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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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帰還


今回より、新章スタートです!


後宮に入って初めての遠出は、残念ながら何事もなく無事にというわけにはいかなかったが、それでもなんとか与えられた役目を終えて、ディアナは再び、後宮の門をくぐることができた。――但し、ひっそりと出発した行きとは違い、あらゆる意味で後宮の住人たちに衝撃を与えながら。


「おかえりなさいませ。――陛下、紅薔薇様」

「うむ。留守中、ご苦労であった、女官長」

「ただいま、帰りました」


出迎えに赴いたマグノム夫人の前にいたのは、ディアナ一人ではなく、『紅薔薇』の手を取り堂々たる笑みを見せる、国王陛下その人だったのである。既に通達を受けていたマグノム夫人は驚かなかったが、庭や回廊で降臨祭最終日を楽しんでいた側室たちはもちろん、そんなわけにはいかなかった。


「へ、陛下が紅薔薇様と……!?」

「やはり、陛下は紅薔薇様を深く想っておいでなのですわ。あの微笑みを見れば、誰にでも分かることです」

「紅薔薇様が、名実共に正妃とおなりあそばす日も近そうですね」


例によって例の如く、中庭で出店を楽しんでいた『紅薔薇派』の側室たちは、仲睦まじく寄り添い歩く二人を見て、快哉の声を上げ。


「馬鹿な……! このようなこと、あり得ない!」

「紅薔薇が、陛下を誑かしたに違いありませんわ。あの女狐、今度はどんな小狡い手を使ったの!」

「いいえ、陛下のことです。きっと籠絡された振りをして、紅薔薇の隙を突き、あの者の悪事を探るおつもりなのでしょう」

「だとしても許せない。あの女、あのように勝ち誇った顔をして……!」


サロンの、廊下の窓から二人の様子を発見した『牡丹派』たちは、あちらからは見えないのを幸い、呪いの言葉を吐き。


「……あらあら。何がどうなってああなったのかしら?」

「ディアナ様からは、帰ったらすぐに話したいことがあると連絡を頂きましたけれど。ひょっとしてアレ関連でしょうか?」

「どちらにしても、可哀想にねぇ、ディアナ様。笑顔が引き攣っていらっしゃるわ」

「あれだけの衆人環視の中を陛下に手を引かれて通り過ぎるって、普通に考えると罰ゲームですよね」

「まぁ、私はしたくないわね」

「ライアに同意だわー」


隠れてディアナの帰還を迎えようと待機していた『名付き』の三人は、自分たちには火の粉が降りかからないのを良いことに、好き勝手分析していた。


そんな、歓喜と怨嗟と好奇と同情の視線を一身に浴びながら、一番目立つルートを通って、ようやく『紅薔薇の間』まで辿り着いたディアナ(ともう一人)は――。


「こ、これは、疲れる、な……」

「……お分かり頂き、光栄です」


ぐったりとソファーに腰を落として、紳士淑女にあるまじきことながら、ぜいぜい息を吐いていた。有能な侍女陣がすかさず、お茶の支度を整えてくれる。

そんな彼女たちに、ディアナは笑いかけた。


「留守番、ご苦労様。夜会の準備もあって、大変だったでしょう」

「毎年のことですもの。むしろ居残りの私どもは、楽をさせて頂きました」

「そんなこともないだろうけれど……確かに、帰ったばかりの三人は疲れていると思うわ。荷解きが終わったら、そのまま休憩に入るよう伝えてもらえるかしら?」

「承りました」


旅に同行した侍女たち三人は今、奥でディアナの荷物を片付けている。『自分のことは自分で』がモットーのクレスター家(実家)では、荷造りから荷解きまで自分でしていたディアナだが、さすがに後宮で同じようにしては侍女の仕事を奪ってしまうので、そこは大人しく任せることにした。

ディアナの言葉を聞いた侍女の一人が頷いて、奥の部屋へと消えていく。その様子を眺めていたらしいジュークが、ようやく呼吸が落ち着いたようで、感心したように口を開いた。


