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色う焔と異界の剣士  作者: 手羽先すずめ
紅の撃ち手
18/44

獣狩り


「おい、シュウヤ! 貴様、この窓はなんだ! まるで掃除がなってないぞ!」


 そう俺に怒号を浴びせたのは、淡い緑の髪を生やし、燕尾服に身を包んだクインだった。


 掃除の仕方にケチを付けたいらしい。俺が綺麗にした側から、粗探しを決行している。まるで口うるさい意地悪婆さんだな。夫の両親と同居する妻の苦しみ、あるいは婿養子に行った気持ちが、何となく分かった気がする。


 なんど、あんたは俺の姑か、と思ったことか。


「いいか? 貴様はエルサナ様の護衛役だが、イリアンヌの脅威がなくなった今、貴様はまるで要無しなのだ。にも関わらず、解雇せずに雇っているのだから。せめて掃除くらいまともに出来るようになって貰いたいものだな」

「大変、失礼いたしました。じゃあ、最初からやり直しますね」


 表情では平静を装いつつ、内心では腸が煮えくり返っている。口答えの一つや二つ、言ってやりたいところだが。仮にもクインは俺の上司だ。逆らうだけ逆らえば、割を食うのはこっちである。この胸の内にため込んだ怒りや鬱憤は、豪邸の汚れや埃にぶつけるとしよう。


 幸い、日本にいた頃は、いつも道場の掃除をしていたので苦ではない。こうなったら、ぐうの音も出ないくらい綺麗にしてやろう。そうすれば、文句の付けようもあるまい。


 それから募ったイライラを解消するように、豪邸の隅々まで丁寧に清掃を行い。クインの厳しい確認も合格を貰って、ようやく掃除は終わりを迎えたのだった。


 与えられた自室に戻り、現在の時刻は午前十時過ぎ。このぶんだと十二時過ぎくらいまでは、比較的ゆっくり出来るかな。と、思っていたのも束の間、こん、こん、こん、と三回ほど扉が叩かれる音がする。


「シュウ? ちょっと良いかしら」

「エリーか? 大丈夫だけれど」


 そう返事をすると、扉が開かれエリーが部屋に入ってくる。


「どうした?」

「今からベッキーの所に行くから、シュウにも着いてきて欲しいのよ」

「ベッキーの所か。でも、いいのか? そこに俺が混じっても。二人でしか出来ない話もあるだろうに」

「大丈夫よ。ベッキーがシュウを指名したんだもの。連れてきてって」

「俺を? あー……」


 とうとう、あの時の借りを返す日が来てしまったか。


 はてさて、どんな事をさせられるのだろう。借りの内容が、エリーが無茶しないように、様子を見ておいてくれ。だったので、それほど面倒なことを対価として要求されたりはしないだろうけれど。なんにせよ、行かないという選択肢はないか。


「よし、準備をするから。ちょっと待っててくれるか?」

「うん。じゃあ、出発できるようになったら、私の所に来て」


 そうしてエリーが退室すると、すぐに準備をして部屋を出る。


 ベッキーの所に行くのは若干憂鬱だが、これで借りの清算が出来ると思えば気も晴れる。どんな対価を要求されても、今日一日を乗り越えればそれで片が付く。気張って行くとしよう。



「ようこそ、オルケイネス家の別荘へ。歓迎するよ、エリー、シュウくん」


 ここはオルケイネス家の領地内にある、オルケイネス家の別荘だ。


 緑の深い山々の麓に位置し。王都からそれほど離れて居ないにも関わらず、それほど人の家がない土地だ。だからこそ、オルケイネス家もここに別荘を建てたのだろう。それに、ここで取れる山の幸は絶品であると聞いている。


 人が居らず、金は落ちないが。それを補って余りある資金源が、この山々にはあるらしい。


「学園にはいつ復学するんだい?」

「そうね、今週中には、って考えているわ。まだイリアンヌとのごたごたが、完全に収まっていないから。それまでは学園に行かないほうが良いって言うのが、エクイストの方針よ」

