正面衝突
何故、彼女がここにいる――。
リリアーヌの姿を認めて、ディアナの脳裏にまず過ったのは、そんな素朴な疑問であった。
今回の嫌がらせ事件において、リリアーヌはその態度で派閥を煽動した節はあるものの、確かな言葉で命令したわけではない。――つまり、建前としては無関係なのだ。後宮近衛も、だからリリアーヌにまでは手が伸ばせず、歯がゆい思いをしていた。
実は影の首謀者でありながら、自分だけはのうのうと安全圏で高みの見物ができる、ある意味一番美味しい立場にいながら、何故わざわざ渦中に足を踏み入れようとするのか。リリアーヌの性格を知っているだけに、ディアナとしては首を傾げるしかない。……もちろん、内心でだ。
「あら、リリアーヌ様。お久しゅうございますわ」
「えぇ、本当に。直接お顔を合わせたのは、もう随分と前ですものね」
笑顔のリリアーヌに負けじと、ディアナも貴族らしい上っ面の笑みを浮かべる。表情と交わす言葉だけなら、二人は親しい間柄だと誤解されそうなくらい、双方ともににこやかだ。
「同じ後宮内とは申せ、互いに過ごす場所が違えば、なかなかお会いする機会もありませんものね」
「そうね。あなたは何かとお忙しいみたいだし、あたくしとしても、やはり日々を過ごすのは、気心の知れたお友だちの方が落ち着けますもの」
「『牡丹』サロンの賑やかさは、耳に入っておりますわ」
「まぁ、とんでもない。『紅薔薇』サロンには遠く及びません」
お互いを誉めるような言葉の裏で、牽制と攻撃を繰り出す。貴族の社交では見慣れた様式美だ。翻訳するなら、『わざわざ避けてたのに何の用?』『あたくしだって会いたくなかったけれど、あなたちょっと調子に乗りすぎてない?』『調子に乗っているのは喧しいあなたたち『牡丹派』でしょう』『その言葉、そっくりそのままお返しするわよ。喧しいのはどちら?』と、いったところか。
笑顔を浮かべる美女二人の周囲に、見えない火花が散っている。当たり障りない会話の裏で繰り広げられる、一歩も引かぬ攻防戦。
先に仕掛けたのは――リリアーヌだった。
「近くで暮らしているのに滅多に会えない方に、こんなところでお目にかかるとは、本当に奇遇ですわ。しかも……あたくしのお友だちに、酷いことをなさっているなんて」
「仰る意味が分かりませんわ」
「自覚がおありではなかったの?」
優しげに微笑み、リリアーヌは部屋の中央まで進む。
「あなたの、氷のような眼差しに射竦められるだけで、あたくしたちのような繊細な人間は、心の臓が止まるような心地を味わうの。――ご覧なさいな、可哀想に、気を失っている方もいるわ」
「……視線だけで人をどうにかできるような、そんな特殊な能力を会得した覚えはございませんが」
「だから、無意識なのでしょう? あなたは、そこに存在するだけで、害悪を呼び寄せる……そのお顔も、伊達ではないということね」
「――牡丹様、今のお言葉は、側室筆頭たる紅薔薇様への侮辱と受け取ってもよろしいでしょうか?」
マーシアを拘束したままの状態で、クリスが器用に前に出る。瞳に怒りを閃かせた彼女に、リリアーヌはころころ笑った。
「本当のことを言うのが侮辱だなんて、後宮近衛の団長は、随分と懐が小さいこと」
「何を――」
「お黙り。あなたに、侮辱云々を語る資格はなくってよ。何の権利があって、あたくしのお友だちに無体を強いているの」
「牡丹様!」
捕らえられたままのマーシアが、ここぞとばかりに叫ぶ。
「どうか、どうかお助けください。罠に嵌められたのです。紅薔薇の、薄汚い罠に!」
「えぇ、もちろん。あなたは、あたくしの、大事なお友だちですもの。――その手をお放し、グレイシー団長」
「勝手な手出しは、控えてもらいましょう」
クリスの立場では、『名付き』のリリアーヌに逆らうことは難しい。首を横に振って、ディアナはクリスに従うことはないと指示し、リリアーヌに向き直った。
「グレイシー団長は、職務を忠実に遂行されているまでです。リリアーヌ様こそ、何の権利があって団長に口出しなさるのですか」
「後宮近衛の仕事は、側室たちの護衛ではなかった?」
「それはあくまで、職務の一部。後宮の治安と規律を守る、そのため近衛団は、必要に応じて側室の身柄を預かることができます」
