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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
92/243

閑話その22〜国王近衛騎士団団長の憂鬱〜


気がついたら1年以上ぶり、とか……。

待っていてくださった心優しい方々に、ジャンピング土下座と共に心からの感謝を捧げます。

楽しんで頂ければ幸いです。


 ――全ての生きとし生けるものを無に帰すかのような、圧倒的存在の『死』。

 あのとき落ちてきた『それ』に、アルフォードは本気で死を覚悟した。


 あれは、人間が操れる範疇を超えた、大きすぎる気配だった。例えるならば、津波や巨大竜巻、崖崩れに出くわした瞬間に覚える、畏敬の混じった絶望に近い。自分の力ではどうにもならない、そんな桁の違う『何か』。

 それが、ほんの刹那とはいえ、はっきりとした害意をもって降りてきたことに、アルフォードは戦慄した。ディアナが平然としていたことで、その『何か』は彼女の預かり知る範囲にいるものなのだと分かったからこそ、辛うじて平静を保てたようなものだ。


『何か』の正体は分からない。シリウスならば自分程度片手で捻れるだろうから、あの殺気を放つことは可能だろうが、クレスター家の『闇』が主の許しなしにそんなことはしないだろう。

 ――だが。『何か』が、どこまでもディアナのために動く存在であることは、疑いようがない事実だ。


『そなたが受け入れてくれるのなら、正妃の座と権力はそなたに、世継ぎの母という栄誉をシェイラにと、できないこともないのだが……』


 気弱になっていたジュークが放ったあの言葉は、アルフォードから見てもまずかった。正面にいたリタの瞳に侮蔑の感情が浮かび、ディアナは逆に一切の感情を閉ざして。

『形だけの妻として、一生を国に捧げろ』と要約できる、ディアナを便利な道具扱いしたあの発言に、キレないクレスター関係者はいない。

 ――が。彼らは『臣』として、どれほど怒ろうと、『王』にあれほど分かりやすい殺気を向けることもまた、しない。ジュークはそこまで分からなかっただろうが、あそこでディアナが会話の流れを変え、ジュークの本意を聞き出さなければ、あの殺気は刃となって王の心臓を貫いただろう。それくらい、あの気配は『本物』だった。

 ディアナを守るためならば、一国の王にすら、躊躇いなく牙を剥く。王を守る近衛としては、最高にありがたくない『何か』がディアナの傍にいることに、どう対処したものか。


 ――『紅薔薇の間』でジュークとディアナが話をしてから、数日。

 アルフォードは、本気で頭が痛かった。


「ようこそおいでくださいませ、陛下」

「あぁ、世話をかけている、マグノム夫人」


 本日ジュークは、机仕事を午前中で切り上げ、午後から後宮のマグノム夫人を訪ねていた。隙なく女官服を身に付け、静かに出迎える夫人は、まるでずっと昔から女官長をしていたかのように違和感がない。さすがはクレスター家が見つけてきた人材である。

 騒ぎにはなりたくないというジュークの要望通り、こっそり自室に招き入れてくれた夫人は、手ずからお茶を淹れてもてなしてくれた。


「どうぞ」

「ありがとう、夫人。夫人も掛けてくれ、話がしたい」

「かしこまりました」


 表情を動かすことなく、感情がまるで読めないマグノム夫人は、まるで厳格な女教師だ。しかし厳しいだけでなく、育とうとするものを温かく見守る優しさも兼ね備え、分け隔てなく人を大切にする。

 そんな彼女だからか、ジュークも構えず、話ができるようだった。


「今日は、先日夫人から貰った、後宮の記録書について、話をしに来た」

「かなりの量がありましたが、一通りご覧になったのですか?」

「あぁ、なんとかな」


 ディアナに本気で叱られた後、根っこが素直なジュークはその足でマグノム夫人のもとに出向き、この後宮が開かれてから今までの概要が分かる資料があれば見せて欲しいと頼んでいた。有能な女官長は、すぐに机の奥から分厚い紙束を取り出し、「日誌の写しと、各側室方の大まかな情報をまとめたものです」と渡してくれたのだ。