「……この部屋の侍女たちは本当に、そなたを慕っているのだな」

「わたくし故に、というわけではなく、単純に彼女たちの方から、わたくしの噂がでたらめだと気付いて、心を開いてくれたのです。皆に感謝しているのは、わたくしの方ですよ」

「そのような言葉がすんなりと出てくるそなただからこそ、侍女たちも心を開く気になったのだと思うが」


苦笑したジュークはそのまま、部屋の隅で待機しているマグノム夫人へと視線を移す。


「突然このようなことをして、後宮を騒がせてしまった。済まないな、マグノム夫人」

「とんでもございません。ここは陛下の後宮、いつなりとおいでくださいませ」


深々と頭を下げたマグノム夫人だが、その頭上に分かりやすいハテナマークがついていることを、ディアナは出迎えを受けた段階から見逃していなかった。――おそらくは、ジュークも同じだろう。どう説明したものかと、その瞳が逡巡している。


「……ですから、明日の夜会で仲良くするだけでも充分だと、申し上げましたのに。敢えて炎の中に飛び込むような真似をなさらずとも」

「だがそれでは、側室たちの普段の様子を知ることは叶わなかっただろう? 不意打ちだったからこそ、あれほど無遠慮な視線を集めることができたのではないか?」

「ありのままの後宮をご覧になりたい、その心意気はご立派です。――が、それで疲れてしまっては、明日一晩保ちませんよ? 陛下には今宵、シェイラ様に、状況をきちんと説明するという義務もあるのですからね?」

「わ、分かっている!」


マグノム夫人が、ミアが、このやり取りに内心ひっくり返るほど驚いていることは、想像に難くなかった。苦笑して、留守を守ってくれていた女官二人に視線を送る。


「簡単に言えば、陛下と和解したの」

「そ……のよう、ですね」

「わたくしは、世間で言われているほど悪人じゃないと、陛下は見抜いてくださった。だからわたくしも、特に『紅薔薇』の座に執着はないことをお伝えして、陛下とシェイラ様が上手くいくよう願っていると、本音をお話ししたのよ」

「それは、また……。これも、アメノス神のお導きでしょうか」

「礼拝の旅がきっかけで、歩み寄ることができたのだものね。そうかもしれないわ」


穏やかに、ゆったりと笑うディアナを見て、女官たちも緊張を解して笑う。

そんな女性陣を眺めてティーカップに口をつけつつ、不意にジュークが、視線を険しくさせた。


「しかし……側室たちが、あれほどまでに殺気立つとはな。『紅薔薇』のそなたに対し、悪意すら感じたぞ」

「王の寵愛深いということは、いつの時代も、妬みの対象となるものです。それは、殿方の世界も、女の世界も変わりませんわ」

「だが、そなたは側室筆頭だろう。『紅薔薇』とは本来、正妃を示す呼び名だ。妬まれる筋合いがあるものか」

「山ほどありますわ。第一に、わたくしは伯爵令嬢。侯爵家の方々より、身分低い立場です。そもそも、わたくしが『紅薔薇』であることが気に入らぬ方々も多いことでしょう」

「そ、ういう、もの、だろうか……」


突然言葉がぎくしゃくとしたジュークは、どうやら何かを思い出したらしい。視線があちこちにさまよっている。


「第二に、わたくしは『ディアナ・クレスター』。社交界での評判は、最底辺と申し上げても差し支えない女ですわ。良識ある方ほど、陛下がわたくしと仲睦まじいことなどとんでもないと、忠心より申し上げるでしょうね」

「……それは、誤解なのだろう?」

「えぇ。少なくともわたくしの噂は、わたくし自身には身に覚えのないものがほとんどですわね。男を惑わせるのが好きとか、何がどう転んでそんな設定がついたのか……」


その点に関しては、実は割と本気で分かっていないディアナだったりする。誘惑の仕方は、もちろんディアナも貴族の女として一通り教わったが、母や叔母が使うような大人の魅惑に溢れた技を自分が真似しても痛いことになるとしか思えず、積極的に使うことは滅多にないのだ。にもかかわらず、自らの楽しみのために男をとっかえひっかえしているとか、男同士を決闘させて遊んでいるとか、そんな噂が絶えないとはどういうことなのか。

