作戦会議
本日より、お祭り開催!
初日の今日は、本編更新です♪
ジュークの突然の後宮訪問は、王宮に帰りつく前日の夜に、何の前触れもなく決まった。
『ところで……明日の帰還について、なのだが。俺がそなたを送って、白昼堂々後宮を訪れる、というのはどうであろう?』
『えぇと、突然どうなさいました?』
帰り道でも、夜に逗留する場所の祭りをお忍びで視察していた彼に誘われ、ディアナは昼間は馬車に揺られ、夜はジュークと共に民の祭りを見て回る、そんな日課で帰路を過ごしていた。さすがに王様が真横にいる状態で素に戻ってはしゃぐわけにもいかず、ほどほどに猫を被りながらの散策とはなったが、ジュークとディアナ、双方のことをよく知るアルフォードが警護の責任者になってくれたお陰で、ストレスを覚えるほどの窮屈さは感じなかった。
ジュークがいきなりの提案をしたのは、そんな夜歩きの最終日だったのである。
『俺はこれまで、公式に後宮を訪れたことは、数えるほどしかない。シェイラを正妃にするためにはまず、今の後宮を何とかする必要があることは分かるが……肝心の後宮の姿を、俺はこれまで見てこなかった』
『それは……つまり?』
うっかり大きく頷きそうになり、慌てて発言を修正する。王との距離は、少しは近付いたものの、まだまだ遠い。何もかも腹を割って話せるほどの信頼関係を築くには、今しばらくの時間が必要だろう。
『園遊会で招かれた、側室の家族には、外宮で重要な地位についている者が大勢いた。側室である彼女たちもまた、外宮の権力の一部であるのだと……俺はあのときそう気付かされて、背筋が寒くなったんだ』
『正妃の実家が、ある程度の重用を受けるのは、いつの時代も変わりませんけれど。正妃不在の現後宮では、実家の権勢が後宮での地位に繋がり、その逆もまた然りです。現に、菫様のご実家、キール伯爵家は、ご息女の入宮がきっかけでその領地運営に注目が集まり、ご領地の茶葉が飛ぶように売れているとか。キール伯爵様ご自身も先頃、重要な職に就かれたのでしょう?』
『……らしい、な。後宮の中にいても、そのような話は入ってくるものか?』
『このお話は、菫様から直接伺いましたわ。他にもいくつか、似たような噂は、耳に入っております』
『あぁ。俺も、仕事の合間に側室たちの家を調べて、ようやく分かった。――後宮を作りたければ勝手にすればいい、放置していれば問題ないと考えていた俺が、どれほど愚かだったか』
賑やかな喧騒にそぐわない苦い息を吐き出し、ジュークは虚空を眺めていた。
『俺の考えがどうであろうと、後宮に娘が上がるというのはそれだけで、貴族にとっては権力の一部となる。外宮と後宮は、切っても切れない糸で結ばれているのだな。春に後宮が開設され、真っ先にランドローズ侯爵の発言力が強まったのも、彼の娘が『牡丹』に入ったから、なんだろう。『紅薔薇』が居なかったあの段階では、リリアーヌ・ランドローズが最も正妃に近い娘だったのだから』
『ランドローズ侯爵家の歴史、血筋を鑑みましても、あのお家が由緒正しい貴族であることは疑いようがありませんもの。正妃になってもおかしくないと考える方は、大勢いらっしゃることでしょうね』
『……まぁ、中には娘が『紅薔薇』となっても、不気味なほど静まり返っている家もあるが』
『家族は皆、わたくしが正妃になんてなりたくないと考えていることを知っていますから。期間限定の『紅薔薇』の地位に、それほど魅力を感じていないのだと思いますよ』
というか、基本的にクレスター家は「中枢権力? 何それ絶対不味い」という信念の持ち主なので、ディアナが個人的にどれだけ偉くなろうと、中央まで出向くなんて疲れることはしないはずだ。現当主のデュアリスからして、書類仕事より視察が好きだし、次期当主のエドワードに至っては、デスクワークは最小限の労力で終わらせ、余った時間でちょっと『闇』の仕事手伝ってくる、とか言い出すアクティブさ。王宮のふかふかした椅子に一日中ふんぞり返って部下に指示を出す、なんて姿は想像もできない。
