国語と父親
「ところが、大学の国語というか現代文の試験は、これとはまったく違います」
誠の言葉に、まどかはびっくりした。
「違うのですか?」
誠はうなずいた。
「試験には曖昧さが入ってはいけません。解答はすべて理論的に説明ができなくてはいけいのです。そうでなくては、テストで公平に評価ができませんから。それゆえ、文書を理論的に読み解く力が必要となります」
「理論的……ですか?」
「はい。たとえば新聞などは、正確に物事を伝えなくてはいけません。読む力があれば、誰もが同じ情報を正確に受け取れなくてはいけない。そのために助詞であるとか、接続詞であるとかが正確に使われ、具体的・要約が適正に行われていなくてはいけません」
「……後半が良く解りませんでした」
誠が笑顔を浮かべた。
「たとえば、『海へ行く』か『海に行く』かで意味が違ってくる。『遠いから行く』なのか『遠いけれど行く』なのか。要約して何が言いたいかを明確に示しつつ、具体例を用いてわかり易く説明もしないといけない。そういった事を正確に読み、正確に書けることが要求されます」
「むっ、難しそうですね」
「でも、ちゃんと会話をしているのですから、無意識にそのあたりは使っています。それを意識化して、知識として学び直すのです。実は慣れるとそれほど難しいものではありません」
「そうなんですか」
「高校2年か3年あたりで、良書と言われている問題集を2〜3冊程度をやりこめば、けっこう点数は取れるようになります。これは、他の教科と比べると意外に負荷が少ない割に効果があります。また他の教科にもいい影響があるので、試験のためにも、今後文書を読んだり書いたりするためにも、ぜひやっておきたい分野です」
「はい、わかりました」
まどかの素直な返事に、誠はにっこり微笑んだ。
「今は、まだ教科書と授業を、こうしたことを意識しつつ、受けていればいいと思います。また時が来たら、よい問題集を探しておきますので、それをやりましょう」
「はい、有り難うございました」
まどかが一礼をして、誠の話は終わった。
それまで黙って聞いていた母親が、感嘆の声を上げた。
「びっくりした。こんなことを教えてもらっているなんて、思ってもいなかったわ。私も勉強になっちゃった。なるほどね……」
我に返った誠が、母親の言葉に緊張して赤面した。
「てっきり、学校で解らないところを教えてもらっている程度かと思っていた。勉強の方法というか、基本・根本ね……うん、良かった」
母親は何度もうなずいた。
まどかは自分のことを褒められたように喜んでいた。
「ねっ、凄いでしょ。いろいろ教えてもらってから、勉強が少しずつだけど理解できるようになってきて、楽しくなりそうなの」
「解る気がする。私も宮沢賢治を読み返したくなったわ」
「本あるの?」
「たぶん納戸の中にあったと思う。昔は読んだのよ。銀河鉄道の夜ぐらいしか記憶はないけど」
母親はそう言って笑った。
「見つけたら貸して。私も読んでみたい」
「一緒に読もう。何か楽しみができたわ。ありがとう、誠さん」
誠は恥ずかしげに頬をかき、うなずいた。
緊張した夕食は、いつしか温かな雰囲気で包まれていた。
「今日はご馳走さまでした」
「遅くまで引き止めてごめんなさい」
途中で父親も帰ってきて、母親がそれまでにあった出来事を興奮して報告し、さらに納戸へ行って宮沢賢治の本を探してきて誠に朗読、解説させたりと、にぎやかに時間が過ぎていた。
父親も、誠の真面目な容姿、謙虚な姿勢におおよそ好意的な印象を持ったようで、歓待をしてくれた。
誠が帰るときは、すっかりあたりは闇に覆われ、静かになっていた。
「それでは」
まどかの家族が見送る中、誠は一礼して自転車で帰っていった。
姿が見えなくなるまで見送り、三人は家の中に戻った。
「想像とはまた違ったけれど、いい子で安心したわ。ガリ勉で勉強ができるだけとも違って、ちゃんと勉強が楽しいということが伝わってきて……今日は楽しかったわ」
「そうだな。勉強ができることにおごっていない姿勢がいいな」
両親の感想に、まどかは嬉しくなった。
「良かった。そう思ってもらって」
「また連れてきてね」
「うん、解った」
母親の言葉に、まどかは嬉しそうにうなずいた。
その夜、まどかは誠に感謝のメールを送った。
『師匠、今日は有り難うございました。両親がとても褒めていて、私まで嬉しくなってしまいました。母がまた来て欲しい、とのことでした。 まどか』
しばらくして誠から返信が届いた。
『緊張していたので、ほっとしました。ありがとう。また行かせてください』
その後に書かれていた言葉を読んで、まどかははっとした。
『僕には父親がいないので、まどかさんの父親のような温かな、どっしりとした人と出会えたのは、僕も嬉しかったです。 誠』
そうだ、事情は聞いていないが、誠には父親の影がなかった。
誠や真穂の話に、父親の話は一度も出てきていない。
何があったのだろう……気になるが、自分から聞くことはできない。
ただ、自分の父親がその代わりとして、誠に父親としての温かさや安心感を与えることができたのであれば、それはまどかにとっても嬉しいことだった。
まどかはカチカチとメールを打ち始めた。
『父もそう思ってもらって、嬉しかったと思います。またぜひ、会ってあげてください。おやすみなさい。 まどか』
まどかは携帯を閉じた。
まどかはごそごそと布団入り、携帯を脇に置きながら、眠りに入った。




