#9 何してるの? カエルが潰れたような声出して
希望市のパトロールを終えたツトムは自室に戻った。
一昨日怪獣が出現して以来、CEFが出動するような事態は起こっていない。
真っ先にテーブルに座り、タブレット端末を起動する。
明るくなった液晶をアクアマリンの瞳で睨みつけた。
暗号化された回線を使って、地上から高度三万六千メートルに滞在している人物と連絡を取る。
相手の顔が表示された途端、眉間のシワが和らいだ。
『やあツトム。久しぶり。元気にしてたかい?』
相手は、ツトムの瞳とよく似たアクアマリンの瞳に黒縁のメガネをかけている。
男性と見間違うくらいのショートヘアの黒髪が、ボーイッシュな雰囲気を感じさせる女性だ。
「姉さん。一週間ぶりですね」
彼女はツトムの一つ上の姉、自強空屋。防衛宇宙軍の兵士だ。
ツトムは姉に対して敬語で話しかける。周りから見たら変かもしれないが、二人にとってはこれが普通である。
「そちらはどうですか?」
アヤは両手を広げる。
『こっちは異常はないよ。仕事と訓練の毎日で、大した娯楽がない方が大問題だよ。
たまに警報が鳴っても、地球に接近する隕石とかばっかりだしね。
彼女達も暇すぎるからかな。カップルが二組も出来たよ』
アヤは「私も何回か告白されちゃった」と言いながら首を振って顔を伏せる。
告白された事を知らされたツトムの瞼が僅かに動いた。
彼女は部下と共に、RD-ステーション-1、別名ヴァルハラで地球に迫る驚異の監視をし、C-スワローの指示を任されている。
『そういえばさぁ!』
アヤは伏せていた顔を勢いよく上げた。
『地球で面白い事が起きてるそうじゃん。新しいヒーローが現れたんだろ。一昨日も怪獣と戦ったって聞いたよ』
ステーション内では地球の情報は遅れて届くらしい。
「……はい」
ヒーローという言葉に反応して、ガーディマン=ユウタの顔が浮かび、眉間のシワが深くなった。
アヤはそれに気づいていないのか、話を進める。
『一緒に戦ってるんでしょ?』
「はい」
『どうよどうよ。彼、でいいのかな。頼りになりそう? 』
ツトムはメガネのズレを直し、ユウタの評価を頭の中に思い浮かべ一気に捲したてる。
「いえ。碌な戦闘訓練も受けておらず、戦術に対する知識もありません。
目を合わせるとすぐ視線を逸らし、いつも頼りなくて一人じゃ何もできない。はっきり言って足手まといです」
『おぅおっ。我が弟ながら手厳しい。私が彼だったら心臓潰れちゃうね。確実に』
アヤは右手で自分の心臓のあたりを、わざとらしく抑えた。
「姉さん。ふざけないでください」
『怒らない、怒らない。ほら眉間にシワが出来てるぞー』
アヤは自分の眉間を指差し、おどけながら注意してきた。
「シワなんて出来てませんよ」
言われて否定するが、メガネを外し眉間を指で揉み込む。
そんな弟を見てアヤは、懐かしい思い出に浸るような優しい表情のまま頬杖をつく。
『でも話聞いてたら思い出しちゃった』
「何をですか」
メガネを直すツトム。
「小さい頃。親戚の人が来ると私の後ろに隠れたり、いつも私の後を追いかけて来たなーって」
瞬間、ツトムの耳が赤くなった。
「な、何言ってるんですか!そんなこと覚えてません」
アヤは二本の指で小人を挟むように見せた。
『こーんな小さい頃は、よく追いかけて来たじゃない。ヒーローのソフビ片手に『おねーたん』って。カワイイかったな……もちろん今もだけど』
ツトムの赤くなった耳は、今にも火が吹き出しそうなほどだ。
「か、からかわないでください。それと僕はそんな小さかった事はありませんし、今の話とは全く関係ないと思います」
『まだ小さい頃の夢忘れてないでしょ? いつも言ってたもんね『おねーたん。僕も正義の――』
「い、言わないでください!」
『ヌフフ』
真っ赤になった弟をたっぷりイジって、とてもご満悦な表情のアヤであった。
『さてと、そろそろ通信終わりだね。これから仕事があるんだ』
「噂の新兵器ですか」
ツトムも詳細は知らないが、防衛宇宙軍の開発した新兵器のテストがステーション内で行われているらしい。
『ん? 新兵器? 内緒。超超極秘事項だから教えられないんだ』
アヤはウィンクして口元に指を当てると、そのまま『じゃね』と言って通信が切れた。
ツトムは液晶が真っ暗になったタブレットを寝かせる。
「何が『超超極秘事項』だよ。新兵器があるって言ってるようなものじゃないか……っていうか!」
ツトムは机に両手を叩きつける。
極秘事項の事よりも、気になる事を発見してしまった。
「姉さんが告白された? 恋人できてこのまま結婚しちゃうのか? いやいや姉さんはそんな簡単に承諾したりしない。しないよな?」
