1週間前──居酒屋④【欺瞞】
──辛うじて、取り返しの付かないことになる前に場を収めたのが、菱本の恫喝だった。
冷えた空気を馴染ませるように、武志は穏やかに三枝に声を掛けトイレへと連れていく。
「……悪い」
「少し飲み過ぎたね。 大丈夫?」
こういうとき武志はなにも聞かない。三枝はそれに救われながらも、いつも少しズルいと思ってしまう。
フト、昔の事が過る。
教師になりたての頃──相手が誰であろうと関係なく聞き上手な武志に、アドバイスを求めた事があった。
「僕、あまり人の話聞いてないみたいなんだよね……いや、聞いてるんだけど、サエや渉程には真剣じゃないっていうか。……なにかできることがあるならやらないこともないけど、きっと、自分からなにかしようとは思わないんじゃないかな……」
武志は困ったようにそう返す。
どこか、ぼんやりと宙を眺めながら。
「俺は……他人との距離感が近すぎなのかな」
「いいんじゃない、それで。 多分、サエと渉にはそういうの向いてないし……それがふたりの良いとこじゃないの」
「……さっきから俺とアイツを一括りにするよな」
「だって、似てるからね」
──それはもうそれなりに昔のこと。
「優しいんだよ、ふたりは」と言って微笑んだ武志の、今と然して変わらない顔。
「……優しくなんてねぇよ」
「え?」
「いや……ごめん、迷惑かけたな」
そう。俺と渉は根本が似ている。
俺が弱い自分を隠して虚勢を張っている様に、アイツは弱い自分を見せることで、虚勢を張っているに過ぎない。
そんな風に思いながら、三枝は変わってしまったなにかを肌で感じていた。
「お前は変わらないな」
「……そう?」
武志は三枝が言った言葉を然して気にすることもなく流し、ふたりは席へと戻った。
菱本と渉は会計を済ませて既に店を出ていた。
二次会でいつも使うカラオケボックス……そこに移動していると武志から聞く。
二手に別れ、その間に頭を冷やして仕切り直し、ということらしい。
「……見切りをつけられなくて良かったよ」
「付き合いに? まさか! 長い付き合いだし、そりゃ……良くないときもある」
「なんか婚姻の誓いみたいだな……『健やかなる時も、病める時も……』」
「はは、せめて桃園の誓いにしない?」
吐く息が白い中、賑わう繁華街を歩く。いい意味で、すっかり酔いは覚めていた。
「でも、そうすると今度は誰が長兄かで揉めるかもね」という武志の冗談に、もう笑える位には。
「渉……悪かったな」
二次会のカラオケ店の前。
先に出た筈のふたりは、武志と三枝よりも少し遅れてやってきたが……渉が相当酔っていたので、特になにも言わなかった。
改めて三枝が渉に謝ると彼は微妙な表情のまま「いや……俺も、ごめん」とだけ言う。
その気のない感じに一瞬苛ついた三枝だったが、渉の顔が白っぽく覇気がないことに気が付き、苛つきとは違う意味で眉をひそめた。
(飲み過ぎたせいか? ……コイツ一番弱いからな)
眼鏡の中央を中指で押し、酒のペースが早すぎた事を始め、色々を少しだけ反省し振り返る。
反目しあう部分はあれど、渉もまた大切な友人なのだ。
渉の嫌な部分は三枝には青臭くて眩しすぎるだけで、彼の魅力でもあり……そんな渉を煩わしく思うと同時に好ましくも思うのだから。
こうして良くないときもあるが、勿論良いときの方が多い。
少しだけ優しい気持ちで、三枝はどうしようもない友人を眺めた。
二次会は高校の時流行った曲などで盛り上がった。
楽しく過ごしたが……三枝は、渉の様子が終始どこかおかしかったと記憶している。
「……どうした?」
「サエ……いや、なにが? それよりホラ! コレお前ハモれただろ! 久々に歌おうぜ!!」
「調子悪いんじゃねぇのか、オレンジ頼むか?」
「なに言ってんだよ、お前こそ酔ってんだろ~。 サエが一番上手いんだから遠慮せず入れろよ! そしてコレはハモれ!」
心配する三枝に渉は、はしゃぎながら曲を勧める。
若干の違和感を感じながらも、渉が否定する以上は何も言えなかった。彼なりに反省し、気遣っているのは間違いないのだから。
その後も無理して楽しそうにしては、時折何かを考えている様な渉に、三枝は気付かないフリをして過ごした。
ボンクラさん、ありがとうございました!!




