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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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閑話その24〜有能なる官吏たちの集い〜


ところ変わって、外宮室。

視点はキースです。

 ライノ・タンドール。

 現タンドール伯爵の長男で、側室ソフィアの兄である。古参と呼ばれるほどではないが、そこそこ長い歴史のある伯爵家には珍しく、タンドール伯爵家は自他共に認める革新派。タンドール伯爵も、その後継者であるライノも、異国との積極的な付き合いこそ、これからの王国を発展させる決め手になると、古参保守派の貴族相手でも堂々と主張している。

 これが口だけならば、鼻で笑われて終わりだろう。しかし、彼らは言葉通り、異国との交易に伯爵家として絡むことで、国内の貿易商たちに頼られる存在となり、王宮での影響力を強めた。現在、外務省でタンドール伯爵家が要職に就いているのも、その功績を認められてのことだ。


 ただ、キース個人としては、ライノと自発的に関わろうとは思えなかった。それは性格的な問題からではなく――。


「『エルグランド王国主体で、より盛んに異国と交流するべきである。より優れた新しい技術や知識を、この国はもっと貪欲に吸収しなければならない。いつまでも古いしきたりに囚われて、成長の機会を逃すのは愚行。古い文化、過去の遺産は捨て、異国の新しい風を取り入れて、国ごと生まれ変わることこそ、我らが取るべき道ではないか』ですか……。極論もここに極まれり、ですね」

「補佐、何読んで……あぁ、ライノ・タンドールの陳述書ですか」


 数日前、後宮のディアナから、ミアを通して連絡があった。後宮における『紅薔薇過激派』の暴走――その裏に、ソフィアの兄、ライノがいるようだ、と。

 前女官長、サーラ・マリスの一件から、外宮室は何となく、ディアナ及びクレスター家との協力体制を続けている。もともとクレスター家とつるんでいたこともあるが、何より外宮室の新人クロードの姉、ミアが『紅薔薇の間』の女官としてディアナの側についた、という事情が大きい。女官のミアは簡易な申請書一つでさくっと後宮から出ることができる便利な立場であり、なおかつ身内が勤める外宮室に出入りしたところで、特に不自然にも思われないのだ。これまではクレスター家を挟んでのやり取りだった後宮が、ミアの存在でぐっと身近なものになった。必然的に彼女たちには手の出しにくい部分も見えて、「良ければお手伝いしましょうか?」という流れになる。

 基本後宮に閉じこめられているディアナたちでは、後宮内での動きは探れても、後宮外にいる人物を調べるのは難しい。これまではその不足をクレスター家が一手に担っていたようだが、日常的に王宮で仕事をしている人物を洗う程度のことならば、自分たちにもできる。三省の補佐機関である外宮室には、外宮内のありとあらゆる情報が集まってくるのだから。――当然、ライノのことも。


 キースが今、休憩がてらに読んでいるのも、外宮室に流れ着いた『情報』の一つ。ライノ・タンドールが内務省に提出した、『国政に関する意見表明書』である。

 キースの手にある紙を後ろから覗き込んだ、外宮室の古株、カシオが、内容を斜め読みして苦笑した。


「オリオンがここにいなくて良かったですね。美術品バカのあいつが『古いものを捨て』の部分を読んだら、荒れ狂うこと間違いなしだ」

「オリオンでなくとも、愉快な気分にはなりませんが。これほど高慢で独善的な文章を読まされては」

「まぁ、言っていることの一部は、分からなくもないんですけどねー。ちょっと極端すぎるというか、過激な意見に思えます」


 王宮に勤める官吏ではあるが、カシオは平民の生まれだ。親戚が異国との交易で財を成した富豪だとかで、王国に吹く新しい風は、身近に感じられる立場にある。

 細い指で器用にカップを弄びながら、カシオはとつとつと語る。


「異国との交流が、国に多くの利をもたらすことは事実です。王国の経済力と技術力は、この半世紀で劇的に飛躍しました」

「そうですね。それは間違いありません」

「けど、だからって、新しいものが全て優れ、古いものが全て害悪かと言えば、そんなことはない。エルグランド王国にしかない伝統、文化、風習の中には、大切にしたいものも多くあります。そもそも、新しいものと比べて優劣をつけるような事象でもありませんし。――ってことでしょう、補佐?」


