自宅──渉と美鈴【思い出】
案の定美鈴は何品か摘まめるものを作っており、その日の夕飯は宅飲み的な形になった。
ドライバーである武志は渉を送るので飲まないが、武志は酒に強い割に飲まなくても問題ない方なので、こういうことはそこそこの頻度である。
逆に美鈴と渉はそんなに強くはないが、酒を飲むのは好きなようだ。
ホロ酔いになったふたりは、どちらともなく過去の話をしだす。
これもままあることで、武志はこれが嫌いではなかった。
昔は嫉妬したふたりの関係だが、渉と美鈴のふたりを知るうちにそうではなくなり……今ふたりの思い出話は、なにか自分も思い出を共有しているような気分になる。
美鈴は早生まれだ。タイミングの関係で幼稚園に入れなかったことも関係しているのかわからないが、少し他の子よりも成長が覚束ないところがあった。
渉はそんな美鈴を妹のように扱っていた。「押し付けられた」と渉は言っているが、末っ子の渉だ。兄気分に浸れることに、満更でもない感じだったようだ。
「渉は正月、家に帰るの? 一緒に乗ってく?」
「そうしなよ~」
「どうかな……まあ、帰るようなら頼むわ」
実家はそう離れていないが、渉はあまり寄り付かない。
渉の両親は良くも悪くも堅くて生真面目な人達だ。両親の愛情や心配は渉には息苦しく押し付けがましいものだった。進学するか否かで揉めた末、大学に進学するも、すぐに飛び出す形で家を出た。
勿論学校には行っていない。退学届けを貰うときにしか。
身一つで出た渉は誰に頼りもせず、2年ほど夜の仕事で稼ぐと、250万と必要事項を記入した退学届けを実家に送りつけた。この金額は2年間の大学諸費用を想定したものと思われる。
武志を始め、皆呆れつつも……これには感心するよりなかった。
両親との確執は今もって健在なのだろう。
だがそれを気にしない感じの口調で、美鈴は気安く言う。
「帰りなよ~。 ユーゴーの散歩に行こうよ、皆で」
「ああ、あの愛想のいいハスキーな」
渉と美鈴の家は隣だ。
挨拶に赴いた時に塀の向こうでピョンピョン飛び跳ねていた犬、それが渉の家の飼い犬『ユーゴー』。
「渉にソックリ」と武志が言うと、皆笑っていた。
サワーを手酌でグラスに注ぎながら、渉は武志に懐かしむように言う。
「ユーゴーなぁ、あいつは二代目なんだよ」
「へぇ?」
犬好きの渉の家は『初代ユーゴー』が老衰で死んだ後、すぐに『二代目ユーゴー』を知り合いの動物医から貰ってきた。当時は今と違いペットの管理に関する手続きが甘かったのもあり、それは渉が『初代ユーゴー』の死への悲しみが薄れるよりずっと早くのことだった。
「しかも無神経じゃね? 同じ名前とかさ……二代目はまだホンの仔犬で可愛くて、すげぇ構いたかったけど、俺、初代がなんか可哀想な申し訳ないような気になって構えなかったんだ」
「渉らしいなぁ」
渉の両親は共働きで、両方がいないときは子供達が順に散歩を任された。勿論二代目が散歩をできる大きさになると、それは踏襲され、渉はそれがとても嫌だったという。
自分の番がきたある日、いやいや玄関を出た渉のところに美鈴がやって来て言った。
『ユーゴーの散歩?じゃあ私も行く!』
「ミーちゃんちはほら、猫がいるから……初代の時もたまにそういうことがあった。 初代の時と変わらない感じで言われて、俺、なんか頭にきてさ……」
『そいつはユーゴーじゃない!』
……そう怒鳴って、驚く美鈴に無理矢理散歩を押し付ける形で引き綱を渡し、部屋に籠った。
律儀にも散歩をしてから戻った美鈴は渉の部屋に来て、舌っ足らずな拙いことばで疑問を投げる。
「なんでユーゴーじゃないの?」
「ユーゴーは前のだけだ」
「?今のもユーゴーだよ」
「ユーゴーが可哀想だ」
「どうして?」
「皆今のを可愛がって、前のユーゴーのことなんて忘れちゃうんだ」
「渉くんがユーゴーを可愛がらないのは、前のユーゴーを忘れちゃうからなの?」
「俺は忘れないよ!!」
美鈴は当然意図していなかったが、渉は自分の言葉の矛盾に気付いた。
「……忘れないよ」
二代目を可愛がっても、自分は初代ユーゴーを忘れたりなんかしない。
罪悪感だとか、難しい言葉はわからなかったが『今のユーゴーを可愛がってもいいのかな?』と漠然と思ったという。
「美鈴はバカだから忘れちゃうかな? ……どうしよう、美鈴、バカだから忘れちゃうかもしれない!!」
「ミーちゃんは……忘れちゃうかもね。 前のユーゴーとの思い出少ないし」
「いっぱいあったら忘れないかな?」
「知らないよ……」
「もう一回行こうよ! ユーゴーうんち出なかったし!!」
「──そうやって騒いだミーちゃんと一緒に散歩に行って……二代目はやっぱり可愛かった。 あれがなかったら、ユーゴーを可愛がれるようになるのはもっと先だったかもなぁ」
「……ふぅん、なんかちょっといい話だね……」
そう言って美鈴の方に目をやると、なんだかバツの悪そうな顔をしていた。
──美鈴は覚えていなかったのだ。




