#22 立ち止まるな。一歩踏み出せ
「やった!」
ユウタは蒸気に包まれるシルバーバックを見てガッツポーズをとった。
その声を聞いて、アンヌが最愛の息子の方を振り向く。
ユウタは、アンヌの背後の白い蒸気の中に、赤い光が灯ったのが、見えた。
アンヌは背後の凶暴な輝きに気づいていないのか、ユウタの方を見たままだ。
「母さん危な――」
ユウタの切羽詰まった声を聞く前に、アンヌは白い蒸気の方を振り返ったが、気づくのが一瞬遅かった。
蒸気の膜を突き破って三本の爪がアンヌを鷲掴みにし、そのまま道路に投げ落とす。
アンヌはアスファルトにめり込んで動けなくなってしまう。
シルバーバックが、そんなアンヌ目掛けて右拳を振り下ろす。
道路がひび割れて押し潰され、アンヌもろとも陥没した。
「嘘だ……」
ユウタは呟き見ていることしかできない。
動きを封じたはずのシルバーバックは何事もなかったかのように、拳を振り下ろし続けていた。
その度に道路はひび割れ、深く陥没していく。
ユウタのいるところからアンヌの姿は見えないが、どんな状態になっているのか、容易に想像がついた。
「やめろ……」
シルバーバックが拳を振り下ろす。
「やめろぉぉぉ」
ユウタの言葉など聞く耳も持たず、拳を振り下ろし続ける。
「やめろおおぉぉぉぉっ!」
シルバーバックは、振り下ろした拳で、アンヌをすり潰すように、左右に捻る。
空を覆っていた曇り空が無数の大粒の涙を流し始めた。
ユウタは、ずぶ濡れになって重くなっていく服を着たまま立ち上がると、シルバーバックに向かって走り出し、爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。
「母さんに、非道い事、するな!」
左、右、左、右とあらん限りの力でシルバーバックの右手を殴り続ける。
皮膚が裂けて血が流れ、灼けるような激痛に涙を流しながらも、殴る殴る殴る。
「離れろ離れろはなれろハナれろ! 離れろよぉぉ!!!」
左手でメガネを握りしめたまま殴った為、父の形見はユウタの流す血液で真っ赤に染まっていく。
母さん今助けるから!
そう思った矢先、ユウタは右手側からトラックがぶつかってきたような衝撃で吹き飛び、道路脇に停車していた電気自動車に左肩から激突する。
身体の中から、瑞々しい果実が潰れたような感触と、固い木の枝が折れたような音が聞こえたところで意識が途切れた。
それは小学生の時、授業参観が終わって家に帰って来た時のことだ。
「ユウタは本当にヒーローになりたいの?」
「うん。悪いやつをやっつける正義の味方になるんだ!」
アンヌはしゃがんでユウタと目線を合わせる。
「じゃあ、未来のヒーローに質問します」
未来のヒーロー。ユウタはその言葉を聞いて、一瞬にして学校の疲れも吹き飛び、今にも空を飛べそうな気分だった。
「何でも聞いて」
「自分より、ものすっごく大きくて強い敵が現れたらどうするの?」
「もちろん戦うよ。だって正義の味方は負けないもん!」
「大嫌いなピーマンみたいな悪い奴が現れても?」
ユウタは、あの苦くて種だらけの緑の野菜を思い出して、顔が青くなる。
「えっ! それはやだ……そうだ! 悪いことしないでくださいっておねがいする」
「ふぅん。それで済めばいいけど、ユウタの知ってる悪者は『分かりました』って言って帰ってくれるんだ」
アンヌの問いかけに、ユウタは首を横に振る。
