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再び目を開くと、怪物たちは消えていた。
「相変わらずすごいわねー。マーシャの魔法は。詠唱も無しだなんてうらやましいわ」
テレジアが呪文を唱えながら指をパチンと慣らし、怪物の残骸を消し去る。そうしないと怪物の種族によっては再生することがあるからだ。
「ちょっとー。俺、一応勇者の生まれ変わりなんですけど。出番ないじゃーん」
ガイが振り上げていた剣を寂しそうに柄に収める。
だけどマーシャはそれどころじゃない。魔力の放出による疲労感も何のその、澄ました顔をしているクラウドに詰め寄った。
「ちょ、ちょっとクラウド! どういうつもり!?」
背が届かないのがまた憎らしい。二人の身長差は、頭一つ分もある。
クラウドは自身の両耳を手で塞ぎ、迷惑そうに「うるさい」と言った。
(うるさい~~~? 乙女の唇を奪っておいて、言うことはそれだけなの!?)
「キスくらいでギャーギャー騒ぐな」
ただでさえマーシャは怒り心頭といった感じなのに、更に火に油を注ぐクラウド。
逃がすかとばかりにクラウドのマントを掴み、マーシャはぐいぐいと引っ張った。クラウドの金色の頭が激しく揺れる。
「あんたみたいにキスしまくってる人と一緒にしないでよ!」
(私は! 初めてだったのよ! こんなところで、しかもクラウドが相手だなんて!)
マーシャだって女だ。初めてのキスは星のきれいな夜の丘で、なんて乙女チックな夢を抱いたこともある。それが魔王討伐の旅の途中で、しかも自分の力を利用するためだけにキスされてしまうとは。これはきっちりと抗議しなければならない。
するとクラウドは揺らされながらもはっきりとした声で「初めてだ」と言った。
「えっ、今なんて?」
マーシャは動きをピタリと止める。
聞こえなかったわけではない。聞こえてきた言葉がにわかには信じられず、聞き直したのだ。その青碧色の瞳は、イマイチ真意が掴めない。
「だから、俺もキスをするのは初めてだ」
「「「ええーっ!」」」
マーシャ、テレジア、ガイ、三人の声が合わさった。三人とも今の状況を忘れてこれでもかと目を見開いている。
「そのイケメン面で? 百人斬りしてそうな面して? 初めて? ……どっか病気なのか?」
「ちょっとガイ、それは言い過ぎよ」
テレジアがガイをたしなめると、ガイはツンツンした黒髪に手をやって「あ、すまん」と素直に謝っている。
マーシャは榛色の目をしばたたかせた。まさかクラウドが自分と同じく未経験だとは思わなかったからだ。
(……いや、クラウドも初めてだからって無理やりキスしてきたことには変わりないんだからね?)
と思いつつも、びっくりしすぎて当初の怒りが薄れてきた。それどころか、なぜか頭に上っていた血が頬に、そして心臓に集まってきた気がする。
男にとってはキスなんて大したことじゃないのかもしれない。それでも、今まではしていなかった初めてのキスを、こんなところで……しかも自分相手に済ませてしまって良いのだろうかとさえ思った。それはどこか申し訳ないような、面映ゆいような、不思議な気分だ。
「からかって悪かったな、マーシャ。俺がクラウドを捕まえておくから、気の済むまで殴っていいぞ」
ガイがクラウドを背後から羽交い絞めにする。身長はクラウドよりもやや大きいくらいだが、腕の太さが違う。クラウドは完全に動けなくされていた。もっとも、眉を寄せていたものの、クラウドの方に動く気はなさそうだったが。
「ほれほれ。……あれ? マーシャ、どうした?」
ちっとも殴ろうとしないマーシャを怪訝そうな顔で見るガイ。
「馬鹿ね、ちょっとは空気読みなさい」
やけににんまりとしたテレジアがガイの腕をクラウドから離す。
「あ、なーるほど。そーゆーことか」
(もう、二人ともそんな生暖かい目で見て……!)
