表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勉強の神様は人見知り  作者: 京夜
神様と天国
87/123

夕食会


 ふたりはタクシーに乗り、繁華街から一本外れた小道にあるお店をおとずれた。

 誠は経験がないが、こういう店を料亭というのだろうか。

 古い日本家屋だが、玄関からは何の店かは解らないような目立たない外観。

 中に入ると落ち着いた土間で、女将らしき女性が案内をして、部屋まで導いてくれた。

 部屋は一面に大きなガラス戸があり、外には落ち着いた日本庭園がライトアップされているのが見えた。

 床の間には、落ち着いた花瓶と花が一輪。

 墨で描かれた掛け軸もあり、静かな落ちいた雰囲気の個室だった。


 ふたりは向かいあわせに座ると、惣島が飲み物を頼む。


「誠くんは未成年だから、お茶でいいかな」

「はい」

「私はビールを」

「かしこまりました」


 女将らしき人が一礼して出て行くと、室内はふたりだけになる。


 気づくと、惣島がじっと誠を見つめていた。


「……何か?」

「いや、君は本当にお母さんに似ている。懐かしくて、ついつい見てしまうな。申し訳ない」


 惣島はそう言って、恥ずかしそうに笑う。

 仕事をしていた時とは別の表情だった。

 

「君もずっと私の存在を知らされていなかった、と聞いたけど、本当かい?」

「はい。何も」

「初めて聞かされたときはどう思った?」


 誠はすぐには答えられず、沈黙が広がる。


「びっくりしました。考えもしていなかったので。僕にとって家族は母だけでした」

「そうか……」


 惣島がいくらか寂しそうな顔をしたような気が、誠にはした。


 お盆を持った女性が入ってきて、それぞれの飲み物と料理を置いて、また静かに出て行った。


「いただきます」

「うん。好きなだけ食べてくれ」


 惣島はビールを飲み、誠は料理をゆっくりと食べ始めた。

 緊張のためか、味がよく解らないが。


「君と君のお母さんには、本当に悪いことをしたと思っている。聞かされているか解らないが、私にはその時すでに今の妻がいた」


 ああ……やっぱり……。

 誠の予想は間違っていなかったが、こうして話を聞いても、意外なほどにショックを受けることはなかった。

 まだ恋愛を含め、そうした大人の事情はよく解らないことと、父親がいないことで恨みや辛みを感じたことがなかったからかも知れない。

 誠には何か、はるか昔にあった出来事ぐらいにしか感じられなかった。 


「妻と離婚することも出来ず、彼女の方から飽きられて離れたものと思っていた。私が馬鹿だった。彼女のお腹には、君がいたんだな」

「…………」

「電話で聞かされたときは、ショックだった。私は何も知らずにいた。そして不誠実な行動でふたりには大変な思いをさせてしまった」


 惣島はそう言って、深く頭を下げる。


「謝ってすむ問題ではないが、全て私が悪い。申し訳ない」


 惣島が頭を下げる姿を、誠は戸惑いながらも、落ち着いて受け取ることができた。


「別に僕も母も、不幸せだったわけではありません。それを責めるつもりもありません」


 誠がそう言うと、惣島は頭を上げ、いくらかほっとしたようだった。


「これから償えるのであれば、認知をしてもいいし、金銭的な援助をさせてもらってもいいし、私の家族に紹介してもいい」

「別に……特に望んでいません」


 今度は惣島は困ったような表情になる。

 病院で見せていた威厳のある、何事にも冷静に対処する惣島では見せなかった表情。


「じゃあ、何をすれば」

「何も望んでいません。今のままでいいです」

「だとしたら、今日はなぜ突然、会うことに?」


 惣島の質問は当然かも知れない。

 もともとは真穂の案だから、誠もよくは解らないが、真穂の言葉を思い出しながら説明を試みた。


「母がいつかは父のことを話さないといけないと、思っていたようです。最初は成人になってから、と思っていたようですが、進路を決める今の時期に会わせるべきではないか、と考えたようです」

