#10 ロシア3日目
―1―
瞼を通して感じる柔らかい光でユウタは目を覚ます。
起き上がるとアンヌの姿はない。
(ポリーナさんのお手伝いしてるのかな)
子供ではないので不安になる事はなかった。
ほんの少し寂しさを覚えてしまうのは、自分の家ではないからだろう。
弱々しい光が差し込む窓の方を見るとカーテンは開けられている。
原因は雲だ。空全体を覆う灰色の雲が太陽を覆い隠していた。
「折角の旅行だから、雨降らないといいけどなぁ」
呟いた途端お腹が鳴る。
それが聞こえたかのように、ドアが強めにノックされた。
アンヌかと思い、笑顔で返事しようとすると……。
「おいユウタ。起きてるか。朝ごはんの用意出来てるぞ」
意外な事にレギーナであった。
「今行くよ」
「分かった。先にリビングで待ってる」
ドア越しに遠ざかる足音が聞こえた。
「今日は何かな」
ポリーナの作る料理の多くはユウタの好きな味だ。
期待すると更にお腹が減ってくる。
いそいそと準備し、アンヌに注意されないように寝癖がないかチェックしてからリビングへ向かう
直した寝癖がピョコンと立ち上がった事に気付く事はみんなの前でアンヌに注意された時だった。
―2―
朝ごはんを食べ終え、ジャムと紅茶でゆったりとした時間を過ごす。
アンヌはポリーナと楽しそうに、日課になった食器の片付けをしている。
対面に座るレギーナは携帯端末の液晶と睨めっこしながら、まるでリズムがめちゃくちゃなメトロノームのように立てた人差し指を動かしていた。
その表情は口角が上がっていて、とても嬉しそうに見えた。
リビングにはテレビがあるが、朝なのに就寝中。
いつも朝食を食べている時はニュースを見ている時が多いので、静かに感じる。
けれどそれが嫌なのではなく、寧ろ時間の進みが遅くなったようで、とても癒されていた。
(日本にいる時って忙しいんだなぁ。就職したらもっと余裕なくなっちゃったりして)
そんな事を思ってちょっと憂鬱になっていると、レギーナに呼ばれる。
「おいユウタ。何天井見てるんだよ」
レギーナは「……まったく見た目通りボーとしちゃって」と拗ねたように呟く。
「ボーとしてないよ。それで何?」
「今日こそ行くぞ」
レギーナは分かっていると思っているのか、目的地を言わない。
「……? 何処行くの?」
返事はなく『忘れたのか?』と言いたげに睨みつけてくる。
「忘れてないよ! えっと……そうあそこだよね」
思い出せずに誤魔化すが、睨んだままのレギーナには通用しない。
時間が経つにつれて、レギーナは顔の横で右拳を固めていく。
早く言わないと星が瞬くことになる。ユウタは瞼を閉じて意識を集中させ考える。
「……あ、ああ! 動物園、モスクワ動物園行くんだよね。思い出したよー」
汗をかいてもないのに額を拭う。
「やっぱ忘れてんじゃん」
「うぅ、ごめん」
「いちいちしょぼくれるなよ。今日行くからな」
「あら二人でお出掛け?」
片付けを終えたアンヌが、話し掛けながらユウタの隣へ。
ポリーナもレギーナの隣に腰を落ち着かせる。
「うん母さん。この後一緒に動物園行こうって。ねえレギィ」
ユウタの方を頷いたレギィは、少し顔を赤らめながらアンヌの方を見た。
「二人で行ってきても、いいかな?」
アンヌが微笑みながら頷く。
「勿論。ユウタの事お願いね」
「は、はい!」
ユウタと話している時とは違って、背筋を伸ばして返事するレギィ。
「お母さんはポリーナさんと買い物行くわ。ユウタ、何かあったら電話してね」
「分かった。母さん」
「そろそろ、行く準備しようぜ」
レギィが立ち上がると、ポリーナが声を掛けた。
「ユウタ君を振り回しちゃ駄目よ。それと危ない目にあったらすぐに逃げて助けを呼ぶの。分かった?」
恐らく昨日の出来事を言っているのだろう。
けれどレギィは特に気にしてはいないようだった。
「分かってるよバァバ。ほら行くぞ」
「うん。じゃあ行ってきま――うわわ!」
二人に挨拶していると、レギィに腕を引かれて途中になってしまった。
そんなユウタとレギィを、母と祖母は柔らかな笑顔で手を振りながら見送ってくれた。
―2―
外に出た二人は最寄りの地下鉄に向かう。
レギィが道を知っているので、今日もユウタは彼の背中を見ながら歩いていた。
雲は晴れず、背負ったリュクには旅行用に持っていた折り畳み傘が入っている。
ロシアでは日本にあるレンタル傘はなかったのだ。