 それからジュークは、寝る間も惜しんで資料を読み漁り、別の情報を照らし合わせて自分なりに考えをまとめ……何かを決意した様子で今朝、マグノム夫人に連絡を送った。彼が何を考えたのか、アルフォードは敢えて尋ねず、今までにない緊張を感じながら、後宮までお供したのだが。


「資料に不足はございませんでしたでしょうか? 疑問等あれば、何なりと仰ってくださいませ」

「いや、とてもよくまとめられていた。……私の所業は、あまりにも罪深いな」

「陛下の目が届かぬ場所であったがゆえ、後宮が一種の伏魔殿になったことは、残念ながら否定致しかねます」


 王様相手でも、マグノム夫人は実に遠慮がなかった。


「やっと……ようやく、分かった。これまでの、紅薔薇の怒りが、どこから来たのか。私が後宮に無関心であったことで、多くの側室を苦しめた。それを知ろうともせず、ただシェイラのことしか見ず、考えずだった態度を、彼女は諫めてくれていたのだな……」

「あの方は……紅薔薇様は、ただ『待とう』とだけ、仰いました。陛下は変わろうとしていらっしゃる、そのお心を信じて待とうと」

「どうして、そこまで……!」

「そういう方なのでしょう。情に篤く、懐深く、何よりお優しい。『紅薔薇の間』に仕える者たちは皆、ディアナ様に心酔しております」


 本当に、ディアナの辛抱強さには頭が上がらない。見当違いの敵意をぶつけられ、憎まれ、蔑まれ、それでもただひたすらに、後宮のため民のためと耐え続け、必死にジュークと向き合い続けてくれた。ずっと、ずっと、待っていてくれた。


「ランドローズ侯爵令嬢が、身分の低い側室たちに乱暴をしていたという、確かな証拠はあるのか?」

「申し訳ございません。前女官長は牡丹様と近い関係にあり、明らかな証拠は全て、彼女の手により揉み消されておりました。陛下にお渡しした日誌も、公的に保存されるものとは別に、後宮の現状を憂いていた女官が密かに書き溜めていた分を抜粋したものです」

「……保守貴族は、そこまで新興貴族を憎んでいるのか?」

「全ての保守派が、そのように歪んだ考えを持っているわけではないでしょう。伝統と格式を重視するあまり、歴史の浅い新興貴族を認められぬ者が一部にいるというだけの話です」

「愚かな話だ! 確かに、爵与制度以降の彼らは、貴族としての歴史は浅いだろう。だが、長い時間をかけ、王国の益になる大業を成したという点では、尊さは古参の者たちと何も変わらぬ」

「そうは思えないからこそ、牡丹様は直接的な手段に出られたのでしょうね」


 ジュークは、悲惨な顔で俯いた。


「保守派と革新派の対立は、外宮でも目立っては来ていた。だがまさか、保守派がここまで直接的に、新興貴族に敵意を持っているとは……」

「繰り返しますが、牡丹様のように過激な考えを持っていらっしゃるのは、ごくごく一部です。……ただ、その『一部』の方々が、後宮に集っていらっしゃるだけで」

「外宮で、直接的な手段に訴えることができないから。後宮で娘を通じ、新興貴族を攻撃したということか?」

「牡丹様に限って申し上げるのであれば、ご実家から特別な指示があったわけではないでしょう。ランドローズ侯爵家の新興貴族嫌いは有名です。そんなお家で育った牡丹様が、偏った考え方になるのも致し方ないかと」

「だが、結局は同じことだ。大切な娘を後宮に奪われ、あまつさえ冷遇されていたなど……側室たちの実家から、見放されていてもおかしくはなかった」

「紅薔薇様がいらっしゃらなければ、遠くないうちに離反が相次いだやもしれませんね」


 当事者でなかっただけ、マグノム夫人の評価は容赦がない。

 ジュークは俯いたまま、視線だけを夫人に向けた。


「……やはり、そうなのか」

「記録を拝見した限りでは、そのように思われます」

「紅薔薇が、牡丹に冷遇されていた側室たちを派閥としてまとめ、自らがその頂点に立って牡丹と対峙することで、新興貴族家出身の側室たちを守った。……それが、後宮の安定に繋がった?」