「そうか……なるほど。誠くんは将来、何になりたいのかね?」

「新薬を開発して、多くの人の命を救えたら、と思っています」


 惣島は深くうなずいた。


「いい夢だ。聞いたところによると、成績はかなりいいらしいね」

「はい、まあ、それなりに」

「じゃあ、医学部を目指すのもいいかも知れない」

「医学部……ですか?」


 誠は意味がよく解らず、頭をかしげる。


「新薬を開発するには、医学の勉強をしないといけない。医学部出身の研究者は多いし、かつ貴重な存在だ」

「薬学部でなくてもいいのですか」

「医師免許があれば医療行為も研究もできるが、薬剤師の免許ではそれはできない。調剤までだ。出来る範囲や選択肢が広がる、ということだな。何が困っているか、何を必要としているかも解りやすい」


 なるほど、とも思う。一方で、あれだけ忙しければ研究も何も無いだろう、とも感じた。


「考えておきます」


 誠がそう言うと、惣島は納得したようにうなずいた。


 その後、料理が順番に出てくるのを食べながら、あまり語らない誠の代わりに、惣島がいろいろと聞いてきた。

 生活のこと、真穂のこと、誠のこと、学校のこと。

 特に隠す必要もなく、誠はシンプルに答えていった。


 真穂が別れた後もずっと一人であることを確認すると、嬉しそうな、申し訳なさそうな、複雑な表情をしてビールを飲んでいた。

 まだ少しは気持ちがあるのだろうか。


「母から、私は会えないからよろしく伝えておいて、と言われています」


 誠の言葉に、惣島ははっとしながらも、深くうなずく。


「そうだな……うん、解った。有り難う」


 やはり残念そうだ。

 でも、惣島には家族があるのだから、その方がいいのだろう、と誠も思った。


「今日の病院見学はどうだった?」


 惣島が話題を変えて、誠に振ってきた。


「思っていた以上に大変な仕事だと思いました」

「まあ忙しいことは、忙しいな」

「それに人と関わる職業なんだな、と感じました」

「相手は病気ではなくて、病気を持った人だからね」


 惣島は、うんうんとうなずきながら、もうひとつ聞いてきた。


「気になった患者さんとか、質問はないかい?」

「気になった患者さん……」


 そう言われて思い出すのは、あの同い年ぐらいの女の子の存在だった。

 何故入院しているのか、聞いてみたかった。


「回診の時に個室に入院されていた、同い年ぐらいの女の子」

「うん、年齢が近いから気になったか」

「はい。どんな病気なんですか?」


 惣島はしばらく黙り、ビールをゆっくりと飲み干す。

 言うべきかどうか、悩んでいるようにも見える。


「……癌だ、とだけ伝えておこう。詳しいことは個人情報でもある。明日、お母さんに伝えても良いか聞いてみよう」


 癌、と聞いて、誠の思考が停止した。

 あんなに若いのに、癌?

 寝ていはいたが、元気そうにも見える。

 治療だって、何もしてないように見えたのに……。


「いや、そこまでしていただなくても。僕が立ち入ることのできる問題ではなさそうですし」


 あまりにも大きな問題に、誠は素直にそう答えた。


「いや、重たいだろうが、大切な事だ」

「でも……」

「お母さんの許可が得られなければ、それ以上は言わない。ただもし、許可を貰えたら、知っておきなさい」

「…………」

「あの娘が生きた証を、誠くんの中にも残してあげて欲しい」


 生きた証。

 それは、この先に必ず死が訪れる、という意味なのだろうか。

 果たして、自分に受けきることができるのだろうか。




 答えが出ないまま、ふたりの食事会は終わった。


「明日、お母さんの許可がもらえたら、電話をするから病院に来て欲しい。主治医か看護師長から病状の説明をさせよう」


 そう言って、互いに携帯の電話番号を交換した。


「今日は楽しかった。これからはいつでも連絡をしてくれても構わないから」

「はい、有り難うございました」


 惣島は嬉しそうにうなずくと、手を出して握手を求めてきた。

 誠も手を出し、握手を交わす。

 温かく、力強い手だった。


 そうして誠は、手配してもらったタクシーに乗せられ、帰宅したのだった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