 長い付き合いのカシオは、キースが冷静な表情の裏で、密かに不愉快な気分になっていたことを感じ取っていたらしい。茶目っ気のある瞳で尋ねられ、知らず苦笑が零れた。


「そう思っていないから、ライノ・タンドールはここまで自信たっぷりの文章を書けるのでしょうね」

「目新しいものに傾倒する人って、何でか古くからあるものを見下しますよね。見下すだけじゃなくて、毛嫌いしたり、酷いときには憎しみすら抱いたり。僕にはちょっと理解できない精神構造です」

「私とて、あの手の方々が考えることは分かりませんよ。我が家も、異国との交流による実績が認められて爵位を授かった存在ではありますが」

「異国からやってくる技術や知識が優れていることと、王国の伝統や文化が長い時間を掛けて築かれたもの故に、ときに弊害も生むということは、ぜんぜん別の問題なんですけどね」


 ――そう。キースがライノを好きになれず、たまに革新派の社交の中で顔を見ることがあっても、挨拶程度で済ませて深く関わらない理由は、まさにここにあった。異国の優れた面に心酔するあまり、自国の歴史すら軽視するライノとは、どう考えても仲良くなれる気がしないのだ。

 時代と共に世の中が変わっていくこと、変わる世の中に合わせて国の仕組みを変えることの重要性は、キースも官吏として十二分に理解している。変える必要が出てきたときに、古い因習やしきたりに囚われ、頑強にそれを拒絶するのは、確かに愚かなことだ。

 しかし。だからといって何故、『古いものは全て悪』となるのか。彼らはただ古いからというだけで、古代の建築物や美術品すら「時代遅れだ」と非難する。過去の歴史を伝えるそれらが、どれほど尊い存在であるか、考えもせずに。


 思考の淵に沈んでいたキースを、「それにしても」とカシオの呟きが浮上させた。


「これほど過激な考えの持ち主なら、男子禁制の後宮に横槍を入れるような無茶も、まぁしそうではありますが。妹に『寵姫』を攻撃させて、結局ライノは何をしたいんでしょうね?」

「順当に予想すれば、ソフィアを『正妃』の懐刀にすることで、実家たるタンドール家の権勢を強め、自分たちが主張する積極的外交を推し進めたい、というところではありませんか?」


 言いながら、しかしキースの直感とも言うべき部分が、違和感を訴える。――何か、釈然としない。

 カシオも同じらしく、お茶を飲みながら、器用に首を捻っていた。

 そこに、ぱたぱた軽い音がして――最年少室員クロードが、衝立の合間から顔を出す。


「済みませんキースさん、書類が一枚……ってあぁ、キースさんがお持ちだったんですか」

「おや、この『陳述書』のことですか?」


 掲げて見せながら、キースは不思議に思う。今朝一番で届けられていた紙束の中から、ライノに関係がありそうなものだけ抜き出したから、室員たちはこの『陳述書』の存在を知らないはずだ。なくて困るものでもないため、特に伝達もしていなかった。

 何故クロードは、見てもいない書類の存在を知っているのか。キースの疑問は、幼いながらも勘の良いクロードに伝わったようで、彼は少し笑う。


「その『陳述書』、ライノ・タンドールのものですよね? 彼、月一で欠かさず書いて、内務省に提出してるんですよ」

「ほぉ?」


『国政に関する意見表明書』、長いので単純に『陳述書』と呼んでいるそれは、貴族であれば誰でも、政について意見できるという建前のもと、国に提出できるようになっている。内政に関する全般の窓口は内務省だから、当然提出先も内務省だ。

 内務省に提出されたはずの『陳述書』が何故、外宮室に回ってきているのかと言えば。例によって例のごとく、『陳述書』の内容を分かり易くまとめて記録する、『誰にでもできる雑用シリーズ』が外宮室に降りてきているからに他ならない。――それすなわち、『陳述書』なんて言ってもそれはあくまで名前だけで、上の方のお偉いさんは内容なんて見ちゃいない、ということを意味する。


 どうやらクロードは、いつの間にか『陳述書』係となっていたらしく、キースの手にある書面を見る目は憐憫を含んでいた。


「毎月の今日、必ず降りてくるライノ殿の『陳述書』が見当たらなかったので、念のためご相談をと思ったんですけど。ライノ殿の名前が書かれたそれが、キースさんの目に入らないわけがないですよね」