「恐らく、間違いないかと」

「紅薔薇が自らのサロンを開いた理由が、後宮を、側室たちを守るためだったとは……! そうとも知らずに、俺、は」


 ディアナのもとに冷遇されていた側室たちが集い、『紅薔薇派』と呼ばれる後宮派閥が完成した頃、外宮では「クレスター伯爵令嬢が早速、正妃の座を狙って動き出した」「自らの権力を強化するため派閥を作り、そのせいで後宮内で派閥抗争に発展したらしい」という噂が飛び交い、ジュークはそれをまるっと信じ込んだのだ。シェイラのことしか頭になかった当時の彼は、「シェイラに危害を加えない限りは放っておけ」としか言わず、その真実を知ろうともしなかった。


「紅薔薇には、謝罪と感謝こそすれ、憎む理由など何一つない! 国のために後宮入りしてくれたことに、俺はあのとき、礼を尽くすべきだったのに」

「いえ陛下、紅薔薇様は特に、どなたかから『この国を頼む』と言われて、後宮に参られたわけではありません」


 頭を抱えていたジュークが、自身の耳を疑う愕然とした顔になる。

 視線だけで彼の言いたいことを理解したマグノム夫人は、心なしか冷ややかに頷いた。


「クレスター伯のご令嬢が側室に選ばれたのは、伯爵と近しい者たちが勝手に盛り上がった末のこととか。ディアナ様は何も知らずに後宮に上がられ、その内実に驚きながらも、不遇の身にある側室たちと国の危機を放っておくわけにはいかないと、力を尽くされてきたと。『紅薔薇の間』の侍女たちから、私はそのように報告を受けております」

「……それでは、つまり、何だ? あの娘は、自ら望んだわけでもなく、誰かから力を貸して欲しいと頼まれたわけでもなく、勅命ゆえに逆らえず後宮に入り。望んでいた場所でもなく、何が手に入るわけでもないのに、ただ国と側室たちのために、奔走を続けてくれていた、と?」


 何だ、それは。

 ジュークの唇が、音もなく動く。

 光を無くした瞳が、ただ茫然と、虚空を彷徨った。


 気が付いてしまったのだ、ジュークは。

 自分が逃げていたつけを、誤解とはいえ毛嫌いし、酷い言葉を投げつけていたディアナが、払い続けてくれていたことを。

 全ての理不尽を受け入れて、飲み込んで、彼女がずっと、『ジューク』の成長を信じ、待ち続けてくれていたことを。


「……アルフォード」


 空気すら苦く感じられるような沈黙を、苦渋に満ちたジュークの呼び掛けが破った。


「紅薔薇は、言ってくれた。過去は、どう足掻いても変えられない。ならばその分を取り返せるように、これから頑張れば良いと」

「そう、でしたね」

「だが、これは。この『過去』は。あまりにも、重すぎる……」


 取り返す、以前の問題だ、とジュークは。

 力ない声で、言葉を紡いだ。


「目を塞いでいた、結果がこれなのか。都合の良い『答え』だけを信じ続けて、考えることを放棄して。……辿り着いたのが、誰より尽力してくれる年下の少女を、土足で踏みにじり続けた、人間として最低の『俺』とはな」


