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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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閑話その18-4~波乱の礼拝~

降臨祭編、シェイラのターンラストです。


――翌日の礼拝は、シェイラにとって、最高に居心地の悪いものになった。


王都に住む貴族は、大抵主日の礼拝で、貴族居住区の中にある神殿を利用する。

が、後宮の住人である側室たちは、そもそも、外に出ることができない。

ではどうするのかといえば、これも昔からの慣わしで、内宮に『王族』が居残りしている場合、王都の神殿から神官を招き、どこかの部屋を臨時で清めて、仮の礼拝室にするらしい。マグノム夫人の見事な手腕により、後宮の一室が、きちんと祭壇もある『神殿』に早変わりしていた。


礼拝の開始時間は決まっていたので、リディルとナーシャは、時間前にシェイラを迎えに行くと言って譲らなかった。が、昨日の今日で、二人がシェイラと行動しては、シェイラに向いている悪意が二人にも飛び火してしまう。

故にシェイラは、礼拝室が開く時間をレイから聞き出し、その時間ぴったりに中に入って、礼拝までの時間を過ごすことにしたのである。


礼拝時間よりかなり前にやって来る、真面目な側室たちは、シェイラに同情的だった。二番目に部屋に入った、名前は知らないが恐らく『紅薔薇派』の令嬢は、「昨日は大変だったそうですね」と声を掛けてきたくらいだ。中庭での一件は、もう後宮中に知れ渡っていると考えて間違いない。

その証拠に、礼拝時間が近づくにつれ部屋に入ってくる、身分高い側室方の視線は、『牡丹派』だろうが『紅薔薇派』だろうがすさまじいものだった。理由はどうあれ、昨日のシェイラが、身分不相応な振る舞いをしたことは確かだ。身分が上の方の令嬢ほど、その行いは許しがたく感じるだろう。


――遂に『名付き様』方が姿を見せたときには、令嬢たちのあからさまな視線が、ひりひりシェイラの肌に灼き付いた。


菫様、鈴蘭様、睡蓮様のお三方は、昨日の出来事などまるで気にしていない様子で、堂々と視線の中をすり抜け、祭壇前の上座へと優雅に腰を降ろした。

――しかし、最後に入室した、牡丹様は。


柔らかなクリーム色のドレス、そのふわふわとした裾を揺らして扉をくぐると、彼女はそこで一旦足を止めた。微笑みを浮かべたままふわりと室内を見回して――明らかにシェイラのいる方を向いた瞬間、動きを止め、悲しそうに眉を下げる。

そして、むしろそんな自分を恥じるかのように、口元を扇で隠して、ゆっくり、ゆっくり、席まで歩いたのだ。


誰もが――その場にいた全員が、『牡丹様はシェイラ・カレルドに不愉快な思いをなさっている』と認識するに、充分すぎる一幕だった。


それからの視線の、まぁ痛いこと痛かったこと。ありがたい神官様のお言葉など、一節たりとも耳に入らない。視線で人が殺せるなら、シェイラはそう長くない礼拝の時間に、軽く十回は死んでいただろう。

ようやく解放されたときには、覚悟はしていても、シェイラは背中にびっしり汗をかいていた。


(……いちおう、お祈りはできたもの。アメノス神が、お聞き届けくださるかは別にしても)


ちゃんと、自分が祈る順番のときに、背中にぐさぐさ刺さる視線に負けず、『後宮にお導きくださった運命に感謝と、大切な方々の幸福』を祈ってきた。あの瞬間に、たぶん二、三回死んでいたことは、この際考えないことにする。


「ただいまー……」

「お帰りなさいませ、シェイラ様。……お疲れさまでございました」


部屋に帰ると、留守番をしてくれていたレイが、シェイラの表情から大体の様子を察して労ってくれた。苦笑して、椅子に腰を降ろす。


「大丈夫よ。覚悟はできていたから。……あなたたちまで巻き込んでしまったことは、申し訳ないけれど」

「要らぬご心配ですわ。マグノム夫人の監督下で、嫌がらせに精を出すような愚か者はおりませんから。側室方も、陛下がお戻りになれば、ご自分たちの行為がいかに愚かなことか、すぐにお気付きになるでしょう」

