科学館と理科
しばらくの間、まどかは午前に陸上の練習を行い、午後は図書館へいく日々を過ごした。
自宅にいると、暇な時間にいろいろと考えてしまいそうだった。
とはいえ、図書館に行っても、今ひとつ勉強に集中しきれなかった。
勉強の合間に、ふとため息をついたり、ぼーっとしたりする時間が生じる。
何となく、すっきりしなかった。
これじゃあいけないな、と深いため息をついたとき、ふとまどかは誠の視線に気がついた。
誠はいつの間にか、勉強の手を休めて、まどかの様子を不思議そうに見ていた。
まどかは慌てて勉強を始めたが、誠の視線が続いているのを感じていた。
「あの……」
誠が話しかけてくると、まどかは緊張してやや大きな声で返事をしてしまった。
「はい!」
周りから、「しーっ」と静かにするように言われてしまい、まどかは慌てて口に手を当てた。
少し落ち着いて、思わずまどかは顔を赤くした。
何をやっているんだろう……まどかは恥ずかしくなった。
「あの、勉強ばかりで疲れましたか?」
「はい?」
「いや、あまり勉強ばっかりだと飽きますよね」
「…………」
いえ、ごめんなさい師匠。勉強はあまり出来ていません……。
まどかは心のなかで謝罪した。
それでも、沈黙を良い方にとらえた誠は、この前の話を持ちかけた。
「あの気分転換になるかどうか解りませんが、科学館に行きますか?」
「あっ、以前に言っていた」
「はい。机の上ばかりでは飽きるかと思って」
飽きたわけではないが、集中しきれないのは確かだった。
それをどう解消すれば良いか、まどかも解らずにいた。
何はともあれ、誠の申し出は受けることにした。
誠は理科の勉強のためになる、と言っていたが、そうであればまどかにも必要なことだった。
「はい。行きます」
まどかの返事に、誠はほっとしたような顔をした。
「じゃあ、今日は遅いので明日。午前は陸上の練習ですよね。午後に行きましょう」
「はい、解りました」
まどかはうなずいて返事をした。
科学館へはふたりで自転車で向かった。
前に図書館へ一緒に行ったときにも思ったが、意外に誠は脚力がある。
勉強ばかりかと思っていたが、科学館までの道のりを疲れもせず、かなり速いスピードで駆け抜けた。
まどかは運動が得意なのでついていけたが、何となく意外に感じた。
30分ほど走り、ふたりは科学館についた。
科学館は銀色に光る5階建ての建物で、確か数年前に改装したはずだった。
建物の一部に、半分に切った大きなボールのようなものがあり、あれがおそらくプラネタリウムだろう。
二人で入館券とプラネタリウムの予約券を買いに、中に入った。
誠を見ると、目を輝かせ、楽しくてたまらないという表情をしていて、まどかは思わず笑ってしまった。
まどかになぜ笑われたか解らなかった誠は、慌ててまどかに聞いた。
「あの、なにか変でした?」
まどかは、笑いをこらえながら答えた。
「いえ、師匠があんまり嬉しそうだったので、つい……ごめんなさい」
「表情に出ていました?」
「はい」
「恥ずかしいな……でも、本当に昔から好きなんです」
「伝わりました」
まどかは笑顔でうなずき、ほっと一息ついた。
久しぶりに笑ったことで、少し心の霧がはれたような気がした。
誠はいくらか恥ずかしそうにしながら、まどかを案内してくれた。
「まどかさんは昔、『なんで?』って言って両親を困らせたことはないですか?」
「……あったような気がします。何となく」
誠はうなずいて言葉を続けた。
「だいたい子供の頃って、何もかもが不思議に思えて、両親に質問する時期があったと思うのです。でも、いつのまにか周りにあることが当たり前に思えてくる」
「はい」
「実は知らないことばかりなのにね。たとえば冷蔵庫はどうやって冷やしているか解りますか?」
誠の質問にちょっと考えてみたが、まったく検討がつかなかった。
「解りません」
「携帯電話はなぜいろんな場所でも通じるか、知っていますか?」
まどかは両手を上げて降参のポーズをとった。
「ぜんぜん解りません」
まどかの様子に、誠は少し笑って答えた。
「国語と数学が勉強の基礎であるならば、理科は応用といっていいでしょう」
「応用?」
「はい。例えば、先程のように身の回りにあるもののほとんどは、理科の発見があって初めて製品化されたり、開発されたりしています。ちなみに僕の進みたい薬学は、有機化学や無機化学が関係していてこのフロアーに。まどかさんの医学は、生命や人体なのでこのフロアーにあります」
誠がそう言って、エントランスにあった建物の案内図を指さした。
確かに指さしたところに、そう書かれたフロアーがあった。
「車を作るのであれば、このモーターと材質のフロアー。津波の研究なら、波に関するフロアーでしょうか」
「……本当だ。理科ってこんなに幅広いなんて知りませんでした」
まどかは思わず案内板を触りながら、ため息をついた。
誠の言葉はいつも、まどかにとって驚きの連続だった。
「学校で習う物理とか化学とか生物が、苦手だったり嫌いになってしまうのは、いくつか理由があると思うのです」
「はい」
