彼のルーツ
オーフィリナの護衛、ゴーシュの名乗りに、夫妻の震えが一層ひどくなる。がたがたと大きく震えるばかりで、まるで幽霊でも見たかのようにゴーシュを見つめて怯える夫妻に、オーフィリナは変わらず穏やかにはなしかけた。
「そうですね。ええ、まあ、簡潔にわかりやすくお伝えするならば、あなたがたには人望などなく、あなたのお兄様には多大なる人望があった、ということでしょうか」
「オフィ、それではたぶん伝わらないんじゃないかな?」
「まあ。ええ、確かに、ご自身らに人望がないなどと思いもされていないでしょうから、伝わらないのも当然ですね」
ようやく解禁、とばかりに、親し気にオーフィリナにことばを向けるゴーシュに、オーフィリナも同様の温度で返す。そんなふたりのやりとりなど見えているのかいないのか、目の前の夫妻は変わらずことばもなく身を寄せ合って震え続けていた。
「ゴーシュのお父様、あなたの兄王子であられたかたは、公式には事故で亡くなられたことになっておりますが、実は現場近くの村人の手によって救い出されていたのです。……もっとも、無傷とまではいかず、不自由な身にはなってしまわれたそうですけれど」
貴族であろうと平民であろうと、分け隔てなく慕われていた彼は、将来間違いなく賢王として名を馳せるだろうと、国内外問わず名を知らしめていた。その甲斐あってか、馬車の転落事故にあったあと、とおりかかった近くの村人がすぐにそのひとと気づき手当を施し、けれどこれはもしやなにかよからぬことでも起きたのやもと危惧し、当人が目覚めるまで待ったらしい。機転の利く村人によって、念のため彼の死の偽装工作もしたというのだから、彼の身の安全をこころから願うものが多くいる証左にもなるだろう。
事実、彼の身に起きた事故は事故ではなかった。なにごともなくただの事故であったなら、それはそれとして彼の身を案じての厚意だったのだと彼自身が証言してくれただろうけれど、それは不要だったのだ。……人為的な、暗殺計画だったのだから。
事故直前の記憶を思い返して不審な点を抱いた彼が、目を覚ましてからひっそりと父王に連絡を取ったところ、父王が影に調査を命じ、彼の弟王子とその婚約者が結託して彼を殺そうとしたことが判明した。……目の前の、初老の夫妻こそがその犯罪者当人たちだ。
当然、父王もその奥方も怒りに怒った。兄を殺そうとしたその理由が、優秀な兄を妬み、その座を分不相応に願ったことだというのだから、なおのこと。しかも身勝手に嫉妬はすれど、努力をして自己研鑽を積もうとはしない弟だったのだから、救いようなどどこにもない。
即刻首を刎ねてやりたがった国王夫妻は、けれど兄王子の容態を聞き、留まった。
一命をとりとめることができた彼は、しかしその身に受けたダメージが大きく、長く生きられないと告げられたのだ。
どうしてこんなことに、と、事情を知る関係者は嘆いた。嘆きはすれど、そのような身の彼を国王にはできないことはだれもが理解できていた。彼が国王になれば、きっとこの国は飛躍的な発展を遂げただろうに、と、そう思えどもはや叶わぬ夢に過ぎない。であれば、せめて、残された時間を穏やかに過ごせるようと配慮し、公式的に彼は死んだことにされたのだ。
これ以上、弟王子の魔の手が伸びることがないように。
その弟王子らの処遇についてだが、当時の国王の世代で不幸が続いたこともあり、王家に近しい血筋のものを後継とするのが難しく、一時保留となってしまった。それをわかっていての蛮行だったのだろう、要らないところには頭が働くと、実の親ながら国王夫妻も苦々しく思っていたと聞く。けれどいずれはきちんと白日の下に晒し、然るべき処罰を与えたい。そのためにも、直系は難しくともそう遠くない親戚筋を……とどうにか考えていたのだが、その考えが変わる出来事があった。
兄王子に、子ができたのだ。
それはきっと、奇跡とも呼べる出来事。彼の生存を知るだれもがよろこびの涙を流し、誕生をよろこんだそのこどもこそがゴーシュである。彼が生まれたからこそ、当時の国王夫妻は考えた。
正しき血を、後継に。
