閑話その19~留守番役の憂鬱~
タイトルどおりのお話です。
クリスさん視点は初めて、かな?
シェイラの受けた『嫌がらせ』は、リディルから『中立派』に(今更言うまでもないことかもしれないが、リディルとナーシャは『紅薔薇派』であると同時に『隠れ中立派』の一員でもある)、『中立派』からライア、ヨランダ、レティシアの三人に、電光石火の速さで伝わった。
更に、各々の侍女、女官の口から、女官長及び『後宮近衛騎士団』団長のクリステル・グレイシーにまで、情報が届けられたのである。
「まさか、そんなくだらない嫌がらせに手を出すような者が、この後宮にまだ存在していたとは……」
「マグノム夫人、目が据わっていますよ」
「そういうあなたも、口許だけで笑うのはおよしなさい。いつの間にか婚約者殿に似てしまって」
「冗談でもそーいうのやめてください」
エドと関わるようになって、若干腹黒くなってしまった自覚があるだけに、この点を刺されるとクリスは弱い。大概の人間は手玉に取れるクリスでも、敵わない人はいるのだ。クレスター家の大人陣しかり、目の前で厳しい表情を崩さない『最高の貴婦人』しかり。
――ただ、マグノム夫人に『敵わない』とクリスが思うのは、クレスター家の面々とは、また違う理由だ。
「冗談ではありませんし、そんなに嫌がることでもありませんよ? 結婚を誓い合った男女が、お互いに似てくるのは当然のことです」
「……その理屈でいくと、エドもボクに似るってことになりません?」
「あなたとお付き合いするようになって、子息も随分と柔らかい表情をするようになったではありませんか」
こう、平常心では聞けないような台詞を、あくまでも真面目に、当たり前のことのように、淡々と口にする。自分があと二十年歳を重ねても、この心境には至れないだろうと思うだけに、クリスはこの女性を心の底から尊敬するわけだ。
それはともかく。
「エドとボクじゃありませんけど、シェイラ様も入宮から比べて、性格変わったんじゃありません? まさか厨房に乗り込むなんて、なかなかに思い切った振る舞いですよ」
「泡を食った責任者が、私のところに駆け込んで来ましたからね」
「……てことは、責任者は知らなかった?」
「彼は、後宮の厨房に人生を捧げた男ですよ。こんな下らない嫌がらせに荷担するはずがないし、彼の目の届く場所で、食べ物を粗末にするような人間は働けません」
かつてマグノム夫人が女官として働いていたときの同僚は、今はほとんど後宮に残っていない。そんな中、昔と変わらぬ信念と情熱を持って働き続けているのが、厨房の責任者だ。少し変わった人物ではあるが、その人柄は折り紙付きである。
クリスもそれは知っていたから、軽く頷いた。
「じゃあやっぱり、シェイラ様への嫌がらせは、厨房外の誰かの仕業、ってことでしょうね」
「無害を装い、調査をやり過ごした卑怯者が……」
「その可能性は低いと、ボクは思ってますよ」
無表情の中に自責のいろを滲ませたマグノム夫人に、クリスはにこりと笑いかけた。
「今の後宮に、マグノム夫人の目を欺けるほどの狸は、客観的に見て存在しません。幸か不幸か、前女官長が自分に都合の良い環境を作ろうと画策した結果、後宮侍女、女官の年齢層はがくっと下がりましたからね。あなたを欺くには、彼女たちは圧倒的に経験が足りない」
「しかし、事件は起こった。それが全てです」
「そう、だからこそ、犯人が絞り込めます。……あなたの調査を、無条件で免れることのできる者たちが、今の後宮には大勢いるでしょう?」
ふっ、とマグノム夫人の瞳に理解が広がったのを見て、クリスも大きく頷いた。
「えぇ。――側室方が、ご実家から連れていらした『侍女』が」
後宮には今、二種類の侍女がいる。王宮に雇われ、一時的にとはいえ王族に忠誠を誓うことを求められる王宮侍女と――。
位の高い側室が実家から連れてきた、王ではなく側室本人とその実家に仕える、『私的侍女』が。
マグノム夫人が、大きく深く、息を吐き出す。
「……やはり、無理をしてでも、彼女たちを調べておくべきでしたか」
「無理以前に不可能でしょう、彼女たちは王宮に雇われているわけじゃないんですから」
「そう言って手出しを控えて、こんなことになってしまったのですよ。……せめて、身元だけでも確認しておけば」
「ま、そうなったら確実に、リタは後宮から出て行きますけどね」
紅薔薇陣営にとって影の最高戦力の一人、リタ。彼女もまた、ディアナが実家から連れてきた『私的侍女』だ。リタの場合、被雇用者ではなくディアナに自ら忠誠を捧げた『従者』だが、王宮が賃金を払って働いてもらっているわけではないという点で見れば、他の私的侍女と変わりはない。
――そう、王宮侍女と私的侍女の最大にして絶対的な違いは、王宮が給料を払っているか否かという一点に尽きる。側室が希望して実家から連れてきた侍女は、基本的に主の身の回りの世話しかしない代わりに、王宮からはびた一文貰わないという決まりになっているのだ。
王宮に招かれ長期滞在することになった客の使用人たちへの規則をそのまま流用したこのルールが、よく考えるまでもなくおかしいことは一目瞭然であろう。どれ程の長期滞在であろうと、招待客はあくまでも客。一方側室は、正式な婚姻を交わしているわけではないにしろ、『王族』の一員として後宮に住まう存在である。側室に仕える以上、例え最初に雇われたのがその実家であったとしても、雇用主は王宮であるのが自然だし、内宮をまとめる女官長の監督下に置かれるべきだと。
