#16 その欠片をデコピンした
母さん。いってくる――。
窓から飛び降りたユウタはそこでやっと気づいた。
うわっ高っか!
アンヌの病室は三階、高さは約十メートル程。
気付いた時にはどうすることもできず、両足から舗装された地面に着地した。
両足から膝にかけて衝撃が上ってきたが、痛みはおろか乾いた枝が折れるような音も聞こえない。
それなら良いと、ユウタは走り出す。
この時には『怖い』とか『勝てない』とか考えておらず、一つのことだけが頭の中を占めている。
怪獣を止めないと!
走り出してすぐ、病院を囲む塀が見えてきた。
非常時のためか門が閉まっている。
ユウタはどうするか一秒考えると結論を出し、すぐに実行する。
上手くいきますようにっ!
以前見た、うろ覚えのスポーツ番組を思い出し、助走をつけた片足で踏み切り思いっきり跳躍。
塀を眼下に、軽々と飛び越えることができた。
その時の高さは人類の世界記録をゆうに超えていた。
やった!
喜んだのもつかの間、日頃の運動神経の悪さのツケが回る。
着地した時にバランスを崩し回転。
その勢いは止まることなく、近くに停車していた電気自動車のフロント部分に背中から激突。
飛び出した部品とともに道路に転がり仰向けで止まった時、お腹に何かが落っこちてくる。
「グヘッ」
ドッジボールでお腹に当たった時のような衝撃が襲ってきた。
すぐさまエレカのエンジンを退けると、痛みを堪えて立ち上がって走る。
ユウタは走り続けた。
身体は後ろに仰け反っているせいで、まともに風の抵抗を受け、両手と両足が同時に出たフォームはまるで壊れたおもちゃのようだ。
けれど、今の走りを計測されていたら、百メートルの世界新記録を達成する速さであった。
しかも、どんどんと速度は上がり、今や新幹線と徒競走できるほど。
ユウタの視界は、周りのものが後方に流れていくように見えていた。
避難を促す自動運転のパトカーが、十字路の右側から出てくることに気づく。
まるでスローモーションのように鈍くて、このままではぶつかってしまいそうだ。
ユウタは止まるという選択肢を捨てて跳躍した。
またもや世界記録を塗り替えて、パトカーを飛び越える。
バランスを崩したが、今度は何とか立て直し、そのまま止まることなく道路の真ん中を駆け抜けた。
ユウタは振動が起こるたび、その原因の方に視線を送る。
もちろん原因とは目が痛くなるほどの光を反射する銀の怪獣の事だ。
邪魔するものがいないからか、余裕さえ感じさせる足取りで、CEF本部に迫っていた。
怪獣の進路を塞ぐにはどの場所がいいかな?
ユウタは新幹線と同じ速度で走るうちに、とっくに怪獣を追い抜いていた。
だから、心のどこかで『大丈夫』と気が緩んでいた。
そんな気持ちを踏みにじるかのように怪獣が新たな行動を起こす。
急に立ち止まったのだ。
どうしたんだ?
気になったユウタは、道路を削りながら急停止して様子を見る。
怪獣の目の前には、全長九〇メートルほどのビルがあった。
立ち止まった怪獣は、両手の筒のようなものを自分より大きなビルに向ける。
筒の先端、穴が開いたところが、まるで掃除機のように光を吸収している。
そして吸収した赤い光を吐き出した。
怪獣の両手は強力なビームキャノンだった。
ビームを浴びて、中央が大きく抉れたビルは、自重を支えきれず、まるで伐採された木のように倒れた。
ビルは崩れ落ち、その衝撃波は砂埃と車を舞い上げながら、ユウタの方に迫ってくる。
一部始終を見ていて、足を止めていたユウタは素早く駆け出して避難する。
砂ぼこりが晴れた時、さっきまで立っていたところにバスが落ちてきていた。
潰されなかったことにホッと息を吐きながら、怪獣に対する考えを改める。
待った。このまま行くと、進路上に僕の家が……。
ユウタは最悪の考えを振り払って更に速度を上げて、自分のマンションへ向かう。
それは、全速力の新幹線でも追いつく事が出来ないほどだった。
ユウタはマンションに向かいながら、ホシニャンと連絡を取ろうと考える。
あっダメだ。 携帯端末どっかいっちゃったんだっけ。変身解除しないと駄目か?
そんな事を考えていると、視界に数字が描かれたキーパッドが出てくる。
これって?
