今後のこと
Ⅰ
結局のところ、この件に関してお叱りを喰らったのは、実質、俺だけだった。
クインによってさんざっぱら、嫌と言うほど説教やら罵詈雑言を浴びせかけられた俺に対し。エリーの両親は、とことん娘に甘く。叱っているとも思えないような優しい言葉を、共犯であるはずのエリーに言い聞かせていた。
しかし、此処までは別にいいのだ。まだ納得できる。しかし問題は、同じく共犯者であるはずのインクルストが、罪を逃れているということだ。どうやら学園からエクイスト家へと連絡を取った際、彼女がクインを言い含めたらしく。
エリーが学園に向かったのは俺が唆したから、とか。インクルスト自身は何もしらなかった、とか。そんなことを言い。更には、脱走を見抜けなかった自分が悪いとまで言っていたのだ。
お陰で悪いのは全て俺だ言うことになっており。クインの怒りは頂点にまで達していた。長々しい説教を正座の状態で聞きながら思ったことは、ただ一つ。やっぱりインクルストって俺のことが嫌いなんじゃあないのか? ということだった。
ともあれ、そんな不幸がありつつも、イリアンヌの脅威が去ったのは事実だ。氷の中に封じ込めたイリアンヌと、傷を負ったフードの男の処罰は追々、時間を掛けて決めるということらしい。
なんでも空気中の魔素を完全に取り除いた空間があるようで、二人はそこに閉じ込められているようだ。流石に、あの二人も魔法が使えなければ脱出は不可能だろう。
何もかもが丸く収まり、良かった良かったと言ったところだ。
「あのね、シュウ。貴方に大事な話があるのよ」
そうして諸々の騒動が終息し、久々の平穏が訪れて何日か経ったあと。俺がこの世界に来て、ちょうど一ヶ月が経った日だ。エリーがそう深刻そうな顔をして、廊下を歩いていた俺を呼び止めた。
「大事な話?」
「此処じゃあなんだから、私の部屋に来て」
言われるがまま背中を追いかけ、エリーの部屋を訪れる。
部屋の中心にテーブルがあり、その机上には淹れ立ての紅茶が注がれたカップが用意されていた。エリーが仕草で座れと伝えてくるので、大人しくテーブルを挟むようにして配置された椅子に腰を降ろす。向かい側にある椅子には、エリーが腰掛けた。
「話ってなんだ? 給料を上げてくれんのか?」
「そうじゃあないわ。貴方と、そして私の今後のことについてよ」
今後?
「私、最初に言ったわよね? 一文無しで宿も取れないなら、しばらく私の所で働きなさいって」
「……あぁ、なるほど。そう言う話か」
そうだ。俺はもともと期間限定のつもりでエリーの護衛になったのだ。この世界で生きていくための資金を得るために、エリーに雇われた。この一ヶ月で色々なことが起こりすぎて、そんなこと綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
当たり前のように、エリーと過ごしていた。
時期的にも、この話はここですべきだろう。ちょうどイリアンヌの件は片が付いたし、護衛も無理に雇う必要はない。この一ヶ月分の給料はもらったし、武者修行の資金にしては上出来だろう。
「この一ヶ月で、貴方はよく働いてくれたわ。何度も助けられた。それに見合う給与も支払ったつもりよ。けれど、今回の件に一段落がついた以上、私の身勝手で貴方をここに縛り付けておくことは出来ない」
「あぁ、そうだな」
「……武者修行の旅、だったわよね。次はどこに行こうかとか、決めているの?」
「いや、まだ決めてないよ。決めあぐねている。けれど、早々に決めなくちゃあならないな」
これは当然の話だ。雇われ、給料を貰い、離れていく。
最初はそのつもりだったし、エリーとの付き合いも一時的なものと捉えていた。だが、何時からだろうな。エリーの笑顔も、インクルストの無口っぷりも、クインのお小言でさえ。それが当たり前のことになって居たのは。
初めてエクイスト家の豪邸を目にしたとき、自分は場違いだと思っていたのに。いつの間にか、すっかりと馴染んでしまっていた。ここが自分の居るべき場所であると、錯覚していた。
居心地が良かったのかも、知れないな。うん、そうだ。そうに違いない。
「なぁ、エリー。一つ頼みがあるんだが、いいか?」
「えぇ、良いわよ。なにかしら?」
エリーは二つ返事で了承してくれた。
「俺をエリーの側に置いて欲しいんだ。これからも」
見開かれた丸い目が、俺の姿を写す。その仕草や表情は、純粋な驚きを表している。俺のこの発言が、相当予想外だったのだろう。きっと、後腐れ無く、俺はここを去ると思っていたに違いない。
「ど、どうし……武者修行の旅はどうするの?」
「俺の故郷は遥か遠くにある。ここに居ることだって、立派な武者修行の旅だ。それに此処は王様の住む王都だろ? 強い奴だってまだまだ沢山いるはずだ。修行相手には事欠かないさ」
「なら、自分の意志でここに残ると決めた、ってことでいいの?」
「あぁ、自分から、好き好んで、ここに居たいと思った。エリーとも出来ればまだ離れたくない。行き倒れた見ず知らずの俺を救ってくれた恩人だからな。」
いつかは、元の世界に戻らなければならない。でも、それでも、その時が来るまでは、俺は此処で暮らしていたい。まだインクルストに教えることが沢山あるし、そう言えばベッキーにも借りがある。ここは離れるのは、まだ当分先の話だ。
「よっ……よかったぁ」
涙混じりに、嗚咽混じりに、エリーは言う。
「おいおい、泣くほどのことかよ」
「だって……もうお別れだって思ってたのに……もう会えないと思ってたのに……」
「そう言えば、誰かを雇うのは俺が初めてだっけか。なら、お別れも初めてか。安心しろよ、エリーが許してくれる限り、俺は此処にいるから。ほら、涙は我慢しろ。子供じゃあないんだから、我慢できるだろ?」
「からかわないでよ。もぉ……」
そう言いつつ、エリーの涙は止まることを暫く忘れていたのだった。
この場面をクインにでも見られたら、また説教大会だな。そんな事を思いつつ、俺はその涙が止まるまで、ずっとエリーの側にいた。どうやら此処での日々は、まだまだ続きそうだ。