「それは、あまり良くない考えよ、レイ」


――ジュークの気持ちに寄り掛かって、後宮内での居場所を確保しようとするのは、きっと間違っている。

一時期の、『陛下は『名付き様』の誰を寵愛なさっているのか!?』騒動を思い起こすにつけ、シェイラが考えることはそれだった。


「後宮は、陛下を利用する場所ではなく、陛下をお助けすべき場所であるはず、でしょう? 陛下の寵を競って争うことは、陛下のご負担にしかならない。――私は、陛下のお気持ちを、利用するつもりはないわ」

「シェイラ様……」


そもそも、利用する権利もないのだ。シェイラは未だ、ジュークのくれる想いに、はっきりした答えを返すことができていないのだから。


――力になりたい、とは思う。『王』という立場で、孤独な地位で、ただ一人佇むあの人の、隣に立つことはできなくても、せめて近くで、『ジューク』の心を守れたら、と。


どれほど躓くことがあっても、高い壁を目の前にしても、己の情けなさに打ち拉がれても、それでも逃げようとしない、純真なひと。弱さを知りながら、その弱さに負けようとしない、強さを芯に宿すひと。

彼がシェイラに向けてくれる想いを、疑うことはもうしていない。身分や、互いの立場を全て越えて、彼はシェイラに、透き通るように綺麗な恋心を捧げてくれている。


『――シェイラ』


喜色を含んで、名前を呼ぶ声も。

ふとした瞬間に、頬に触れる指も。

髪を撫でる、シェイラより少し熱い掌も。

壊れものを扱うかのように、注意深く、優しく、抱き締める腕も。


全部――全部、嫌じゃない。


だから、戸惑う。

だから、怖くなる。


あの手を、素直に受け入れてしまったら。

彼が『いること』が、当たり前になってしまったら。


きっと、喪うことに耐えられなくなる。

こうして離れている時間すら、不安で寂しくて、あり得ないワガママを口走ってしまうかもしれない。

ただでさえ、制御できない想いだと、分かっているのに。

必死にかけているブレーキを外してしまったら、自分がどうなるか、自分でも分からない。


怖くて――だから、最後の一歩を踏み出せない。


「……もともと、『寵姫』の噂は下火だもの。私の方から下手に煽って、後宮を混乱させることもないわ」

「そう、かもしれませんね。……シェイラ様が、そうお望みなのであれば」

「ごめんね、我が儘で」

「とんでもない」


答えたレイは、苦笑気味だ。


「シェイラ様の我が儘など、我が儘の範疇に入りません。もう少し傍若無人になって頂かないと、後宮侍女としては張り合いがございませんわ」

「まぁ、レイったら」

「冗談ではありませんよ? 高飛車な『お姫様』方に、いかに規則を守りつつ快適に過ごして頂けるかが、王宮勤めの者としては腕の見せどころなのですから」


そんな変なスキルは聞いたことがない。……が、よく考えれば、この瞬間も『貴族』至上主義の令嬢方に仕えている侍女たちはいるわけで、それを踏まえれば、レイの台詞もあながち間違いではないのかもしれなかった。


「……すごいところね、後宮って」

「誉め言葉と、受け取っておきます」


視線を合わせ、くすりと笑う。

――ちょうどそこで、扉が叩かれた。


「シェイラ様。マリカです」

「入って」


入ってきたマリカは、手にトレイを持っていた。どうやら、昼食を運んできてくれたらしい。


「そういえば、もうお昼の時間だったわね」

「シェイラ様、お部屋でお食事をなさるのは久しぶりですもの。時間の感覚が薄くなるのも、仕方ありませんね」


レイは穏やかに微笑むと、衝立の向こうに姿を消した。おそらく、食後のお茶の準備をしてくれているのだろう。


「シェイラ様、今日の食事は、降臨祭の特別メニューだそうですよ!」


トレイを机の上に置いたマリカが、早く早くとシェイラを手招きする。まだまだ粗い動きが目立つマリカではあるけれど、屈託のない彼女の姿には、救われることも多い。

ちなみに、王宮の食事といえば豪勢なものを想像されるかもしれないが、食べきれないほどのコース料理を出されるのは『名付き様』くらいで、シェイラみたいな末端は、侍女たちの食事プラスアルファ程度の、ごくごくありふれた献立内容である。食事の用意にしても、机の上にトレイをでんと置き、埃避けに被せてある金属製の覆いをぱかっと開けるだけの簡単なお仕事だ。