それは自分のオーパスの液晶によく似ていた。
ユウタは自分の想像が正しい事を信じる。
右手を顔の前に持ってくると、掌に液晶画面が移動した。
両足で地を蹴りながら、親指で家の電話番号を入力。
すると視界に見慣れたリビングが映し出される。
「ホシニャン。ホシニャン聞こえる?」
テレパシーで通じ合う家族はすぐに顔を出した。
『その声、あにぃ! ――って誰⁈ 』
ホシニャンは涙目ながら、ヒゲを顔にくっつけて、牙を向けてくる。
「僕だよ、僕、ユウタ。今そっちに向かってるから動かないで!」
『あにぃなの⁈ その姿どうしたの? さっきから地響き立ててこっちに来るトカゲは何なの?』
「質問は後。部屋でじっとしてて。僕が行くまで外に出ちゃ駄目だよ――痛ッ!!」
ホシニャンとの会話で周囲が疎かになっていた為に、開きっぱなしのトラックのドアと激突してしまった。
『大丈夫? 何かすごく痛そうな音したけど……』
心配そうにこちらを見るホシニャンのヒゲが垂れている。
「何でもないよ。一回電話切るけど、絶対家にいてね。じゃあまた後で!」
ユウタは電話を切って走る事だけに集中。
道路の真ん中で、ユウタの方に首を向けたまま、動こうとしないヒューマノイドを飛び越えて事なきを得た。
「着いた」
ユウタは七階建ての自分のマンションを見上げる。
振り向くと銀の怪獣はまだ距離が離れているが、二五階建てのビルよりも大きい為、距離感が掴みにくい。
それに巨大な為一歩も大きい。すぐにここに来てしまうだろう。
正面玄関を通って階段を登るのは時間がかかる。
少しでも時間を縮める為にユウタはある方法を考えた。
届きますようにっ!
ユウタはその場でしゃがみ込むように両膝を曲げると、縮ませたバネの力を解放するように思いっきりジャンプ。
空が飛べたらいいのになぁ。
そんな事を考えながら、一階、二階と軽々と飛び越え、七階の廊下が上から迫ってくる。
しかし、身体が重力に引っ張られて勢いが弱まってきた。
と、ど、けぇぇぇぇぇ!!!
関節が外れるほど伸ばした左腕が、ベランダの塀の縁を掴んだ。
左手一本で自分の身体を上げて、転がるように廊下に着地。
偶然にも自分の家の玄関の前であった。
ドアを叩く。
「ホシニャン。中にいる⁈」
何度か叩いていると頭の中に返事が返ってくる。
『中にいるよ。でもボクじゃ扉開けられないよ〜』
「今鍵開けるから……ってこの姿じゃ鍵出せない⁉︎」
ユウタは変身解除するか考えたが、それよりも早く扉を開ける方法を思いつく。
今は非常時。きっと母さんも許してくれる……よね。
「ホシニャン。今開けるからドアから離れて! リビングで待ってて!」
『う、うん』
ホシニャンがドアから離れた事を信じてユウタは行動を起こす。
テレパシーは、ドア一枚隔ててしまうとかなり弱まってしまいお互いの状況がわからないのだ。
五秒待ってから、左足を強く踏み出すと同時にラグビーやアメフトの選手も驚くような左肩のタックルを繰り出す。
蝶番と鍵が壊れ、へこんだドアと一緒に室内に倒れこむ。
ユウタはすぐに起き上がり、ドアを退ける。
そこにホシニャンの姿はなかった。
「ホシニャン? リビングにいるの? ホシニャン?」
汚れた足で家の廊下を進み、リビングを覗き込む。
一瞬ホシニャンはいないように見えたが、よく見るとテーブルの下で身体を丸くした三毛猫を見つけた。
「ホシニャン。助けに来たよ」
ホシニャンが顔を上げる。ユウタにしか見えない額の星型のクリスタルが弱々しく輝き、ヒゲが垂れていた。
『あにぃ、あにぃなの?』
ホシニャンの瞳に映るのは、いつもと違う灰色の金属をまとった自分の姿。
電話と違って、目の前に全く知らない人が来たら誰だって怖いよね。
「そう。僕だよ。さあここから出よう」
ユウタはホシニャンに向けて左手を伸ばし、敵意はない事を示す為に、掌を見せる。
ホシニャンは警戒しているのか動いてくれない。その間も地響きが起こる。
家族三人が写る写真立てが倒れ、テーブルの上のカップが床に落ちて砕けた。
ユウタには見えた。割れた欠片の一つがダーツの矢のようにホシニャンに向かって飛んでいく。
ホシニャンはユウタの方を見て気づいていない。
ゆっくりとした時間の中、ユウタはその欠片をデコピンした。
人差し指に弾かれた欠片は明後日の方向に飛んでいく。
『何、今の?』
欠片が迫っていた事を知らないホシニャンは、突然のユウタの行動に驚いているのか、ヒゲが上を向いていた。
「ちょっとホコリが飛んできたから払っただけ。さあ、ここは危険だから外に出よう。僕の手に捕まって」
『うん』
ホシニャンは、前脚の肉球をユウタの掌に乗っけてきた。
ユウタは驚かれないように右手で抱きかかえ、タックルで破壊したドアから外に出る。
「ちょっとビックリするかもしれないけど、緊急事態だから、ごめんね」
『えっ――ニャアアアアアッ!!!」
そのまま廊下の手すりから身を乗り出して七階から飛び降りた。
これくらい何ともない。何ともない。
ユウタ自身も高所恐怖症で、心臓が一瞬縮みそうな感覚に襲われたが、ホシニャンを助けるためなら全く躊躇いはなかった。
両足でうまく着地したが、足首までめり込んでしまう。
「ホシニャン。安全な場所――」
コンクリートから足を抜き出して、その場を離れようとした時だった。




