もう一人の天使
誠の意識は、しばらくしてからゆっくりと覚めていった。
目を開けて周りを見渡して、誠はすぐに現状を理解した。
パラソルの木陰にタオルがしかれ、そこで横になっていたらしい。
きっと、みんなで運んでくれたのだろう。
「あっ、目が覚めた?」
ゆっくりとした口調の声が、すぐ側で聞こえた。
振り向いてみると、美緒がすぐ近くに座って、誠のことを見つめている。
どうやら、ひとり残って見ていてくれていたようだ。
「ごっ、ごめんなさい。迷惑をおかけして」
「ううん。私、あまり泳ぎは得意じゃないし、ゆっくりしたかっただけだから」
美緒らしい、人に気を使わせない言い訳を聞きながら、誠はいくらかほっとすることができた。
誠も身体を起こして、座ることにした。
海のほうを見ると、桜やまどか達が楽しそうに泳いでいるのが見えた。
「誠くんも行く?」
「いえ……念のため、もう少し休んでからにします」
「そうね。その方がいいかも」
そう言って、くすくすと笑い出した。
誠も今更になって、倒れた原因の光景を思い出して、顔を赤くした。
「そんなに衝撃的な光景だった?」
「いや、その……」
美緒の問いに答えられず、誠は慌てた。
確かに、人生で最大級の衝撃的光景であったことは確かだが、そんなことは言えるはずもない。
美緒もようやく笑いをおさめて、にこやかに微笑んだ。
天使のような柔らかい笑顔に、思わず誠は視線を海に戻した。
「…………」
しばらく沈黙が広がったが、緊張している誠とは違い、美緒は落ち着いていて、どことなく楽しそうにも見える。
何か話題を、と焦った誠は、麻友の言葉を思い出した。
美緒はなぜ、誠を呼んでみては、と提案したのだろうか。
「あの、聞いていいですか?」
「なに?」
美緒が可愛らしく、小首をかしげる。
その仕草がとても似合っている。
性格の良さと女の子らしい可愛い顔立ちで、7人の中でも一番もてているのは美緒だった。
誠もときおり告白されている姿を目撃したことがある。
誠は胸の鼓動が早くなるのを感じながらも、言葉を続けた。
「その、僕を呼ぼうって言い出したのが、美緒さんと聞いて……」
「あれ……?」
美緒が意外そうな顔をした。
「もう、知ってるの?」
「あの、麻友さんに聞いて」
「麻友ったら、おしゃべりなんだから」
美緒がちょっとふくれたような顔つきでつぶやく。
そして、また沈黙が広がった。
「…………」
振った話題が悪かっただろうか、と誠が落ち着かずにいたところ、美緒が海を見つめたまま、いつものゆっくりとした口調で話し始めた。
「私、男の人があまり得意ではなくて」
「そっ、そうなんですか?」
意外な一言だった。
誰からも好かれ、別け隔てなく人に気を使える美緒に、そんな一面があるとは思っていなかった。
「告白されるのは有り難いことなんだけど、相手の思いが強くて、何となく男性に対して苦手意識が出来てしまって……」
そこまで聞いて、誠もようやく少し理解できた。
つまり、もて過ぎの副作用というか、しつこく言い寄られる間に苦手になったということのようだ。
ある意味で、美緒らしい悩みだ。
「誠くんは、ほら、まどかちゃん一筋でしょ?」
するっと、そう言われて、誠はまた一気に顔が赤くなるのを感じた。
「いや、その……はい……」
「それもあって、話をしたり、勉強を教えてもらったりして誠くんと仲良くなってても、緊張しないというか」
「あっ、なるほど」
好きにならないことが美緒と仲良くする秘訣だと、誰が気付くだろうか。
それで美緒も親しく声をかけてくれていたのだと、誠も納得できた。
「それに」
美緒がまたくすくすと笑い出した。
「まーちゃんだし」
美緒はきっと、女装の時の誠を思い出しているに違いない。
つまり緊張しないのは、男というよりも、女の子として見ているから、という意味か。
誠は文化祭の時の忘れたい記憶を思い出して、目に見えて落ち込んでしまった。
美緒がそんな誠の様子を見て、いつもの気遣いの気持ちが出たのか、こんなことを言い出した。
「それでね、気づいたら誠くんのこと、ちょっと好きになっていたの」
……なんですと?
