから……ない。でも……すっぱい」
「すっぱい? あぁ、そう言う……やっぱりデザートにするのは無しね」
エリーは事態を察したように、インクルスト背中を優しく摩っている。
でも、なんだろうな。普段、無表情なインクルストがこうも表情を崩して涙目になっているというのは、それはそれでそそる物がある。いや、これ以上は止めておこう。急に罪悪感が襲ってきた。
「公衆の面前で吐き出すわけにも行かないから。馬車まで戻るか、いっそのこと噛み砕いて飲み込むか。二つに一つだな。俺としては馬車まで戻ることをお勧めするけれど」
それで荷物を置きに帰れるから。
「大丈夫? 馬車まで戻る?」
「いい……ここで……噛み砕く」
決意を固め、口の中にある氷結糖を噛み砕く。そして今まで以上の酸っぱさが口の中を襲ったのだろう。インクルストはきゅっと目を閉じ、涙を流しながらも俯いていた顔を上げ。粉々になったそれを、喉の奥へと押し流そうとする。
「んんっ」
びくんっと身体が跳ねたかと思うと、インクルストはぐったりとエリーにもたれ掛かった。どうやら飲み込めたみたいだが、無事にとは行かなかったみたいだ。これはどちらにしても、馬車に戻る必要がありそうだな。
喉元過ぎれば熱さを忘れると言うし。是非ともインクルストにはこの酸っぱさを忘れて貰いたいものだ。でも、凄まじい酸っぱさだな。使い方を変えれば、拷問に使えるんじゃあなかろうか。