「ひとつはあまりに基礎過ぎて、身の回りにどうやって生きているかが実感できにくいこと。次に、公式があったりして数学の要素が入ってくること。そして、なぜこんな原理なのか納得しにくいこと」
誠の説明に、まどかは笑ってしまった。
「そうですね。たしかに」
誠はちょっと考える様子を見せた後、まどかにこう提案した。
「最初はフロアーごとに解説しようかと思ったのですが、解りやすいようにさっきの冷蔵庫の話からいってみましょう」
わくわくして嬉しそうな誠の様子に、まどかも笑顔で「はい!」と返事をした。
「じゃあ、最初はモーターの所へ行きましょう」
「冷蔵庫なのにモーターですか?」
誠は歩きながら解説を始めた。
「冷蔵庫はなぜ中を冷やすことが出来るか。答えは気化熱を利用するからです」
「気化熱?」
「走って暑い時に、身体に水をかけたりしますよね。水そのものの冷たさ以外にも、風が吹いて肌の水が乾くときにも冷っとしますよね」
「はい。それが気化熱ですか?」
誠はうなずいた。
「液体から気体に変わるとき、周囲から熱を奪う性質があります。気化熱という、冷やす原理です」
まどかは持ってきたノートとシャープを取り出して、書きとめ始めた。
「液体から気体に変わるときに熱を奪う、気化熱」
「逆に、気体から液体に変わるときは……」
「熱を出す……ですか?」
「そうです」
誠が嬉しそうに笑った。
「気体に変わりやすい物質をポンプを使って圧縮すると液体に変わる。生じた熱を放散させて循環させる。その液体を噴射させると気化して熱を奪う。……つまり、気体になりやすい物質と循環する回路、圧縮するポンプがあれば、冷蔵庫はできます」
「何となく解ってきました」
「その圧縮するポンプは、モーターからできます」
「それで、モーターからなんですね」
ふたりは話しながら、そのモーターの展示スペースにやってきた。
そこには、モーターが輪切りになった展示物と、実際に動くモーターが設置されていた。
その輪切りなったモーターのコイル部分を指さしながら解説を続けた。
「金属にコイルを巻いて電気を通すと、磁石のようになるのは解りますか?」
「はい、何となく」
「ちなみになぜ電気を通すと磁石になるか、はおいておきます。ここが理解しにくいところの一つかも知れないのですが、自然の摂理だと思ってください」
誠は展示物とノートを用いて、フレミングの左手の法則や右ねじの法則などを解説して、磁力の発生の説明をした。
やや難しいところだったが、誠の説明は以前と比べると解りやすく、理解を待ってくれるのでまどかにもしだいに理解できるようになってきた。
また近くにあった電磁石の展示物に行って見せてくれるなどもしてくれた。
教科書より、たしかに実物を見ることは、理解の助けとなった。
まどかも理解できた事柄をノートに書きこんでいった。
交互に電流が流れる仕組みを作ることで、NとSが引きあってモーターは回ることを説明する。
最初はよく解らなかったまどかも、丁寧にNとSがどうできるかを説明する間に、
「あっ!」
と言って理解してくれた。
誠も満足そうにうなずいた。
「この基本的な原理からモーターがうまれ、モーターが生まれたことで冷蔵庫だけでなく、掃除機から、いまでは車まで出来ています。教科書では、難しい法則がならんでいますが、それを応用して、身の回りのものが出来上がっています」
まどかもようやく理解できたようで、深くうなずいていた。
「解りましたか?」
「はい!」
「では、私に説明してみてください」
「…………え?」
「説明できて初めて理解できたことになります」
誠はにっこりと笑顔でそう言った。
……鬼!……まどかは心のなかだけで、そうつぶやいた。
焦りながら、ノートを見ながら、誠に解説する。
足りないところを誠が補足してくれた。
それをまたノートに書き込む。
冷蔵庫について解説が終わる頃には、電流と磁界についてはかなり理解が進んでいた。
理解と記憶のために、やや疲れぎみのまどかに誠は優しく語りかけてくれた。
「よく頑張りましたね。これで高校物理の『電流と磁界』はほとんど終わりました」
まどかが顔を上げた。
「えっ、そうなんですか?」
まどかの質問に、誠はうなずいた。
「学校だと、この基礎法則の説明だけなんです。だから難しいし、意味が分からないし、面白くない、と思うのではないでしょうか」
「はい……確かに、今の師匠の説明は難しかったですけれど、楽しかっです。それぞれが繋がっていて、覚えやすいです」
「良かった。それが伝われば、満足です」
誠はほっとした様子でつぶやいた。
誠は周囲を見渡した。
「物理の基本は難しいですが、本当に身近に生きていて、それぞれの法則が関係しあっています。そこが解って楽しいと感じることが出来れば、物理の世界も広がると思うのです」
まどかは改めて、誠に感心した。
「やっぱり師匠は凄いです」
まどかの言葉に、誠はやっぱり照れて頭をかいた。
照れ隠しの癖らしい。
「次は、せっかくですからまどかさんの関係する、人体や生物に行きましょうか」
「はい!」
誠の提案に、まどかはいつものように元気よく返事をした。