一人悶えるツトム。誰かが見たら確実に心配されるレベルの狼狽えぶりであった。
新しい光線技を閃き、崩れたビルの瓦礫を受け止めた翌日。
春にしては気温が高い事意外は特に何事もなく、学校を終わらせたユウタはフワリと一緒に帰っていた。
「じゃあねユーくん」
「うん。また明日」
右手を大きく振るフワリと別れ、家の扉を開ける。
電気はついていない。どうやらアンヌもホシニャンも出掛けているようだ。
「ただいまー……やっぱり誰もいないや」
夕陽が窓からリビングを照らす。
そのオレンジ色の明かりと影に支配された部屋は、寂しさという空気が充満しているようだ。
ユウタは早足でリビングに明かりを灯して、寂しさを追いやりテーブルにつく。
特にすることもなく、足をブラブラとさせたりして誰か帰ってくるのを待つ。
待っていると、段々と寂しさが薄れ暇になってきた。
(そういえば……)
暇を持て余しているうちに、ある事を思い出す。
(昨日。小石が落ちてくるような音って誰も聞こえてなかった。あれって、ものすごく小さい音だったんだよね)
人の雑踏や車の走行音があったとはいえ、聞こえていたのはユウタだけ。
変身できるようになって、聴覚が発達しているのかもしれない。
誰もいない室内で、耳に手を添えて意識を集中。
音は何も聞こえない。
けれども何秒か経つと、微かに、次第にはっきりと聞こえてきた。
外から規則正しく何かを叩く二つの音、これは廊下を歩く足音だろうか。
窓の方からは、近くでも中々聞こえない電気自動車のエンジン音に、リニアモーターカーの走行音も聞こえる。
隣からは布が擦れる音が……。
突然小さかった音が大きくなり、巨大なスピーカーが耳にくっついたような大音量。
どうやら上空を飛んでいく飛行機のエンジン音のようだ。
「うわっ!」
調整に失敗したのか、鼓膜が破れそうな衝撃から逃れる為、慌てて意識を集中するのを止める。
「びっくりした。やっぱり耳が良くなってる……でも気をつけないと鼓膜破れそう」
耳をさすりながら、とりあえず今日はもうやめようと思ったが、何故か布が擦れる音が気になってもう一度集中。
衣擦れの音はまだ聞こえる。どうやら隣の部屋からだ。
音の出所はフワリが一人で住んでいる部屋。
布が擦れる音が止み、柔らかいものが硬いものにくっつくような叩くような、そんな規則正しい音を立てている。
裸足で床を歩く音によく似ていた。
これ以上聞くのは、はっきり言って止めた方がいい。
(バレたら確実に嫌われる)
けれど身体は止まらない。音がする方へ近づいていく。
心臓の鼓動が次第に強くなっていく。
向こうに聞こえるはずないのに、何故か抜き足差し足忍び足で。
ユウタはしゃがみこんで壁に左耳をくっつける。
先ほどよりも何の音か明確に分かるようになった。
足音が止まり、扉がスライドする音がして再びペタペタとした音と、勢いよく水が噴き出す音が聞こえてきた。
シャワーだ。
(フワリ姉が入ってるんだよね……)
知らず知らずのうちに生唾を飲み込み、音を聞き続ける。
勢いよく流れていた水音が止まり、シャンプーボトルのポンプが上下する音に続いてスポンジで泡立てる音。
瞼を閉じると、音しか聞こえていないのに、脳内に簡単にイメージが湧き上がる。
泡だてた石鹸を滑らかな肌に滑らせ、気持ちよさそうに鼻歌を歌う。いつも優しい幼馴染の姿……。
心臓が破裂するくらい脈動し、必要以上の血液を送り込まれ全身が熱くなる。
鼻が詰まっているわけでもないのに、口を開けて大きく息を吸ったり吐いたりを繰り返す。
下半身を羽毛で撫でられるような、もどかしい感覚に襲われ無意識の内に太ももを擦り合わせていた。
隣の部屋の音に意識を集中しすぎて、家の玄関が開いたことには気づかなかった。
「ただいま……あらユウタ帰ってるのー?」
聞こえたのはアンヌの声だ。慌てて神経を遮断する。
(ヤバい!)
「あっおかえ――うわっ!」
立ち上がろうとすると、足が痺れたのかバランスを崩し、床に後頭部を強打。
「グエッ!」
上向きのユウタの視界に、覗き込んだアンヌが映り込む。
「ちょっとちょっと、何してるの? カエルが潰れたような声出して」
「えへへ。なんでもない。なんでもないよ」
笑ってごまかすユウタ,
「? 何してるのか知らないけど、暇なら買ってきた物しまうの手伝って欲しいんだけど」
「手伝う。手伝わせてください!」
「変な子。はい。じゃあ重いのお願いね」
「うん……」
ユウタは今していた事を追及されない為に、進んでアンヌの手伝いをしていく。
けれどもフワリのプライベートを盗み聞きしたことに強い罪悪感を覚え、内臓に鉛を詰め込まれたような感覚に襲われていた。




