自宅──武志と美鈴【胡乱】
「……渉には僕から話しとくよ」
「ああ、助かる」
三枝を送る車内で、武志はそう告げた。
どうやら三枝もそのつもりでいたようだった。
あの日渉は結局、相談をすることはなく……武志はそれも気になっていた。
渉もまた、危うい。
流石に菱本がこんな状況で自殺もないだろうが。
家に着くと、美鈴は起きて武志を待っていた。寝巻きに厚保でのカーディガン姿で武志を出迎えると心配そうに尋ねる。
「どうしたの?タケちゃん……」
「菱本が……病院に運ばれて」
「菱本君が?」
美鈴も同級生ではあるが、菱本とは然して仲良くはない。事の内容に、なんだか言うのが憚られて、武志は「少し眠りたい」と理由を付けてその場を濁す。
事実、武志は少し疲れていた。
(それに……本当に菱本が自殺しようとしたとは限らないんじゃないのか?)
三枝は断定的に言ってはいたが、それはあくまで三枝の所感である。身体というよりも精神が疲れている筈なのに、無意味な思考は止まない。
(例えば……物凄い頭痛に襲われて、とか)
曲がりなりにも医療従事者である菱本が用量を間違えるとも考えにくい。しかも藥瓶は空になっていたのだ。だがそれでも否定する要素を探してしまうほど、菱本と今回の自殺騒ぎが武志には信じられなかった。仮に自殺しようとするのなら、もっと上手くやる気がして。
──魔が差したのだろうか。
自殺とはそもそもそういうモノなのかもしれない。
武志は菱本と渉のやりとりなど当然知りはしないが、想像したそれは、正にそういう事だった。
明確に死のうという意志をもって行った行為ではなく、たまたま死にたくなった時に薬があった……たまたま発見が早かったから助かった……それだけのことだ。
薬物大量摂取で死ぬ可能性は少ないと言う。ただ、それをきっかけに死に至ることは無いわけではない。
例えば意識を失った末の凍死、吐き戻した結果の窒息死。アレルギーの発症による死亡。酩酊状態や混乱、幻覚症状による投身──
仮に用法用量を守っても、これらが引き起こらないという絶対の保証などないのだから。
勿論、心肺停止が起こった菱本は死ねる状況にあった。
あの日の彼の言葉をなぞるならば、菱本は運が悪かった……ということになる。
結局眠れなくて意味無く寝返りした。
酷くなにかに苛立つ。そのなにかが、なにに対してなのか……よくわからないまま。
「……タケちゃん」
「ごめん、起こした?」
「ううん、私も眠れなかったから……ホットミルク、淹れるよ。甘いの」
美鈴はもう武志に菱本の事を聞こうとはしなかった。
『話したくないことを無理矢理聞いたりしない』──
ふたりの暗黙のルールのようになっているそれは……浅い付き合いだった頃の遠慮から始まり、長い付き合いを経た互いへの理解に、より強固になっていた。
どちらも不必要な隠し事はしない……それは確かな信頼の形。しかし長く一緒にいるのに、どちらも深く立ち入らない様な歪さも伴う。
美しく言うならば、互いの尊厳や意思を尊重しているが……『所詮は他人である』という線引きが明確に存在する。
ふたりは穏やかで、どちらも感情を激しくぶつけ合うようなことには慣れていない、というのもひとつの要因だ。
ゆっくりと蜂蜜入りのホットミルクを飲む。胃の中に熱い液体が流れていくのが心地好く感じられ、気持ちが幾分凪いだ。
美鈴はいつものようにとりとめの無い話を、いつもより若干幼い口調で話す。きっと、少し眠いのだろう……武志は美鈴の気遣いを感じながら、なんだか不思議な気持ちになった。
(……どうして美鈴は僕と一緒にいるんだろう)
美鈴は少しばかり変わっていてマイペースだが、他人に合わせるのも決して下手じゃない。武志とは少しタイプが違えど、同じ様に他人と上手に付き合える人間だ。
見た目も特別美人ではないが、可愛らしい。
ふたりの付き合いは長く……しかも3年も一緒に暮らしているのだ。情が湧かない筈はないが、年齢的にもそろそろ色々考える時だ。仕事やなにかに夢中というわけでもないのに、美鈴に結婚を急かされたことはない。むしろどこか事実婚で構わないと思っているのでは、と感じられた。
同棲は結婚をすることを前提に始めたにも関わらず、ふたりの間にその話を真剣にしたことはあまりない。それをどこかほっとしつつも、美鈴が「したい」と匂わせさえすれば、武志はきっと簡単に結婚に踏み切るのだろうに。
(このままじゃなにも遺してやれないな……)
菱本がこうなって初めて、武志は法的なあれこれから自分の死のことを考えた。
そして、その後の美鈴の事を。
「美鈴……」
「ん?」
武志は美鈴を抱き締めてから「もう寝よう」と寝室へ促した。落ち着いたのだと判断したのか、美鈴もへらりと笑ってそれに従う。横になると、美鈴はすぐ穏やかな寝息を立てた。
暫くの間武志はそれを眺めながら、考えるでもなく色々を思い出していた。
プライドの高い菱本の、あまりに彼にそぐわない行為。
三枝が、二次会でも渉がどこかおかしかった、と言っていたこと。
投げ遣りな渉の台詞。
誰の気持ちだって、武志にはよくわからない。自分の気持ちすらも曖昧なのだ。
美鈴はいつから結婚の話をしなくなったのか。
一緒に暮らしているこの日常が、当たり前なのだと思い込んではいなかったか。
なにも気付かない、知らないまま、気付いたらなにもかもが終わっているのでは……急にそんな事を思って笑った。
──あまりに自分らしいラストだ。