いずれ兄王子の血を王家に戻すため、そのためになすべきことを国王らは考えたのだ。
ただ、余命いくばくもない兄王子から、大事なこどもを取り上げてしまうのはしのびない。彼ら家族はただ穏やかに過ごしてほしいと願う親ごころから、ゴーシュをそのまま後継とすることは諦めた。受けなければならない王子教育から遠ざけたことで、彼は父を救ってくれた村人たちの住まう村で、両親とともにのんびりと平民として育ったのだ。
余命いくばくもないと言われた兄王子も、息子が生まれたことで一層奮起したのだろう。宣告されていた年数よりも長く、家族と暮らすことができたという。
それはイコール、ゴーシュがいまさら王子として生きていくには難しいと言わざるを得なくなった、ということも示す。……不可能だとは言わない。本人のやる気次第で無理ではなかったかもしれないけれど、長く平民として生きてきた彼に、貴族として……王族として生きる負担を強いることを、彼の周囲も望まなかった。
兄王子の忘れ形見には、どうか健やかに。それは国王夫妻の願いでもあった。
だからこそ、王家に戻るための血筋はその次世代以降に期待された。強要はしない。強制もしない。けれど、説得だけはする。それで理解を示してくれたものを、後継に。いずれ正しきを正しきに戻せたら。
そんな悲願を抱く国王夫妻だったが、大変残念なことに、こちらは本当の事故でその命を落とすことになってしまった。それも、次の国王の指名もできないうちに。
兄王子のことを知るものはごく少数、国王夫妻がほんとうに信頼できる相手にしか知らされていない。だからこそ、多くの貴族は残された直系の血筋である弟王子を次代の王に選んだし、議会も承認してしまった。兄王子が生きていたことを、ゴーシュの存在を隠したまま反対を唱えられるものは多くなかったのだ。
そうした結果が、いまに繋がる。
「……まさか……父上と、母上が……ご存知だったなど……」
オーフィリナとゴーシュから語られたはなしに、茫然と夫妻から力が抜けていく。本来であればとうにその命などなかったのだと言われ、彼らにとっては幸運のうえの綱渡りだったのだと知ったいま、どういう心境でいるのだろうか。
まだ初老程度のはずが、一気に老け込んで見えるふたりに、けれどオーフィリナは微塵も同情など抱かない。
「わたくしの祖父も、ありがたくも当時の陛下の信頼篤く、ゴーシュのことも彼のお父様のことも存じ上げておりました。その流れで、我が家はしばしば交流を持たせていただいていたのです。……いずれどこかの代で、国王となる意思が芽生えたそのときに、手をお貸しできるようとのことでした」
「それがこんなに早く機会が来るとは思わなかっただろうけど」
「ええ、そうでしょうね」
オーフィリナはゴーシュと顔を見合わせ、ふふ、と、まるで少女のようにほほえむ。いままでの笑みとはまったく違う、愛しいひとにだからこそ見せるやわらかな笑みだ。
父の死後、その血筋について母から聞いたゴーシュは、けれど自分にそんな高貴な血が流れているなど受け入れがたく、どこか他人事に捉えていた。なにを強要することもないと言われたため、自分はこのままこの村で、庭につくった畑を耕しながら、村人たちの依頼のあれこれにこたえていきていくのだろうと思っていたのだ。
けれど彼はそのときすでに、オーフィリナに出会ってしまっていた。
オーフィリナとの出会い自体は幼少期で、そのころには彼女は妹とともにゴーシュのはなし相手としてやってきていた。はなし相手なら村のこどもたちがいるし、遊ぶには性別がちがうためか好みがあわない。けれど彼女はいつだってゴーシュが好みそうなはなしを仕入れては披露してくれたし、ゴーシュのはなしにも楽しそうに付きあってくれたので、一緒にいることは苦にならなかった。
妹のほうは自分の興味あることにしか気が向かないようだったけれど、そんな彼女を穏やかに丸め込むオーフィリナの手管は見ていて面白かったし、おかげでいつも穏やかな空気の中にいられた。
ときおり刺繍をしてみたとハンカチをくれたりもしたけれど、それが年々上達をしていくのをみるのもすきだったし、持ってきてくれるお菓子もおいしかった。
