4 可愛い義弟には逆らえないので
「フィン……? 私とあなたの婚約って……」
「僕は将来、このコーレイン家の当主となる予定だよね。ミルテ義姉様とシモン卿の婚約が成立した際、義父様はコーレイン家を継がせるための養子を探していた。そして、僕がその跡取りに選ばれた」
そう。
ミルテは、コーレイン家の一人娘。
身体の弱いミルテの母では、二人目は望めなかったのだ。
だから、ミルテはバッカウゼン公爵家から婚約の打診を受ける以前は、将来婿を取ることが決まっていた。ミルテが十歳の頃といえば、丁度数人いた候補の中から、将来コーレイン家をしょって立つ者を絞っている途中だったのだ。
そこへ、想像もしていなかった、バッカウゼン公爵家からの婚約話だ。
けれど、どれだけ事情を話しても、バッカウゼン公爵家が引くことはなかった。ミルテの婿候補となっていた家に対しても、文句が出ないようにと、それなりの対価を与えて手を引かせてしまった。
格上の公爵家からの婚約の打診ということもあり、結局コーレイン家はその打診を受けることにしたのだ。コーレインの家は、養子を取り、その子に後を継がせることにして。
けれど婿養子と養子では事情も法的手続きも異なるため、両親も些か慎重になっていた。そうして慎重にことを進めている中、かつてコーレイン家に縁のあった二人の兄妹が、孤児院へと入ったことを聞いたヘルブラントは、二人を引き取ることを決めたというわけだ。
もちろん、二人――特にフィンセントにその資質がなかった場合は、アフネスに婿を取らせ、その婿にコーレイン家を継がせることを考えていた。しかし、フィンセントは思っていたよりもずっと優秀で、コーレイン家に来て半年後には、正式にコーレイン家の跡継ぎとなることが決定した。
「僕は将来コーレインと縁のある家のご令嬢と結婚し、この家を継ぐ予定だと、義父様は思っていただろうね。でも、それよりも、もっと良い方法がある。それはミルテ義姉様が、僕と結婚することだよ」
「それは……」
フィンセントの言う通りだ。できるならば、それが一番良い。
何より優先されるのは家であり、血ではない。けれど、ここまで家を存続させてきた血を、まったく新しい血に変えることも、よほどのことがない限りは、普通行われるものではない。
事実、いずれフィンセントがコーレイン家を継ぐとしても、ミルテが産んだ子の代か孫の代には、バッカウゼン公爵家からコーレイン家へ、血が戻されることになっていたのだ。
「でも私は……すでにシモン様と婚約をしているわ」
「ならば、その婚約がなかったことになればいい。できれば相手の有責で」
美しい顔で恐ろしいことを言う義弟に、ミルテは声を荒げた。
「相手を陥れようなんて駄目よ!」
シモンに対する想いがないのに、ミルテのために、ミルテの婚約者であるシモンを奪ったアフネス。今のフィンセントの話を聞き、それがアフネス一人ではなく、二人の画策だったのだと気が付いたのだ。
けれど、いくら特殊な性癖を持っている相手だからと言って、それがこちらの都合で陥れても良いという理由にはならない。
「義姉さん、勘違いしているわよ。最初に粉かけてきたのは、あっち。シモンの方よ。あいつ、三年前に私に声かけてきたのよね。自分の愛人にならないかって」
「あ、あい、愛じ……」
三年前と言えば、アフネスはまだ十一歳だ。さすがにその頃のアフネスは、今のようには育っていなかった。その姿は、まるで教会にある天使像のように美しかったと、ミルテは記憶している。
思わず蒼白になったミルテに対し、アフネスはこともなげに言い放った。
「あ、触らせてないから大丈夫。踏んではいたけどね。あいつの趣味、ほんと捻じれてて……。まあ、今はそのことはいいわ。とにかく、あの抱擁はね。あいつに別れを告げられた私が、泣く泣く最後の思い出に抱擁を強請ったって筋書だったのよ」
「筋書⁉ というより……え? 別れを告げられたの⁉」
「別れ話自体は、結構前にされていたのよね。ほら、私育っちゃったし」
育っちゃったしと言って、アフネスが豊満な身体をくねらせた。
「それをのらりくらりと交わして、決定的な場面を義姉さんに見せる機会を窺っていたのよ。で、あの日義姉さんがお茶会に行くことは知っていたから、そろそろかなと思って、シモンを呼び出したの。義姉さんが帰って来る頃を狙って、抱き合っている姿を見せようと思って。でも、思っていたよりも早めに帰って来たから焦っちゃったけどね。早めに呼び出しておいて、本当に良かったわ……」
そう言って、アフネスが妖艶に笑った。
「これまでにあいつに貰った手紙も、全部取ってあるわよ? 強請って買って貰った、服や宝飾品とかもね。あとで見せてあげる」
「バッカウゼン公爵家の嫡男が、婚約者の義妹、しかもまだ十一の子どもに手を出していたことが世間に知られれば、公爵家はまだしも、シモン卿本人は破滅だからね。きっと素直に、こちらの条件を呑んでくれると思うよ」
フィンセントの言うこちらの条件とは、相手側の有責による、婚約の破棄。あるいは、もっと穏やかに進めるならば、相手側の都合による、白紙撤回だろう。
「どうする? ミルテ義姉様」
フィンセントにどうするかと聞かれ、アフネスには視線で問われ、ミルテは返事に詰まってしまった。
一度の抱擁ならまだしも、シモンは三年も前から、アフネスと秘密の関係を続けていたのだ。アフネスが言うには、身体には触らせてはいないらしいが、アフネス宛てに手紙を書いたり、贈り物を渡したりと、それらは立派な浮気に相当する行為だ。
しかも、シモンが愛人の話を持ち掛けたアフネスは当時、まだ十一歳。
許せるわけがない。
たが、それとフィンセントとの婚約の結び直しは、話が別だ。
フィンセントだって、まだ十二歳だ。初恋すら、したことはないかもしれない。
いくら貴族の結婚は契約だとしても、話を受けてしまえば、いずれはフィンセントにも、何て馬鹿な提案をしたのだと、後悔する日が来るのかもしれない。この人と共に生きたいと、そう思える人に会う日が来るのかもしれない。
その可能性を、ミルテやコーレインの家が、潰してしまって良いのだろうかと。
ひとしきり悩んだ末、ミルテは一つの結論を出した。
シモンとの婚約は破棄する。だが、フィンセントとの婚約は断ろう。
すでに成人済ではあるが、ミルテはまだ十六歳。贅沢を言わなければ嫁ぎ先くらいは見つかるだろう。
「あのね、フィン。コーレイン家を想ってくれる、あなたの気持ちは嬉しいんだけど……」
そう断り文句を口にしかけたミルテだったが、それを遮るように、フィンセントが言葉を発した。
「義姉様、僕のこと嫌い?」
下げられた眉と潤む瞳に、ミルテは胸を撃ち抜かれた。
嫌いなわけがない。むしろミルテは、この世にフィンセント程愛らしい存在はいないとすら思っていた。
続けて「義姉様」と、縋るような視線と口調で迫られたミルテには、承諾の言葉以外、残されていなかった。




