1 義妹と婚約者の浮気現場を目撃しました
「義姉さんのためよ」
それが、何故義姉の婚約者と浮気したのかを問い質した時に、ミルテの義妹、アフネスが放った言葉だった。
今日、ミルテは偶然、アフネスとミルテの婚約者、シモン・バッカウゼンの抱き合っている姿を、目撃してしまった。
ミルテは今日の昼間、日頃から仲良くしている侯爵家のご令嬢のお茶会に呼ばれていた。しかし、お茶会が始まってからしばらくして、ご令嬢が貧血で倒れてしまったのだ。
元々身体の弱いお方で、その日も最初から、もしご令嬢の体調が悪くなったら、その場でお茶会をお開きにしようという手筈になっていた。だから、お客として呼ばれていたのは、ミルテと、もう一人の仲の良いご令嬢だけだった。
そういった理由でお茶会を予定より早めに終えたミルテは、侯爵家の用意した馬車で、邸へと戻ることになった。
そして、目撃してしまったのだ。邸の庭園で、間違ってもただの友人とは言い難い抱擁を交わす、二人の姿を。
「私のためって、どういうことよ……!」
二人の抱擁を目撃した当日、夕食を終えたあと、さっそくミルテはアフネスを私室へと呼び出し、問い質したのだ。そこでアフネスから返って来たのが、冒頭の言葉だった。
憤るミルテに対し、アフネスは優雅で妖艶な微笑みを浮かべている。波打つ豊かな金髪が、豊満な身体に添うようにして、普段から華やかなアフネスの容姿に、さらなる華やかさを加えていた。
「ふふ。そんなに怒らないで。あとでわかるわ」
驚いたことに、アフネスはそれだけを告げ、そのまま扉へと向かい、部屋から出て行こうとしているではないか。
「ちょ、待ちなさい……!」
婚約者を奪うことが、どうしてミルテのためになるというのか。そこをはっきりとさせないことには、話し合いを終わらせるわけにはいかない。
ミルテは飄々としたアフネスの態度に憤りながら、今にも扉を開けようとしているアフネスの行動を、腕を掴むという少々強引な方法で遮った。
「ちょっと、義姉さん……」
アフネスが形の良い眉を顰め、海のような美しい色の瞳で、ミルテを見つめて来た。
「行かせないわよ。ちゃんと説明しなさい!」
ミルテが眉を吊り上げアフネスに言い寄った、正にその時。廊下へと続くドアが、ノックされた。
「誰!」
邪魔をされたという思いから、つい口調がきつくなってしまう。
「僕だよ」
その声を聞いたミルテは、掴んでいたアフネスの腕を慌てて放した。さきほどまで感じていた怒りも、あっという間に解けて消えてしまった。
拘束から自由になったアフネスはと言えば、部屋の主であるミルテが許可を出す前に、勝手に扉を開けてしまった。
「あら、フィン。何か用?」
そこには、義弟のフィンセントが立っていた。
アフネスよりも赤味の強い、それでいて淡い色合いの金髪が、アフネスの胸辺りの高さで、ふわふわと揺れている。
「どうしたの? アフィ姉様。また、ミルテ義姉様と喧嘩したの?」
義弟のフィンセントは、ミルテより四歳歳年下の、今年十二歳。アフネスとよく似た美貌の、けれど性格は正反対の、義姉に良く懐いている、可愛い義弟だ。
その義弟に、よもや実姉が義姉の婚約者を奪ったなどと、告げられるわけがない。
「何でもないのよ、フィン。私とアフィの喧嘩なんて、いつものことじゃない」
アフネスが何かを言い出す前に、ミルテは慌ててフィンセントに返事をした。
嘘ではない。ミルテとアフネスがしょっちゅう喧嘩をしていることは、事実だ。それは四年前、アフネスとフィンセントの姉弟がコーレイン伯爵家に養子にやって来た時からの、変わらない日常だった。
「そお? なら良いけど……」
そうは言いつつも、どことなく不審そうなフィンセントの視線から逃れるため、ミルテは悠々と扉の前から去るアフネスを見送りつつ、さっさと扉を閉め、自室へ戻るしかなくなってしまった。
「……まったく、もう」
アフネスとフィンセントの姉弟は、かつてコーレイン家に仕えていた使用人の、子どもたちだ。しかも二人の母親は、ミルテの父、ヘルブラントの乳妹であり、その乳妹は、使用人としてコーレイン家に仕えたあと、とある裕福な商人の元へと嫁いでいった。
しかし四年前、乳妹とその夫が突然の事故で亡くなり、二人は孤児院に預けられることになった。
