#10 母は何でもお見通し
土曜日。ユウタはアラームで目を覚ます。
ベッドで上半身を起こすと、今度はお腹の目覚まし時計が鳴った。
少しでも宥めようとお腹をさする。
(お腹すいたなー)
ユウタは、歌にあるように、お腹と背中がくっつくほどの空腹に襲われていた。
これは変身するといつもの事で、まるで体内のカロリーを絞り出したかのようにお腹が空くのだ。
だから最近はアンヌやホシニャンが驚くほど三食きっちり大食いしていたのだが……。
(今日一日ご飯抜きなんだよね)
夜の練習から帰ってきて、怒ったアンヌに出迎えられたのが零時半。
そのあと尽きる事なく説教が続き、終わったのが深夜二時。
さりげなく話題を変えるために、今日サヤトに会いに行くと伝えて、やっと解放されたのだ。
目覚めてからオーパスで時刻を確認。
五時間くらいしか寝ていない。
眠気より空腹が優って、寝ているどころではなかった。
とりあえず着替えることにする。
灰色のスウェットから、緑の長袖シャツと紺の長ズボン。
シャツの上から緑のパーカーを頭からかぶる。
通学でも使っているリュックを背負い、お気に入りの結晶鋼人ガーディマンのフィギュアが所狭しと開かれた机の脇を通って部屋を出た。
ドアを開けると香ばしいコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
それだけでお腹が鳴りだす。
「……おはよう母さん」
アンヌは自ら作ったであろうサンドイッチを食べ終えたところのようだ。
「……おはよう」
一瞬だけユウタの方を見ると、すぐ目を逸らしコーヒーに口をつける。
(まだ怒ってる)
頭を下げたままユウタはテーブルへ。
起きたらいつも用意されている朝食は、今日はどこにも見当たらない。
テーブルの上では、ホシニャンがスフィンクスのように座っている。
「おはようホシニャン」
『おっはよう。あにぃ』
元気よく挨拶を返したホシニャンだが、ユウタの方を見ずテレビに視線が釘付けになっていた。
何見てるのか気になったユウタもテレビに視線を送る。
土曜日の朝に放送されるアニメ。通称ドアサだ。
宇宙から地球にやってきたお姫様が、助けてくれた女の子を護るために変身して悪者と戦う。
宇宙からプリンセスが降ってきた!!、略して『ソラプリ』という女性ヒーローアニメであった。
目を一番星のように輝かせ、V字を描くようにヒゲを上に向けて視聴するホシニャンと対照的に、ユウタはちょっと恥ずかしい気持ちだ。
女の子向けのアニメを家族で観ているのはどこか気恥ずかしい。
アンヌはというと、テレビに釘付けのホシニャンの後ろ姿を、まるで幼い娘を見るような眼差しで見つめている。
微笑んでいる様子から、もしかしたら怒ってないかなと思い話しかけてみる。
「ねえ。母さん」
出来る限り明るく努めた。けれど……。
「何かしら」
微笑んでいるのにどこか恐ろしい雰囲気。
「な、何でもないです」
まるで背後に般若がいるような感じで、ユウタは押し黙ってしまった。
「? そう」
アンヌは再びコーヒーを飲むとホシニャンを見てニッコリ。
その表情には『何言いたいかお見通しよ」と言っているようだ。
ユウタはテーブルに座ったまま、一向に鳴き止まないお腹を、手で宥めることしか出来なかった。
『あー面白かった! 早く次の回見たいなぁ!』
満足した様子のホシニャンに、アンヌが声を掛ける。
「はいホシニャン。朝ごはんよー」
テーブルにホシニャンの大好物のキャットフードが置かれる。
『うわぁ、ご馳走だ! 今日も食べていいの?』
ホシニャンが驚くのも無理ない。
それは一週間に一度という約束の高級キャットフードだったからだ。
しかもユウタも付いて行って一緒に買ったものである。
アンヌはホシニャンの頭を撫でながら答える。
「ホシニャンはいつもいい子だからご褒美よ』
ホシニャンに話しかけながら、アンヌはちらりとユウタの方を見てからこう続けた。
「悪い子になっちゃ駄目よ。夜中勝手に出歩くような悪い子にはご飯なんかあげませんからね」
ユウタの心に矢が刺さる。
そんなユウタの様子に気づかず、ホシニャンはご馳走を勢いよく食べながら返事する。
『うん。ボクいい子にするよ。ママの言うことちゃんと守るもん!』
「ホシニャンはいい子ね。それに比べて……」
一瞬だけアンヌがユウタの方に視線を向ける。
その視線が鏃となってユウタの心にグサグサ突き刺さった。
しばらくリビングで『構ってくれないかな?』『許してくれないかな?』と淡い期待を抱いていたが見事に打ち砕かれる。
ホシニャンに朝食をあげたアンヌは、そのまま洗い物や洗濯など家事を始め、座っているユウタの存在を忘れてしまったようだった。
ユウタは出かける時間までテーブルに突っ伏し、テレビを観て空腹をごまかす。
アンヌが玄関の方に行ってリビングに戻ってきたことに気づかなかった。
『……の美しい貴婦人のような佇まいに、一日経った今も、パリの人々は歓喜の渦に包まれ、世界中から祝福の声が上がっています』
テレビは現地のリポーターから男性アナウンサーに変わってニュースを伝える。
しかし空腹のユウタは立ち上がる気力もない。
『次のニュースです。ここ一週間世界中でオーパスの盗難事件が相次いでいます』
お腹が空きすぎて、女性アナウンサーの声を右から左に聞き流していた。
『一週間前にスイスで初めて確認されたのと同様の事件が昨夜日本でも確認されました。
被害者の証言によると『いつのまにかオーパスが無くなっていた』そうです。
複数の証言によると、盗まれたのか失くしたのか曖昧なものもあり……』
テレビに表示された時計が出かける時間を報せる。
ユウタはノロノロと立ち上がりリュックを背負って玄関へ向かう。
お腹は鳴り止んだが、胃袋が空っぽのせいか身体が軽い感じがする。
掃除機をかけているアンヌに一応声をかける。
「いってきます」
掃除機をかけているからか、返事はなかった。
返事を待たずに通り過ぎようとすると、
「遅くなるなら、連絡しなさい」
アンヌはユウタに背中をむけたまま、それだけ言う。
何かを誤魔化すように掃除機の音だけが響いていた。
「うん。いってきます」
リビングを出ると、いつものようにホシニャンが出迎えてくれる。
『あにぃ、お出かけ?』
「うん。博物館に行ってくる」
見上げるホシニャンはどこか心配そうな眼差しだ。
『なんか、痩せた? ボクのお昼一緒に食べる?』
お腹は空いているが、流石にキャットフードをカリカリしようとは思わない。
「大丈夫、外で買うよ。いってくるね」
「いってらっしゃい』
しゃがんで小さな家族の頭を撫でてから靴を履いて玄関のドアノブに手をかける。
すると、玄関に場違いなランチボックスが置かれていた。
ユウタはリビングの方に向かうホシニャンの尻尾に声をかける。
「これ何か知ってる?」
『ママが置いていったよ。あにぃのだって言ってた』
「僕の?」
小さなボックスの蓋をあけると、サンドイッチが入っていた。
それを見てアンヌがさっき食べていた朝食を思い出す。
(母さんありがとう)
ユウタは、ランチボックスを宝物を扱うような手つきでリュックにしまい、靴を履いて玄関のドアを開けた。