「帰ってくれない。戦わないとだめだよね……でもピーマンには勝てないよ〜。お母さんどうすればいいの? ぼくは正義の味方になれないのかなぁ」
アンヌは、しょんぼりと項垂れたユウタのほっぺを両手で優しく包み込んだ。
「目の前にどうしても超えなきゃいけない壁があったら、立ち止まっては駄目。一歩踏み出すの」
「一歩ふみ出す……そうか、前にすすむんだね!」
「ううん。少し違うわ。前に進むかは自分で考えるの。逃げる事で目の前の危機を回避できる時もあるんだから。でも、もし助けを求める人がいたらどうするの?」
「もちろん助けるよ。だってぼくのそんけいするガーディマンは、いつもそうしてきたもん!」
ユウタの迷いのない返事を聞いて、アンヌは笑顔で息子の頭を撫でる。
その瞳に幾ばくかの悲しみを閉じ込めて。
「いい子ね。でも無理しては駄目。敵わないと思ったら助けを呼ぶということも大事なの。逃げる事は卑怯じゃないわ。何もしないで見て見ぬ振りをする事が一番悪いんだからね」
「うん!」
「もし、怖くて足が動かなくなったらこう叫ぶの『立ち止まるな。一歩踏み出せ』って」
「あっ……」
ユウタの意識が戻ってきた。だからといって状況は悪化の一途だ。
相変わらずシルバーバックの巨大な拳はアンヌを押しつぶしているし、自分の身体の状態も酷い。
吹き飛ばされ、車に激突したせいで、身体の中がミキサーでかき混ぜられたような感覚だった。
何処が折れて破裂しているのかは分からないが、下半身は動かず右手も上がらない。
首も動かせず、口の中は鉄の味の液体が溢れ唇の隙間から漏れてくる。
何とか動かせるのは左目と左腕だけ。
左腕も、動かすと熱した鉄の棒が刺さったようなような痛みに襲われる。だけど動かせた。
左腕に全てを託して指令を与える「動け!」と。
痛みに我慢しながら、メガネを握りしめたままの腕を持ち上げまっすぐ伸ばす。
何の変哲のないシルバーフレームのメガネだが、潰れることなく、ユウタの手から流れ続ける血で赤く染まっていた。
そのレンズに文字が表示されている。
『ホシゾラユウタのDNAを確認。封印解除の準備完了。解除コードを入力してください』
だが、ユウタはそのレンズを見ていない。焦点はずっと、シルバーバックに潰され陥没した道路に注がれている。
助けなきゃ、母さんを助けなきゃ。誰も助けに来ないなら……僕が助けるんだ。
ユウタは、唯一動く左手を伸ばしながら、立ち上がろうとするも、車にめり込んだ身体は動こうとしない。
口から血を吐き出しながら、絞り出すように、母から教えられた言葉で自分の身体を叱りつける。
「立ち止まるな……一歩、踏み出せぇぇぇぇ」
その言葉に、左手に持ったままのメガネが応えた。
『解除コード入力を確認。封印を解除します』
ユウタの視界がエメラルドグリーンの光に包まれた。
今までの激痛が嘘のように鎮まって、身体が軽くなり、緑色に輝く左手でアンヌを押し潰している右腕を捕まえる。
シルバーバックの、どんな攻撃でも傷つけることができなかった右腕の装甲に指が食い込み、アルミ缶のように簡単に潰れた。
「母さんから、離れろおおおおおお!」
ユウタは左手一本で持ち上げ、重力を無視するかのように軽々と投げ飛ばす。
六十メートルもあるシルバーバックの巨体が宙を舞い、イベント会場を飛び越え、海に落ちて巨大な水柱が上がった。
「母さん、母さん何処⁈ 」
ユウタが見つけたのは撫子色の金属生命体から、朝の時の格好のまま仰向けに倒れる、小さな母の姿だった。
母さんが小さくなってる?