二人が孤児院に入ったことをミルテの父、ヘルブラントが知ったのは、本当に偶然だった。ヘルブラントの友人の妻が孤児院へと慈善活動に行った際、友人と共にコーレイン家に出入りしていたその妻が、二人の美しい顔を見て、かつてコーレイン家に仕えていた美貌の使用人のことを、思い出したのだ。
友人からそのことを知らされたヘルブラントは、かつての乳妹の子どもである二人を、引き取ることにしたというわけだ。
だが派手で奔放なアフネスと、地味で真面目なミルテ。話が合うわけがない。
しかも素直で愛らしいフィンセントは言わずもがなだったが、普段は自由奔放でミルテと喧嘩ばかりしているアフネスも、その要領の良さで、この邸に来て早々両親に気に入られてしまった。
けれど、両親に可愛がられていると言っても、だからといってミルテが蔑ろにされるようなこともなく、ミルテとて、確かにアフネスとは喧嘩ばかりだったが、それは性格のあまりの違いによる衝突だということは、ちゃんと理解していた。これまでだって、心の底からアフネスを憎んだことは、一度としてなかった。
むしろ心のどこかでは、自由奔放なアフネスのことを、ミルテは羨ましいとすら思っていた。
そんな、ミルテより二歳下のアフネスは、今年十四歳。そろそろ良い嫁入り先をと、両親が吟味に吟味を重ねて相手を探している最中に、やらかしてくれた。
ミルテもアフネスの性格のことは理解していたつもりだったが、さすがにこれほどとは思っていなかった。
義姉の婚約者と、密通を仕出かす程とは。
けれど、実際のところアフネスに対する怒りはもちろんあったが、ミルテが何よりも怒りを感じていたのは、己の婚約者のシモンに対してだった。
いくら大人っぽく妖艶な外見をしているとはいえ、アフネスはまだ十四歳。十四歳は立派な淑女だと言う者もいたが、対するシモンは、ミルテより八歳年上、アフネスより十歳年上の、今年二十四歳だ。
(……あり得ないわ)
十歳差があり得ないのではない。婚約者のいる身で、まんまと成人前の少女の誘惑に乗ってしまった婚約者のことを、あり得ないと言っているのだ。
シモンはわからないが、少なくともアフネスはシモンに対し、本気ではない。それは、問い詰めた時のアフネスの態度を見て、すぐにわかった。
けれど、シモンにはそれがわからなかったのだ。あるいはわかっていて、ミルテと結婚するまでの、期間限定のお遊びだとでも思っていたのか。あるいは、まだ十四歳のアフネスに、本気になってしまったのか。
(……どうしましょう)
シモン・バッカウゼンは、バッカウゼン公爵家の嫡男だ。ミルテとシモンの婚約は、アフネスとフィンセントが来る一年程前に結ばれている。その婚約は、バッカウゼン公爵家から請われてのものだったが、コーレイン家にまったく旨味がないというわけでもない。
だから父ヘルブラントは、コーレイン家の跡取りは親戚筋から養子を取ることにして、婚約の打診を受けることにしたのだ。
もし、シモンの不貞相手がコーレイン家とは何の関わりもない者だったなら、それを理由に慰謝料を貰い、婚約を白紙に戻すことも出来たかもしれない。けれど、シモンの相手はアフネスだ。しかも義妹が義姉の相手を奪ったなどと世間に知れたら、コーレイン家の印象は、相当悪くなる。
こうなっては、コーレイン家に出来ることは二つ。今回のことは見なかったことにして、このままミルテがシモンの元へと嫁ぐか。
あるいは、婚約者をミルテからアフネスに変え、コーレイン家からバッカウゼン家への嫁入りという体だけは、残すかだ。
だが、ミルテが思うに、アフネスは本気でシモンを想っているわけではない。そんな中、バッカウゼン家へ嫁げと言われて、アフネスがすんなり言うことを聞くかどうかは疑わしい。
となると、何も見なかったことにして、ミルテがシモンの元へと嫁ぐしかない。
「まあ、いいけど……」
そう自分に言い聞かせるように呟き、ミルテは溜息を零した。
もともと、愛のある結婚にはなりそうもなかったのだ。シモンはミルテに歩み寄ろうとしてくれたし、ミルテも婚約者として恥じない行動を心がけて来た。しかし、二人の間に愛がないことなど、お互いに分かり切っていたことだ。
無事結婚したのちは、シモンが何人愛人を作ろうが構わないと、そうミルテは考えていたくらいだ。その愛人が義理とはいえ妹であることは出来れば避けたい事態ではあるが、ミルテが心配しなくとも、やはりアフネスがシモンの愛人に収まるとは思えなかった。
二人にとっては、きっと一時のお遊びなのだろう。この時のミルテはそう思っていた。