両親の知り合いだというひとたちは、オーフィリナたちに限らず多くいて、そのだれもが貴族であったなどあとに聞くまで知りもしなかったのだけれど、だからこそ無垢なまま、素のオーフィリナを知ることができていったのだ。
たくさん訪れてくれていた貴族たちの中には、オーフィリナたち以外にも、年齢の近しいこどもたちもいた。けれどゴーシュにとってオーフィリナはほかのだれよりも特別な存在だった。特別で、いつだって彼女の訪問を待ちわびて、彼女と過ごす時間が楽しくて……それが恋なのだと気づいたのは、自身の血筋を知ったあと。ちょっと遅い、初恋だ。
村で、ひとりの村人として生きていく。そう思っていたゴーシュが、自分の血筋を考えるようになったのは、オーフィリナの存在が大きかったと思う。むしろ、彼女の存在があったからでしかない。
そのときにはオーフィリナにはすでに婚約者がいて、しかもその婚約者が自分の父を殺そうとした人物の息子だと知ったときにははらわたが煮えくり返るかと思った。オーフィリナも彼女の両親も不本意だったらしいが、王命には逆らえないという。
いやだと泣く悲しみと反抗にまみれた彼女の涙を、ゴーシュはあとにも先にも一度しか見たことがない。
オーフィリナの婚約者は、王命で無理矢理彼女を縛っておきながら、彼女を顧みることはないと聞いた。邪険に扱い、浮気はし放題。そのくせなにかにつけてベルン公爵家の権力と金をせびり、わがもの顔で使っていく。オーフィリナ本人はそのようなことくちにしなかったが、母と仲がよかったオーフィリナの母が、お茶をしに訪れては語っていく。
いまにして思えば、あれはゴーシュの想いを知ったうえで奮起させようとしていたのだろう。
まんまと彼女らの思惑に乗ったゴーシュは、自分にできることを考えた。考えて、考えて。自分の血筋も考えて、けれど自分には貴族や王族のことなどわかりもしないから、母にも協力を求めて。そうして、オーフィリナを呼び出して告げたのだ。
いかに自分が彼女を愛しているか、求めているかを。
オーフィリナはそれをとてもよろこんでくれたけれど、立場上受け入れられないのだと嘆いた。けれどそれはゴーシュも想定済み。だからこそ、計画を立てたのだ。
最初は、ただうまくあしらって、こどもをゴーシュとの間にだけ設け、その子に王位を継がせるつもりだった。ゴーシュ自身は騎士としての鍛錬を積み、オーフィリナの護衛として潜り込むことでそばにいられるよう望み、果たした。
こどもに関しては、いずれゴーシュの……というよりも、ゴーシュの父の血を王家に血筋として戻すことがゴーシュの祖父母の悲願であることは事実なので責められる筋合はないだろう。後継の約束とてオーフィリナの子であることなのだし、その子が王家の血も継いでいるとなれば問題などなにもない。そもそも、いまの血筋は犯罪者の血筋なのだ、さっさと清めるに限る。
もっとも、罪を犯したのは当時の弟王子なので、その息子に……その時点では罪はない。だから彼が善良であったなら……せめてオーフィリナに対し誠実であったなら、このような方法はとらなかっただろうが、しょせんたらればのはなしでしかない。
オーフィリナとて、事情は知っていたが、それでも彼が誠実に国や民と向きあう人間であったなら、見捨てはしなかった。最初はきちんと婚約者として向きあわねばとさえ思っていたのだが、なにが気に入らないのか……おそらく、両親に決められた婚約者ということがすでに気に入らなかったのだろう、最初からオーフィリナへのあたりをキツくしていた彼は、その後も一切態度を改めることなどなかったのだ。
だからこそ、ゴーシュとこどもをなし、そのこどもにこそ王位を継がせることになんの躊躇いもなくなっていたのだ。
……そのこども当人であるレノンの気持ちを考慮してあげられないことは母親として申しわけなくある。けれどそれでも、オーフィリナは王妃としてその地位に立っているからには、国のことを、民のことを考えねばならない。レノンが早くからその血を認め、理解を示してくれたことにはとても救われた。




