車内──武志と渉【独白】
武志は渉に一緒に夕飯を食べないか、と家へ誘った。
「ミーちゃんは?」
「いるよ。 なんか買って帰るって言ってあるから、多分ちょっとつまめるモンでも作ってんじゃない」
「ふーん……」
三枝や菱本とは違い、渉だけは結婚を勧めるような発言をしたことはない。
だが、珍しく「どうなってるのか」と曖昧ながら尋ねてきた。
「普通に仲良いよ。 相変わらずさ」
自分でそう言っておいて、武志は「本当か?」と自分に問いかけた。その答えは出ない。
ハンドルを切りながら、渉に言う。
「珍しいね、そんなこと聞くの」
「無理に結婚しろとか、そういう話じゃなくてさ…………」
少し言葉を選んで、渉は言うのを止めた。
「悪い、余計な事だ。 ……ほらミーちゃんは幼馴染みだからさ」
「そう……久々に聞いた、その台詞」
『幼馴染みだから』は渉が稀に突っ込んだ事を尋ねる時に使う台詞だ。
学生時代に渉から宮部みゆきの『火車』という小説を借りたことがあった。彼曰く、主人公の亡き妻の幼馴染みの登場人物描写が近いそうだ。
恋愛対象にならない程近い、他人──
それが自分と美鈴だと言う。
学生時代にはふたりが共に歩んできた過去に嫉妬することもあったが……そのお陰でふたりが恋愛関係に至ることは考えづらい、というのは美鈴にとっても事実な様だ。武志は嫉妬をしなくなった代わりに、いつも不思議な気持ちになる。
「なにか相談があったんじゃないの」
「あー……相談ていうかさ……話を聞いてほしいだけなんだけど」
「うん、なに?」
「んー……」
少し間を開けてから、渉は話し出す。それは武志が想像していたのとは大分違う内容だった。
「今行ってる派遣先の社長に、社員にならないかって言われてさ……」
「え? いい話じゃない」
「まぁなぁ……」
確か彼が今働いているところは、それなりに長い。続いているということはそう悪い環境じゃないのだろう。
ただ、相談ということは決めかねているのだ。そして単に後押しをしてほしいだけなら、おそらく三枝を相手に選ぶ筈である。
「……なにか問題が?」
「ないさ、なにも。 ──ただ」
そこまで言って、渉はふっと笑った。
「マイノリティはどこまでいってもマイノリティなんだよ。 別にそうありたい訳でもなく……排除され、淘汰、される」
自分のあまりに厨二な台詞に笑いが込み上げた渉は、最後は途切れ途切れになりながらそう宣う。
「なに笑ってんの」
呆れてそう返すと、渉は右手で口許を押さえながらひらひらと左手を振った。
「……くだらないが、真実なんだよ。 死んだんだ、友人が」
「え」
「お前らの知らないヤツさ。 自傷癖のあるやつで、リストカットとか、沢山してた。 薬も飲んでた。 『でも生きたいから、そうする』って言ってた。 『誰もわからなくても、自分だけが自分の痛みをわかる』って。 その日も気軽に『ちょっと死んでくるわ』ってメッセージがきてた。 ……死因はさ、首吊りだった」
「……」
「首吊りってもさ、シャワーなんだよ。 あんなもんでできると思わねーだろ、普通。 こう……バスタブの中から半分身体を出す感じでさ、備え付けの棚にシャワーヘッドを引っ掛けて、首を壁際から入れたら身体を湯船に沈める。 その前に薬とリストカットで、多分意識朦朧でフラフラしてたんだろうって、警察の人が。 俺は第一発見者だった 」
いつの間にか、渉の『本当に聞いてほしいだけの話』は始まっていた。
滔々と、渉は語る。
覚えた詩でもそらんずる様に、どこかリズミカルに。
「……それは、いつの話?」
「お前らがなにかと忙しかった頃だから、7、8年前かな。 変わったヤツだったけど……至って普通だったよ。 傷を見られるのが嫌で夏でも長袖を着る、そんなヤツだ。 オーバードーズには気を付けてた。 あれは結構迷惑と金が掛かるって……いや、別に菱本を責めてるわけじゃない。 人にはそれぞれ事情があるし、今話してるヤツのは悪癖だからな」
死にたいわけじゃないし、ひけらかしたいわけでもない。
ただ、死は希望だ。
だからこれは、同時に生への希望でもある。──そんなことを言っていた。
「頭の良いヤツだった。 でも自分を常に恥じてた。 『どうして普通にできないのか』って……普通ってなにかな? 今でも俺はよくわからない。 アイツは普通だったよ。 普通に働いて、飯を食って、どうでもいい話だって沢山した」
「…………」
「武志、信号」
渉に言われて武志は車を発進させる。
自宅近くのスーパーマーケットに寄る為に、左折し駐車場へ入ると車を停めた。
すんなりと外へ出ようとする渉を止めて、質問をする。中途半端に終わるのも、後で再開するのも、なんとなく良くない気がして。
「第一発見者って?」
「俺、合鍵持ってたから……でも鍵が開かなくて、チェーンが掛かってた。 『ヤバい』って思って警察呼んだ。 でも既に死んでた。 綺麗な死に顔だったよ、嘘みたいに。 首吊りって苦しくて、色んなモノが下から出るとか言うだろ? 鬱血して紫色になるとか……実は俺、そういう死体も見たことあるんだ。 警備のバイト、してたとき。 でも全然違った。 血が既に結構抜けてたとか、理由はなんかあるんだろうけど……」
そこで一旦切ってから、渉は言った。
「死に迎え入れられた……そう思ったんだ」
武志はただ黙っていた。
渉の言う友人がどうマイノリティだったかなんて、然したる問題ではない。問題は渉がシンパシーを感じているのではないか、ということだ。
それを察したのか、渉は続ける。
「アイツは悪癖はあったけど、死にたいわけじゃなかった。 誰よりも生きたがってた。 俺だって、死にたいわけじゃない。 きっと、菱本も………………」
その先を言わずに、渉は時計を見た。
「そろそろ行こう、ミーちゃんが待ってんだろ?」
「……ああ」
武志は促されるままに車を出る。
正直なにを言うべきなのか、もうわからなかった。
(いや、ただ渉は話したいだけなんだ)
だから自分を選んだのだろう。
答えは多分彼の中にあって、某かに区切りを付ける為に、話しているのだ。
買い物中に、渉は唐突に尋ねた。
「お前、幽霊って信じる?」
「え?」
「俺の部屋さ、ソイツの住んでたトコなんだよ。 ……会えるかなって思って」
「……会えた?」
「いや、会えねぇなぁ。 気配すら感じたことないね」
お陰で家賃が安くて助かる……そんなことを笑って言う。「笑えない」という武志に「悪い」と謝りながら更に笑っていた。