 そんなことない、と言ってしまうと嘘になる。事実、その通りだからだ。

 アルフォード自身も、園遊会でクリスに怒られるまで、無意識に傲慢であったことを自覚していなかった。だから、この件でジュークに、何も言うことができない。

 再び室内を沈黙が満たそうとした、そのとき。


「失礼致します。マグノム夫人、いらっしゃいますか?」


 場違いに軽い、単なる入室許可を求める言葉。

 耳に馴染んだその声に、知らず身体が大きく動く。

 ジュークの前で、ただ静かに座っていたマグノム夫人が、一瞬だけ躊躇って頷く。


「お入りなさい」

「はい」


 扉を開けて入ってきた人物は、丁寧に後ろを向いて扉を閉め、改めて振り返って――。


「……は、い?」


 この状況は想定の範囲外だったらしく、見事にその場で固まった。

 そんな彼女に、マグノム夫人は通常営業で問い掛ける。


「どうしました、リタ?」

「あ、はい。……あの、よろしいのですか?」

「構いませんよ」


 国王が項垂れてソファーに座り、その前でマグノム夫人がこちらを向き、そんな二人を守るように近衛騎士が控えている――さすがのリタでも、この状況で何も気にせず用事を済ませることはできなかったらしい。ものすごく迷いながら、手に持っていた紙の束を揃え直し、マグノム夫人に近付く。


「ディアナ様から、今回の件をまとめた報告書を預かって参りました。噂の広がり方やソフィア様たちの行動範囲など、今分かるものを記してあります」


 リタがそう言った瞬間の、ジュークの顔こそ見ものだった。驚愕と絶望の入り交じった表情で、リタに強烈な眼差しを送る。

 穴が開くほど眺められながらも、ジュークの顔を見ないように(侍女たるもの、当然の礼儀である)マグノム夫人に『報告書』を渡したリタは、視線だけで「この後私どうしたら良いんですか?」とマグノム夫人に問い掛けた。