地下鉄に乗り込みレギィと空いている席に座った。
「今日は丸一日動物園回るからな」
「そんなに動物いるの?」
「ああ。千種類以上はいるぞ。それに動物の行動見てて飽きることなんてないだろ?」
「うんまあ……そういえばいつから動物好きなの?」
「小さい頃、ママに連れて行ってもらった事があってさ。もうそれからずっと好き」
「へぇ」
(僕がヒーロー大好きなのと同じくらい、レギィは動物の事が大好きなんだ)
レギィはオーパスの操作に集中する。ユウタは邪魔しないように意識を周りに向けた。
人はまばらで席には余裕がある。
「ん?」
車内で放映されているニュースが気になった。
昨日、地球に急速接近していた隕石をCEFがメガフロートに設置された超大型レールガンで破壊した事が報じられている。
沢山の人が空に昇っていく流れ星が目撃したそうだが、その正体はレールガンの弾体だったのだ。
(もしかして、フワリ姉が見たのってこれかも?)
ユウタは自分のオーパスを取り出す。
何の着信も入っていなかった。
その様子が気になったのかレギィに声を掛けられる。
「どうかしたのか」
「何でもない」
CEFが協力していたと聞いて、自分に何か連絡が来てないかと思ったが、何も届いていなかった。
(何も来てない。じゃあ無事に解決したって事かな)
旅行中だから気を遣ってくれたのかもしれない。
オーパスをしまうと目的の駅が近づいてきた。
―3―
レギィが待ちきれない様子で電車から降りた。
「クラスノプレスネンスカヤ駅に、とうちゃ〜く」
「クラスノプラス……」
覚えられない。
「違う違う。クラスノプレスネンスカヤ」
全く覚えられない。
「クラシニベンリ……」
「ユウタふざけてるだろ」
「ふざけてないよ。覚えられないんだってば。長すぎて呪文にしか聞こえないんだよ」
「俺から見たら漢字なんて暗号の塊だよ」
地上に向かって歩きながら、他愛ない話を続ける。
レギィに怒られてばかりなので話題を変えることにした。
「それにしてもロシアの地下鉄駅ってすごいね」
「何が?」
「だって大きな彫刻とか、壁も白くて綺麗だし。まるで美術館みたい」
「こんなの普通だよ。それより名前を覚えろって」
話題を変える事は失敗し、動物園に着くまで名前を覚えられないことをからかわれ続けることになるのだった。
動物園に到着したユウタは思わず声を漏らす。
「デッカい」
想像していたよりもスケールの大きい動物園だ。
(千種類も動物暮らしてると、これくらい大きくなるものなのかな)
「ほらほら入口で突っ立ってないで、早く入るぞ」
レギィに手を引かれながら、まるでお城のような入り口をくぐって園内に入る。
「じゃあこっちから行くぞ」
どうやらレギィはどの動物を見学していくかルートを決めていたようだ。
さっき楽しそうにオーパスを操作していたのは、その作業をしていたのかもしれない。
レギィに先導されながら様々な動物を見る。
のっしのっしと歩くゾウの親子。
毛繕いをするニホンザルに、日本では見たことの無いハイイロオオカミ。
フラミンゴは、すごい細い脚で立っていて、倒れないかと心配になってくる。
日本でもブームになったレッサーパンダの姿もあれば、昼寝中のホッキョクグマもいた。
多種多様な動物達を眺めていると、何かを発見したのかレギィが走り出す。
「いた。ほらユウタ。マヌルネコいたぞ!」
見ると、一匹のフカフカした猫がガラスの檻越しにこっちを見ている。
ユウタもレギィの後を追って、ガラスの前に立つ。
「くう〜。やっぱ可愛いなぁ。オーイ!」
テンションの上がったレギィと対照的に、座ったままふてくされたような顔をしてこちらを見ているのはマヌルネコだ。
それでもレギィにとっては、とても嬉しいらしい。
「ユウタ写真撮ってくれ。ツーショットだからちゃんとマヌルネコと一緒に撮ってくれよ」
「分かった」
ユウタは受け取ったオーパスのカメラを起動して、レギィとマヌルネコが同じフレームに収まるようなポジションを探す。
「どうだ。撮れそうか? 早くしてくれよ、マヌルネコがどっか行っちゃうから!」
「もう少しだよ」
ツーショットを取ろうとすると、どうしてもどちらかの身体半分が入らなくなってしまう。
こっちを見たままふてくされているマヌルネコを見ながらユウタはこう思う。
(マヌルネコさん。もうちょっとレギィに近づいてくれませんか……なんて、あれ?)