……もちろん、ディアナが分かっていないだけで、彼女の氷の美貌に我を忘れる男は少なくないし、「踏んでください女王様!」とか言い出す不審者も多発している。が、そういう輩は彼女に気付かれる前に、エドワードが速やかに処理。その結果の一つとして、『氷炎の薔薇姫に弄ばれてボロボロになった哀れな男』ができあがるという裏話もあるのだけれど、そんなことは知らないディアナはただ、首を傾げるばかりなのである。


「……まぁ、事実はどうであれ、わたくしの評判が最悪であることに違いはありませんから。正妃にするなどとんでもないと、仰る方が大半では?」

「だが同時に、そなたが正妃になることを望んでいる者も、いるのではないか?」

「それは、最近クレスター家にすり寄っている、あの辺りのことを仰っています?」

「そなたの父の、取り巻きであることは、否定しないのか?」

「父を取り巻いたところで特に何のメリットもないのに……憐れな方々と同情はしていますよ。クレスター家に大した力がないことくらい、ちょっと調べればすぐに分かりそうなものですのに」

「……確かに、クレスター家が世襲している仕事は、雑用係としか言えないような閑職だ。俺も少し調べたが、クレスター家が公的に使える権力など皆無に等しい」

「でしょう? なのにいつも、何をどう誤解されるのか、我が家を取り巻く人は一定数から減らなくて」


現当主のデュアリスが、クレスター家の歴史を遡ってもなかなかいない『悪人顔』であることも一因かもしれない。悪いことをしていませんと主張する方が無理のあるような顔立ちなのだ。おこぼれに預かりたいお馬鹿さんの一人や二人、引っ掛かっても無理はない、と思いたい。

ディアナは、ふぅとため息をついた。


「あの方々は、確かに、わたくしが正妃になれば父の権力が強まり、同時に自分も美味い汁を吸えると、信じて疑っていないのでしょうね。ですが世の中、そんなに美味しい話が転がっているわけがありません。父の中央進出に関しては、望む人より絶対阻止を叫ぶ人の方が、遥かに多いでしょうから」

「……クレスター家の、悪評故に、か」

「家と、父の悪評は、わたくしの比ではありませんもの。わたくしが後宮で力を持つことが、同時に父の権力に繋がるのなら、それだけでもわたくしを阻止する充分な理由になりますわ」


現実のデュアリスは、娘が仮に正妃になったところで、その権力を振り回すなんて面倒な真似はしないだろう。あの人はそもそも、中央で精力的に働くより、領地でのんべんだらりと過ごす方が好きなのだ。……でなければ、ほとんど仕事なんてないはずの『資料室室長』を、監察局の局長が直々に「仕事(そうじ)しろ」と呼び出すわけがない。

が、デュアリスが『王国の悪を牛耳る、裏社会の帝王』であると信じて疑わない者たちに、そんなデュアリスの本性を見抜けるはずもなく。そんな輩に囲まれているお陰で、ごく一般的な貴族層からも、デュアリスは中央掌握を狙っているとまことしとやかに囁かれる、残念な事態に陥っている。


「……そのように、父が警戒されているそなたさえ、あのような視線に晒されるのだな」


沈黙していたジュークがふと呟いた言葉が、誰を想って発されたのかは明らかだった。

ディアナも僅か、憂いを瞳に乗せる。


「シェイラ様の本当のお父様は、方々から慕われた、立派な方であったと伺っています。ですが……どんな方も、亡くなってしまっては、その影響力は薄くならざるを得ませんから」

「新しい『父親』がアレでは、前カレルド男爵も落ち着かぬことだろうな」


ジュークが、シェイラの『現在の保護者』について、明確な発言をするのは初めてのことだった。ディアナもシェイラへの風当たりを弱めるため、あの馬鹿二人については居ないものとして振る舞っていたため、彼らのことを口にするのは園遊会以来だ。