辺りを見回すと、道路が視界の遙か下にあり、停まっている車はまるでオモチャのようだ。
下を見ていると、自分の身体が緑色に輝いていることに気づいた。全身を確かめようと首を左右に振ると、
体毛の無い、緑色の結晶の身体を持つ巨人と目があった。
「うわぁっ!」
慌てて後ろに下がると、背後の壁に背中からぶつかり、尻で潰すように崩してしまった。
見ると、それは壁ではなくビルだった。
ユウタがぶつかっただけで、二十階建てのビルが簡単に崩壊してしまったのだ。
世界が小さくなったんじゃない……。
改めて全身を見る。手足も腹も胸も全て緑色の結晶になっている。
さっき目があった巨人は、十七階建てのビルに映ったユウタ自身だったのだ。
僕が大きくなったんだ。
身体を確かめている間も、力が内側からどんどんと溢れてきて、どんなことでもできそうな神のような気分になっていく。
自分の身に起きている事を受け入れる前に、再び海面に大きな水柱が上がった。
その中から現れたのは腕をひとつ失ったシルバーバックだ。
海水を全身から滴らせながら、陸地に上がり、イベント会場に戻ってきた。
シルバーバックの右肩は根元から千切れ、むき出しのケーブルからは火花が散っている。
胸の赤い球体が、腕をちぎり飛ばした緑の巨人を捉え、左腕と両脚を使い、新たな敵に向かって全速力で走り出した。
ユウタはアンヌを踏まないように気をつけながら立ち上がり、両手を開いて真っ直ぐ伸ばす。
「来るな!」
町中に響くほどの大声でも、殺戮ロボットは止まらない。
ユウタは、咄嗟に両腕を顔の前に掲げて防御の体制をとった。
直後、シルバーバックが重量と勢いを生かした体当たりを仕掛けた。
鈍い衝撃がユウタの両腕に伝わる。
「来るなぁ!」
ユウタはとっさに左手で殴りかかる。
シルバーバックは左腕でガードしたが、その腕が拳の形に大きくへこみ、巨体が道路を削りながら後退する。
ただ腕を振っただけのパンチが、砲撃で傷一つつかなかったシルバーバックの装甲を簡単に打ち砕いてしまった。
左腕を破壊されてもなお、シルバーバックは向かって来る。
ユウタは目を瞑って、迫る巨体を押し退けようと両手を同時に前に出した。
「こっち来るなああああ!」
前に突き出した両手から、眩しいエメラルドグリーンのビームが放たれ、シルバーバックを貫く。
ビームは真っ直ぐ飛んで海の彼方に消えていった。
ユウタは何かが焼ける匂いを嗅いで、恐る恐る目を開ける。
「えっ、穴が開いてる?」
目の前で止まったシルバーバックの胸部に大きな円が出来ていた。
その縁は高熱に晒されてオレンジ色に発光し、まるで熱せられたチーズのように溶けている。
ユウタは目をつぶっていた為に、自分の両手からビームが放たれたことに気づいていなかった。
制御装置を破壊されたシルバーバックはその場で両膝をつき、そのまま立ち上がることはなかった。
同時に空から降っていた大粒の涙が止んで雲が晴れ太陽が顔を覗かせる。
優しい日差しが、雨で濡れたユウタを暖めるように、結晶の全身に降り注ぐ。
「終わった? 」
右手で軽く押すと、何の抵抗もなく、殺戮の限りを尽くしていたロボットは停車していたエレカを巻き込みながら背中から倒れた。
ユウタは突然、全身を握りつぶされるような感覚に襲われ、喉から搾り出すような悲鳴をあげて、その場に倒れこんでしまう。
筋肉、内臓、それに骨が一気に押しつぶされるような激痛が襲ってきたのだ。
姿は元に戻り、服も破れていないが、動くことは出来ずにその場でうつ伏せに倒れる。
同時に絞った雑巾のようにひしゃげたメガネが落ちる。
隣を見ると、仰向けに倒れ、額から血を流したアンヌの姿があった
無事を確かめたくても、首を動かすのが精一杯で、口を開くこともできない。
そのまま、アンヌの方を見ながら深い闇の中へ落ちていく。
最後に聞いたのは、近づいてくる足音と、刀のように鋭く冷たい声音に、少しの疑問を混ぜたような女性の声だった。
「さっきの緑の巨人はユウタ君なの……?」
第2話へ続く。