「だとしても、そのように乱暴に、拘束する必要はないはずでしょう」
近付いてくるリリアーヌに、後宮近衛は動揺する。うっかり引いてしまいそうな仕草を見せるものもいたが、先頭に立つクリスが微動だにせず迎え撃つ姿勢を維持していたことで、辛うじてその場に留まった。
そのクリスは、ただ静かに、マーシアを後ろ手に捕まえたまま、リリアーヌを眺めていた。
「その手を放してくださいな」
「それはできかねます。ココット侯爵令嬢には、お伺いしなければならないことが山ほどございますゆえ」
「あなたも貴族なら、爵位に見合った貴人の扱い方くらい、心得ているのではなくて? そのように警戒せずとも、マーシア様は逃げはしないわ。……そうでしょう、マーシア様?」
「は、はい!」
流し目一つで取り巻きを従わせてしまう辺り、腐っても『牡丹様』である。
満足そうに頷いて、リリアーヌは再び、クリスに視線を向けた。
「抵抗しないと誓う相手を、力尽くで捕らえることが、騎士のやり方なのかしら?」
「もちろん、必要がなければ、拘束などいたしません。が……」
「マーシア様が、あたくしに誓ってくださったのだもの。大丈夫よ」
笑顔の裏から、『あたくしの顔に泥を塗るような真似、この子にはできないわ』という本音が、今にも聞こえてきそうだ。
これ以上渋るのはクリスの立場が悪くなりかねないと判断し、ディアナはクリスに頷いた。
クリスが手を放すと同時に、前につんのめるようにして自由を取り戻したマーシアは、そのまま、リリアーヌの足元にひれ伏した。
「牡丹様、これは罠なのです! あたくし、嵌められたのですわ!」
「ならば、その旨、この者たちにお伝えなさい。あなたを弁護できる者も、後からすぐに遣わすわ」
「牡丹様……!」
「他の皆も、後宮近衛の取り調べから、逃げる必要はなくてよ。堂々としていらっしゃいな」
「はい!」
なるほど、頭がいるといないとでは、集団の力はこうも違うのかと、成り行きを観察しながらディアナは、半分他人事のように考えていた。リリアーヌが彼女たちの連行を止めようとするなら、ディアナも対決姿勢を全面に出すしかないが、思惑はどうあれひとまず取り調べに協力的となれば、取り立てて口を挟むこともない。大人しく、傍観しておくに限る。
「では、紅薔薇様……私たちは、これで」
生気を取り戻した令嬢たちをまとめ、てきぱきと後宮へ戻る態勢を整えたクリスが、最後に少し、躊躇うように振り返った。
令嬢たちが協力的になった以上、クリスたちがここに留まる必要はない。しかしこの場にはまだ、リリアーヌという最大の懸念材料が残っている。そこにディアナを一人きりにしたくないと思うのは、家族として当然の感情だろう。ちなみに厨房長は、さすがにこれ以上は巻き込めないということで、料理と一緒に真っ先に下がってもらっている。
――側室たちと近衛がいなくなれば、この部屋は、リリアーヌとディアナの、二人きりなのだ。
「……お勤め、ご苦労様でした、グレイシー団長」
『紅薔薇』の仮面を被った完璧な笑みで、ディアナは渋るクリスを送り出した。クリスはディアナの義姉であるが、後宮近衛の団長として、一人の側室を贔屓することは許されない。結果として近衛に協力してくれたリリアーヌに、必要以上の警戒を向けることは、却って彼女の立場を悪くする。
――大勢が、可能な限り足音を殺して、休憩室という名の罠から遠ざかっていった。
「随分と、手の込んだやり方ね?」
束の間の静寂を破ったのはやはり、リリアーヌ。微笑みを湛えつつも、先程までとはどこか違う空気に、ディアナは推測を確信に変える。
「わたくしと、外野抜きでお話しするために、わざわざいらっしゃったのですか?」
「結果としてはそうなるのかしら。同じ言葉を繰り返すけれど、繊細なあたくしとしては、長らくあなたの顔を見ていたくはないのだけれど」
繊細という言葉が盛大に意義を唱えそうなリリアーヌの呟きを、ディアナは軽く声を立てて笑うことで吹き飛ばした。
「――では、中身のない前置きはこの際飛ばして、本題に入りません? 忙しいわたくしにとっても、わたくしの顔を見ていたくないリリアーヌ様にとっても、その方が建設的でしょう」
