美術品的な価値なら、まあ……
まるでさきほどまでのことなど一切気にしていないとばかりの、とても平坦な声音で。
「発言をよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「リリア様。此度は大変ご迷惑をおかけして申しわけありませんでした」
オーフィリナから許可を得て、深々とリリアに頭を下げるネオーナに、リリアは立ち上がって彼女と向きあい、ゆっくりと首を振る。
「いいえ。あなたのご協力、感謝しますわ」
ネオーナとはじめて対面したあの日。リリアは彼女の真意を聞いていた。
まず、ゲイルの指示に従って彼をリリアのもとまで招き入れてしまったことを丁寧に謝罪した彼女は、続けてこう言ったのだ。
「接近禁止を言い渡された平民をリリア様に近づけてしまった罪はもちろん償わさせていただきます。それはそれとして、これでゲイル様を放逐できますでしょうか?」
「……え?」
「機を見ていらっしゃったのは存じております。ですので、これが好機となるかと愚考いたしましたが……まだ足りませんでしょうか?」
おっとりと。頬に手をあて小首を傾げるネオーナに、リリアが戸惑ったのはわずかの間だけ。なるほど、実はしっかりと恨んでいたのかとすぐに納得した。
「ネオーナ様は彼の方の放逐を望んでいらっしゃるのですか?」
「ええ、それはもう。そのときをずっと、こころ待ちにしておりました。レノン殿下の御身を思えば、ときがかかることは重々承知いたしておりましたが、ようやく成就するかと思えば気も逸ってしまうというもの。すこし強引な手段を用いてしまい、申しわけありません」
つまり、さっさとゲイルの瑕疵を突きつけ、さっさと断罪されてくれることをネオーナは望んでいたということか。それがグエンベル公爵家の総意かはわからないが、やはりレノンの心配は杞憂だったのだろう。
それならほんとうにさっさと行動に移してしまえる。なにせ最後のネックとなっていたのはグエンベル公爵家なのだ。彼らに敵対の意志さえないなら、もはや問題などなにもない。
そう思いながらも、リリアは念のため慎重にことばを選ぶ。
「此度の件は、グエンベル公もご存知なのでしょうか?」
「あら? ……ああ、なるほど。そういうことでしたか」
事情を知る側からすれば、グエンベル公爵家が現国王らに不服を抱いているとしても納得しかない。だからこそ、ネオーナのことばをそのまま捉えて、やはり彼らに疑わしきことなどなにもないと思えてしまうところだが、確証はほしい。
表情を崩すことはせず、探るようにネオーナを射抜くリリアの視線に、ネオーナは得心気味にひとつ頷いた。
「どうやら父と兄のせいで不要な疑いが生じてしまっていたようで、申しわけありません。ふたりはわたくしの気持ちが変わることを望んでいるのです。まったく、そのような悪足掻きのせいでレノン殿下の道を阻むなど、臣下としてあってはならない体たらくだというのに……。わたくしのほうから、再度強く申し伝えておきますので、どうぞご容赦くださいませ」
「……ネオーナ様のお気持ち、ですか?」
「ええ。……実はわたくし、放逐されたゲイル様の身元を引き受けるつもりでおります」
「え⁉」
思わず大きな声が出てしまった。傍らからササメにちいさな咳払いで注意を受けるが、これは仕方ないだろう。ちょっと動揺を隠せそうにない。
そんなリリアに、ネオーナ当人は変わらぬ様子で笑みを浮かべ続ける。
「平民が民の税を使い、贅をこらして生きてきたのです。その返金のための負債は我が公爵家で請け負う代わりに、ゲイル様の身元はわたくしがいただこうと思っております」
それは、確かにそうなる予定である。ゲイルに限らずその母である側妃も同様の処分を受けさせるつもりだが、ネオーナは当然のようにゲイルのぶんだけしか請け負うつもりはないと加えた。
いや、そもそもそうまでしてゲイルを引き受ける意味がわからないのだが。
「えーと……よもや、ネオーナ様は、彼の方をすいてらしたのでしょうか?」
恐る恐る。そんな要素など見当たらない相手だぞ、あれ。という気持ちを隠しもせずに問うリリアに、ネオーナはとてもいい笑顔を向けてくる。
「ええ、あの容姿を」
「……容姿、ですの?」
「はい。とても美しいお姿に、わたくし、魅せられてしまっておりまして。わたくしが身元を引き受けたあとは、しっかりと囲って毎日堪能したく思っております」
うっとりと。どこか恍惚に輝く笑みを浮かべるネオーナに、内心ちょっと引いてしまうリリア。確かに、見た目だけならとんでもなく整っていると思う。さすが見た目しか見るべき場所のない母親から産まれた子である。父親の要素を悉く潰したのは幸だったということか。
「容姿だけ、ですか?」
「ほかに見るべき場所がありますか?」
念のため訊いてみたら、間髪入れずに返された。しかも真顔で。
そうだよね、自分を蔑ろにするような人物だもの、内面に好意など抱けるはずがないか。そんな思いをリリアはどこか遠く抱いた。
「ご安心くださいませ。わたくしが引き受けたあとは、さいごまできっちりと面倒を見ますから。アレの種は要らぬとはいえ、そもそも処されておりますので心配はないかと存じますが、ほかは……ええ、お声は不要ですので、そう対処させていただきますが、それに問題などありませんものね?」
「え……ええ、そうですわね」
「ありがとうございます。ふふ、あとはすてきにお年を召していただければうれしく思いますが、そうでなければそれはそれで構いませんので。ええ、処分まできっちりこちらで責任を負いますので、どうぞご心配なく」
「そ、そう……」
