#5『……ゼタマウス?』
―1―
マーシャル諸島は今日も平和です。
約八〇年前、無数の環礁のひとつであるアーモンド諸島が怪獣化した事件がありました。
世界最大のサイズを誇る怪獣を倒す為に使われたのが、核兵器です。
歴史上唯一の核攻撃によって怪獣は消滅しましたが、同時にマーシャル諸島周囲も汚染されてしまいました。
それから六〇年。汚染された珊瑚は蘇り、エメラルドグリーンの海を取り戻していました。
元々アーモンド環礁があった場所には、防衛軍が敷設したメガフロートの人工島が築かれています。
そのメガフロートには、先日宇宙空間を飛翔するカプセルを狙撃するのに用いた電磁投射砲A・E・Sカノンが配備されていました。
全長三百メートルもある世界最大の大砲は、いつでも射撃できるように、防衛軍日本支部からのスタッフと整備を努めるヒューマノイドが常駐しています。
カプセルへの狙撃が一応の成功をして以来、特に出番が来ることもなく、毎日簡単な点検の日々です。
班長である巻田は、朝食を食べ朝の整備を終えると、日課になりつつある釣りをしていました。
一匹も釣れないまま暇を潰していると、異常を知らせる警報が聞こえてきました。
―2―
OF-60がプログラミングされた作業を淡々とこなす中、マキタとスタッフ達は大型モニターの前に集まりました。
部下の一人に声を掛けます。
「おい、何があったんだ」
「これを見てください。上空で正体不明のエネルギーが感知されたんです」
エネルギーの上昇を示すグラフが止めどなく上昇していきます。
メインモニターに、外を映すカメラの映像が映し出されました。
空を見上げると、雲ひとつない青空が刃物で切られたように真一文字の線が引かれていたのです。
何かは分からないが、異常な事態が起きているのは間違いありません。
この事を伝えようとオーパスを取り出すも、故障したように真っ暗でうんともすんとも反応しません。
どう行動するべきか考えている間も、空に直線が引かれ続けていました。
その長さはメガフロートの幅よりも遥かに長くなっていました。
マキタ班長は決断します。
「すぐにヘリで脱出するぞ」
反論しようと口を開きかけた人もいましたが、班長はそれすら許さずに脱出を優先させます。
防衛軍にとって宇宙防衛の要であるA・E・Sカノンを放棄して脱出するなど、どんな責任を取らされるか分かりません。
けれども『命があるだけマシ』と、マキタは結論を出したのです。
スタッフ達は不満顔だが、文句を言う人はおらず、班長に続いてヘリに向かいました。
ヘリは物資輸送用で、カーゴスペースに座席などありません。
スタッフ達は黙々と働くヒューマノイドを残して、ヘリに乗り込みました。
「離陸するぞ。掴まれ」
座席がないものは貨物室に乗り込み手近な物を掴んでいました。
マキタも部下に注意しながら、近くにあった手すりを両手で掴みます。
エンジン全開でメインローターを回転させながら上昇しました。
その頃には真一文字に引かれた線が左右に割り開いていました。
大きさはメガフロートを簡単に飲み込めそうなほどです。
穴から漏れる腐食した虹色の光が、太陽の代わりにヘリと海を照らし続けていました。
ヘリは、機体を前傾させながら全速力でその場を離れていきます。
部下の一人が傾斜に耐えられずに転がってきたので、マキタが抱き止めます。
窓から入ってから光が、腐った虹色から眩い陽の光に変わった所で上空の穴から逃げ切れたと誰もが悟りました。
部下達は安堵の溜息を吐こうとするが、窓の外を見たマキタが異変に気付きます。
「何か落ちてくるぞ」
班長の言葉に部下達も小さな窓に集まります。
大空に開いた穴の拡張は止まっていましたが、その大きさは街が一つ落ちてきてもおかしくないほどでした。
穴から何か白い塊がゆっくりと現れました。
塊はどんどんと姿を現し、勢いを弱めることなく落下しました。
まだ一部しか見えないが、その形はまるでどら焼きのようです。
「早く離れろ!」
マキタの言葉で、エンジンが壊れるのも構わずにヘリが加速しました。
島のように大きな白いどら焼きの塊は、海に着水します。
真下にあったA・E・Sカノンは押しつぶされて海中に没し、中で働いていたOF-60共々メガフロートは海底深くに沈んでしまいました。
島のような怪獣が落ちた事によって、空に届くような大きな水柱が立ち昇ります。
水柱が収まると、全容が見えてきました。
どら焼きというよりもアーモンドやラグビーボールのような楕円形をしています。
全体は死んだサンゴ礁のように濁った、白色の島のように大きな塊です。
マキタ班長は落ちてきた島を見て、昔学校で習った怪獣の名前を思い出し、思わず口に出してしまいます。
「……ゼタマウス? 倒されたんじゃなかったのか」
カッターで切りつけたような二つの切れ長の目が開きます。
今度は、赤い光を放つ二つの目の下が、三日月のように大きく開きました。
街を丸ごと飲み込めそうに開いた口には、物を噛み切るための歯も味わう為の舌も見当たりません。
口内飼育をしていたのか、口の中がらワニのような顎を持つ鯨が現れました。
気付いた部下の一人が指差します。
『班長あれ、大和と戦ったトカゲラですよ!」
見るからに硬そうな灰色のビーズ状の肌に、鋸状のヒレを備えているようです。
トカゲラはその場で動かないゼタマウスを守るように周囲を泳ぎ始めました。
「一体、何が起ころうとしてるんだ?」
一瞬にしてマーシャル諸島の平和は、再び現れた二体の怪獣によって打ち砕かれてしまいます。
初めて怪獣に遭遇したマキタは、南国の陽光を浴びても身体の震えが止まりませんでした。




