#2 ダセーぞ お前ら
雨が降って水滴と湿気まみれになった午前中と違い、午後には雲も晴れ日差しが顔を覗かせる。
(傘、返却しないとなぁ)
教室で授業を受けながら、柔らかな黒髪とつぶらな黒い瞳の持ち主である星空勇太は、そんなことを考えていた。
家を出てから雨が降ってきた為、傘を持ってこなかったユウタは、バス停のレンブレラで傘を借りたのだ。
レンタルアンブレラ、略してレンブレラはコンビニ、駅、スーパーなどに設置されている貸し傘の事だ。
これは、料金を払って傘を借りることが出来、更に返却場所もレンブレラが置かれている場所ならどこでも良い。
よって雨が降ったら借りて、晴れたら近くの返却場所で返すという事が可能だ。
レンブレラは学校にも設置されているので、帰りにそこで返そうと決めた。
因みにいつも一緒に登校する照愛浮羽凛は、ちゃんと準備していて、
浮遊する傘であるフロートドローン、略してフロロンを持ってきていた。
フワリは『一緒に入ろう』と言ってくれたが、
ユウタは「濡れちゃうから大丈夫』と断った。
本音は、フワリと相合い傘になるのが恥ずかしかっただけだが……。
授業中の教室では相変わらず、教師の声と巨大な液晶――愛称は黒板――に書き込む音。
そして隣から聞こえてくるイビキ。
いつも通り制服を着崩した悪友漆児爪牙は、頑丈そうなブーツを履いた両足を組んでテーブルに乗せている。
授業はずっと寝ているソウガだが、これでも成績は学年トップ。
小、中、高と一緒なので知っているが、全ての授業で眠っていたのを覚えている。
ソウガは勉強を聞いてなくても、テストではまるで事前に知ってたかのように満点を取る。
一回、中学の先生が勇気を振り絞って、寝ているソウガに質問をしたが、詰まる事なくスラスラと答えたことがあった。
全ての指にシルバーの指輪を付けた両手をポケットに入れたまま、大口を開けて犬歯を覗かせたまま眠るソウガ。
そんな彼が突然瞼を開く。
オレンジ色の瞳が照明の光で輝いた。
「わっ!」
様子を見ていたユウタが驚いて声を出すが、周りの生徒や先生が驚いたのはソウガの行動だ。
授業中に滅多に起きない彼が、勢いよく上半身を起こすと、剣山のような黒髪を振って窓の方を見る。
ユウタと目が合った。
「ぼ、僕起こしたりしてないよ!」
十六門キックされては叶わんと両手を振りながら弁明。
「見ろユウタ」
そんなユウタの言葉を無視して、ソウガは窓の外を指差す。
「何……えっ! 空が割れてる」
「ああ。何か落ちてくるぜ」
ユウタ含め、教室にいた人達は窓を見ていて、気づいていなかったが、
ソウガは犬歯をむき出しにして、敵を見つけた闘犬のような表情をしていた。
暖かな陽気に 包まれた 希望市を歩く人々は、ガラスがひび割れる音を耳にして、一斉に上を向いた。
上空からガラスが割れる音なんて、普通有り得ない事だが、見上げる人々にとっては現実であった。
雨を降らしていた雲が、風に吹かれ逃げるように去っていく午後の空。
雲の隙間から覗く青空に小さなヒビが入る。
そこを中心に、ヒビが上下に走り、その部分が砕けた。
砕けた隙間から覗くのは、腐食した七色の空間。
中央の砕けた隙間から、見えない手に拡張されるように真ん中から空が割れていく。
出来上がった裂け目は半径百メートルはありそうな大きなものだった。
その光景に目を奪われた街の人々は――信号が赤になった横断歩道に立ち尽くす人もいる――携帯端末のカメラを上空へ向ける。
空に開いた穴から、二つの足の裏が出てきた。
それを見て催眠術が解けたように、人々がオーパスの画面から目を離す。
肉眼の視界の中では、裂けた穴からくるぶしまでが見えていた。
そこでサイレンが鳴り響き、パニックを起こさせない為に、抑揚のない機械音声が避難を促す。
『巨大生物が出現しました。該当地域の皆様は、至急、付近のシェルターへ避難してください。繰り返します……』
人々の動きは早い。
オーパスで撮影していた人も、ベビーカーを押していた母親も、すぐさまシェルターにつながる最寄りの地下鉄へ。
エレカも自動で脇に停車し、降りた人々がシェルターへ向かっていく。