『我が家は、自分で言うのも虚しいですが、かなり変わっておりますので。あまり気にされない方が、陛下の精神衛生上よろしいかと』
『……『紅薔薇』にそなたが選ばれたのは、考えてみれば僥倖だったな。俺が後宮を放置したせいで、あの中でいったい何が起こったのか。詳しいことは分からずとも、ランドローズ侯爵の娘が頂点にいたあの場所が、シェイラのような立場の側室にとって居心地の良い場所でなかったことだけは想像がつく』
独り言に近いジュークの言葉に、ディアナは沈黙をもって返した。
もともと、頭の出来は悪くない国王様だ。外宮と後宮の権力構造が相互関係にあることに気付けば、芋蔓式にそこまで推論することは充分に可能だろう。ランドローズ侯爵の『新興貴族嫌い』は、王宮にほとんど寄り付かないクレスター家でさえ普通に分かるほど、実にあからさまなのだから。
『俺は、後宮のことを知らない。……いや、意図的に知ろうとしなかった。俺が後宮に興味を持てば、正妃を決めろという声が大きくなり、俺の意思とは関係なく正妃選びが始まるかもしれない。そう思うと、後宮に意識を向ける気にはなれなかった。だが、それでは駄目だ。だろう?』
『シェイラ様のため、ですか?』
『シェイラのことももちろんあるが、王として、このままではいけない。外宮の権力と密接に繋がる後宮を見ずして、政を上手く運べるはずがない』
『故に明日、まずはわたくしを送るという名目で、後宮へお運びになる……というわけですか』
『そうだ。同時にこれで、俺がそなたを重んじていることも知らしめ、そなたの立場を堅固にできる』
一石二鳥の案だぞ! という心の声が聞こえてきそうな目で見つめられながらも、ディアナは冷静に、今の後宮の状態を思い返していた。
……マリス前女官長が罷免され、女官、侍女の数も大幅に削られて、マグノム夫人体制でようやく走り出したものの、側室たちはまだまだ落ち着かないであろう、お世辞にも統率が取れているとは言えない、現後宮のことを。
(……今の陛下には、ちょっと荒療治過ぎるかも。留守にしていた間の情報交換もして、これからのことをきちんと相談したいし)
『陛下のお気持ちは、よく分かりました。そのお心はとてもありがたいですし、いずれは側室たちの普段の様子をご覧頂きたいと思いますが、何も明日、突然でなくともよろしいのではありませんか? 長旅の後で、陛下もお疲れでしょうし』
『俺は昼間、馬車の中で座っているだけだ。何を疲れることがある?』
私は疲れてますけどね、という本音はお腹の中で消化し、ディアナは軽く首を傾げる。
『こうして夜、出歩いていますもの。陛下ご自身は気付かれずとも、疲れは溜まっていることでしょう。わたくしとの仲を知らしめるだけならば、何も無理をして後宮までおいでくださらずとも、明後日には年迎えの夜会があります。側室たちだけでなく貴族の皆さま方に、王と『紅薔薇』の仲睦まじい姿を見せつけ、反応を探るに絶好の機会ですわ』
『夜会でももちろん、反応は見る。だが、側室たち飾らない生活を垣間見るには、やはりその場へ足を運ばねば』
『それほど急ぐ必要がございますか? 明日は王宮にお戻りになり、まずはお体を休めて、夜にはシェイラ様との久々の逢瀬を楽しみなさいませ』
『ばっ、おまっ、そういうことを真顔で言うな!』
シェイラとのことをからかうと真っ赤になるジュークは、エドワードと同い年とは思えないくらい、本当に純真だ。ちなみにエドワードに同様の台詞を吐くと、「クリスと逢瀬? 剣の稽古の話か?」とすっとぼけた返事が聞ける。
