#4 『俺、飲み過ぎたのか?』
―1―
深夜零時。
ここは小雨降りしきるドイツの首都です。
福福産業のヒューマノイドOF-60が雨粒を纏ったまま清掃作業や道端で寝転んでいる人がいないか見回していました。
夜中の道を歩く人の姿はまばらですが、傘をさしている人は皆無で、フードをかぶるか、もしくは髪や服が濡れるのも構わず歩いています。
成人となったケヴィンは悪友達とバーにいました。
つい先ほど終わったサッカーの再放送を見ながら、人生初めての酒を飲み、店から追い出される一歩手前まで騒いでいたのです。
そんな時、突然、テレビの映像が乱れてしまいました。
テレビは完全に沈黙し店員が謝る中、何人かの客がSNSに不満を書き込もうと携帯端末を取り出します。
酔ったケヴィンも、文句を言いながら店の不備を拡散してやろうとオーパスを取り出しました。
「んん?」
アルコールの摂取によって蕩けた目を擦ります。
故障したかのようにオーパスの液晶が真っ暗なまま反応しません。
自分だけならまだしも、悪友達も客も含めて、オーパスを確認した全ての人が同じような状態になっていたのです。
突然扉が開き、出入り口から転がるように降りて来た客が外の異変を大声で伝えます。
客と共に、バーを出たケヴィンと悪友達は西の夜空に視線を注ぎました。
「俺、飲みすぎたのか?」
信じられない事に空が裂けようとしていました。
見えない刃物で一文字の線が描かれ、そこを中心に左右に開いていきます。
何人かは酔っているのが原因だと思い、正気に戻ろうと自らの頬を叩いたり目を擦りますが、それは紛れもない現実でした。
夜空を割いてできたのは、直径百メートルはありそうな大きな穴です。
穴の中は腐食した虹色の空間で、酔いが回っているせいか気分が悪くなってきます。
その大穴から誰かが落ちて来ました。
落ちて来たというのは正確ではありません。
それは膝を曲げて着地の衝撃を吸収したのです。
着地と同時に土埃が舞い上がって近くの銅像を包み込み、生涯遭遇することのない地震のような衝撃が一部始終を見ていたケヴィン達をよろめかせます。
土埃が晴れ、降りて来た人間そっくりな何かが二本足で立ち上がりました。
轟音に気づき、首が痛くなるのも構わず、ケヴィン達は視線を上げます。
二本足に二本の腕。硬く握られた拳からは五本の指が覗き、一つの頭には二つの目と鼻と口がありました。
服は着ておらず、皮膚を覆い尽くすのは緑色の苔が体毛なように生えています。
そのせいで分かりにくいのですが、いかり肩で分厚い筋肉を持ち合わせているようでした。
二五階建のビルと同じくらいの巨人が、こケヴィン達の方を見下ろします。
緑の巨人は握っていた拳をほどくと、近くにあった銅像を掴んで持ち上げました。
誰かの呟きがその場にいる全員の記憶を呼び覚まします。
「べ、ベルント……」
ケヴィンはその名を聞いて、つまらなかった授業で一番衝撃的だった事を思い出しました。
それはドイツの歴史上初めて遭遇した怪獣の名前です。
ドイツ国内のみならず、世界中の歴史の教科書に記されている、人類が初めて戦った最初の三体のうちの一体でした。
ベルントは掴んだ銅像の頭を噛みちぎると、お気に召さなかったかのように放り投げます。
ドイツ帝国初代首相の首なし彫像が宙を舞い、ケヴィンの方に向かってきます。
客達は押し合いへし合い安全なところに行こうと逃げ出します。
ケヴィンは咄嗟の判断で、悪友達をバーに押し込んで怪我するのも構わずに自らも飛び込みました。
直後、彫像が無人になった道路に激突し砕け散ります。
ケ階段を転がったせいで数カ所骨折しましたが、何とか命を繋ぎ止めることに成功しました。
ベルントが大木のような二本の足を動かし歩き出します。
眺める事しかできない人達は着の身着のまま最寄りのシェルターへ飛び込んでいきました。
怪獣が出現すれば大音量で鳴るはずのサイレンは沈黙しています。
先程テレビやオーパスが異常をきたしたように、サイレンもまた故障していたのです。
毎年ベルリンマラソンのスタート地点になる幹線道路にベルントは大股で近づいていきます。
乗り捨てられた車が踏み潰されて爆発炎上しますが、痛みも熱さも感じてないのか全く気にしていないように歩き続けていました。
一台のトラックが蹴飛ばされました。
ペン回しされたペンのように転がり、周りの車両を巻き込んでいきました。
この時、夜空に開いたままの大穴からもう一体が降りてきて、そのまま地下に潜っていきます。
だが、突然のベルントの出現、通信機器の故障、そして立ち上る黒煙。これらが隠れ蓑になり、人々はまだ気付いていませんでした。
―2―
今年ベルリン州警察に配属されたゲルダ巡査は深夜のパトロール中に怪獣に遭遇してしまいました。
「配属初日なのに、何でこんな事に……」
署と連絡も取れない中、彼女は独自の判断で現場に急行しました。
助手席から見えたのは、前から逃げてくる市民と、追いかけてくるように迫る冗談のように巨大な足です。
まるで映画のような光景に現実逃避したくなりながらも、避難誘導するためにパトカーを降りました。
少しでも足止めになればと、腰の拳銃を巨人に向け、引き金を引きます。
放たれた銃弾は、体毛のような緑色の苔に当たって火花を散らすだけです。