どんなことを考えているのか、聞かなくても分かる。だけど怒るとやぶへびになりそうなのでマーシャは何も言えなくなってしまう。
あんなことされて、意識しないほうがおかしい。何といっても唇だ。今まであんな風に他人の、しかも男性と近くにいたことすらないのだからその驚きようも無理はない。
だが、一度目は心底嫌だったが、二度目はそこまでの嫌悪感は無かった。ただ心構えができておらず、その驚きが「嫌」という言葉として出てしまっていたのだ。
「ほら、気を抜くな。次が来た」
マーシャの思考は途中で遮られた。見るとどんよりとした魔界の空気の中、新たな怪物が集まってきていた。
テレジアとガイは早くも戦闘態勢に入っている。
「これってもしかして終わりがないの!?」
「まさか、無限に怪物生まれてくるんじゃないだろーな!?」
二人は魔法と剣で手近にいる怪物を倒していく。
クラウドがマーシャの両肩を掴む。マーシャはクラウドの口を手の平で押した。
「もうその手には乗らないから!」
「チッ」
「今、舌打ちした!?」
「いいじゃないか、減るものじゃない」
平然と言い放つクラウドに、マーシャは開いた口が塞がらない。
「何だその言い草はーっ!!」
怒りが爆発した時、マーシャの魔法も爆発した。再び集まってきた怪物たちも、跡形もなく消える。
(さすがに疲れる……っ)
急に脱力したマーシャは、その場にしゃがみこんだ。一気に魔力を消耗したため、立っていられなくなったのだ。
「なんだ、キスしなくても怒らせればいいのか。ちぇっ」
ガイがつまらなそうに呟く。
「ちょっとガイ、あんたどさくさに紛れてマーシャにキスしようとしてたでしょ」
「バレたか。もしかしてクラウドじゃなくても爆発するのかなって思ってさ」
テレジアに問い詰められたガイは、いたずらっ子のように舌をペロッと出す。
「そんなにキスしたいなら私がしてあげるわ」
「本当か? テレジア!」
ガイが一気にやる気を取り戻した。腕組をするテレジアの周りをちょろちょろとしているガイは、図体が大きいのにまるで子供のようだ。
「魔王を倒したら、いくらでも」
「よっしゃー! その言葉、絶対忘れるなよ!」
剣を抜き、空を指すガイ。魔王を倒すと疑いもしない自信は、羨ましいくらいだ。
ガイの指す方向を見て、マーシャは気付いた。濃霧の中、ぼんやりと映るのは、いびつな形をした漆黒のお城がある。あれが魔王のいる魔王城というものだろうか。
「そうと決まれば、すぐに出発だー!」
「ガイ、気を付けないと危ないわよ」
不純な動機で突き進むガイとそれを追いかけるテレジアに、マーシャは完全に出遅れてしまう。しゃがみこんだことで立ち上がれなくなってしまったのだ。
するとクラウドがマーシャの前で背を向けて腰を落とした。
「ほら、背中に乗れ」
「え? いいよ、いらない」
「いいから早く乗れ。魔力が尽きかけているんだろう? せめて体力は温存しておけ」
それを聞いて、マーシャは渋々クラウドにおぶさった。自分の魔力を回復させるためにテレジアやクラウドに回復魔法を使わせるのは申し訳ない。いざとなった時、自分のような不安定な能力よりも二人の魔力の方が必要不可欠だからだ。
「俺の胸のポケットにお菓子が入っているから、それを食べろ」
「わざわざ用意してくれたの?」
「ああ、お前にはしっかりと働いてもらわないとな」
クラウドはこちらを見ることなく、歩き続ける。
(そういえば、さっきも口にお菓子を放り込まれたっけ。私の大好きなお菓子、クラウドってばいつの間に用意してたんだろう)
たとえ利用するためだったとしても、自分の事を考えて用意しておいてくれたことについては、素直に嬉しかった。それが自分の好物だったのは、偶然かもしれないけれど。
「……ありがと」
小さな声で囁いた感謝の言葉に、クラウドは返事をしなかった。金の髪が縦にわずかに動いたのは、気のせいだろう。
(やり方は乱暴だったけど、私の知らなかった力を引き出してくれたのは、クラウドだ。もしかして、知っていたのかな。だから私をこの度に連れて来たのかな)
ずっと落ちこぼれだと自分を卑下してきたマーシャには、たとえ制御できなかったとしても皆の役に立ったことが嬉しかった。こんなことでも起きなければ、今も自分を卑下し続けていたことだろう。
そんなマーシャを引っ張りあげてくれたのは、他でもない、このクラウドなのだ。
どうしてなのかは分からない。だけど、クラウドだけがマーシャの秘めた能力に気付いてくれたのだ。
(ありがとう、クラウド。私、頑張るね。もっと皆の役に立ちたい。皆のように強くなりたい)
マーシャはお菓子を齧りながら、クラウドにしっかりとしがみつく。
じんわりと魔力が回復していくのを感じる。口の中でお菓子が溶けていくたびに、クラウドに対するわだかまりも溶けていく気がした。