「あぁ、言っておかなくて悪かったですね。……しかし、毎月欠かさず、ですか?」

「はい。毎月欠かさず、『古い文化を捨てて、異国の新しい技術を取り入れて、王国よ生まれ変われー!』って内容で」

「それは……今月も変わりありませんね」

「じゃあ、それでまとめときます」


 席に戻りかけたクロードは、ふと立ち止まって首を捻る。


「ですけど、古いものを毛嫌いする割には、律儀な人ですよね」

「はい?」

「律儀って、ライノ・タンドールのことですか?」


 カシオの問い掛けに、クロードはこくりと首肯した。


「俺、外宮室に入ってから、ずっと『陳述書』の内容まとめてますけど。その記録について問い合わせが来たことが一度もないってことは、そもそも『陳述書』なんて上の人には読まれてなくて、制度自体が形骸化してるってことですよね? けど、歴史の授業で、王国がまだそこまで大きくなかった頃は、貴族たちの意見書がそのまま王に届いていて、その頃の名残として『陳述書』があるって習いました」

「えぇ、その通りです」

「古い文化を嫌うなら、昔の名残の『陳述書』だって嫌いなはずなのに。個人として国に意見できる制度がこれしかないから、嫌でも利用している。律儀な性格してないとできないことだと思います」


『陳述書』を提出する日にちもきっちり決めてるみたいだし、と付け加えて、クロードは困ったように笑った。


「ライノ殿が、後宮での騒ぎに一枚噛んでいることは、どうやら間違いないみたいですけど。正直、俺は違和感の方が大きいです。直接は知らない人ですが、『陳述書』を通して見る限り、そんな搦め手の悪巧みを思いつくような人とは思えなかったので」

「……補佐」

「――そうですね」


 クロードの違和感は、カシオとキースも抱いていたものだ。外宮室の室員三人共が据わりの悪さを覚えるなんて、裏を疑えと言わんばかりである。


「ライノが絡んでいることは間違いない。しかし、彼らしくない――となると」

「ライノ殿自身も、誰かから唆されている……という可能性が浮かびますね」

「過激な思想持ちの律儀者ならば、自分で悪巧みを思いつくことはなくても、言葉巧みに悪事を唆されれば、疑問を覚える前に実行してしまうでしょうから。実行犯として、黒幕に目を付けられる確率は高そうです」

「となれば、次にするべきことは……」

「――基本に忠実に、ライノ・タンドールの交友関係を洗う、だな」


 集中していた三人は、背後の気配に気付かず、突然声を掛けられて驚いた。クロードなどは、文字通り飛び上がった。

 振り返ると、熊のような大男、これで貴族とか嘘だろ? な室長が立っていた。

 いたずらが成功した子どものように、彼はにやにや笑っている。


「ったく、珍しくゆっくり休憩してると思ったら。休憩時間くらい休めよ」

「仕事はしていないのですから、休憩でしょう」

「お前らのそれは、雑談のフリした会議だ。むしろ室員全員に共有させるべき内容だろ」

「……そうなりますかね」


 最初はキースが一人でぶつぶつ言っているだけだったが、三人集まった時点で確かに休憩っぽくなかったかもしれない。

 キースが持っていた『陳述書』を取り上げ、室長は頭をがしがし掻く。


「おーおー。まるで駒になるために生まれてきたようなヤツだなぁ、ライノ・タンドールは」

「室長も、そう思われますか」

「そりゃ、こんだけ単純で、純粋ならな」

「純粋ですか?」

「間違っているとはいえ、一つの考えをここまで信じ込めるんだ。純粋じゃなきゃできん」


 しかしなぁ、と軽い口調で、瞳に重い憂慮を乗せて、室長は続けた。


「保守派にしろ革新派にしろ、盲目的に一方的な思想を信じ切っている奴は危険だぞ。単純な分操られ易く、純粋な分躊躇を知らん。命を捨てる必要があると言われれば、保身なんて考えずに死ねるからな」

「ディアナ様のお話では、妹も似たような雰囲気みたいですね」

「あー、それっぽいなぁ。ま、タンドール伯ご本人が、一度信じたことを滅多なことじゃ曲げないお方だ。彼の場合は、それが民からの信頼に繋がっている」


 純粋な心は、悪いばかりではない。混じり気のない心がどれほど心地良いか、キースも知っている。

 ライノのことは、主義主張の違いから、好きになれそうにはないけれど。根っからの悪人ではないことも、また分かっているのだ。


「――取り返しのつかないことをしでかす前に、ライノが止まれば良いのですが」

「止めるためには、暴かなきゃな」

「室長、補佐。ライノ・タンドールが外宮で関わっている仕事を、抜き出しました」

「仕事が早いなカシオ!」

「褒めるなら、クロードを褒めてください。報われない『陳述書』が可哀想だからって、ライノの動きをそれとなく注視して、覚えていてくれたんですから」


 カシオにべた褒めされ、紙束を抱えたクロードの頬が赤く染まった。将来有望な新人は、優秀さを鼻に掛けることもなく謙虚で、得難い人材を育ててくれたと外宮室一同は密かにミアに感謝している。