「へぇ、賢明な判断だよ。学園内ではエリーとイリアンヌの坊ちゃんの話で持ちきりだ。今、復学すれば無用な騒動が起こっていたに違いない。この噂話が過ぎるまで復学しないってのは、良い案だよ」


 人の噂も七十五日。噂は所詮、噂に過ぎない。移り変わりの激しいものだ。故に、時が経てばそれほど語られなくなり、野次馬たちの興味も削がれていく。復学のタイミングは、極限にまで興味が削がれた時だ。


 復学によって、また噂がぶり返すだろうが、それも一時的なものだろう。とにかく、今は休学が一番だ。その後は、どうとでもなる。


「此処だ。すこし座って話をしようか」


 玄関口から今までの会話が終わるくらいの距離にある部屋に、俺達は通される。内部は内装こそ違えど、エクイスト家の別荘にあった客室と似た雰囲気があった。きっと、此処もそうなのだろう。


 そんな印象を抱きつつ、落ち着いた色のソファーに腰掛ける。


「そう言えば、どうしてシュウを一緒に連れてくるように言ったの? ベッキー。いつもは二人きりなのに」

「シュウくんにはちょっとした貸しがあってね。今回はその清算をさせて上げようと思ったんだよ」

「貸し? シュウ、いつの間に貸しなんて作ったのよ」

「まぁ、色々とあるんだよ」


 これ以上、エリーに突っ込まれると、事態がややこしくなりそうだ。どうせエリーはじっとしていないから、ベッキーに見張りを頼んだ、なんて知られたらお冠になること間違いない。今のところはお茶を濁して、話の軸を別のところへすげ替えるとしよう。


「そんなことより、その貸しの清算ってのは、具体的に何をすれば良いんだ?」

「簡単な話さ。近頃、この山がよく荒らされるんだ。獣とか魔物とかの仕業じゃあない、明らかに人為的な手が入っている。たぶん、この辺りに盗賊か何か棲み付いたんだろう。今回、そいつらを取っ捕まえるか、追い出すかしたいんだ。それに手を貸して欲しい」

「なるほど。まぁ、盗賊の類いなら何とかなるか」


 見張りの貸しにしては、大きすぎるような対価だが。これで貸し借りなしになるなら、軽い物だと考えるべきだろう。


 ベッキーはエリーの友人、親友にあたる人物だとは言え。七大貴族の一角を担う、オルケイネス家の令嬢だ。そんな人物に貸しを作ったままにしておくことに比べれば、盗賊狩り程度のことで清算できるのは寧ろ幸運と言える。


「分かった。なら、何時から行こうか」

「そうだね。いつもなら、ここに来てしばらくゆっくりした後、エリーと獣狩りに行くのが定番だったんだ。だから、盗賊を片付けに行くのは、獣狩りと並行してってところかな?」


 ふむ、それなら盗賊狩りが空振りに終わっても、一応は無駄な行動にはならないか。


「そうか、じゃあ少しゆっくりさせて貰おうかな。しかし、それにしても獣狩りか。懐かしいな、俺も昔はよく親父に連れられて鹿とか狩ってたっけ」


 これが結構、難しい。気配を断って、物音を立てずに近付かなければ直ぐに逃げられる。その上、親父は猟銃ではなく、剣で狩れというのだから、尚更、難易度が増していた。


 初めて剣で狩れと言われた時は、この親父は馬鹿なんじゃあないかと思ったものだ。野生動物の警戒心の強さを嘗めているのかと本気で疑った。まぁ、でも、そこは常識外れで、型破りな親父である。ものの見事に剣で鹿を狩った時には、開いた口が塞がらなかったのを良く覚えている。


「狩った獣は、すぐに料理して貰えるのよ。此処での昼食は自分で調達する、それが私達が出会った頃からの決まりなの」

「それは良いことを聞いた。腕が鳴るな」


 それから予定通り、しばらくゆっくりした後、俺達は山へと爪先を向けた。


 通常、登山にはそれなりの準備が必要となるが、今回は特にそれらしいことはせず。服装は普段通りの軽装で、持ち物もほぼ手ぶらの状態での出発だ。


 エリーやベッキーに取っては勝手知ったる山道だろうし。俺にとっても山の険しさには慣れているつもりだ。盗賊に出会う前に体力が尽き果てる、なんて間抜けなことにはなりようがない。