『ええい、そんなことはともかくだな』
『まぁ、シェイラ様は『そんなこと』なのですか?』
『そんなわけがあるか! 明日の夜はシェイラの部屋に行くに決まっている、だが今は昼の話をしているのだ!』
……誤魔化されてくれなかったか。この国王陛下は、大体のところでは素直で聞き分けが良いのだが、こうと決めた一点に関しては譲らない、意思の強さを併せ持っていたりする。流されてばかりでは国主失格なので、これも美点といえば美点かもしれない、が。
『俺が突然後宮を訪れて、何か問題でもあるのか?』
『側室たちは慌てるでしょうね、心の準備もなしでは』
『それで良い。ありのままが見たいのだから』
『……慌てふためき、浮き足立つ側室たちを、誰が宥めると思っていらっしゃるのですか。お忘れかもしれませんが、わたくしも十日間出歩いて、そこそこ疲れているのですよ』
『もちろん手伝う。何でも言ってくれ』
その心意気は買うが、今のジュークに何ができるのかという、シビアな現実がそびえ立っている。……それも含めて、『荒療治』には含まれる、か。
どのみちジュークに引く気がないこの状況で、ディアナが何を言っても無駄だろう。
深々と深呼吸して、ディアナはジュークと視線を合わせた。
『……シェイラ様には、きちんと陛下のお口から、説明なさってくださいよ。いつぞやの『名付き訪問』のときのようなすれ違いの仲裁までは、受け付けていませんからね』
『う……、分かった』
話がまとまったのが、その夜の解散の合図だった。
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「……と、いうわけだったのだけれど」
「事情は分かりましたが……」
「タイミング的にはビミョーだよねぇ、どう考えてもさ」
マグノム夫人とミア、近衛勢からクリス、そして『紅薔薇の間』侍女陣プラス、ライア、ヨランダ、レティシアの三人が急ぎ寄越した各部屋の侍女代表が集まり、緊急の会議室に早変わりした『紅薔薇の間』メインルーム。その集団の中心に落ち着いたディアナは、降臨祭の十日間について手早く説明し、また反対に後宮居残り組からも、報告を受けていた。――ちなみに、ライアたちが寄越した侍女は、かなり初期から協力してくれている、ルリィの友人たちだ。
そのルリィを含む、礼拝に同行した侍女三人も、「この話し合いが終わったら休みますから」と、ちゃっかり同席していた。
「陛下のディアナ様への態度は、あからさま過ぎるくらいに変わりましたからね。帰路の馬車は同じにしようとか言い出したり」
「行きのような襲撃を警戒されたのかもしれませんけれど……」
「往路では行列の端と端に離れていた王と『紅薔薇』の馬車が、帰りは並んでいるどころか二人が同席、なんてことになったら、後宮どころか王宮がひっくり返ります」
苦々しく言ったリタに、留守番組も尤もとばかりに頷いている。
ディアナは軽く肩を竦めた。
「わたくしもそう思ったから、陛下にきちんとお話しして、馬車は別にして頂いたの。行きの反省があるから、帰りはちゃんと大人しく、陛下の馬車の後ろを走って帰ってきたわ」
「それだけでも、出迎えた貴族たちには衝撃だったようですよ。彼らは出発のときも見送って、王と『紅薔薇』の馬車が離れに離れていたことを確認していましたから」
「それはある程度仕方ないでしょう。自分で言うのも悲しいけれど、わたくしについて回る悪評を考えればね。――ともかく、今は陛下のことより、後宮のことだわ」
声音の変わったディアナの一声に、その場にいた全員の背筋がぴんと伸びた。
「シェイラ様への嫌がらせは、今も続いているのね?」
「……力及ばず、申し訳ございません」
「マグノム夫人を責めている訳じゃないわ。グレイシー団長の言う通り、実行犯が私的侍女なら、後宮の範は届かない」