 クロードが持ってきた山のような資料を、室長、キース、カシオの三人で目を通す。

 ――最初に気付いたのは、カシオだった。


「室長。ライノはまだ、王宮に役職を持っていませんよね?」

「あぁ。奴はタンドール伯爵家の跡継ぎだからな。いずれ父親の役職を引き継ぐのに、今からわざわざ別の仕事をする必要はないだろう」

「親の役職を引き継ぐ予定の長男は、父の傍で補佐として、少しずつ仕事を覚えるのが定石と聞きました。だから、ライノの名で外務省関連の書類が降りてきていることは、別に不思議ではないのですが……」


 カシオの手元にあるのは、内務省の紋様が押された書類だ。言われて気付いた室長とキースが確認すれば、それはかなりの数になる。


「確かに、変だな?」

「おや? しかしこの書類、どこにもライノの名がありませんよ。どの辺りで、ライノ関連と判断したのですか?」


 キースに尋ねられたクロードは、示された書類の一部を指さした。――行の最後、文末の文字が、長く伸ばされ跳ねている。


「『陳述書』を見てもらえれば分かるかと思いますが、ライノ殿は段落の最後の文字を、こうやって長く伸ばして跳ねる癖があるんです。他にあんまり見ない癖ですし、特徴的ですから、名前がなくてもこれはライノ殿が書いたんだな、って分かります。たぶん、内務省にお勤めのご友人かお身内の仕事を手伝われたんじゃないですか?」


 クロードの言葉が終わると同時に、室長が立ち上がる。


「キース。内務省の書類、作成者は誰になっている?」

「無記名のものも多いですが――目立つのは、オレグ・マジェンティスですね」

「マジェンティス……というと、確か伯爵家ですか?」

「あぁ。安定した中立派の家だ。……が、オレグって名はあんまり聞かないな」

「マジェンティス伯爵には、息子が二人いらしたはず。ということは、次男でしょうか」


 名前一つでここまで個人情報がすらすら出てくる辺り、貴族社会というのは恐ろしい。個人情報秘匿(プライバシー)など、あって無きが如しである。

 突然雰囲気が変わった先輩たちに、クロードが目を白黒させた。


「と、突然どうなさったんですか?」

「勤め始めて日が浅いクロードは、知らなくても仕方ありませんが。外宮で作成される書類は、それがどこの省のものであっても、関係者全員の名を記すことが決まりなのですよ」

「え?」

「補佐の言う通り。ライノの癖が分かる文書なら、書いたのは当然ライノのはずでしょう? いくら手伝いであっても、書いた当人の名が記されず、担当者の名のみが残る書類など、それだけで明らかな不正です」

「え、でも、そういうの結構ありますよ? 署名と中の文章で、明らかに筆跡が違うのとか……」

「あぁ。大概は、都合良い人間に仕事を押し付けて、手柄を独り占めしたい馬鹿がやる手口だ。――要するに、オレグもその手の野心が強い奴ってことになる」

「次男で、野心家。……怪しいですね」


 基本的に長男世襲制のエルグランド王国において、次男が跡継ぎの座を狙い、もしくは跡目の長男より出世しようとあれこれ企む事例など、昔々から腐るほどある。先に生まれたというだけで、長男が全てをかっさらっていくなんて不公平だ、という意見自体は分からなくもないが。

 狡い兄貴を追い落としたいなら正々堂々しろ、と言いたいのは、たぶんキースだけではない。


「……調べましょうか。オレグとライノの繋がりを」

「俺の勘じゃ、調べる価値はありそうだ」

「社交界での二人の様子も知りたいですね。クレスター家に頼めるでしょうか」

「大丈夫だろ。俺が手紙を書いておく」

「室員全員に、ライノとオレグを注意して見るように、と伝達しておきましょう。王宮内の調査は、それで充分事足りるかと」


 そうと決まれば、話は早い。全員早速立ち上がり、各々動き出す。

 目指すべきものを見つけた者たち特有の力強さが満ちた、外宮室。――その扉が、前触れなく開けられた。


「お忙しい中、失礼します」

「アルフォード?」


 入ってきたのは、国王近衛騎士団団長のアルフォード。空気を読む技能に定評のある彼は、一目で室内の活気に気が付いたらしく、首を傾げた。

 たまたま近くにいたキースに声を掛ける。


「なんかあったか? 悪いことじゃなさそうだが」

「えぇ、重要な手掛かりを掴んだもので。アルフォードこそ、どうしました?」


 現在、たった一人の王の側近として控えるアルフォードは、朝も昼も夜も、それこそ公私の隔てなく、王に尽くしている。彼自身が、たった一人で外宮室まで出向くことなど、滅多にない。

