ハグ
一日の見学が終り、宿に戻る。
騒がしい夕食のあとの自由時間、誠とまどかは付きまとう部屋員たちを何とかまいて、ふたりで旅館の外の小道を歩いていた。
遠くに行くほどの時間はないが、かといって誰かに見られるのも恥ずかしい。
ちょっと道をまがり、風情の残る町並みをふたりで並びながら、ゆっくりと歩くことにした。
「師匠と話がしたいな、と思ってもなかなかふたりになれませんね」
「有り難いことなのかも知れませんが」
「そうですね」
ふたりでみんなの顔を思い浮かべて笑った。
「何の話をしたいと思ったのですか?」
誠がまどかに聞くと、まどかはもじもじと話しづらそうに恥ずかしがる。
「?」
「その……」
「はい」
「昼間に曜子が言った……」
まどかの言葉を聞いて、誠は昼間のことを思い出してみる。
今日、曜子が言っていたのは……。
思い出して、まどかが恥ずかしがる理由が分かり、誠も顔を赤くした。
キスのことだ。
「その、大切なこと、って言われて、そうなんだって……」
「そっ、そうですね」
ふたりはお互いに顔を見ることも出来ず、しばらく黙って歩き続ける。
どことなく古い家屋が並び、ときおり自然にお寺があらわれる。
京都らしい、どこか懐かしい街並み。
どこからか、下駄の乾いた歩く音が聞こえてきた。
沈黙を破ったのは、誠の方だった。
「実は遊園地の後、いろいろと調べました」
「いろいろと?」
「その……キスの仕方というか……」
やっぱり勉強していたんだ、とまどかは不思議な尊敬の念を誠に抱いた。
「それで、何か書いてありました?」
「その、キスの仕方の本は、どうキスをするか技巧的なことしか書いてなくて。僕の参考にはなりませんでした」
まどかはいわゆる、キスの仕方が書いてある雑誌などを思い出して、なるほど、とうなずいた。
「緊張を抑える方法、恥ずかしい気持ちを乗り越える方法を調べてみたら、いろいろな本がありました。緊張克服法とか、赤面症の治し方とか」
「はい」
「読んでみると、いろいろ参考になることはありますが、総じて言えば慣れというか、思い込みというか」
「思い込み……ですか?」
「はい、少しずつ試してみて、大丈夫だと自分に自己暗示をかけていくのです。そこで駄目だと思う思考回路を、別の思考回路へまわす訓練をするのです」
「なるほど、少しずつ慣らす」
まどかは妙に納得した様子で、何度もうなずいていた。
「じゃあ、唇にキスはおいて……頬はどうですか?」
まどかの申し出に、誠は一気に耳まで赤くした。
「ほら、海外では挨拶に頬にキスしたりするじゃないですか」
「そっ、そうですね」
「はい」
ふたりの間に、また沈黙が広がる。
「その……練習しますか?」
「れっ、練習ですか?」
「はい……」
言ったまどかも恥ずかしそうにして、戸惑っていた。
立ち止まってみたものの、ふたりともどうしていいか解らず、動けずにいた。
まどかが何かに気付き、急に手をぽんっと叩く。
「そうだ、その前にハグはどうでしょう?」
「ハグ?」
「はい」
手をつないだことはあるので、次はハグ。
確かに、頬にキスよりも抵抗は少ない気が、誠にもした。
「はい、どうぞ!」
まどかがくるっと誠の方に身体を向け、さあこいっ、と言わんばかりに両手を広げてくれる。
どうやら、まどかにとってハグはそれほど恥ずかしいことでは無いらしい。
誠もそれならば、と思ったほどに緊張せず、まどかに近寄り……。
ぎゅっ。
抱きしめるというよりは、ハグ。
親愛のしるし。
……のはずが、誠はどんどん恥ずかしくなってきていた。
向かい合わせになってハグをすると、当然まどかの胸が身体に当たるわけで。
しかも抱きしめるためにしっかりと押し付けられ、柔らかいふたつの膨らみがつぶれて、胸いっぱいに広がっているのを感じる。
大きくて、柔らかくて、温かくて。
無意識に、男としての反応が出てきたのを感じて、誠は恥ずかしさのあまり、まどかからパッと離れて、うずくまってしまった。
「どっ、どうしました?」
「いや、その……気持ちが良くて……」
胸が、とはとても言えなかったが。
それを聞いて、まどかも嬉しそうに答えた。
「私もです! 何ていうか、優しく包まれるみたいで、温かくて幸せな気持ちになれました」
邪気の無い顔で微笑まれると、誠は申し訳ない気持ちで一杯になる。
胸に触りたくなりました、何て言えるわけがない。
手で触ったらどんな感じなのだろうか、と一瞬頭をよぎるがすぐにそれを追い払った。
誠は何とか気持ちを鎮め、気付かれないように立ち上がる。
まどかはそんな誠の気もしらず、腕に腕をからめてきた。
「また、ハグしましょうね」
「はっ、はい」
誠は気づかれないようにため息をついた。
恥ずかしさで倒れるか、理性を抑えられなくなるか。
誠はやっぱり自信を持つことは出来ず、帰途につくことになった。
一歩進んだのか、停滞したのか。
なかなか壁は高い。




