恋とコミュニケーション
「御庄さんに負けました……」
誠は家に帰る予定を変更して、曜子の家に寄っていた。
突然の誠ひとりの来訪にも曜子はたいして驚いた様子もなく、上がるように声をかけた。
曜子は誠を部屋に通すと、自分の席に座り、誠が話し始めるのを待った。
誠は正座をしてうなだれながら、つぶやいたのがこの言葉だった。
「だから、誠の経験値ではかなわないって忠告したのに……で、何があったの?」
「はい……携帯電話番号とメールアドレスを教えてしまいました」
曜子は天を仰いだ。
「まあ、予想していたけどね。行動が早いわ」
「抵抗はしたのですが、まったく歯が立ちませんでした」
「教科書には載っていない知識だからね」
「……はい」
言葉のやりとりの方法を書いた本があるのならば真剣に勉強したい、と誠は本気で考えていた。
「まあ、たぶん。これからメールや電話がかかってくると思うけれど、返信をしないか、はっきりと断らないと、いつまでも続くよ」
「断るって、どうやって……」
「僕は如月まどかが好きなので、メールを貰っても迷惑です。とか」
率直な曜子の言葉に、誠の顔がぼっと赤くなる。
「いや、そんな、えっ、その」
「まあ、無理か……」
「……はい」
二人でため息をついていたら、誠の携帯にメールの着信音が流れる。
確認すると、麻友からだった。
「麻友です! 誠くんは今、何をしていますか? このメール、ちゃんと届いていますか? ちゃんと届いているか確認したいので、返信もらえると嬉しいな。今日はありがとうね。」
誠はがっくりとうなだれて、メールを曜子に見せる。
曜子も思わずうなった。
「うまいな。こんなふうに書かれちゃ、誠も返信しないわけにはいかないか……」
「……どうしたらいいんでしょう」
「私も経験が豊富なわけじゃないから、よく解らないけれど、とにかく自分の本当の気持を、率直に言って断るしかないんじゃないかな」
「…………」
誠にも曜子の言うことは解る。
結局、それしか解決の道はないのだろう。
難しそうだが。
「このままずるずる付き合うと、まどかが変にふたりのことを誤解するぞ。『せっかくの師匠の恋。ちゃんと成就させなくちゃ』とか思われたら最悪だぞ」
誠の胸が苦しくなって、緊張のあまり頭にじっとりと汗が出てくる。
まどかのことだから本当にありそうで、誠は怖くなってきた。
何故こんなことになってしまったのだろうか。
まどかしか友達がいなかったとき、日々は穏やかで、温かで、嬉しくて……。
曜子と話ができるようになったり、教室のみんなから認められるようになったことも嬉しい出来事だった。
しかし、麻友のことは想定外で、誠もただ困惑するばかりだ。
生まれて初めての異性から好意……しかも、彼女は接客係に推薦されるぐらい容姿も可愛らしい。
本来は喜ばしい出来事なのに、誠はただため息をつくしか無かった。
何とかしなくては。
本当に。
誠は日曜日、いつもの図書館で調べ物をした。
テーマは、恋、愛、それにコミュニケーション。
誠にとって、今もっとも勉強が必要なテーマだった。
ただ、なかなか望んだものが見つからない。
恋愛小説は、自分には高度過ぎてまったく合わない。
こんな会話、こんな対応ができるわけがない。
キスをするシーンを読むだけで、誠は顔を真赤にしてうずくまってしまった。
誠は今までに感じたことのない高い壁を感じていた。
愛に関するものは哲学的なものが多かった。
なるほどと納得はできても、解決に至るものではなかった。
なぜ、これほどまでに身近な悩みなのに、解答を与えてくれる本がないのだろうか。
それとも、解答は誰でも解っていて、ただそれを行うことが出来ないだけなのだろうか……。
「素直な気持ちを言えるようにする方が大切よ」
保健室で先生に言われた言葉を思い出した。
「とにかく自分の本当の気持を、率直に言って断るしかないんじゃないかな」
曜子の言葉も思い出した。
やはりそれしかないのだろうか……。
コミュニケーションに関しての本も読んでみた。
コミュニケーションは正しい方法、技術があって、それをくり返し練習して自分のものとする必要がある。
その基本原理は勉強と同じで、びっくりした。
素直な気持ちを言うシンプルさ。
練習して体得する技術としての難しさ。
まるで相反するような答えのように感じるが、それぞれに正しくも感じる。
そしていま必要なのは、失敗を恐れずに行動することだ、と誠は気持ちを固めつつあった。
メールが届いた。
携帯を開いてみると、麻友からだった。
「今、なにしてるの? 麻友」
ああ、違うなぁ。
受信一覧にならぶメールを眺めて、誠はそう思った。
まどかのメールは、見ているだけで嬉しい。ドキドキする。
しかし、麻友からのメールから、それは感じられない。
好きかどうかで、これほどまでに違う。
それは、はっきりとした差だった。
誠は決心した。
誠は図書館から出ると、麻友に電話をした。
2つほどのコールの後に、麻友はすぐに電話に出た。
「誠くん? 誠くんから電話してくれるなんて嬉しい。どうしたの?」
「あの……その……」
言葉を出さなくちゃ。
気持ちを決めたのだから。
「ごめん。僕、如月さんが好きなんだ」
電話の向こうで、一瞬沈黙が広がる。
そして聞こえてきた答えは意外なものだった。
「知ってるよ」
「え?」
「誠くんが、如月さんのことが好きなことくらい、見ていれば解るよ」
予想していなかった話の展開に戸惑い、そして気持ちがばれていた恥ずかしさで、誠はオロオロした。
「でも、付き合ってないんでしょ?」
「えっ?」
「如月さんから、好き、って言われていないんでしょ? もし二人が付き合うことなったのなら、私も手を引く。でも、付き合っていないなら、私が誠くんと友達として話をしたり、メールをしたりしてもいいよね? 違う?」
「…………」
誠には反論できなかった。
「隣の席の女の子よ。友達になってくれてもいいじゃない。いい話し相手になれると思う」
「…………」
誠はどう答えればいいのか解らず、沈黙を続けるしかなかった。
「今日は電話ありがとう。今度は私からも電話するからね。じゃあね」
麻友は返事も聞かずに、電話を切った。
誠の耳には、ツー、ツー、と電子音だけが響いていた。
誠はまた敗北感を感じ、目前の壁の高さに自信をなくしていた。
この壁を乗り越えることが出来るのだろうか……と。