そんな子どもでも分かる理屈が丸無視されることになったのは、単純にお金の問題だ。人件費は馬鹿にならない。ただでさえ側室五十人を養わなければならないのに、この上更に侍女を雇う金なんかあるか、というわけだ。
とはいえ、現実に人手は足りない。そんなとき、懐に余裕のある側室候補の令嬢たちが『実家から侍女を連れて来たい』と言われ、彼らは。
「人件費削減と人手不足解消の一石二鳥を狙ったお馬鹿さんたちのおかげで、リタがほとんどノーマークで後宮に潜り込めたのは、成果と言えば成果なんですよね。正規の手続き取るなら、貴族じゃないどころか出自すら不明のリタが、王宮に雇われるなんてあり得ませんから」
「……それは否定しませんが、この現状を見るに、問題点も多いことは明らかです。第一に、彼女たちには私の権限が及びません」
私的侍女を雇っているのは、あくまでも側室の実家。彼女たちの処遇を最終的に決めるのは、その実家にある。侍女の過失は雇い主の過失として訴えることは可能だが、相手によっては本人だけでなくその背後と敵対することも覚悟しなければならないため、非常に面倒くさい。
「確かに、彼女たちがあなたの監督下にあれば、こんなふざけたコトにはならなかったでしょうけれど。そこは一つ今後の検討課題ということで、今は犯人探しが楽になることを喜びましょうよ」
「ですが、犯人が分かったところで、相手が私的侍女ならば、私が注意して嫌がらせを止めさせることはできませんよ。主にそれとなく忠告することは可能ですが、しらを切られる可能性の方が高いでしょう」
「シェイラ様の神経が、保つかどうかですよね……。最悪の事態にはならないよう、巡回強化などの対策は取りましたけど、後宮近衛が見回っている傍で動くほど、あちらさんもバカじゃないでしょうし」
本当は、嫌がらせが行われそうなポイントをピックアップして、事前に張るのが最も手っ取り早い。しかし、後宮近衛団にいるのは、いくら剣を扱うのに長けているとはいっても所詮は貴族のお嬢様。こそこそした隠密行動は、不得手な者が多いのである。
(そこそこ使えて行動力のある子は、ディアナの護衛に回しちゃったしなぁ……)
むしろディアナが欲しい。あの義妹なら、外見をちょちょいといじって気配を消して、標的を追跡するなんて芸当も朝飯前。ディアナとリタがいれば、割と簡単に犯人まで辿り着ける気がする。
むぅ、と腕を組んだそのとき。
――頭上から、 突然人の気配が降ってきた。
「どうしたの?」
反射的に、クリスは問いを発していた。自分だけでなく、戦闘に関しては素人のはずのマグノム夫人までが気付いて視線を向けるほどの、圧倒的な存在感。
気配を自在に出し入れするのは彼らの専売特許ではあるが、常ならば、こんなにあからさまに『気付かせる』ことはしない。
『お話し中、申し訳ございません。急ぎ、お耳に入れたいことがございまして』
「……まさか、向こうで何かあった?」
『残念ながら』
口に出しながら半信半疑だった『外出組』の異変を肯定され、心臓が鷲掴みされたような心地に陥った。
――この時期、『闇』の護衛は割れる。クレスター家一人一人が単独行動に入り、行動範囲も常とは比べものにならないため、より効率的に護衛するためにはどうしても、手薄にならざるを得ないのだ。
何事もなければ良い、しかし、クリスにまで彼らが『至急』伝えに来るということは。
「――っ、ディアナは、無事?」
『ご安心を、クリス様。危ないところではありましたが、ディアナ様には傷一つございません』
「そ……っか。良かった……」
『詳しいことは、こちらの書簡に記してありますが。――クリス様、今すぐ、後宮近衛騎士全員の背後を、洗って頂きたく』
『闇』が告げた、その言葉の意味は明らかだった。クリスの表情が、さっと引き締まる。
「――誰?」
『マナ・コルト、と呼ばれる娘でした』
「……マナが?」
全くの予想外だった、とは言わない。彼女がただ、真面目なだけの少女でないことには、クリスも気付いていた。
けれど、それでも、彼女の王家への忠誠心と、騎士の仕事への真摯な姿勢は本物だと思ったからこそ、ディアナの護衛の一人に加えたのに。
「そうか、マナが……。彼女は、今?」
『逃亡中です。行方は、掴めておりません』
「デュアリス様は、彼女への抹殺令を出されたかな?」
『いいえ。ただ、できるだけ早く見つけ出すようにと』
「ボクからも、お願い。他ならぬあの子を守るために」
『もちろんです。……ディアナ様も、コルト騎士の遺体との再会は望まれぬでしょうから』
痛む心を押し隠し、クリスも首肯した。……マナがディアナの命を狙い、失敗したのだとしたら、失敗した彼女を相手は、長く生かしはしないだろう。
「騎士たちの背後は、こっちからも調べるよ。後宮にいるからこそ入る情報もあるしね」
『お願い致します。……ディアナ様に、何か伝言などは』
「そうだね……じゃあ、『ごめん、無事に帰ってきて』って伝えて」
『かしこまりました』
最後に書簡を落とし、来たときと同様唐突に、頭上の気配は消え失せた。
書簡を手にクリスは、安堵と困惑、緊張を滲ませたマグノム夫人と視線を合わせる。……きっと今、自分も、夫人と似たような表情をしていることだろう。
「……あちらも、こちらも。問題が絶えませんね」
「こりゃ、年迎えの夜会は荒れるでしょうね……あらゆる意味で」
五日後を思い、女性二人は嘆息した。
次回より、年迎えの夜会編始まります。




