1週間前──居酒屋②【4人】
今から向かう。 遅れてごめん。
あのさ、相談があるんだ。
終わった後でちょっと時間を割いてくれない?
渉は遅刻してくることが多かったが、1時間経過してもまだ現れない。渉のいつもの遅刻は長くても精々30分程であり、それ以上の場合はおおよその時間を伝えてくる。
何の連絡もなしに、というのは珍しいので3人共スマホをなんとなく気にしていると、武志の元にこんなメッセージが届いた。
「渉からか?」
「いや、美鈴から。 ……ごめん、ちょっと返信する」
先程のことから咄嗟に嘘を吐き、渉には相談事への了承の旨に「『三枝に』今から行くって連絡入れときなよ」との一言を添えて返信する。
渉はなんだかんだ言っても、相談事は面倒見がよく、厳しい事を言ってくれる三枝にすることが多い。次いで論理的な菱本。本質的に武志は相談事に向いていないのだ。
「何故自分なのか」と少し違和感を覚えるも、積極的に意見を求めてない場合や、仲裁など……或いは上手い謝罪のしかた等なら、今までだってないでもない。
(まあ、ふたりには向いてないような事もそりゃあるからな)
そうひとり納得した。
「武志は結婚しないの? 同棲……」
「……3年目だよ」
美鈴の名前を出したことで話の矛先がこちらに向いてしまい、武志は少しだけ後悔した。
高校の頃からずっと武志は美鈴に好意を抱いていた。在学中はなにもなかったが、卒業の際に渉に焚き付けられて告白をし「友達から」の付き合いを経て、今に至る。
「「長い」!」
「うわ、息ピッタリ……」
菱本と三枝が声を揃えて言うので、武志は苦笑する。
「サエなんか早くに結婚してるじゃないか……」
「いや、ずっとひとりの相手って凄いよ。 勿論サエもさ」
「俺の場合はまぁ……身を固めた方が色々都合のいい職業でもあるし……保護者の信用の度合いが違うんだよ、特に女子の親の」
焼き鳥の串から肉と葱を剥がしつつ、心底面倒臭そうに三枝はそう言った。葱の部分だけを食べ「変なヤツ多いから、わからんでもないけどさ」とタメ息混じりに言ってビールを一口。
「……なに、お前、結婚したいの?」
「さあ……どうかな。 武志はなんで結婚しないんだ? お前に限って言うならしない理由ないだろ」
その理由を問われると、武志は返答に窮する。
『しない理由もないが、する特別な理由もないから』とは言えなかった。
甘えた考えだと解ってはいるが、結婚しなければいけない理由をこれでもかと挙げ連ね、誰かに背中を押してもらいたい気分ですらある。
美鈴へ『愛』のようなものはある。彼女がいなくなったらみっともなく泣くのだろう。
でもどこか、それが自然なかたちであると諦めて、受け入れてしまうのではないだろうか。
長く穏やかな春の中で、かつて渉に嫉妬したような強い気持ちは鳴りを潜めていた。好きな気持ちが減った訳ではない……むしろ増えているのに。
美鈴からのメッセージなど本当はないように、ふたりは互いへの信頼と、性格的な面から互いを縛るような事をしない。美鈴は口調や顔立ちからおっとりして見えるがその実竹を割ったような潔い性格であり、付き合いの長さなど関係なく、心が変わればアッサリ武志を捨てるだろう。
そしてそうなった時に自分はどんなに悲しんだとしても、きっとどこか納得をするのだ。
それは当然シンプルなものではなく色々入り雑じった複雑な気持ちだろうが……きっと気付いてしまう。自分の中の、小さな安堵に。
──そんな風に思っているとは、とても。
「そうなんだよなぁ……まぁ、考えてはいるよ。 あとはホラ……タイミングとか? 色々さ」
「菱本のが先に結婚したりしてな。 なにしろ天下無敵のイケメンエリート様だ」
「冗談……顔や条件で近付いてくる女はゴメンだよ」
『イケメンエリート様』であることを否定しないレベルで菱本は整った顔であり、一般的に見てエリートと言われるような職に就いている。麻酔科医師である彼はその職の忙しさから随分とやつれたが、その様がまた神経質そうなシャープな印象をより一層際立たせていた。
「……一度は言ってみたい台詞だな」
「絵になるなぁ……菱本は」
呆れた様にふたりがそれぞれの所感を述べると、予想外の位置から「全くうらやまけしからんヤツだ!」と言葉が続いて飛んできた。──渉だ。
遅れてきた渉は、どかり、とコートも脱がずに菱本の隣に座る。
着古して色褪せたモッズコートにデニムとパーカー。どちらかというと菱本よりも渉の方が『イケメン』という言葉のイメージに近く、どこにでもいそうな気安さがある。
「そりゃこの年齢にして、万年フリーターの俺に対する挑戦かね? 菱本氏。 『遊びならいいけど結婚はねぇ……』が最近女によく言われる言葉No.1のこの俺への!」
やたらとテンションが高いのは彼の機嫌が良い時か、逆に悪い時だったりするのだが……今回に関しては既に酒が入っているということも関係するようだ。
「お前……飲んでんのかよ? 遅れてきといて」
三枝はそれに不快感をあらわにしたが、この時点では渉はすぐに謝り、また、冗談で場を和ませた。
「あー、ちょっと色々あってさぁ……マジ悪かったよ、遅くなって。 ……なに? サエはそんなに俺がいなくて寂しかったの? ごめぇぇん!!」
「アホか! お前がいないお陰で格式の高い、深い話ができたわ!! ……ホラ、メニュー!」
ドリンクのメニューを受け取りながら、渉は菱本に「そんな話してたの?」とヘラヘラしながら尋ね、菱本も「ああ、宇宙の成り立ちについて」といい加減なことをしれっと答える。
「相変わらずなんか妙なフリとボケだよなぁ……いつもこれ見ると、面白いとかより不思議な気分になるんだけどさ?」
「……激しく同意」
向かいのふたり──武志と三枝は顔を見合わせて笑った。
後に思い返すと、その日の飲み会は相変わらずなフリをそれぞれがしており、常に危うさが微かに漂っていた。
辛うじて表にこそ出ないものの──誰かのちょっとした発言が、誰かの日常的な触れられたくない部分に触れ、それをまた違う誰かが差し戻すような。