上空では、穴からゆっくりと膝まで出てきたところで、突然支えを失うように勢いよく、赤い風船のような腹と腰、握り拳が出てきた。
勢いは止まることなく全身が現れる。
赤い全身に比べ、頭部だけが無機質だ。
頭の代わりに、ミラーボールのように光を放つ正二十面体が装着されている。
赤い怪獣を吐き出した空の穴は、役目を終えたとばかりに自ら作ったヒビを修復して跡形もなく消えてしまった。
二足歩行の怪獣はしばらく浮遊していたが、頭部の正二十面体が外れた途端、落ちる。
誰にも助けられることなく、赤い怪獣は背中から街に落ちた。
爆発したような轟音と、吹き上がる土埃。
怪獣の背中によって、ビルが押しつぶされる。
中にいた人達は、間一髪シェルター直通のエレベーターに乗り込み、生き埋めになることなく難を逃れた。
赤い怪獣は鉄筋コンクリートを枕に、アスファルトを布団にして倒れたままだった。
が、突然。まるで電気ショックを受けたように痙攣すると、四本指の両手を伸ばし、手摺を掴むように近くのビルを掴んだ。
そのビルを支えにして起き上がる。
立ち上がると同時に、体に積もっていた瓦礫が道路に落ち、手摺にしたビルも崩れ、大きな土埃が巻き上がる。
その間怪獣の頭部にあった正二十面体は中心のように赤い瞳で街を見下ろしていた。
怪獣出現を告げる警報はユウタの学校内でも響き渡る。
『巨大生物が出現しました。該当地域の皆様は付近のシェルターへ避難してください。繰り返します……』
ざわめく教室内で、教師が大声で指示を出すが、それを聴くものなど誰もいない。
その内、避難訓練で決められたルールを守らずに、勝手に教室を出て行こうとする生徒までいる始末。
先生が怪獣は遠くにいるからと言っても、全く耳を貸そうとしない。
パニックに包まれたのは他の教室も似たようなもので、このままでは大混乱が起きそうだった。
黒いブーツの踵が机を破壊した。
その音にクラス中が静まり返り、机を破壊した張本人に視線を向ける。
それをやったのは、もちろん……。
「ダセーぞ。お前ら」
ソウガだった。
何事も動じない自信漲る声を出す。
「お前らがこんな所で騒いでたら、余計避難が遅れるだけだ。死にたくなかったら黙ってろ。それともオレが黙らせてやろうか?」
ソウガの言葉に、教室中の人間が罪悪感を抱えるように頭を下げた。
それが伝わったのか、周りの教室も静かになり、避難訓練のように整列してシェルターへの入り口に向かっていく。
このままなら万事問題はないが、ユウタだけは、ある問題を抱えていた。
(どうやって抜け出そう?)
窓の外では街中を破壊しながら歩く赤い怪獣の姿。
すぐにでも変身して向かいたい。が、
後ろを振り返ると、整列した生徒達が廊下に出てシェルターへ向かっている。
今、教室で変身すれば即バレる事は確実。
(じゃあ窓から飛び降りる……?)
三階教室の窓から下を見る。
高さは約九メートル。生身なら無事では済まないが、変身すれば怪我の可能性はゼロ。
だが、飛び降りたところを皆に見られて正体がバレてしまう。
八方塞がりだった。
そんな窓を見たまま固まるユウタを見て、ソウガが声をかける。
「ユウタ。早く避難するぞ」
「う、うん」
「何か心配事かよ?」
「いや、その、もし怪獣がこっち来たらどうしよう――わっ」
ソウガは近づくと肩を組み、全ての異性の心臓を鷲掴みする顔を近づけた。
「心配するな。あの怪獣がこっち来たら、オレがブッ潰してやるよ」
犬歯を見せる凶暴な笑みは、とても冗談を言っているように見えなかった。
「ほら行くぜ」
ソウガに肩を組まれたまま、ユウタは廊下へ出た。
すると、二人を呼ぶ声が人の波の中から聞こえてくる。
「ユーくん! ソーくん!」
二人で声の方を見ると、人の頭で出来た波間に、白いカチューシャを着用したピンクのボブヘアが飛び跳ねていた。
「おおっ。フワリこっちだ。ユウタもいるぞ」
ソウガが左手を振ると、気づいたフワリが右手を振りながら二人に合流。
「良かった。二人とも見つけられたー」
走ってきたのか、制服の上からでもわかる大きな胸が上下している。