 全て心得ている夫人は、先程よりは緩んだ視線を、ジュークに向けた。


「――陛下。こちらにいるのは、『紅薔薇の間』側室ディアナ・クレスター様が、ご実家より連れて参られた私的侍女のリタです」


 いきなり紹介されたリタは、ほぼ脊髄反射で深々と頭を下げた。

 そんなリタに優しく見つめながら、マグノム夫人は続けた。


「今、陛下が仰った言葉に対する返答は、私にも、スウォン団長にも持ち合わせがないでしょう。ただディアナ様だけが知ることと存じます」

「……そう、だな」

「リタは、クレスター家よりディアナ様に仕え、共に後宮へ参り、誰よりも近くでディアナ様を支え続けた娘です。彼女ならば、答えの輪郭を、教えてくれるやもしれません」


 下がったままのリタの頭上に、大量のはてなマークが浮かんでいる。しまった、相当空気読んでない乱入したらしい、と焦る心の声が聞こえてくるようだ。

 そんなリタの内心は、付き合いの長いアルフォードには分かるが、ほぼ初対面のジュークには伝わらない。何度か大きく深呼吸した彼は、決意したらしく背筋を伸ばした。


「――リタ。頭を上げてくれ。直答を許す」

「はい」


 すっと状態を起こしたリタは、もういつもの『侍女の顔』だった。慎ましく顔を伏せつつ、ジュークの次の言葉を待っている。


「……紅薔薇は、今、どうしている?」

「タンドール伯爵令嬢様方の背後関係を探るべく、手を尽くしておられます」


 予想通りの言葉に、ジュークの表情が歪む。

 マグノム夫人が、薄く笑った。


「リタ。いつも通りになさい」

「国王陛下に対し、それは不敬に当たるかと」

「陛下は、咎められません。――そうですね?」

「……あぁ」


 歯切れの悪いジュークだが、この部屋での一切の態度は不問にすると、頷いたことには変わりない。

 理解の早いリタは、一瞬で表情を切り換えた。


「私、ものすごく間が悪かったみたいですね?」

「ある意味、とても良いタイミングでしたよ。……スウォン団長も、そう思われませんか?」

「え……えぇと」

「構わん、アルフォード。お前も普通に話せ」


 許されたので、肩の力を軽く抜き、苦笑いを夫人に向けた。


「まぁ、正直に申し上げれば」

「本当ならば、陛下にはディアナ様ともう一度、じっくり話し合って頂くべきかと思うのですが……」

「それは双方にとって厳しいでしょう。陛下は自責の念で潰れそうですし、この状況じゃディアナ様が何を言っても逆効果だ」

「人の心とは、ときに厄介な方向に動きますからね」


 リタが、ものすごく怪訝な顔を、アルフォードに向ける。


「あの、話が見えないのですが」

「陛下が、現後宮が開設されてからこれまでの概要を知られて、ディアナ様の陰ながらのご助力に気付かれたのですよ」

「はぁ、とても今更ですね」


 身も蓋もないリタの感想に、ジュークがべしゃりと潰された。

 苦笑いのまま、アルフォードは潰れたジュークの心中を代弁する。


「陛下は、ディアナ様がどれだけ理不尽な仕打ちを受けながらも王国に尽くしてこられたか理解され、そんなディアナ様にご自身がなさったあれこれを思い返されて、人として最低なことをしたと落ち込んでいらっしゃるわけでして」

「全部今更なので、落ち込む暇があったら働いてくださいと、ディアナ様なら仰るでしょうね」


 ずばずばずば。不敬罪に問われないと保証された途端に、リタの言葉の刃は容赦なくジュークを切り裂いていく。


「畏れながら、陛下が最低でいらっしゃることも、後宮の問題に関して役立たずでいらっしゃることも、今に始まったことではありません。最初から期待しておりませんので、落ち込まれるだけ損かと」

「さすがに、厳しいですね」

「優しくする理由がございませんので」


 リタは、それはそれは晴れやかに笑った。


「ディアナ様はあの性格ですから、入宮以降の一切合切をあっさりと、『済んだこと』で片付けられました。自分のこととなると本当に無頓着ですから、あの方は。――ですが、私は一つも、忘れておりません」


 ジュークに直接ぶつけるのではなく、アルフォードに。

 リタは、笑顔で怒りを爆発させた。


「素直な心のままに申し上げます。私はジューク陛下を最低最悪の人間だと思っておりますし、ディアナ様が受けた謂れのない仕打ちを思い返す度、炎に焼かれて地獄に堕ちろと念じてしまいます。誰よりも心優しい主を、無自覚に使い潰すだけでは飽き足らず、己の未熟さを棚に上げて見下し、踏みにじり続けた相手を、許せる道理がありません」


 王相手でも、こうなってしまうと、リタを止めることはアルフォードにはできない。……完全に、目が据わっている。


「ご自分が最低の人間だと、今更自覚して落ち込む? アルフォード様も、そこで甘やかしてどうするんですか。一言、『そうだな、頑張れ』と言えば済む話では?」

「いやいやいや……さすがに俺、臣下だから。そんなばっさり言えない」

「いずれにしても、陛下が落ち込んで止まるだけ、巡りめぐってディアナ様の負担が大きくなるんです。国王様にしか押せない判子もあるのですから、後悔している暇があったらご自分のお仕事して頂きたいですね、私としては」


 あまりにあんまりな言い分に、さすがのアルフォードもちょっとむっとなった。


「そうは言うけどな。後宮のことちゃんと理解しろって焚き付けたのはそっちだぜ? ディアナ嬢なら、陛下がこうなるって予想ぐらいついただろ」

「どうでしょう。それこそ今更、陛下がご自分への仕打ちを思い返して落ち込まれるとは、あんまり考えてなかったんじゃないですか? ご自身が綺麗さっぱり、水に流して終わらせてますから」

「あー……変なところで鈍いもんなぁ」

「大方、陛下が後宮に無関心だったことでシェイラ様がどれほど苦しんでいらっしゃったのか、きちんと理解して頂きたいなぁ程度だと思いますよ。陛下が何もご存知でないままで、これ以上シェイラ様を口説かれても、さすがに拗れるだけですから」

