#14 窓から飛び出す
ユウタは固く握り締めていた拳を解くと、壊れ物を扱うように、アンヌの両肩に優しく手を添える。
そしてゆっくりと、傷つけないように自らの身体から引き離す。
アンヌが顔を上げる。涙で濡れた黒曜石と目があった。
「母さん。僕は誰かが傷つくところを見ていて黙ってられないよ」
思い出す。
見て見ぬ振りしてしまったいじめられっ子。
その身を顧みずに助けてくれようとしたフワリやアンヌの事を。
「僕は力がなくて、助けてもらってばかりだった。昨日もフワリ姉や母さんに助けてもらわなかったら、今頃ここにはいなかったと思う」
「子供を助けるのは親として当然よ」
「ありがとう。でも僕にはこの力がある」
ユウタは左の拳を強く握り締めた。
「父さんと母さんから受け継いだ力を使って、今度は僕がみんなを護るヒーローになる『みんなの希望』になりたいんだ!」
それを聞いたアンヌは、胸の前で両手を握ると、顔を伏せてしまった。
「……束しなさい」
か細い声が漏れ出る。
「母さん?」
アンヌまるで何かと葛藤するように、声だけでなく全身を震わせた。
再びアンヌは顔を上げる。
「約束しなさい。絶対帰ってくるって。怪我一つしないって!」
泣いているのは相変わらずだが、絶望にまみれておらず、運命に立ち向かう息子を送り出す母の顔であった。
「約束する。絶対帰ってくる。怪我だってしないよ。だってこんな頑丈な身体になったんだよ。ほら見てよ」
ユウタは見よう見まねのマッスルポーズをするが、慣れてないせいで全くカッコよくなかった。
でもそれを見たアンヌにほんのひと匙の笑顔が戻ったように見えた。
一際大きな爆発音が街の方から聞こえてきた。
「行かないと。これ以上被害が広がる前に止めなきゃ」
両の握り拳が震えだす。
「これは、怖いからじゃないんだよ。そ、そう武者震いってやつで……」
その様子を見て馬鹿にするものなどいない。
目に涙を浮かべたままのアンヌは、何も言わずに柔らかく微笑むと、息子をもう一度強く抱きしめる。
不思議なもので、途端に震えが収まり全身に力がみなぎってきた。
その時、病室のスライドドアが開く。見るとサヤトであった。
「ユウタ君。アンヌさん! 早く避難を……」
刃の様な冷たさに、二人を心配していることがはっきりと分かる声だったが、変身したユウタを見て素早く行動を起こす。
「誰! その人から離れなさい――」
サヤトは左手を添える様にして、右手を腰のベルトに伸ばした所で、何かに気づいた様に動きを止める。
「その姿……まさかユウタ君?」
今にも、ホルスターから銃を抜く様な姿勢のまま灰色の金属生命体に質問してきた。
「そ、そうですサヤトさん。僕ですユウタです!」
「サヤトちゃん。この子はユウタよ。何も危害は加えないわ」
二人に矢継ぎ早に言われたサヤトは、右手を下ろして近づいてくる。
「一体その姿はどうしたの? いえ質問してる場合じゃないわね。二人とも早く避難を」
「サヤトさん。僕は避難しません」
「何言ってるの」
「僕は街に行きます。母さんをよろしくお願いします」
「ちょっとユウタ君⁈」
引き止めようとしたサヤトを、アンヌが止める。
「行かせてあげて。あの子が決めた道なの」
ちゃんと窓を開けてから窓枠に足をかけると、アンヌが声をかけてくる。
それは『いってらっしゃい』でも『がんばって』でもなかった。
「ユウタ……カッコいいわよ」
その一言だけで胸が暖かくなっていき、自分の決断は間違ってないと胸を張れる
ユウタは一度振り向いてから頷くと、そこが三階だという事を忘れて窓から飛び出す。
ヒーローとして飛び出した息子の姿が見えなくなっても、アンヌは窓を見つめ続けている。
サヤトは少し躊躇いながら、そんな彼女の横顔に向けて声をかけた。
「車椅子を持ってきました。お手伝いしますから早く避難しましょう」
アンヌは窓を見たまま首を左右に振る。
「私はここでユウタの帰りを待ちます」
「ここまで危害が及ぶ可能性があります」
「そんな事にはなりません。あの子はちゃんと使命を果たしてくれるはず。それに怪獣がここまで来た時、それはあの子が……」
アンヌはそれ以上言わなかった。いや言えなかったと言う方が正しいだろうか。
サヤトは、アンヌが何を言わんとしているか察してそれ以上追求はしなかった。
その時、サヤトの腕時計が着信を告げる。
慌てて音を消すと、アンヌの黒曜石と、サヤトのアメジストが交差する。
思わずサヤトは謝罪した。
「すいません」
「いいのよ。サヤトちゃん。貴女にも大切な任務があるはず。そちらを優先しなさい」
「はい。ユウタ君の事は我々に任せてください。失礼します」
サヤトは腕時計の着信に応えながら、アンヌの病室を後にする。
残されたアンヌは、サヤトが退室したのを確認すると、ベッドに腰掛けたまま病室の窓から外を見ていた。