今の話から、どう好きにつながるのか解らない誠が、呆然と美緒を見つめてしまった。
見つめられた方の美緒は、ちょっと恥ずかしげにはにかむ。
「あまり気にしないでね。まどかちゃんに一途な誠くんを、という意味だから」
つまり、美緒は誠のことを少し好きだけど、誠は美緒のことを好きにならないで欲しい、という意味か。
誠はすこしだけ落ち着いて、美緒の話の続きを聞いた。
「今まで、こんなに安心して頼れる男の人がいなくて、気になったの。だから、こんな機会にふたりで話をしてみたいな、と思ったんだけど……いきなりばれたか」
美緒は恥ずかしそうにはにかむ。
ほとんどの男性が、一目見ただけで恋におちてしまいそうな表情。
まどかへの気持ちは変わらぬ誠でさえ、胸がドキドキしてしまった。
「まあ、気にしないで、これからもいろいろと話をしてね」
「はっ、はい」
「あっ、気にしてるな。まどかちゃんに言うぞ」
「そっ、それだけは……」
誠が本気で慌てたので、美緒は声を出して笑った。
「誠くん、尻に敷かれてる?」
「そんなことは……ないと……思うのですが……」
「自信なさそう」
「はい。逆らえないので……」
誠の言葉に、美緒はまた笑った。
それにしても、まどかが言っていた「接客係の中でもけっこう人気だったんですよ」という言葉は、嘘では無かったらしい。
まどかにそう言われたことがあることを伝えると、美緒もうなずいた。
「麻友は、誠くんのこと好きなんだよね? 告白したことがあるって聞いたことがあるし」
……噂がどこまで広がっているのか、誠は心配になってきた。
「桜ちゃんも、誠くんのことお気に入りみたいだし」
「遊べるオモチャぐらいに思われているような気が……」
「ああ、そうかもね」
美緒は笑いながら、誠の言葉を肯定した。
「曜子ちゃんは、好きということではないにしても、男の子の中で一番仲良くしているのは誠くんじゃない? 普通、親友に彼氏ができると離れたりするのに、しょっちゅう3人でいるもんね」
やっぱり、美緒はよく人のことを見ている。
誠も深くうなずいた。
「凛と薫子は、呼ぶのが嫌じゃない、というだけでも凄いことだし」
「そうかも知れません」
ふたりとも、いつも女の子同士で仲良くしていている。
話すことはあまり無いが、それでも勉強を教えた時を含めて、男子の中では彼女たちと話をする方かも知れない。
これ以上好きだと言う人が現れたら、誠としてはどうしていいか解らなくなるところだった。
美緒の告白は意外だったが、あとは想像をこえない範囲であったことで、誠はいくらかほっとした。
美緒はそんな誠の表情の変化を見ていたのか、こう注意することを忘れなかった。
「誠くんもまどかちゃんも、互いに両思いでラブラブだから誰も声をかけないだけで、ふたりとも凄くもてるんだから、注意してね」
誰よりももてている美緒に言われるのは、何とも言えない説得力と凄みがある。
「注意と言っても……」
「誠くんが言い寄られても、まどかちゃんを不安にさせるような言動をしないこと。まどかちゃんが言い寄られても、信じてあげること」
美緒の言葉だけに、正座をして聞きたい、重みのある言葉だった。
「有り難うございます。忘れないよう、気をつけます」
誠の言葉に、美緒が振り無向いて笑ってくれた。
「それでこそ、私の好きになった誠くんだ」
可愛らしい笑顔と「好き」の言葉に、誠の頭が殴られたような衝撃を感じた。
まどかの存在がなかったら、真面目に危なかった。
人を好きにさせるフェロモンでも出ているのではないか、と誠は真面目に疑いそうになる。
きれいな人はきれいな人なりに、苦労をしているのだな、ということを漠然と誠は理解したのだった。
引いては寄せる波の音が耳に心地良く、海からの風が時折ふたりの身体の横を通りすぎていった。