 キースの疑問に、アルフォードは軽く笑った。


「追って勅命が下るが、陛下の意向でな。外宮室には一足早く知っておいてもらいたいそうだ」

「……何です?」


 アルフォードの言い回しから、何かが起こりそうだと察する。室内にいた面々も、仕事の手は止めずに二人の会話に注目しているようだ。

 そう待つこともなく、アルフォードの口から言葉が落ちた。


「陛下におかれては、側室たちの無聊を慰め、日ごろの感謝を伝えるべく、星月の半ばを目安に、後宮の庭にて『星見の宴』を開催したいとのこと。陛下のお言葉を受け、既にマグノム女官長が計画を練られてはいるが、あくまでも内輪の、非公式なものにしたいため、外宮における諸々の手続きが必要になる場合は、外宮室にも手伝ってもらいたい。――要は、陛下と側室方だけで、一年の締めくくりに庭で食事でもしようってことだな」


 咄嗟には、言葉が出て来なかった。反射的に室長を窺えば、彼もぽかんと口を開けて驚いている。自分だけではなかったと、キースは密かに胸をなで下ろした。


「……どういった、心境の変化がおありに?」

「分かったんだよ。知ろうとせず、知らないままで、知った気になって突き進んで。――多くの嘆きを、犠牲にしてきたことを」


 抽象的なアルフォードの言葉は、しかし具体的な形となって、キースの、室員たちの胸に届いた。


 ――そうか。王は、気が付いたか。

 彼のために開設された後宮が、彼に捨て置かれたことで、地獄のような場所になったこと。

 何も知らないまま、世間の波に抗い切れず『紅薔薇』となった少女が、地獄の底で苦しむ者たちの希望となったこと。苦しむ者に手を差し伸べ、そうして後宮だけでなく、王国の平和をも、守ったこと。

 そして、その少女に、彼自身がしてきた、あらゆる仕打ち。――全てを、彼は、知ったのか。


 直接ジュークと話したことのある、キースだから分かる。今、おそらくジュークは、これまで生きてきた中で、もっとも苦しい時間を過ごしていることだろう。無知の罪を知り、償えない過去があることを知って、息をするのも辛いはずだ。

 ……それでも、ジュークは、決めた。苦しみから、逃げないことを。己の罪と、向き合うことを。


 キースの唇に、紛れもない笑みが浮かぶ。ゆっくりと、彼は目を閉じた。


「知らないことに、気が付いたなら。知ることから、始めねばなりませんからね」

「……手伝ってくれるか?」

「さて。我々も忙しい身ですから」


 言いながら、室員たちに目を向ける。『どうしますか?』と視線だけで問い掛けて。

 彼の問いには、真っ先に、室長の苦笑いが返ってきた。


「キース。団長殿を苛めてやるな」

「そうですよ、補佐。性格悪いです」


 続けてカシオにも怒られた。眼鏡の奥で、キースは瞳を和らげる。


「……だ、そうですよ?」

「ありがとう、恩に着る」

「陛下に、お伝えください。――無知を罪と知り、その先へ踏み出した王を、我らは歓迎いたします、と」


 深く暗い、苦しみの淵にいる王。誰か一人くらい、そんな彼を肯定して、見守っても、きっと罰は当たらない。

 キースの言葉を聞いたアルフォードは、瞳を潤ませて、ただ深々と頭を下げた。静かに部屋を後にした彼を見送って、キースは室員たちを振り返る。


「さぁ、忙しくなりそうですよ。ライノとオレグの調査に加えて、『星見の宴』の手伝いも入りそうですからね」


 止まっていた時間が動き出したことを、その場の全員が、確かに感じ取っていた――。






さて、最後の大きなヤマが見えてきましたよ……!


それにしても、クロード君のできる子レベルに底がありませんね。

名前は初出ですが、カシオさんは外宮室のシーンでは、わりかしちょくちょく喋っています。


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