 それに何より、俺達には魔法がある。それほど注意深い準備など必要がないのだ。


「〝天使の矢(ハートショット)〟」


 程よく脂の乗った鹿を見付けたベッキーは、遥か遠くから魔法を唱えた。


 すると、静かに魔力が渦巻くようにして、空中に一本の鋭い矢が精製される。けれど、それは本物の矢ではなく、その形を模したもの。紅色に色付いた魔力が、集束したものである。系統としては無の魔法。矢を精製し、放つ魔法だ。


 張り詰めた弓が軋みを上げ、引き絞られた矢が射られるように。やじりは目標の鹿を捉え、寸分の狂いなく放たれる。銃弾の如く、それは木々の間を縫い。回転しながら空を渡り、鹿がその気配を察知した頃には、すでに回避不可能な距離まで矢は突き進んでいた。


「よっし。これで合計して何匹になった?」


 見事に脳天を貫いた矢は、鹿を絶命へと追いやると、そのまま雲散霧消する。ばたりと倒れて地に伏した鹿は、もうぴくりとも動かない。


「俺とエリーの分を合わせて、合計三匹。うち二匹は小物だし、その鹿で三人分の昼食には十分ってところか。いや、ちょっと多いくらいかもな」

「大丈夫よ。ベッキーは女の子の割には、よく食べるほうだから」


 なら、安心だ。と、そう言いかけて口を閉じる。


「……分かるか? 二人とも。たぶん、あっちのほうに人間がいる」


 閉口したのは、何者かの気配を感じ取ったからだ。


 フードの男が奇襲して来た時とは違い。まるで隠す気のない、荒々しい気配が現れた。しかも、偶然か否か。それはこちらに向かって直進して来ている。向こうもまだ、進路先に俺達がいるとは気付いていないだろう。


 もし気付いていながら近づいて来ているのなら、そいつは相当の馬鹿に違いない。


「んー……っと。おっ、かなり見難いけれど、確かにいるね」

「うそ。どこどこ?」

「ほら、あそこだよ」


 ベッキーの指さした方向を、エリーは凝視する。


「んんんっ……ダメね。全然、見えない」

「安心しろ。俺にも姿は見えていないから」

「シュウにも? あれ、私はシュウとベッキーのどちらに驚けばいいのかしら?」


 姿も確認せずに敵を感知した俺か、それとも誰にも見えない遠くの敵を見付けられたベッキーか。どちらに驚こうかと迷うエリーは、けれど端から見ればかなり間抜けなことをしていた。


「まぁ、驚くことでもないさ。ベッキーの目の良さは生まれ持っての物だし。それなりの経験と訓練を積めば、エリーにも俺と同じ事が出来るようになる。それより今は目の前の人間に集中しろ。あいつが盗賊かも知れないぞ」

「盗賊だろうと無かろうと、オルケイネス家の領地に無断で侵入したんだ。それなりの報いは受けて貰うけれどね」


 そう言うと、ベッキーは眼界に不法侵入者を写し。指で軽く、音を鳴らした。乾いた音が響き、ベッキーの側には大量の魔力が集束する。そうして出来上がったのは、矢と形容するにはやや大きすぎる、槍のような魔力の束だった。


「それ、まさか射るつもりか?」

「もちろん。大丈夫だよ、あいつにもまだ仲間がいるだろうから、居場所を聞き出すまで殺しはしない。殺す以外のことはするけれどね、とりあえず急所は外す」


 急所を外しても腕の二本や三本くらいなら、平気で持って行きそうなんだけれど。


 まぁ、仮にそうなったとしても、エリーがいるから大丈夫か。傷口を瞬時に凍らせてしまえば、それ以上に出血することはない。今後の人生に多大なる重荷を背負うことになるだろうが。どう転んでも、最悪、死にはしないだろう。


 命を奪われないだけ、幸運だと思うべきだ。


「そら行けっ」


 かくして、槍のように大きな矢は放たれた。

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