1週間前──菱本と渉【困惑】
支払いを済ませると、菱本と渉は居酒屋を出た。
ふたりは暫く無言で歩いていたが、途中、菱本は渉に「寄る」とだけ言ってコンビニエンスストアに入った。購入したのは水のペットボトルと、暖かいコーヒーを2本。
それを待ちながら、渉は店頭で煙草を吸うでもなくただ口にしている。
セブンスター、ソフトボックス。
間を持たすために吸いだした煙草の重さは、いつの間にか1ミリから12ミリの重いものへと変わっていた。ソフトボックスの柔い包みには、もう数本しか入っていない。
非喫煙者ばかりのこの面子の中で、「気にしないから吸えよ」と言われても渉は頑なに煙草を吸うことはしなかった。
離れた時に灰皿がある場所でだけ吸う様は『間をもたす』という吸い始めた頃の意味合いの代わりに、酷く……独りだ。慣れ親しんだ友人すら拒む様にすら感じられる。
菱本は渉に何も言わなかったが、コンビニの裏手の公園に目配せし……無言のままで入ると、藤棚の手前にあるベンチに腰掛けた。
「……飲めよ」
そう言って渉に水を渡すと、自分は缶コーヒーを開ける。プルトップを捻ると中の気圧変化による『プシュッ』という音。
「ああ……サンキュ」
菱本が軽く口を付けている間に、渉は仕方なくといった感じで水を二口程大きく飲んだ。
「酔いは冷めたのか?」
「別に……」
酔ってなんかいない、そう続けようとして渉は笑う。まるで酔っ払いの科白だ──そう思って。
「……悪かったよ」
「サエに言えよ」
「そうだな……いつもアイツには悪いな。 どうしても……」
「わからんでもないさ。…… 多分、アイツは誰よりも正しい」
「……」
三枝は真面目で、堅実な男だ。人並み外れてなにかを持つわけでもなく、ただ実直に物事に向かう。そこには直向きな努力と素直な感性があった。
それこそ彼が誇っていい部分なのに、どこか卑屈さが漂う──いつもそれが我慢ならない。
なにかを持つわけでも無い、というのには、皆然したる変わりはないのに。
「──くだらない拘りだ」
菱本に言うでもなく、渉は呟いた。
そんなくだらないもので出来ている自分なら……それこそ生きていても死んでいても変わらない。
誰かがほんの少し、悲しむだけ。だがそれも、次第に記憶と共に薄れていくのだ。
「──お前、死にたいのか」
菱本が唐突に、だがいつもと同じように抑揚なく尋ねる。渉はそんな菱本を軽く一瞥し、ゆっくりと虚に目を背けた。
「……どうかな。 ただ……『死』が身近になった。 そんな気はしてる」
死にたいのか、と聞かれても、渉には正直よくわからなかった。
先程口にしてしまった投げ遣りな言葉はあっても、思春期の少年の衝動のような強い憤りなど持ち合わせてはいない。
ただ、緩やかに燻っていく……消し損なった煙草のように、口にしていたはずのモノがある種の不快な匂いを以て昇っていくのを感じているだけだ。
「やるよ、コレ」
そう言って、菱本はコートの懐から出した小瓶を渉に投げた。
しゃらり、と無機質な音を鳴らして。
それは──錠剤。
──ドクン。
心臓が強く打った。
英語は高校の授業でとうに卒業した渉には、小さな文字が列なるラベルに何が書かれているかなど、調べなければわからない。だが……話の流れで受け取ったソレの意味するところから、ある想像が浮かぶ。
勿論、違うモノを違う意味で渡すこともあるだろうが……菱本は渉の想像を肯定した。
「抗不安薬……精神安定剤、のがわかりやすいか? それは睡眠導入剤だが……認可はおりてない」
「……」
「少し強いんだ。酒と一緒に上手く飲めば……死ねるかもな。 保証はできないが」
「ふっ……言った通り……潔く死ねって?」
「そうじゃない……持ってるだけで、なんとなく楽になるってだけだ。薬じゃ死ねない事の方が多い。未認可だけに、わからんが……」
そう言うと菱本は立ち上がり、渉に真面目な顔を向けた。薄暗い公園の外灯が、ふたりの影を何方向かに分けて作っているのが渉の視界に入る。
「運が良ければ、死ねる」
「──は」
笑おうとした渉の声は、白い息を吐いただけで続かなかった。