どうやらレノンの心配とは違う方向で問題のある人物だったようだ。まあ、うん。ゲイルに興味を抱いてくれているぶんには、こちらに害はないのだからよしとしておこう。
ネオーナの様子に、どうにか気持ちを変えてほしいと願ったグエンベル公爵らの想いがなんとなく理解できた。彼らは彼女の狂気じみたその想いがだれに知られることもなく修正されることを願い、ひっそり沈黙を貫いていたのだろう。
蔑ろにされても婚約を継続し、かつこの婚約がなくなったあとの保障を求めない理由はこういうことだったのか。
とりあえずネオーナのはなしを聞いたあと、レノンにそれを報告し、オーフィリナにもはなしを通したあと、グエンベル公爵ともはなすことになった。重いくちを開いた彼が一瞬にして数段年をとったように見えてしまったのは、それだけ気苦労にあった案件だったという証左なのだろう。涙を浮かべて平謝りしていた。
ともかく、事情を知ったからには堂々と協力を頼むこともでき、そもそもレノンたちに叛意などなかったどころか、彼の即位を望む側にあった公爵は、今回のリリア誘拐の手引きの依頼が届いた際にはさっさと証拠を提出してくれたのだ。
それだけではない。ほかにも彼らから過去に要求された手紙なども当然のように提出してくれてある。いずれ纏めて提出しようと思っていたらしいそれらは、公爵家としてこたえられる範囲でのみこたえてきたらしい。ドレスや宝石の類に関しては領収も残っているので、返済に上乗せされる予定となっている。
というわけで、現在。ネオーナにとって待ちに待ったこのときに、彼女の笑みが輝く。
いくら今回の件がリリア本人による主導のもとに行われたとはいえ、関わっていた以上頭を下げたネオーナ。その必要はないとリリアも当然本心から告げたのだが、ありがとうございます、とほほえむ彼女のその笑みに隠しきれないものを感じとり、くちもとが引きつりそうになった。
それを寸でで耐え、オーフィリナへと視線を向ける。その視線を受けたオーフィリナはひとつ頷いて立ち上がり、にっこりとほほえんだ。
「まだすこし早いですが、牢に入れてしまっては、あなたの望む姿を維持できなくなってしまう可能性がありますからね。これまでの長き献身にこたえ、彼のものの身はあなたがたに一任します」
「ありがとうございます、王妃殿下」
とても見事なカーテシーを披露する娘を、とても複雑そうに見つめたグエンベル公爵も、若干不服そうながらも一礼した。それでも娘の願いを通してやるあたり、たぶんネオーナのことを溺愛してやまないのだろうなと思う。
実際、ネオーナがグエンベル公爵らとどのようなやりとりをして、自身の願いを勝ち取ったかまではリリアにはわからない。けれど、わからなくていいとも思った。
ちなみに、リリア誘拐事件の前にネオーナから届けられた茶葉だが、あれにはその計画の詳細が記された紙片が一緒に入れられていた。つまり、ネオーナから堂々と今回の一件で罪を犯させ断罪しましょうと催促されたわけだ。
正直、ぞっとした。
再度礼をして、衛兵に連れられるゲイルを引き連れ去っていくグエンベル公爵親子を見送り、リリアはちいさく息を吐く。
「これでひとまず終わりの目途は立ちましたわね」
オーフィリナがソファに座り直したのを見てから、リリアもまた再びソファに身を沈める。労わるようにそっと手を握ってくれたレノンの手を、リリアも握り直した。
「いやな思いばかりさせてすまなかった」
「いいえ。レノン様さえいてくだされば苦になどなりませんわ。それよりも、これからですもの。わたくし、精一杯レノン様をお支えしますから、どうぞ末永くおそばに置いてくださいませね」
「もちろん。ぼくのほうこそ、リリアに相応しい存在になれるようこれからも努力をするから、ずっとそばにいてほしい」
手を握り合って、まっすぐに見つめあう。レノンの双眸に自分の姿がはっきりと映っていることに頬が熱くなるような気がして……ちいさな咳払いに、はっと我に返った。
「あ、えと……」
それがだれによるものかなど想像に易く、リリアは慌ててレノンから顔を逸らす。同時に、レノンもさっと顔を逸らした。とはいえ、お互い顔の熱は引いていないのだが。
「ふふ、仲が良いのはいいことね。邪魔ものはここで退散させていただくわ。あとはどうぞごゆっくり。ただし、羽目を外しすぎないようにね、レノン」
「わ、わかっています!」
確かにずいぶんとレノンとの距離も縮まったとは思うが、リリアの年齢を考慮してだろう、手を繋いだりくちびる以外へのくちづけ以上のことはまだしていない。レノンはそれでいいのかと不安になることもあるけれど、そのたびにゆっくりでいいのだと諭されてしまっては、リリアにもそれ以上なにも言えなかった。
年を経るごとに、そういった意味での年齢の差にやきもきしてしまうが、それもいままではそれどころではなかったということもあり、見ないふりを通してこられたのだが……これからは、どうなるのか。
からかうようにオーフィリナに釘を刺され、赤くなってこたえるレノンを目に、キスなら許されるだろうか、はしたないだろうかとリリアはひとり悶々とした。
その間にオーフィリナは有言実行と部屋を去っていく。彼女にも常に付き従う護衛がいるのだが、彼がどこかほほえましそうにこちらを見たことで、レノンに苦笑が浮かぶ。特になにかことばを交わしたわけではなく、ただそんな何気ないやりとりだけを残して彼は護衛対象のオーフィリナのあとを追っていった。
「……あとは最後の仕上げだけ、ですわね」
「うん。長年苦しめられたんだ。徹底的にやってきていいと思うよ」
オーフィリナたちが出て行った扉を並んで見つめ、リリアは労わるようにレノンの手を握る自身の手に、そっと力を込めるのだった。