それを見たユウタは慌てて目をそらす。
ソウガは気にした風もなくフワリの方を見ていた。
「一人じゃ心細くて、オレを探してたのか?」
ソウガの笑顔に、周りで避難していた女子の頰が赤く染まる。
でも、それを向けられたフワリは動じた様子はない。
「そんなわけないでしょ。ユーくんが心配だったの。ソーくんは一人でも問題ないでしょ。
この前付き……一緒にいた女の子は心配じゃないの?」
フワリが言っているのは、この前校門で見かけた他校の女子生徒のことを言っているようだ。
「ん? ああ。彼女なら別れたよ」
ソウガの返事はアッサリしていた。
「そう、そっか」
フワリは何処か安心したような雰囲気を醸し出していた。
「ユウタ。フワリ。ほらシェルター行くぞ」
「待って。ソウガ君。首、首締まってる、締まってるからー!」
ソウガの右腕から逃れる術も見つからず、ユウタは変身する機会を失っていく。
窓の外ではビルより大きな怪獣が、ゆっくりと動き出そうとしていた。
(どうしよう。このままじゃ変身できない)
右腕からは解放されたが、依然としてフワリもソウガも近くにいるし、周りはたくさんの生徒達によって隠れられる場所がない。
ユウタ達は学校の体育館へ向かっていた。
体育館自体も頑丈な作りではあるが、それ自体はシェルターではない。
内部の床が大きく開閉し、そこが地下シェルターへの入口となっているのだ。
体育館へ近づくと、渋滞が起きた。
学校のシェルターは生徒のみならず周辺の住民も利用する。
なので、学校関係者と住民の二つの流れが体育館手前でぶつかり、渋滞が起きてしまったのだ。
その間もユウタは考え続ける。
シェルターに入ってしまったら、公衆の面前で変身するしかなくなる。
それだけは避けたいと考えていると……
一度聴いたら、放っておけない泣き声が聞こえてくる。
「えぇ〜〜〜〜ん!! ママどこぉ〜〜!」
小学生くらいの男の子が、涙を拭うこともせず、口を大きく開けて泣いていた。
「大変!」
それを見て一番早く動いたのはフワリだった。
周りの人は、男の子を避けるようにシェルターへ向かっていくのに、フワリは人を掻き分けてその子の元へ行こうとする。
泣き声にうんざりした顔のソウガは、フワリに声をかける。
「止めとけよ。シェルターに行けば誰かが探してくれるさ」
「でも、放っておけない。二人は先に行ってて」
フワリは男の子に近づこうとするが、中々シェルターに向かう人の流れに逆らえない。
「僕も行くよ」
ユウタも放っておけずにフワリの後を追う。
しかし、二人でも中々男の子に近づけない。
「チッ、めんどくさーな」
ソウガは後頭部を掻くと、フワリの前に立つ。
「ちょっと通るぞ」
携帯端末を見ながら通りかかった同級生の女子生徒の集団に話しかけた。
話しかけられた彼女達は、皆一様に顔を赤らめ――気のせいか瞳にハートが見えた――ソウガの為に道を開ける。
「行くぞ。フワリ、ユウタ」
ソウガが道を作ってくれたおかげで、トラブルが起こることもなく男の子の元へ到着した。
男の子は怪獣のソフビを片手に持って泣き続けている。
「おいガキ。うるせえから泣くな」
先頭にいたソウガがポケットに手を入れたまま見下ろして窘めた。
すぐ泣き止むが、新たな涙がみるみるうちに溢れ出し、先程よりも激しく泣きじゃくる。
持っていた怪獣が手からこぼれ落ちた。
「ソーくん!」
「イテッ」
フワリがソウガの後頭部にチョップした。
ソウガは後頭部をさすりながら、今にも噛みつきそうに、犬歯をむき出しにして反論する。
「何すんだよ」
「小さい子にそういう態度は駄目だよ。ほら怖がってるよ」
「ママ〜〜ママァ〜〜!」
男の子は赤ちゃんがえりしたように泣き続けていた。
「オレは、母親がいないと何もできない奴が、大っ嫌いなんだよ」
ソウガはシェルターの方へ歩き出す。
ユウタはその背中に声をかけた。
「どこ行くの?」
「シェルターだよ」
そう言い残したソウガは、ポケットに手を突っ込んだまま、振り向くことなく歩き去ってしまった。
「もうソーくんったら……どうしたのかな? お母さんとはぐれちゃったのかな?」