心の声が届いたのか、マヌルネコが寄ってきてくれた。
「レギィ撮るよ。動かないで」
ユウタはシャッターを切った。
「ちゃんと撮れただろうな……」
オーパスの画面を覗き込んだレギィは固まった。
「えっ、カメラ目線じゃん」
レギィの頭の高さと同じ岩に座っているだけでなく、どう見てもカメラを見ているのだ。
ふてくされた顔で。
「もう、死んでもいいや。じゃな」
仰向けに倒れこむレギィを慌てて左手一本で支える。
「冗談でも危ないって!」
「いいんだよ。マヌルたんと最高のツーショット撮れたんだ。未練は、ない……ガクッ」
昇天してしまった。
「いやいや。起きて。目を覚まして。結構人見てるから、レギィ!」
周りのお客さんがユウタ達のコントを見ている中、マヌルネコも『何してんだか』と言いたげにふてくされた顔で一部始終を見ていた。
「いやーごめんごめん」
蘇ったレギィはお昼を食べながらユウタに謝罪してくる。
「もう。めちゃくちゃ恥ずかしかったよ。周りの人達、みんなクスクスしてたんだから」
「悪い。でも見てくれよこのツーショット。激カワだろ」
見せられたオーパスにはカメラ目線で写るマヌルネコの姿。
ふてくされた表情なのに、ちゃんと写真に写ってくれている。
「さて、お昼も食べたし。早く残りの動物達見に行くぞ!」
食べたばかりなのに、レギィはジャンプするように椅子から飛び降りた。
「うん。あっ、ちょっと待って」
ユウタは近くにあるお土産屋さんを見つけた。
「ちょっと見てきていい」
「いいぞ」
レギィの許可をもらってお土産を見ていく。
動物の形のお菓子や、マトリョシカがある中、気になったのは動物のぬいぐるみ達だ。
レッサーパンダにカワウソと可愛くて人気があるもののぬいぐるみが多い中、あのネコがいた。
「あっマヌルネコ」
大きいのと小さいサイズのぬいぐるみで大きい方はクッション。
小さい方はキーチェーンが付いていて、カバンなどのアクセサリーに使えそうだ。
後ろからレギィが覗いてくる。
「それ買ってくのか?」
「うん。お土産にするんだ。レギィはこういうのは買わないの?」
いくらレギィでも『買うの恥ずかしい』と言うかと思いきや。
「もう両方持ってる」
そんな答えがすぐ返ってきた。
「で、どっち買うんだ?大きい方は抱き心地いいし、小さいのはメッチャ可愛いから両方オススメだぞ」
アドバイスを受けて買うものを決める。
「二種類とも買おう」
フワリとサヤトのお土産にしようと決めた。
「彼女へのプレゼントか」
「違うよ。隣に住む幼馴染にだよ!」
「ふーん。幼馴染ねぇ、お熱いことで」
レギィは唯の幼馴染とは思っていないようだった。
―4―
お土産を手に入れ、動物園を堪能したユウタとレギィは日が沈む頃に帰ることにした。
だいぶ曇ってきて今にも雨が降りそうだった為、少し早めに切り上げようとレギィが提案してくれたのだ。
ユウタは、丁寧にラッピングされたお土産を大事に抱えながら、レギィに訪ねる。
「よかったの。まだ時間あったけど」
閉園時間までいると宣言していたレギィが早く帰ろうと提案してきたのだ。
もしかしたら機嫌を損ねているかもしれない。
そう思って見ると、当の本人はオーパスを見てニヤニヤしていた。
「マヌルたん。可愛い〜」
ツーショットを見てニヤけっぱなしである。
「……なんか行ったか?」
「だから、早めに帰っちゃてよかったの」
「いいんだよ。今日は幸運に恵まれたし」
マヌルネコとのツーショットを見せてくる。
「それに、雨でお土産濡れたら嫌だろ」
ユウタのお土産を気遣ってくれていたのだ。
「ありがとう」
「気にするなよ。彼女に怒られるユウタが見たくないだけだよ。いや逆に見てみたいかも」
「だから。幼馴染だってば!」
(そりゃ、こ、恋人になれたら嬉しいけど)
そんな会話をしているとアンヌとポリーナが待つ、板チョコのような集合住宅に到着した。
先程帰るとメールしたので、今頃二人とも夕飯を作って待ってくれているかもしれない。
「夕飯何かな」
口に出すと、お腹が空いてきた。
「よし、こっから競争な。先に部屋についた方が、負けた方のおかずを貰う。スタート!」
フライングスタートしたレギィが一気に階段を登ってユウタを置いていこうとする。
「わあっずるい!
