2 地味な私と普通の婚約者は、案外上手くいくのでは?
「やあ、ミルテ。来てくれてありがとう」
ミルテの目の前で微笑んでいるのは、ミルテの義妹と熱い抱擁を交わしていた婚約者、シモン・バッカウゼンだ。二人の浮気現場を見てから三日後、ミルテはシモンに、バッカウゼン公爵家へとお茶に呼ばれていた。
婚約者の顔を見た途端湧いてきた怒りを精神力で鎮め、ミルテもシモンに向かって微笑み返した。
「そんな……お招きいただき、光栄ですわ。シモン様こそ、いつもお忙しいでしょうに……」
シモンが忙しいのは事実だ。
バッカウゼン公爵家はいくつもの事業を持っており、シモンはすでにその事業のいくつかを、現公爵より受け継いでいる。そんな中、シモンは月に二度設定されているミルテとのお茶会に、必ず顔を出してくれるのだ。それは婚約してから今日まで、変わらず続いている習慣でもあった。
「相変わらず、真面目だね。君は」
そう言って目を細めて笑うシモンは、まったくいつも通り。つい三日前に、目の前の婚約者の義妹と抱き合っていたことなど、おくびにも出すつもりはないらしい。
ミルテは、目の前で微笑む、自身の婚約者を見つめた。
中肉中背。
これといった特徴のない、顔の造形。
くすんだ金髪に、青とも灰色とも判別しがたい、瞳の色。
シモンは決して、美男子というわけではない。だが、他人に対し不快感を与えるような容姿でもない。
普通。とにかく普通だ。貴族としては、珍しいくらいに。
そしてこのシモンの容姿こそが、ミルテがアフネスの行動をお遊びと断じた理由でもあった。
アフネスは日頃から、嫁ぐならお金を持っていて、美しい男の元へ嫁ぎたいと言っていたのだ。シモンの場合、金は持っているだろうが、「美しい男」には当てはまらない。そう悪い容姿というわけではないのだが、アフネスやフィンセントに比べると、やはり相当見劣りしてしまうものだった。
(まあ実際は、あの二人が規格外なわけだけれど……)
アフネスとフィンセントは、それは美しい姉弟だった。
黄金のような金髪のアフネスに対し、フィンセントの髪は赤味を帯びた、甘く、柔らかな色をしていた。だが、美しい顔は瓜二つで、鮮やかな青い瞳も、二人共に同じだった。
二人の華やかな美貌に対し、淡い枯れ葉色の髪に薄紫の瞳のミルテの容貌は、どこか地味な印象だ。
(そういった意味では、私の方が、アフネスよりシモン様にお似合いなのよね……)
そう考えてから、それは自分に対してだけではなく、シモンに対しても失礼な考え方だったと気が付き、ミルテは心の中でシモンに謝った。
しかしすぐに、いや、シモンはミルテの義妹と浮気をするような男だったと思い出し、先ほどの心の中での謝罪を撤回した。
(シモン様も私も、地味なのは本当のことだもの。問題は、シモン様が結婚前に浮気をするような男性だったということよ)
「ミルテ? どうかした?」
シモンのこちらを心配するかのような視線に、ミルテは何とも言い難い気持ちになった。
ミルテは普段、会話の糸口を探そうと、シモンの話に熱心に耳を傾け、共通の話題を見つけるや、その話題を次の会話に繋げていた。
けれど今日のミルテは、最初の挨拶をしたきり、黙り込んでお茶ばかり飲んでいる。
シモンは、あの時のアフネスとの抱擁を、ミルテに見られていたことを知らない。だから、このように純粋に、ミルテを心配しているといった態度を取ることができるのだろう。
あるいは本当に心配してくれているのかと思えば、怒りよりも、悲しみがミルテの心を支配した。
(どうして……浮気なんてしたのよ、シモン様)
たとえ愛のない結婚とはいえ、否、だからこそ、その相手を信頼できなければ、結婚生活など到底継続できるものではないだろう。
それでも維持しようと思うのなら、どちらかが――この場合はミルテが、己の心を殺すしかない。
「……なんでもありません、シモン様。ですが、今日は少々……気分が優れなくて」
ミルテがそう言った瞬間、シモンが慌てたように椅子から立ち上がった。
「大変だ……! ミルテ、今日のお茶会はもう終わりにしよう。これからすぐに、コーレイン家まで送るよ」
「え、あ……はい」
シモンのあまりの剣幕に、ミルテは驚きつつも、その慌てぶりを嬉しく思った。シモンは普段から冷静で優しいが、それは言い換えれば、ミルテに対し当たり障りのない言動しかとっていないとも言える。
このように慌てた素振りを見せるシモンは、はじめてだった。
それからシモンは、自分も馬車へと乗り込み、ミルテをコーレインの邸まで送り届けてくれた。
普段のシモンは、そこまではしてくれない。ミルテが馬車に乗り込むまでは見届けてくれるが、邸まで着いてきてくれることはなかったのだ。
「あの、シモン様。邸まで送ってくださり、ありがとうございます」
ミルテが礼を言うと、シモンはいつもよりさらに優しさを感じる笑顔で、「今度からは、体調が悪い時は無理しないで」と言ってくれた。
自室へと戻ったミルテは、深い溜息を吐いた。
シモンは自分が先に馬車から降り、ミルテが馬車から降りるのをエスコートまでしてくれた。それからミルテが邸の中に入るまで、ずっとその姿を見守ってくれていたのだ。
普段のシモンが、優しくないわけではない。けれど今日のシモンの行動には、いつもよりもさらに、優しさが込められているような気がしたのだ。もっと言ってしまえば、ミルテに対する、愛情らしきものさえも、今日のシモンの言動からは窺うことができた。
シモンの以外な一面を見たことによって、ミルテにとっては、余計にアフネスとシモン、二人の裏切りが堪えるようになってしまった。
(もしかしたら……私とシモン様。良い夫婦になれたのかもしれないわ)
何事もなかったようにシモンの元へ嫁ぐと決めたミルテだったが、自分の義妹であるアフネスとのことは、忘れようとして忘れられるものではない。
いくら愛のない結婚とはいえ、結婚する前から浮気心を持たれていたのでは、ミルテの立場がなくなってしまう。しかも、相手は自分よりも数段美しい、義理とはいえ、妹なのだ。
けれどアフネスとのことがあったからこそ、今日のようなシモンの以外な一面を見ることができたのかもしれないと思えば、複雑な気持ちになってしまうのは、仕方のないことだろう。
(アフネスとのことがあったから、私はシモン様に対し、普段通りの態度が取れなかった……。だからこそ、そんな私をシモン様は心配してくれた……)
色々と悩んだミルテは、再びアフネスを自室へ呼び出すことを決めた。
もしアフネスが、シモンとのことを遊びだというのなら、もう二度と、義妹として以上にシモンには関わらないで欲しいと言うつもりで。