ゲルダ巡査は弾切れになった銃を放り捨て、近くにあったシェルターに一目散に逃げ込んで事なきを得ました。
様々なグラフィックアートが描かれたビル街の避難は終わっておらず、二体のOF-60がシェルターへ誘導しています。
ベルントは目の前のビルを殴ったり、タックルするように体当たりして破壊していました。
下から見上げるヒューマノイドに気づくと、足を止め両手で鷲掴みにしてしまいます。
そのまま口の中に放り込み、音を立てて咀嚼します。
気に入らなかったのでしょうか、飲み込まずにヨダレまみれの残骸を吐き出しました。
―3―
妻と電話していたヴォルフ軍曹は、突然のスクランブル発進に思わず舌打ちします。
手塩にかけて育てた部下と共に夜空に向けて離陸しました。
暗視ゴーグルによる緑色の視界に映るのは、破壊されていく首都と、その原因を作る巨人の姿です。
ヴォルフと部下がそれぞれ乗るE-ペッカー二機が街を進む怪獣を射程に収めました。
『……攻撃許可が出た。目標に対して攻撃を開始する』
民間人を巻き込むことよりも、ベルントの進撃を止めることが優先されました。
ヴォルフはベルリンに住む妻の安否を気遣いながらも操縦桿の発射スイッチを押し込みます。
二機から放たれたミサイルは、まるで夜空を飛ぶマッチのようでした。
命中すると、爆炎が周囲の空気を焦がし、雨粒を一瞬にして蒸発させます。
だが、黒煙の中から現れた苔の巨人は無傷そのもので前進を再開しました。
『残弾ゼロ……帰投する』
何の攻撃手段もなくなってしまった二機の戦闘機は、ビルを殴り壊す怪獣をそのままに撤退するしかありませんでした。
基地に帰投し、次の出撃を待っていると一件のメールが届きます。
それは妻が自分の無事を知らせるメールでした。
―4―
ベルントにとって、建物などバリケードにもなりません。
けれども足を止めた建築物がありました。
ある館の屋根を破壊すると、ベルントは両手を伸ばして動かない人達を掴み次々と口に放り込んでいきます。
まるで飴を噛み砕くような音を響かせながら顎を動かしていました。
そしてまた吐き出します。
巨人に食べられた著名人の蝋人形達が限界を止めることなく、砕けた破片となって、あたり一面に散らばっていました。
遂にベルリン中央に到達した巨人は腰の高さほどのドイツのシンボルに近づいていきます。
ブランデンブルク門を両手で掴み、力任せに地面から引っこ抜いてしまいました。
自らの力を証明するように頭の上まで持ち上げると、力任せに投げつけます。
門が砕け散り、あたり一面に破片が飛んで被害が拡大していきます。
半身を失い、地に落ちた勝利の女神ヴィクトリアの彫像が小雨を浴びます。
頬を伝う一筋の水滴は、今の惨状を見て女神が嘆き悲しんでいるようでした。
―5―
『巨人が、ベルントが、たった今フンボルト大学を破壊しました』
テレビ局のアナウンサーであるエッカルトは、深夜の夜景を撮るためにチャーターしたヘリに乗り込み、上空から巨人の凶行を実況していました。
『軍は未だに現れず、警察はおろか、消防車や救急車の姿も見当たりません。
ベルントが通った後は火の手が上がっており
ビルの屋上では助けを求める人達がこちらに手を振っています』
実際に怪獣の破壊を目の当たりにし、自分がそれを実況する。そんな非日常の光景を前に、現実感が湧かず、恐怖よりも、興奮してしまうのも仕方ない事でした。
以前、日本で現れた怪獣の動画が話題になりました。
それを投稿した人が、一躍有名になったのを見て、エッカルトもスクープ映像を撮って出世したいと思っていました。
そのチャンスが手に届くところにある。ならば危険を犯す価値は充分あると考えたのです。
ベルントの前に新たな観光地が見えてきました。
『ベルントがアレクサンダー広場の前までやって来ました。
いまだ怪獣を止める存在は現れません。このままではまた……ああっ!』
巨人が車庫に眠っていた路面電車を掴み、強靭な握力で握り潰していきます。
拳の隙間から破片が落ち世界時計に降り注ぐ光景は、まるで粗挽きこしょうを振りかけているかのようでした。
世界の主要都市の時刻が表示された世界時計がベルントの右手で引き抜かれ、円盤投げの円盤のように投げられてしまいます。
そのまま近くにあったベルリンテレビ等の展望台に直撃しました。
自分より身長が高いテレビ塔が気に入らないのか、ベルントは大きく両腕を広げて塔を掴みます。
まるで木の実を落とそうとするように揺らしていくと、塔の基部が崩壊します。
巨人は四百メートル近いテレビ塔を持ち上げると、全身の力を使って左手側に投げ捨ててしまいました。
ベルリンのランドマークはまるでボウリングのピンのように倒れてしまいます。
『テレビ塔を倒した巨人は、東へ向かっています。
あの凶暴な怪獣を止める術はないのでしょうか? なんだあれ? 虫?』
何かを発見したエッカルトの声を頼りに、カメラが動きます。
ベルントが現れた方向、黒煙で真っ黒に染まっていく夜空に小さな豆粒のような物が接近していたのです。
距離が近づいてくると、蟹と蟷螂、二つの特徴を併せ持った怪物が接近してきていたことが分かりました。
『バガーブだぁ! こっちに来る! 早く避けろ! 駄目だ間に合わな――』
悲鳴まじりのエッカルトの言葉を最後に、カメラの映像は途切れてしまうのでした。