お土産を抱えてレギィの後を追いかける。
最初は背中が見えなかったが、段々と距離が詰まって背中が見えてきた。
そして家の扉に先にゴールしたのはほぼ同時だった。
「ハァハァ。お前見た目と違って足早いんだな……ゼェハァ。それに体力もあるみたいじゃん」
「そうかな」
疲れてはいるが、息は切れていない。
もしかしたらガーディマンに変身できるようになったので、体力がついたのかもしれない。
「とりあえず。家に入ろうよ。お腹空いちゃった」
「ハァ、ハァ。そうだな。俺も腹減ったし。ただいまー」
レギィが扉を開ける。いつもはアンヌが出迎えてくれたのに、誰も出てこない。
靴はあるので出かけてはいないのだろう。
「母さん。帰ったよ」
ユウタとレギィは靴を脱ぐ。
リビングの方からかすかな声が聞こえてくる。
「二人とも何してるのかな?」
「さあな。帰ったよ……」
リビングに入った途端、楽しかった雰囲気は一瞬で霧散してしまった。
アンヌとポリーナはテレビのニュースに釘付けになっている。
「どうしたの母さん?」
呼びかけられたアンヌが振り返る。その顔は息子が帰ってきた事に今気付いたようだ。
「ユウタ。今ニュースで……」
ポリーナが目を離せなくなっているニュースを二人も見る。
『繰り返しお知らせします。昨日破壊した隕石から正体不明の物体が出現し地球に接近中です』
男性ニュースキャスターが感情を抑え切れないのか、瞼が細かく震えていた。
「地球に落ちてくるのかしら、怖いわねぇ」
ポリーナは頬杖をつきながらニュースを見続けている。
『落下物は地球に衝突する軌道は逸れました。しかし……』
安堵しようとしたが、それだけではないようだ。
『軌道を逸れた落下物の進行方向には防衛宇宙軍のステーションがあり、このままでは激突する可能性が非常に高いと……』
「嘘……」
隣のレギィが今にも泣きそうな声を出した。
みんなに聞こえたのか、ユウタのみならず、アンヌもポリーナもレギィの方に視線を送る。
ポリーナが心配そうな声を送る。
「どうしたんだいレギィ?」
「ママが、ママがいるステーションが危ない……」
「宇宙ステーションにサーシャが? あそこにいるのかい?」
軍で働いている娘がいるのかもしれない。そう思ったポリーナの口調が強くなる。
ユウタはパニック寸前のレギィを慌ててフォローする。
「まだそこにいるとは限らないよ」
「そ、そうだよな」
しかし、淡い希望もニュースキャスターの言葉によってトドメを刺されてしまう。
『ここで情報が入りました。衝突する可能性のあるステーションは唯一の有人ステーションであり……』
レギィがオーパスを取り出し、どこかに電話を掛ける。
「出ない。出ないよ! ママが電話に出ないんだ!」
ユウタはパニックに陥るレギィを宥めにかかる。
「落ち着いて。お母さんは今忙しくて出れないだけ――」
「ワアァァァ!」
叫びを上げながらユウタを押しのけ、レギィは自室に閉じこもってしまう。
「レギィ!」
直後、何かが倒れるような硬い音が聞こえた。
「ポリーナさん!」
アンヌが倒れたポリーナを助け起こす。
「ごめんなさい。ちょっとフラついてしまって」
「部屋で休みましょう。ユウタ。お母さんはポリーナさんを介抱するから、レギーナ君の事お願い」
「うん!」
ユウタは走ってレギィの部屋の前に行くとドアを叩く。
「レギィ、レギィ!」
中から返事はないが構わずに呼び掛ける。
「レギィ。お母さんを失いたくない気持ちは僕にも分かるよ。僕も以前母さんが死んじゃうかもしれない事態に遭遇した事があったんだ」