フワリはすぐに切り替えて、男の子の前にしゃがみこむ。
彼女は笑顔で男の子が話してくれるのを待った。
今までずっと泣いていた子が、フワリの優しい笑顔を見て泣き止んだ。
それを見てフワリがもう一度尋ねた。
「お母さんとはぐれちゃったの?」
男の子は頷くが、心細さを思い出したのかまた涙が溢れ唇が震える。
涙が決壊する前にフワリが動いて、男の子を両腕で包み込む。
「怖かったね。でも大丈夫。大丈夫だよ」
膝が汚れるのも構わず、男の子を宥め続けた。
そのおかげだろう。フワリの胸の中で男の子は落ち着いたようだ。
「ママが、ママがいなくなっちゃったんだ……」
「お姉ちゃん達が一緒に探してあげる」
「ほんと?」
「うん。ね、ユーくん」
「もちろん! 僕も一緒に探すよ」
ユウタは、大きなな瞳にプニプとした肌触りが特徴的な怪獣のソフビ――母怪獣パナメーテ――を拾って男の子に渡す。
「ありがとう。おにいちゃん。おねえちゃん!」
男の子は笑顔で、躊躇せずにフワリの柔らかい胸へ飛び込んだ。
「よーし元気になったね。じゃあ、お母さんを探しに行こう」
難なく受け止めたフワリは立ち上がり、男の子の手を取る。
その時ユウタはある事を考えていた。
胸に飛び込んだ男の子が羨ましい。ではなく、
(これはチャンスだ!)
「じゃあ、何処から探そう……」
「フワリ姉!」
ある閃きのせいで少し大声を出してしまった。
フワリはちょっと驚いたようにユウタの方を見る。
「ど、どうしたの?」
ユウタは体育館と反対側の校舎の方を指差す。
「僕こっちの方を探してみるから、フワリ姉達はシェルターの方を探して」
そう言い残して、人の流れに逆らって駆け出す。
「あっユーくん! 行っちゃった。この子のお母さん、どんな人か分かるのかな?」
フワリは頤に指を当てて首を傾けるのだった。
ユウタは流れに逆らって走る。
「おっと! す、すいません!」
何度もぶつかりそうになるのを避けて目的の場所へ。
できる限り早く向かっていると、二十代後半くらいの女性が立ち止まっていた。
何かを探すように目線を下にして、あたりに視線をさまよわせている。
近くの人に声をかけようとするも、躊躇っているのか何度も手を伸ばしては引っ込めていた。
女性は左手に怪獣の人形を持っている。
ユウタはもしかしてと思って、女性に声をかける。
手に持っていたのが、母怪獣パナメーテの息子怪獣パナバンビーによく似ていたからだ。
「あ、あの、誰か探してませんか?もしかして小学生くらいの男の子じゃないですか? 」
ユウタは恥ずかしさをごまかすために、頰を掻きながら尋ねた。
「ええ。息子とはぐれてしまったの。その、何処かで見かけなかったかしら?」
「やっぱり。その男の子だったらだったらシェルターに向かってます」
ユウタが男の子の特徴を伝えると、女性の表情が和らぐ。どうやら間違っていないようだ。
「あの子。一人で向かったの?」
「いえ。僕の幼馴染……あっ先輩と一緒にいます」
ユウタはフワリの特徴も伝えた。
女性は瞳に希望の光を灯して頭を下げる。
「ありがとうございます。シェルターの方へ行ってみます」
「はい。早く行ってあげてください。男の子すごく心細いと思いますから」
女性と別れたユウタは、校舎に入ると階段を全速力で駆け上がる。
二階に達する前に息が上がってきた。
(もっと、体力、つけないと)
心の声も息が切れていた。
屋上に上がったユウタは、その場で立ち止まり息を整えるとフェンスまで近寄る。
街の方では、市内にある防衛兵器が赤い怪獣に攻撃を仕掛けようとしていた。
間もなくCEFの超兵器も到着するだろう。
ユウタはナノメタルスキンに包まれたオーパスを取り出す。
「早く行かないと……『立ち止まるな。一歩踏み出せ』」
屋上が緑の輝きに包まれる。
その光が収まった時、正義を象徴する十字のゴーグルが特徴的な白銀の金属生命体が立っていた。
ユウタ=ガーディマンはフェンスを飛び越え、背中のアンチグラビティブースターを起動。
怪獣の破壊行為を止めるために飛び立った。