「珍しく、気が合うわね。……直接的な言い方は、あたくしの品位に合わないのだけれど」
ふう、と息を吐いたリリアーヌは、ぱらりと扇を開き、顔の半分を隠してディアナを見据えた。
「――王国を沈める覚悟が、あなたにはおあり?」
「……どういう、意味です」
「今日、ここに集まっていたご令嬢方のお身内は、いずれも王宮で、主要な職についていらっしゃるわ。彼女たちは皆望んで後宮に入り、陛下からの情けを頂きたいと、日々熱望しているだけ。そんな側室を、不適当と見なして後宮から放逐すれば、その実家はどう出るでしょうね?」
「あの者たちが、本当にただ、陛下の寵愛を望んでいただけならば、このようなことにはならなかったでしょう。後宮近衛は謂われなく、側室の身柄を預かることはなさいません」
「事実など、世の流れの前では、ちっぽけな塵に過ぎなくてよ? ――外宮の保守派を敵に回す覚悟が、今の後宮に――『紅薔薇派』にあるかと聞いているの」
彼女たちの罪を問うことは、保守派と争うことだと――そう、リリアーヌは告げているのだ。らしいと言えばらしいその台詞に、ディアナは思わず、笑ってしまう。
リリアーヌが、軽く、眉を顰めた。
「……何が、おかしいの」
「いえ、リリアーヌ様は随分と、わたくしを買ってくださっているようだと思いまして」
「買う?」
「だって、」
――わたくしは、『クレスター伯爵令嬢』ですよ。
笑顔のまま、ディアナは剣を抜いた。
「外宮の保守派がどうとか、側室方の実家がどうとか、そもそもわたくしには関係ございませんわ。わたくしのお友だちを苦しめた方々に報復こそすれ、そんな下らない理由で許してやる道理が、どこにありますの?」
堂々と言い放つその姿はまさに、自分勝手で傲慢な、他人で遊ぶことを至上の楽しみとする、ディアナにまつわる『悪評』そのものだった。そんな脅しに意味はないと、ディアナはその態度で示したのだ。
しかし、余裕のディアナに対し、リリアーヌもまた、悠然とした姿勢を崩さなかった。
「買っていた、ね……。そうね。そういう意味では、あたくし、あなたを買っているのだわ」
「は?」
「はっきり、申し上げる必要があるかしら。――ココット侯爵家は、戦の準備をしていると」
――顔色を変えないように、自制するのが精一杯だった。瞳をわずかに見開いた、その変化をリリアーヌは見逃さない。
歌うように、楽しげに、続けた。
「戦の準備という言い方は、正しくないわね。自領の軍備を絶やさず、有事に備えることは、貴族たるものの義務だもの。その矛先が、賤しい身ながら貴族を名乗る『犯罪者』に向いたところで、国に大した損害はないもの」
「あ、なたは……っ」
信じ、られない。この女は、貴族同士の揉め事に、民を持ち出すつもりなのか。
ディアナの瞳に、怒りが燃え上がる。
勝ち誇ったように、リリアーヌは笑った。
「ココット侯爵は、貴族としての誇りを失わない、立派なお方。後宮でのマーシアの振る舞いを聞いても、愚かな女によくぞ立ち向かったと誉めこそすれ、お怒りにはならないでしょう。貴族でない者が、爵位を持つことこそ誤りだと……お隣の領地にでも、攻め入られるかもしれませんわね?」
「正気で、そんなことを、仰っているのですか。爵与制度は、先々代陛下の御代から続く、れっきとした国策です。それに不満ありと弓引くことは即ち、王家と国に対する、反逆罪に等しいのですよ……!」
「王家の過ちを正すため、敢えて剣を握った勇者は、その時代の者からは反逆者と呼ばれたと、ココット候なら仰るでしょうね」
「ならば、正々堂々と、王に進言すればいい! 民を巻き込む必要が、どこにあるのですか!」
全て、詭弁だ。正論を説いているように見せかけて、その実、自分たちが美味しい思いをすることしか、こいつらは考えていない。
「進言しても、聞き入れられるとは限らないもの。国のために、反逆の汚名すら被る……尊い志ですわ」
「綺麗な言葉で煙に巻けると思わないでください。志が尊かろうが、ついでにその身が尊かろうが、守るべき民に刃を向けた時点で、皆等しく反逆者です」
「自領の民を傷つけたりはなさらないわ」
「戦に赴くのは、ココット領の民でしょう。――リリアーヌ様、失礼ですが、人の生き死にを盤上遊戯の駒と同様に捉えていらっしゃいませんか」