ドアのところに近づいてくる気配があったが、ドアは開かない。
「その時、僕と母さんはヒーローに助けてもらったんだ。だから今回もヒーローが現れてレギィのお母さんを助けてくれるよ。だから泣かないで!」
ドア越しに囁きが聞こえてきた。
「本当に? 本当にそのヒーローはママを助けてくれるのか?」
「うん。絶対助けに来てくれるよ。ガーディマンは助けを求める人を絶対、絶対見捨てないから!」
信じてくれたかどうかは分からない。
返事が返ってくる前にユウタのオーパスが振動した。
確認するとサヤトの番号だ。
「レギィ。落ち込まないでね。絶対助けるからね」
そうドアに向かって声を掛けてから、自室に戻って電話に出る。
「ユウタです。宇宙の件ですね」
聞こえてきた声はサヤトではなかった。
それは泣きすぎて声が枯れた男性の声だった。
『助けて欲しい』
最初イタズラ電話かと思って心臓が跳ねる。
「えっ」
だが、聞いていくと聞き覚えのある声だと気づく。
『僕の姉がRD-1にいるんだ。そこに怪獣が迫っていてこのままではステーションにぶつかってしまう。
けれど僕達には何もできない。助けられる手段がないんだ。
君に酷い態度を取っていて、今更助けを求めるのはおかしいのは分かってる。
それでも君にしか頼めないんだ。姉さんを失いたくない……頼む』
嗚咽混じりのツトムの声が鼓膜を震わせてくる。
姿は見えないが、きっと大粒の涙を流しているのは容易に想像がつく。
ユウタは迷わず即答する。
「任せてください」
ツトムが鼻をすする音が聞こえてくる。
『……えっ』
「僕が貴方のお姉さんも宇宙ステーションも救います」
『い、いいのか。僕は君を嫌っていたのに……』
「それとこれとは別問題です」
ユウタ自身も大切な人を失うという事がどんなに辛い事か分かっているつもりだった。
「僕が助けに行きます。サヤトさんに変わってください。詳細な情報が知りたいです」
『ありがとう。姉さんを頼む』
その言葉が終わった直後、サヤトの刀のような鋭い声音が飛び込んでくる。
『ユウタ君。お願いしてもいいのね?』
「はい。変身してロシアから宇宙まで飛んでいきます。状況を教えたください」
『RD-1の座標は……』
サヤトから衛星軌道上に浮かぶステーションの位置と、衝突するまでの時間を教えてもらう。
『時間はないわ。私達の超兵器でも間に合わないくらいよ』
「大丈夫です。ヒーローはどんなピンチにも駆けつけて助けられる存在なんです」
『RD-1には貴方が救援に向かうことを伝えておく。こんなことしか言えないけど……頑張って』
その一言がユウタに勇気を与えてくれる。
「はい!」
電話を切り、みんなを救うヒーローになる為のキーワードをオーパスに音声入力する。
「『立ち止まるな。一歩踏み出せ』」
直後、ユウタ自身から溢れた緑の光が部屋全体を埋め尽くし、ドアの隙間から漏れ出す。
エメラルドグリーンに包まれたユウタの身長が伸び、オーパスから溢れ出すナノメタルスキンが全身を覆っていく。
皮膚であり鎧である白銀を纏い、顔には緑色に発光する十字のゴーグル。
背中にはCDのような円形の反重力推進装置。
最後にオーパスがリームクリスタルとなって胸部にドッキングし、緑色のラインが血管のように全身を駆け巡った。
ガーディマンに変身完了したユウタは、宇宙へ向かう為に部屋の窓を開ける。
外は雨が降っていて、次第に激しさを増し、まるで泣いているようだ。
外に出ようとしたところで、近づいてくる足音が聞こえて動きを止めると、部屋のドアが開いた
「入るわよ。良かった、間に合った」
