神様の変化
最近、誠の様子がおかしい。
真穂は勉強する誠の様子を見ながら、そんなことを考えていた。
時折、勉強の手が固まったように止まる。しばらくの時間そうして、また勉強を始める。
それに、勉強をしていない時に何かを思い出して、笑顔を浮かべている時がある。
わずかな変化だったが、真穂は見逃さなかった。
真穂は誠の感情の変化を推理してみた。
まどかちゃんのことを警戒していた最初 → まどかちゃんを受け入れるがまだ距離あり → 安心感とともに会うことが楽しみになる → いない時にも気になるようになってきた
そうだ、そうに違いない!
ふたりが出会ってから、もう少しで4ヶ月というところか。
あのにぶい誠も、ようやくまどかちゃんの可愛らしさに気づいたか……。
真穂は嬉しくなった。
これはちょっと背中を押してみたい、と思い始めていた。
そんな時に、まどかから思わぬ質問があった。
「真穂さん。恋する気持ちって、どうしたらなれるのですか?」
隣に座っていた誠が、驚いて何度も瞬きをしているのに気づいたが、真穂は放置した。
今日は夏休みもあと数日を残すところとなり、夏休みの勉強の成果を報告に来てもらっているところだった。
まどかはちゃんと学校の課題も、誠が出した宿題もこなしていた。誠と一緒に図書館にもかなり通ったようだ。高校一年生なのに、感心、感心。
ひと通り報告が終わって落ち着いた一時の、まどかからの突然の質問だった。
「あらあら、何かあったの?」
大人らしく冷静を装いながら、真穂はまどかに探りを入れてみた。
ここは慌ててはいけない。
「私、恋をしたことがなくて……このまま恋することもないのかな、って少し不安な気持ちもあって……」
まどかがうつむきながら、つぶやいた。
真穂はもう少し質問をしてみることにした。そう思うには何かきっかけがあるはず。
「周りの誰かが恋をしているのかな?」
落ち着いた声の真穂の質問に、まどかはちょっと迷った後に、素直に話してくれた。
「実は、夏休みに入った頃、男の子ふたりから告白されたんです」
「あらまぁ」
隣で誠が小さく吹き出していたが、それも放置した。
ここはしっかり確認をしなくてはいけないところだ。
「それで、ふたりのどちらかとお付き合いすることにしたの?」
真穂の質問に、まどかは頭を横に振った。
ほっ……良かった。真穂は表情には出さず、安堵の息をついた。
「私には恋は解らなくって。でも、彼らはどうしてそんな気持ちになったのか。それはどんな気持ちなのか。最近、ちょっと悩んでしまって……」
「そうなの……」
高校生ならではの悩みね。
懐かしいような気もする。
「恋なんて、知らずにしてしまうものよ。恋をしようと意識しすぎたり、逆に恋をしないように硬い殻をかぶっていなければ、自然とそういう気持ちが芽生えるものよ。本能だから」
真穂は自分なりに感じている恋愛観を、まどかに伝えた。自分もあまり褒められた恋愛はしていないが、だからこそそう思っている。
「本能……ですか」
「そうよ。それがなかったら、人類はこれほど増えないわよ」
真穂は笑いながら、そう言った。
まだ今ひとつ解らずに考えているまどかに、真穂は言葉を続けた。
「意識をし出したということは、準備が整いつつあるのかもね。意外に、心のなかに小さな芽が出ているかもよ」
「芽……ですか?」
「こういったものは、意外と最初は気づかないものよ」
真穂はそう言って微笑んでみせた。
さて、このあたりで、ひとつ策を練らなければ。
真穂は誠の方を見た。
うっとうしいほどに伸びた髪。黒縁の眼鏡。使い古したトレーナーとズボン。
うん、これは格好からだ。
真穂の方針は決まった。
「ねえ、まどかちゃん。明日は暇?」
真穂の突然の問いかけに、まどかは首をかしげた。
「明日ですか? 空いていますけど」
「それは良かった。ちょっと面白いことを思いついたんだけど、まどかちゃん、手伝ってくれない?」
「いいですけど……なんですか?」
真穂は、ふふふっとたくらみの笑顔を浮かべた。
「誠をちょっと格好良くしてみない?」
誠がはっきりと吹き出した。
まどかは最初、意味がわからなかったようにしていたが、やがて「ああっ」とうなずくと真穂に賛同した。
「今のままの師匠もいいと思いますが、確かにちょっと磨いてみるのは興味があります」
「まどかちゃん、いい子」
ちゃんと今の誠も受け入れている発言を忘れないまどかに、真穂は思わず頭をなでた。
まどかはいつものように、嬉しそうにそれを受け入れた。
「この子、私の子だから素材は悪く無いと思うのよ。ただ、嫌がるから放っておいたのだけど。そろそろ必要な年頃よね」
真穂の視線に、誠はぶんぶんと音が出そうなぐらい首を横に振った。
「髪の毛はいつもどうしているのですか?」
まどかの素朴な疑問に真穂が答えてくれた。
「自分で切っているの。お風呂場で。お金がもったいない、時間がもったいない、って言って」
「そうなんですか……」
「よし、決まり。明日は街に繰り出すわよ」
真穂の言葉に、精一杯の拒否を示す誠だったが、まどかが
「師匠。これも大切な勉強ですよ。コミュニケーションの最初は見かけです。見かけで相手にメッセージを送るのです」
と言うと、横に降っていた頭がしだいにゆっくりとなり、やがて止まった。
そして、がっくりとうなだれた。
もともとふたりに抗って、勝てる誠ではなかった。
こうして、夏休みの最後の課題が決まった。