無機質な枡の上で、規則正しい動きをする、遊戯の駒たち。戦の陣取り合戦にも似ているというそれを、父と兄が手遊び程度に嗜むのを横目で見ながら、ディアナはいつも思ったものだ。
実際の戦では、駒みたいに簡単に、取ったり取られたりしないわよね――と。
「ココット候が自ら剣を取り、気に入らない方に斬りかかるというのであれば、わたくしも止めたり致しません。けれど、戦場で実際に命のやり取りをするのは、候が守るべき民です。――そして民は、駒ではない」
貴族も、民も、等しく、この国に生きる、かけがえのない命。誰かの都合で扱われることなど、あってはならない。
「リリアーヌ様。民は決して、貴族の好きに扱ってよい、玩具ではないのですよ」
ひたと、リリアーヌの目を見据え、ディアナは一言一言、噛んで含めるように、言葉を紡いだ。
伝わると、思ったわけではない。ただ、ただ、譲れなくて――。
「――そう思うなら、あなたがあたくしたちから、手を引きなさい」
返されたのは、おそらくディアナがこれまで生きてきた中で最も、穢れた言葉だった。――民を人質に、取引しよう、など。
けれど、リリアーヌは確実に、ディアナの弱点を――それも、最大の弱点を突いていた。何の罪もない民を苦境に立たせることなど、『ディアナ』にできるわけがないのだから。
「……このままで、済むと、思わないで」
ふつふつと、湧いてきたのは、これまで感じたことのない、何か。
怒りは、もちろんある。少しの悔しさと、卑怯な相手を憎く思う、気持ちもある。
けれど、今のディアナを、一番多く占めるものは――。
「リリアーヌ・ランドローズ。あなたほど恥知らずで、卑怯で、『貴族』を履き違えた愚か者に、わたくしはこれまで、会ったことがないわ。シェイラ様を苦しめただけでも許せないのに、その罪を、民を楯に逃れようとするなんて」
……そうだ。こんな女に、私は決して。
「後悔するといい。この私、ディアナ・クレスターに、最悪な喧嘩の売り方をしたことを。――私は絶対、あなたを、赦さない」
屈しない。負けない。人質を取られてすごすご、引き下がってなんか、絶対にやらない。
人生で初めて感じる、それは強烈な闘争心だった。もともと平和主義で、勝負事にも特に熱を上げることのなかったディアナは今、理屈ではなく本能で、「こいつにだけは負けられない」と理解したのだ。
おそらくは『紅薔薇』に売られたであろう喧嘩を、ディアナは躊躇なく、『ディアナ』として倍額で買った。
望むところだ。何年かかろうが、こいつだけは、全力で潰す。
ディアナの気配ががらりと変わったことを、リリアーヌも察したのか。扇の下で瞳が忙しなく動き、彼女はそのまま、一歩引いた。
「好きなだけ、吠えるといいわ。……そうそう、これだけ大騒ぎになってしまった以上、さすがに何も処分なしというわけにはいかないでしょう。実行犯の侍女たちは皆、後宮から下がらせるわ。こちらも不利益を飲むのだから、あなたも少し、大人の取引を覚えなさいな」
「馬鹿も休み休み仰ってくださいませ。妥協を知ることと、大人になることは、全く別の問題ですわ」
「あくまで、マーシアに手を出すと言うの?」
「いいえ。――今は」
叩き潰すと、決めた。確実に、逃げ道を全て塞いで、完膚なきまでにのめして砕く。
そのために、今は――引く。準備がまだ、充分でない。
ディアナの返事をどう解釈したのか、リリアーヌは満足そうに微笑んだ。
くるりと背中を向け、去ろうとして……ふと、思い出したように戻ってくる。
睨むディアナを面白そうに眺め、リリアーヌはそっと、彼女の耳元に唇を寄せた。
「――聞き忘れていたわ。『仔獅子』は元気?」
密やかに問い掛けられた内容に、一瞬跳ねた鼓動を、ディアナは怒りの表情の下に押し隠した。答えないディアナに気を良くしたのか、リリアーヌは更に、言葉を重ねる。
「あれは便利だったから、重宝していたのに。まさか、あなたのところに走るなんてね。あれも人間の男には違いないから、『氷炎の薔薇姫』の魅力で誘惑したのかしら?」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。魅力で誘惑……ゆう、わく?