ドアを開けたアンヌは胸をなでおろす。
「母さん。ポリーナさんについてなくていいの?」
「彼女は落ち着いたわ。ユウタに教えておく事があったの」
ガーディマンは窓から部屋の中へ戻る。
「何なの。早く行かないと間に合わないよ」
「分かってるわ。でもこのまま全速力で行くよりも、もっと早く、それこそ数秒で目的地に行ける方法があるの」
「そんな方法が、早く教えて!」
焦りのせいでアンヌの両肩を抑えてしまう。
痛みを感じたようにアンヌの顔が歪んだので慌てて離した。
「ご、ごめん」
「いいの。聞いて、私達が地球に来た方法を教えるわ。それはワームホールを作り出す事なの」
「ワームホール?」
SF映画でしか聞かないような単語に頭からハテナマークが飛び出しそうだ。
「詳しい説明は後。お母さんの言った通りに行動して」
「でも、何のことかわからないまま――」
「今は、レギーナ君のお母さんを助ける事が先でしょ!」
「うん。そうだった。教えてワームホールの作り方」
「方法はシンプルよ。全身のエネルギーを両手の指に集中させて、同時に行きたい所を頭に思い浮かべて」
言われた通りに、全身を巡るラインがエメラルドに輝かせ、両手から指先に恒星の輝きを灯らせる。
「行きたい場所のイメージはできた?」
先程サヤトに情報をもらったおかげで、以前よりも強くイメージができた。
「うん。ばっちり」
「じゃあ腕をまっすぐ伸ばしてから両手を合わせて」
言われた通りにすると、指先の光が一層強く輝き、目の前に裂け目が現れた。
「それを拡げるの」
両手で広げていくと、緑に縁取られた底なし沼のような穴が出来た。
それはブラックホールのように強い吸引力を持っていて、踏ん張らないと吸い込まれてしまいそうだ。
「これ失敗なんじゃ――」
「いいえ。大成功よ。そこに飛び込むの。ユウタならきっと辿り着けるわ。いい出口の事を決して忘れないで」
色々と質問したいが、時間はなかった。
「分かった。いってきます――」
言い終える前に、ガーディマンが纏うナノメタルスキンが吸い込まれ、緑に輝く全身が螺旋状になって吸い込まれてしまった。
―5―
母が死ぬかもしれない。
レギーナはそう考えた途端電話をかけるも、当然の如く出ない。
パニックに陥って、部屋に逃げ込んでしまう。
雨の夜空の弱々しい光に照らされた部屋は悲しみを助長するかのようだった。
ベッドで蹲っていると、部屋の外から日本人の友人が声を掛けてくる。
ヒーローが助けてくれるみたいな事を言っているが、そんな希望に期待なんて出来なかった。
けれども、ある言葉か心に引っかかる。
「絶対助けるからね」
聞こうとしたが、ユウタは慌てて部屋に戻っていったようだ。
ドアを薄く開けると、ユウタの部屋から緑の光が隙間から溢れた。
その後、アンヌがユウタの部屋に入っていく。
レギーナは音を立てないように近づいてドアに耳を押し付ける。
『今は、レギーナ君のお母さんを助ける事が先でしょ!』
アンヌの激しい口調と、ユウタの途切れた声。
『分かった。いってきます――』
再び溢れる緑の光。
直後、話し声が聞こえなくなった。
「ユウタ、今の光は何――」
そこにいるはずの友達の姿はなく、彼の母のアンヌしかいない。
「あの、ユウタはどこに行ったんですか?」
アンヌは空いていた窓を閉めてから、レギーナの方に近づきながら上を指差す。
「宇宙よ」
そう言って指を口元に持っていく。
レギィは全てを理解して、一つ頷くと部屋を出ていく。
そしてベッドで休むポリーナの元へ行き、静かに母の無事と親友の成功を祈るのだった。