頭を下げながら、この件で誰より悔しい思いをしているのは、マグノム夫人その人のはずだ。後宮の中に、女官長の権の及ばぬ侍女がいる。それがどれほどの歪みを生むか、いざ問題に直面するまで深く考えて来なかったディアナたち高位の側室にも、責任の一端はある。
「シェイラ様に嫌がらせをしている側室について、調べはついていますか?」
「ついてるよ。コレがその一覧表」
クリスが得たりとばかりに進み出て、数枚をまとめた紙束渡してくれた。礼を言って受け取り、ざっと目を通す。
「……やはり、牡丹派」
「『牡丹様』本人は、嫌がらせに加わったり、指示をしたりしている様子はなかったけど。仲間内での会話の中で、ちょっとした仕草一つで、周囲を思い通りに動かすことくらい、彼女にとっては朝飯前、だろうからね」
「団長様の仰る通りです。鈴蘭様のお話では、主日の礼拝で牡丹様が行った、ほんの少しの動作が、嫌がらせのきっかけとなったのではとのことでした」
発言したのは、ヨランダが寄越した『鈴蘭の間』代表だ。突然始まったこの即席会議で、しかもディアナの目の前で、臆することなく発言する辺り、さすがはルリィの友だちというか、ヨランダが見込んだだけはあるというか。睡蓮、菫から来た侍女も、この状態にそれほど緊張は感じていないらしい。
「つまり、この件で牡丹様を攻めても、あの方は『自分は何もしていない』としらを切り通せるというわけですか」
「側室方にしても、同じことです。仮に証拠を手に迫ったとしても、それはあくまで自分のところの侍女がやったことで、自分は関係ないと、言い抜けるおつもりでしょう。最悪、実行犯の侍女を解雇してしまえば済むと、そう思っていらっしゃるかと」
「そんなふざけた言い訳が通るかどうか、ちょっと考えれば分かりそうなものだけど。甘やかされて育った貴族のお嬢様はこれだから」
思わず低く呟くと、周囲が一斉に苦笑した。同じ『貴族のお嬢様』が言うと、違和感を覚えざるを得ないらしい。
「一概に愚かな言い分とも言い切れませんよ。相手の家に力があれば、大概の悪ふざけは『なかったこと』で押し通せますから」
「自分たちの悪事や都合の悪い事実を握り潰すのは、権力者の専売特許のようなものでしょう?」
「ご側室方はお家で、家族がそのように振る舞っているのを間近で見て大きくなられたわけですから」
「それが、世界の常識だと。そう考えられていても不思議ではありません」
「――なら、思い違いを分からせてあげなくてはね」
ゆっくりと言葉を紡ぎ、ディアナはふわりと、重力を感じさせない動きで立ち上がった。
そのまま、まずは『名付き』三人から送られた侍女たちに視線を送る。
「わざわざ、ありがとうございました。したためた書を、それぞれのお部屋のご主人に届けてください。ここでの内容は、報告以外は他言無用でお願いします」
黙って頭を下げ、恭順を示した三人に頷く。次に目を合わせたのは、クリスだ。
「後ほど、明日の夜会の警備状態について、報告を」
「かしこまりました」
流れるように、マグノム夫人に視線を移して。
「夜会までに、後宮厨房の責任と会う時間は作れますか?」
「可能です」
「では、段取りを」
「――は」
留守中、ずっと『紅薔薇の間』を守ってくれていた侍女たちには、微笑みを浮かべて。
「夜会の準備は?」
「抜かりありません」
「あとは、ディアナ様を磨くだけです!」
「さすがね、ありがとう。今日は大人しく磨かれるわ」
――親友を苦しませ、後宮を混乱させ、その秩序を乱した罪は、重い。
「――さぁ、『紅薔薇様』再開といきましょうか」
薔薇は、周囲の植物の栄養を奪い、そして美しく咲き誇る。
その名を冠する、者として。
(楽になんて、散らせてあげない)