……色仕掛けで落ちてくれるような単純な男なら、そもそもディアナが、こんなに苦労することもない気がする。好き勝手動くくせに一番大事なところは外さない、腹立たしいのに憎めない、こっちを翻弄してばかりの食わせ者だ。
「あくまで知らない振り、というわけね。……別に構わないわ。あれがあなたの元へ走ったことで、あなたの弱点が暴けたようなものだもの」
「……何の、話ですか」
「『氷炎の薔薇姫』は、貴族よりも庶民がお好きらしい、ってこと」
どうやらリリアーヌは、ディアナが襲われカイに救われた、あの襲撃の夜のあらましを把握しているらしい。
カイがこちら側にいることを、彼女は確信している。それは、別に構わない。というより、隠し通せるなんて最初から思っていない。リリアーヌがどう思おうが、カイがこの先彼女の前に姿を見せることはあり得ないし、自身の痕跡を残すようなへまもしないだろうから、そういう意味では『闇』と同じだ。
だが、それでこちらの弱味を握ったような、そんな気になってもらっては困る。
「何を仰っているのか、わたくしにはさっぱり分かりませんが――リリアーヌ様は、わたくしが『庶民』と慣れ親しんだという現場に、随分とお詳しいようですね?」
あの夜のことは、カイと自分を除けば、あとは襲撃者側の者しか知らない。
カイがディアナを選んだことを知っている――それは即ち、自分は襲撃者側と繋がりがあると、知らしめたも同じこと。
――よし、潰す理由がもう一つ増えた。
いちおう、『紅薔薇』襲撃はランドローズ侯爵の独断で、リリアーヌは預かり知らぬことという可能性も視野に入れていたのだが、それはただ今、本人が自ら否定したのだ。遠慮なく、クロの箱に放り込ませてもらおう。
音が聞こえてきそうなほど『にっこり』わらって囁き返したディアナに、さすがのリリアーヌも物騒な気配を感じ取ったらしい。今度こそ背を向け、そそくさと、部屋を後にした。
リリアーヌの気配が消えるまで、敵愾心たっぷりに見送り……その場に崩れ落ちそうになったディアナを、現れたカイが抱き留める。力強い腕に、遠慮なくすがり付いた。
「ディー、熱くなりすぎ。あんなのただの脅しに決まってるでしょ」
「だとしても、民を引き合いに出されちゃ、確かなことが分かるまで、こっちは動けなくなるのよ」
「優しすぎるんだよねぇ、ディーは。俺はそんなディーも好きだけど、敵さんにとっては確かに、もってこいの突きどころかも」
カイの口から何気なく零れた『好き』の一言に、リリアーヌの『みりょくでゆうわく』が反射的に甦る。途端に上昇した体温は当然、支えてくれている当人にも伝わった。
「……どうかした?」
「い、いや、なんでも、」
「ひょっとして……最後に言われてたことと、何か関係ある?」
……勘の良すぎる人間は、これだから苦手だ。隠し事ができる気がしない。
足に力が戻ってきたのを確かめつつ、ディアナは、触れるほど近くにあるカイを見つめた。
「何言ってるかまでは、分からなかったの?」
「さすがにあの距離じゃ、ひそひそ話の声までは聞こえないし、お嬢ちゃん扇で口許隠してたから、読唇するにも限界あったしね。最後にディーが、ぐっさりやり返したのは分かったけど。……あの、夜のこと?」
「もう、なんで分かるの……」
ディーは分かりやすいよ、と事も無げに呟いて、カイはこちらを覗き返してくる。
「で、何を言われたの?」
「何って……私は貴族より庶民が好きで、だから『仔獅子』を誘惑したのか、とか?」
正直あまりにアホらしい内容だったので、言われた瞬間忘却の彼方に押しやっていたため、改めて思い出そうとすると苦労した。
本気で悩みながら数分前の会話を思い出しているディアナにカイは苦笑し、心なしか、抱く腕の力を強くした。
「あー、やっぱ俺、そういう評判になってるのか。『クレスター伯爵令嬢』の色香に迷って仕事放棄、的な?」
「カイの評判とかは聞かなかったなぁ。どっちかと言えば、私の弱点がどうたらって……」
「……まさかとは思うけど、俺と馴れ合ってるディーを見たあいつらが、民を人質にすれば『紅薔薇』は言うこと聞くって、要らない入れ知恵した?」
リリアーヌの発言を思い出そうとしているディアナは不覚にも、目の前で不穏な表情をする男の顔を見逃していた。ぽん、と手を打ちこくこく頷く。
「そうそう、なんかそんな雰囲気だった」
「ふーん、そうなんだ……」
そういうことか、と一人納得したカイが、実に獰猛に笑っていることに、そこでようやく、ディアナは気付いた。
「カ、カイ? 何か怖いわよ?」
「えー? せっかくやる気出したトコなんだから、水注さないでよー」
「やっぱり物騒なこと考えてるんだそうなんだ……」
「ディーだって、人のこと言えないくせに」
狩りの前にじゃれ合う獣たちを包み、夜は静かに流れていった。
ぶ、ブレーキ……。
ブレーキはドコですか……!((((;゜Д゜)))




