文化祭の終わり
夕方になり、ようやく文化祭も終わりの時間となった。
最後のお客さんをお見送りして、扉を閉めると、誰からともなく
「やったー!」
「おつかれさーん」
「ご苦労様!」
と声を掛け合う。
接客係も、厨房も、呼び込みも、裏方も。
それぞれに本当によく働いた。
互いに、無事に終えた充実感で一杯だった。
売上も順調で、最後は食べ物も飲み物もほとんど無くなってしまった。
大成功と言って良かった。
宗志が真ん中の椅子に立って、声を上げた。
「皆さん、ご苦労さまでした!」
周りから「おぉーっ」と声が上がる。
「まずは、文化祭委員のふたり、ご苦労様でした!」
涼と麻友が、拍手を受け、一礼する。
接客係でもあり、まとめ役でもあり、学校側との交渉役でもあり、大変だったと思う。
「厨房の皆さん、一日中、暑い所でご苦労様でした!」
Tシャツに短パン姿の厨房係が両手を挙げる。
みんなからの拍手が広がる。
「内装係と呼び込みの人達も、有り難うございました!」
各所で声と拍手が広がる。
「衣装作りとメイク係の人達も有り難うございました!」
おとなしい女の子の集団が頭をさげる。
接客係を中心に大きな拍手が広がった。
「そして、接客係もご苦労さまでした」
接客係の面々が手を上げて応えると、ひときわ大きな拍手と声援が上がる。
ひと通り全員が呼ばれた形となり、拍手がしばらく続く。
ゆっくりと静かになると、宗志は言葉を続けた。
「それと今回、大成功に終わることのできた立役者、美丘楓ちゃん、本当に有り難う!」
楓がちょっとびっくりした顔で、自分自身のことを指さす。
周りから「ありがとー」「ご苦労様!」と声をかけられると、楓も恥ずかしそうに笑って頭を下げた。
「そして、何と言っても、まーちゃん。今日は本当にご苦労様!」
突然の名指しに、誠はびっくりした。
「えっ、僕?」
周りから盛大な拍手を受ける。
「よく頑張った!」「可愛かったよ」「付き合ってー」 いろいろな声が上がる。
誠はそのひとつひとつに頭を下げる。
すこし胸がグッときたが、涙はこらえることができた。
すこしは自分のやったことで、人に役に立てたのだろうか。
ほっとした安堵感と、包まれるような温かさに心が満たされていくのを、誠は感じていた。
余った飲み物や食べ物が出され、ちょっとした打ち上げのようになる。
片付けを始める者もいたが、誠は接客係の人達と一緒に輪になってジュースを飲んだ。
まどかの隣になった誠は、何となく安心感と胸がドキドキするのを感じる。
こんな可愛い子が、自分のことを好きでいるなんて、今でも信じられない。
まどかがコップを差し出してくる。
「師匠、ご苦労様。乾杯」
「有り難う。まどかさんも」
誠もコップを出して、ふたりで小さく乾杯した。
一口飲むと、じわっと甘さが身にしみた。
ふうっと、息を吐く。
見渡すと、周りもそれぞれ隣同士と話しをしている。
これだけ人がいるのに、何となくぽっかりとまどかと二人きりでいるような感覚になった。
「疲れたけれど、何となく寂しいような、終わって欲しくないような……気がします」
誠はいま感じている気持ちを言葉にした。
始めは、あれほど女装を嫌がり、不安に思っていたのに、終わってみたら何となく寂しい。
まどかも、その気持にうなずいてくれた。
「大変だったけど、楽しかったですね」
「うん」
窓の外を見るともう夕暮れになっていて、ちょうど真横から差してくる太陽の光で、教室全体が、人が朱に染まっている。
人の声で騒がしいのに、何となくゆっくりと流れる映画のワンシーンのようだった。
「接客係も、女装も、とっても出来ないと思っていました。でも、やれて良かった。みんなが喜んでくれた顔が忘れられないです」
まどかが、くすっ、と笑う。
「師匠はやっぱりいい人ですね。他の人の笑顔のために頑張れるなんて」
まどかの言葉に、誠はなんとなく恥ずかしがった。
「そんな、いい人なんて……そんなことないです。ただ……」
「ただ?」
「勉強も楽しかったし、将来も夢見ていた。……でもどこかで、自分ひとりぐらいは世の中にいてもいなくてもいいんじゃないか。いなくても、何も変わらないんじゃないか……と心の中で思っていました」
「…………」
「でも……」
誠は周りの笑顔を見渡した。
「誰かが喜んでくれたり、誰かの役に立てた、と思えたとき、ここにいてもいいんだ……生きていていいんだ、と思えました」
誠の偽らざる気持ちだった。
勉強はあくまで机上のもので、誠にはどこか実感というものがなかった。
その虚無感は年をとるにつれ、無くなるどころか大きくなるのを感じていた。
それをどうしたら良いか解らず、誠はあえて無視をして心の底に押し込めることにしていた。
だから、教室での拍手の時、さっき名前を呼ばれた時、涙が出そうになった。
些細なことなんだけど、生きていていいんだ、そう誠は思うことができた。
生きていることを許してもらえた、そんな愛に包まれたような実感があった。
誠は頬に優しい、温かいものを感じる。
それが何かと見てみると、まどかが指の背で、誠の頬を撫でてくれていた。
細い指の柔らかな感触。
「真穂さんのために、生きていてください」
「…………」
「……私のために…………生きてください」
まどかは優しく、そう告げてくれた。
あぁ……駄目だ……。
誠は涙が流れるのを止めることが出来なかった。
ぽろぽろと落ちる涙を、まどかがゆっくり拭ってくれた。
周りもひとりふたりと気づいて、誠に声をかけようとしていたが、桜がそれを止めると、周りはふたりを静かに見守ってくれる。
まどかが肩を貸してくれて、誠はそこに顔を寄せながら、しばらく涙を流していた。
そんな誠のことを、まどかはゆっくりと頭を撫でてくれた。
そうして、長い文化祭の一日が終ったのだった。




