肉腫
誠はいま、ナースステーションにいた。
惣島から、母親の許可がおりたと連絡があったのだ。
誠は悩みつつも、せっかくの好意を無駄にできず、再び病院を訪れることになった。
院長室で白衣と名札を受け取り、ナースステーションに来たところだった。
主治医という30代の先生がやってきて挨拶をすると、電子カルテのところに連れていかれた。
モニターの前にふたりで座ると、主治医はその女の子の説明をしてくれた。
名前は、藤村由香里。17歳。
病名はユーイング肉腫。骨にできる癌だ。
彼女は以前足の痛み気づいたが、バスケットの練習のし過ぎだと思って放置していた。
しかし、痛みがだんだんと耐え切れなくなり、近くの整形外科に行ったが、しばらく安静にするように言われて鎮痛剤と湿布が処方される。
それでも痛みが引かなかったため、当院で精査を受けてユーイング肉腫が疑われ、大学病院へ紹介される。
細胞診で診断がつき、摘出手術が考えられたがすでに他の骨への転移も認められていたため、化学療法と放射線療法が行われた。
しかしこの時、嘔気と倦怠が強く出たため、十分な治療効果が得られなかったことがわかると、患者が今後の治療を拒否し始めた。
家族が必死に本人を説得するが、受け入れてもらえず。
転移をしていて、治療をしてもむしろ生存期間を短くするだけかも知れない、と医師に説明されて、家族も治療中断を受け入れる。
治療することがないため退院して帰宅するが、痛みのために再入院。
鎮痛剤として麻薬が使用されるが、これも吐き気が強く出たため、内服を拒否。
何も治療がないからとやはり退院になるが、家族としても痛がる本人を自宅で見ることができず、大学からの紹介で自宅から近い当院へ入院となる。
というのが、彼女の今までの経緯だった。
つまり、もう治療の方法がなく、状態としても末期。
骨に癌があってとても痛いのに、痛み止めも拒否している。
何もすることがない状態で、死を待つために入院し、ベッドで寝ている、ということだった。
あまりのことに誠は言葉を失った。
「ユーイング肉腫は絶対数は少ないけど、若い世代に多い癌でね。しかも、生存率はとても低い。難しい癌なんだ。これだけ拒否する子も珍しいけれど、治療してもなかなか助からない。残念だけど」
主治医はそう言葉を続けた。
「ほかに何か質問あるかな?」
「いえ……有り難うございました」
「どういたしまして。けっこう病棟にはいるから、いつでも声をかけてくれ。頑張ってね」
医師は疲れた様子ながら、笑顔で優しくそう言ってくれると、白衣をなびかせて行ってしまった。
どうすればいのか。
経緯は解った。
病気のことも少し解った。
……やはり、お母さんにお礼を言いに行ったほうがいいだろう。
そうは思うが、足が重い。
行って何と言えばいいのか、解らない。
誠は部屋の前で、何度か行ったり来たりと歩きまわる。
時折通る看護師が、不思議そうにその様子を眺めたりしたが、誠はなかなか決心がつかなかった。
帰りたい気持ちは強くあったが、このまま帰るわけにもいかないことは解っている。
誠はとうとう意を決して、病室の扉を開けた。
中は以前と変わらない光景。
女の子がベッドに横たわり、傍らに母親が座っていた。
女の子……由香里は、誠のことを睨むように見つめている。
母親は、軽く頭を下げてくれた。
誠はその視線の強さに心が折れそうになったが、何とか勇気を出して母親のもとへ行った。
母親は顔を上げ、誠のことを見上げ、視線を合わせてくれた。
「あの、その、許可をいただき……有り難うございました……」
何とかそれだけ伝えると、お母さんはまた頭を下げてくれた。
しかし、言葉一つなく、またじっと見つめ返すだけだった。
誠はどうにも落ち着かず、
「失礼しました」
と言って、出て行こうとした。
「待って!」
思わぬ力強い声に、誠の足が止まる。
「行かないで……」
振り向くと、その声はどうやら由香里が出したものらしかった。
「はい……」
誠はどうしていいか解らなかったが、何はともあれ由香里の枕元まで歩いていき、立ち止まった。
よく見ると由香里は息の荒い呼吸をしていて、睨みつけるような視線は、苦しんでいるからだと解った。
「うっ……くっ……」
苦悶の表情を浮かべ、ときおりうめき声を上げて身体をよじる。
もはや視線すら合わせられない状況だった。
思わず医師か看護師を呼ばなくてはいけないのじゃないかと、誠はうろたえたが、ふと傍らにいた母親を見ると、そっと椅子を勧めてくれていた。
こんなに苦しんでいるのに、何故……と思ったが、お母さんが椅子を無言で差し出し続けるので、誠は解らないまま、その椅子に座った。
由香里はしばらくそうしてうめき声を上げていたかと思ったら、しだいに静かになり、やがて寝息に変わった。
寝てしまった。
髪の毛が汗で顔に張り付いていたが、その表情は先ほどより落ち着いていて、あきらかに眠っている表情だった。
何か伝えたくて呼び止めたのではないのか……。
そう誠は思ったが、しばらくしても目が覚める様子がない。
母親も黙って娘を見ているだけで、何も話しかけてくれない。
「あの……また来ます」
誠がそう言って立ち上がると、母親はうなずいてくれた。
それだけを確認して誠は病室を出た。