「とことん自分のこと考えてないな……」

「ディアナ様ですから、仕方ありません」


 落ち着くところに落ち着いた会話に、そういえば聞き手がいたんだったと思い出した頃には、ジュークの「どういうことだ」視線が、横から突き刺さっていた。


「陛下、今の、聞かなかったことでお願いします」

「無理があるだろう!」

「いやほら、こんな美女見かけて口説かないほど、俺も男捨ててないんで」

「おや、リタと団長はそういう関係だったのですか?」

「はい」

「いいえ」

「……どっちだ」


 呆れたようなジュークだが、アルフォードの態度から、ぼんやり何かを察したらしい。ため息をついて、横の部屋を指差した。


「私は少し、マグノム夫人に相談したいことがある。お前は横で待て」

「はい?」

「リタ、アルフォードが退屈するだろうから、付き合ってやってくれるか」

「そう来ますか……」


 ジュークナイス! と内心で快哉を叫び、アルフォードはリタににこりと笑い掛けた。


「お付き合い頂けますか?」

「……喜んで」


 これほど嫌そうな『喜んで』は初めて聞いた。

 隣室に引っ込み、念のため反対側の壁まで離れて、大きく息を吐き出す。


「……ミスったなー」

「最初に口を滑らせたのは私です、申し訳ありません」

「いや、完全に口調を戻した俺が悪い。陛下とマグノム夫人だから、大丈夫だとは思うが」

「……本当に大丈夫ですか? クレスター家との繋がりを疑われて、陛下の信頼を損ねるようなことには」

「心配ない。仮に疑われたとしても、俺は陛下に忠誠を尽くすだけだ」


 笑ってみせると、ようやく安堵したようで、リタの表情が綻ぶ。

 うっかり抱き寄せたりしないように、アルフォードは壁にもたれて腕を組んだ。


「にしても、会えて良かった。一つ、確認しときたいことがあったんだ」

「この間の『あれ』ですよね?」


『紅薔薇の間』で、突如降りてきた圧倒的な『死』の気配。ジュークですら感じ取れたほどの殺気なら、当然リタも分かっていたはずだ。

 困ったように笑って、口を開く。


「基本的に無害ですから、放置していて問題ありませんよ。ディアナ様のことでは沸点が低くなりますけれど、陛下がうっかりディアナ様を道具扱いしなければ、爆発することはないでしょうから」

「……全然安心できないんだが、それは早い話、俺にしっかり監督しろって言ってるか?」

「まぁ……結果として、そうなりましたね」


 頭の痛い話である。


「いったい誰なんだ? ちゃんと、人間だよな?」

「私もあの後、同じことを本人に尋ねました。曰く、『やだなぁ、ちゃんと人間だって。あれは気迫で相手をビビらせる裏技的なやつ。ちょーっとカチンと来ちゃったからさ、ついね』だそうです」

「ついじゃねーよ。死んだと思ったぞ俺は」


 思わず文句を言ってから、アルフォードは改めて、リタに問い掛ける。


「で、誰だ?」

「これも本人からの伝言で、『王様がきちんとディアナの味方になるまで、俺の正体はお預けー。知りたかったら、全力で王様のサポートよろしく!』とのことです。いけ好かない奴ですけれど、何よりもディアナ様を大切にしているのは確かですので、必要以上に警戒なさることはないかと」

「まさかとは思うが……ディアナ嬢の恋人か?」

「……本気でそう思われますか?」

「悪い、思ってない」


 冷たすぎるリタの視線に、心が折れてしまいそうだ。

 素直に謝ったアルフォードに、リタはため息をついた。


「アレが、ディアナ様にそういう方向での好意を抱いているのは、たぶん間違いないんですよねー」

「……マジで?」

「ディアナ様も、アレのことは特別に信頼していらっしゃいますし」

「おいおいおい……」


 嘘から出た真とはこのことである。鈍いことには定評のあるクレスター家の末娘に、ようやく春が訪れるのか。

 相手が何か怪しそうとか、ディアナが国王陛下のいちおう側室だとか、楽しくない現実は今だけ忘れることにする。


「早い話が両想いってことだろ? 付き合うまでは時間の問題、か?」

「食い付きすぎですよ。まずディアナ様が恋愛方面を向かないと、発展しようがないでしょう」

「ディアナ嬢、ホント鈍いもんなぁ。あの顔だから目立たないけど、基本自分に敵意を向けない相手には、分け隔てなく優しいし。うっかり他の男に目移りする前にって、相手の男けしかけるか!」