「あの一件のみについて申し上げるのでしたら、わたくしの対応のまずさもありましたわ。もっと冷静に、さらりと流せば話は早かったのです。シェイラ様を庇うつもりが、あの者たちの愚かさを見せつける結果になってしまい、シェイラ様には本当に、何と謝罪申し上げれば良いものかと」

「それを言うならそもそも、側室と家族の不和を考えず、対策なしに園遊会を開くと決めた俺にも責任はある。……あの者たちの存在も、シェイラの不利になるのだろうな」

「幸いにして、マリス前女官長の事件で、カレルド男爵の園遊会での振る舞いは霞みましたが。それも、今期限り、ですものね」


公的行事である園遊会で、側室筆頭『紅薔薇』を侮辱したカレルド男爵夫妻に与えられた罰は、今期の社交界への出入り禁止だった。本来ならば貴族全てが招待される夜会にも招かれず、自分たちで夜会や茶会を開くことも許されない。個人的に招かれて出向くのは勝手だが、王宮出禁を喰らった人物を好き好んで招く馬鹿もそうそういないだろう。

本来なら領地や官位剥奪となってもおかしくなかったところを、一期限りの社交界出禁という処分に落ち着いたのは、侮辱された当人である紅薔薇――ディアナから、一切の訴えがなかったからだ。ちなみにディアナが何も言わなかったのは、園遊会やら前女官長の汚職やらであっぷあっぷしていて、あの馬鹿を訴えるという一件が完全に飛んでいた、だけだったりする。

そこに、シェイラを守りたいジュークや、騒ぎを大きくしたくない方々の思惑が絡み合い、本人的には厳しいけれどその他にとっては割とどうでもいい、謹慎処分という落としどころになった。ほんの僅かな間でも、シェイラがあのふざけた叔父叔母の姿を見ずに済むなら良いかと、話を聞いたディアナも頷いたのだが。


「シェイラを正妃とするのは……想像以上に、困難だろうな」

「まず、シェイラ様のご意志を確認なさってくださいね。シェイラ様が嫌だと仰るなら、わたくしは味方いたしませんから」

「……そなたは、俺に協力してくれるのではなかったのか?」

「わたくしは第一に、この後宮で頑張る女性の味方です」

「そう、だったな。そういえば」


ディアナが『紅薔薇』として、後宮を守る存在であると、ジュークは思い出したらしい。苦く、笑った。


「あのような視線が、この後宮で日常なら……そなたも随分と、辛い思いをしてきたのではないか?」

「いえ別に。どうでも良いその他大勢に何と思われたところで、痛いことなどありません。……それに、ちゃんと分かってくれる、味方が大勢いてくれますから」


侍女たちを、ミアを、マグノム夫人を見回し、ディアナはにっこりと笑う。海のような瞳が優しい光を放ち、彼女の心を周囲に伝えた。


「そうか。……そう、だな」


ジュークが頷いたところで、取り次ぎの間に控えていた侍女が姿を見せ、アルフォードがジュークを迎えに来たことを告げた。ディアナに視線を戻し、ジュークは立ち上がる。


「馳走になった、紅薔薇。……また、来る」

「はい、陛下。お待ちしております」


笑顔のまま立ち上がり、深々と頭を下げて、ジュークを見送ったディアナは、扉の向こうの気配が消えたことをしっかりと確認して――。


「――この雰囲気を見るに、何かあったのよね? ライア様たちのお話も、その件かしら」

「こちらのことももちろんですが、まずは出先で何があったのか、ご説明くださいませ。夜会を前に、後宮がひっくり返っていますよ」

「わたくしも、荒療治過ぎるかしらとは思ったのだけれど。陛下の言にも一理あるというか、まぁ単純に熱意に負けたというか」

「ですから、分かるようにご説明を」

「分かった、分かったから。実はね――」


頭を上げるなり、マグノム夫人と慌ただしく、互いの情報を交換し合うのだった。




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