「いやー……どうでしょう。あれだけ極上の男に大事に大事に扱われて、よそ見するヒマありますかねぇ……」


 独白に近い一言に、心中が驚くほど波立った。


「……いい男なんだ?」

「まぁ、顔良し頭良し、腕の方も申し分なし、何よりディアナ様第一と来れば、忌々しいですが文句のつけようが」

「――基本男に厳しいお前が、そこまでべた褒めするほど、いい男か」


 意識して凄んだ声を出せば、リタがようやく「しまった」という顔になる。

 ――が、もう遅い。


「そうか……そんな極上の男が、お前の傍にいるんだな」

「あ、アルフォード様? あくまでも、『ディアナ様にとって』極上の男ですよ? アレが優しいのも、甘いのも、ディアナ様限定ですから!」

「恋人に優しい男を見て惚れる、ってのも、よくある話だよなぁ……」

「ないですって! 私、ああいう腹の底読めない奴苦手です!」


 こうなってしまうと、おそらくリタは掛け値なしに本気で叫んでいるのに、そう分かっているのに、それでも言い訳に聞こえてくるから不思議だ。

 恋愛ってやつは、まったく、手に負えない。


 じりじりじりじり追い詰めて、ソファーにぽすんと座らせる。逃げ場を塞ぎ、身を乗り出した。


「――告白されるのと、キスされるの、どっちがいい?」

「選ばせているようで選ばせていないでしょうそれ!」

「十数える間に答えないと、両方する」

「〜〜〜〜っ!」


 真っ赤になったリタが、涙目になって睨んでくる。

 嫉妬したアルフォードはたちが悪い。自他ともに認めている彼の一面は、当然リタも知っているわけで。知っているからこそ、いつものように毅然と拒絶する選択肢が、頭から消えてしまっているらしい。

 ――結局、十数える間に、リタが打開策を見つけることはできなかった。


「リタ」


 微笑みを浮かべ、彼女の耳元で、アルフォードはそっと囁く。


「好きだ。これまでも――これからも、ずっと」


 囲った気配が、固くなったのが伝わってくる。――逃がさない。

 耳から頬へ、吐息が触れるほど近くで唇を滑らせる。リタの体温が、ふわりと上がったのが分かった。


「――っアル、待って、」

「嫌だ」


 ずっと、ずっと焦がれていた。失ったのは愚かだった自分の罪だと分かっていても、それでも。

 彼女以外、もう、目に入らない。


「リタ――」


 もう一度、結ばれたなら。今度こそ、この手を離さずに――。


 がちゃ。


「……アルフォード。嫌がる女性に、無理矢理迫るのはよくないと思うぞ」


 ……いや、うん。

 お約束だが、敢えて言いたい。


「ちょ、おま、空気読めジュークうぅぅ!」

「助かりました陛下、ちょっとだけ見直しました!」


 ――国王近衛騎士団団長の苦難は、まだまだ続く。



活動報告にもありますが、しばらくは不定期投稿で、慣れてきたらまた、日曜朝9時更新に戻していきたいと思います。ストックは少し作りましたが、またペース乱れたら怖い((((;゜Д゜)))))))

これからの予定と共に、この1年のあれこれ(という名の懺悔)も活動報告にかるーく綴っておりますので、よろしければご覧くださいませ。


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― 新着の感想 ―
馬鹿王には憎しみしか感じない
[良い点] 読みやすいのでどんどん読んじゃいます!!! とっても面白くてジューク陛下入って来たときすっごく笑っちゃいました!(水飲んだタイミングで鼻に水入って辛かったです!wwww) [気になる点] …
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