シェイラが椅子に座ったのを確認して、マリカがわくわくした様子で覆いを取る。

――取って、固まった。


「きゃああぁぁ!」


狭い室内に、叫び声と、マリカが取り落とした覆いが床を叩く音が響いた。衝立の向こうにいたレイが、慌てて姿を見せる。


「シェイラ様、どうなさいました?」


隠し事もできない狭い部屋では、異変の原因をごまかすこともできない。机の上を一瞥したレイは、トレイに並べられた皿を見て、顔色を変えた。


「な、なんということを……!」


料理そのものは、ごく普通だ。パンにスープ、サラダにメインの肉料理と、おかしなところは何もない。

問題は――スープの中で特大の長虫が蠢き、パンの上には大量の小虫がうじゃじゃ這っているところにある。


金属製の覆いは当然ではあるが、中が見えるようにはできていない。食事は厨房で作られ、各部屋の側室用に盛り付けられてトレイに並べられ、覆いを被せられる。各部屋付きの侍女は、覆いがある状態のトレイを部屋まで運ぶため、その内側を窺い知る術はないのだ。

虫がうごうごしている食事を目の当たりにしたシェイラももちろんショックだったが、何も知らず、こんな気持ち悪いものを運んでしまったマリカの心中はいかばかりか。実際マリカは、いつも元気で明るい彼女には似つかわしくない、瞳に涙を溜めた表情で、トレイの上を凝視している。よく見ればその指先は震え、顔からは血の気が引いていた。


シェイラは立ち上がると、そっとマリカの背を支えた。


「マリカ、大丈夫?」

「あ……、も、申し訳ありません、シェイラ様!」


我に返ったように、マリカががばりと平伏する。むしろシェイラは驚いた。


「突然どうしたの。あなたは悪くないわ。ただ、いつものように、食事を運んでくれただけでしょう?」

「で、ですが、シェイラ様にこのようなものを……」

「私は大丈夫。だから、そんなに気にしないで」


さすがに長虫がうごうごしているスープを飲んだことはないが、叔父叔母から満足に食事を与えられなかった去年の夏頃には、虫が湧きかけている残飯を口にしたこともあるシェイラだ。衝撃ではあったものの、食べ物に虫がたかっている有り様自体は、残念なことに見慣れていた。


「許せません。いったい、誰が、このようなことを……!」


シェイラが必死にマリカを宥めている横では、レイが、怒りに身体を震わせていた。これではとても、シェイラが食べることはできない。


「サラダとお肉は無事みたいだから、まだマシかしら」

「そういう問題ではありません!」


落ち着かせようと放った言葉は逆効果。レイは、いつもは表に出さない動揺に瞳を揺らしながら、それを必死に抑えている最中だったのだ。


「シェイラ様のお料理に、このような狼藉を……! すぐに、女官長様にお知らせしなければ」

「待ってレイ、あまり大事にはしない方が」

「このまま放っておくことこそ、後宮の乱れではありませんか」

「それはそうなのだけど」


基本的にシェイラは、自分のことで争うのが苦手だ。というか、後宮に入るまで、争い事とは無縁だった。

側室になり、いろいろあって、いつの間にか後宮の勢力争いに無関係でなくなって、昨日めでたく自分から巻き込まれに行ったわけだが、それだって言ってしまえば、好きな人を貶されてぷっつん来てしまっただけの話だ。自分から望んでケンカしたかったわけではない。


「とりあえず、いきなりマグノム夫人に直訴するんじゃなくて、厨房に事情を聞きに行くとか、あと、他の側室方に被害が出ていないか確かめるとか」

「……それを、私とマリカでするのですか?」

「もちろん、私も手伝うから」

「この状況でシェイラ様をお部屋からお出しすることはできません!」


この場合は、レイが正しい。

とはいえ、このまま部屋の中で押し問答をしていても始まらないことだけは確かである。レイは密かに溜め息をつきながら、扉を押し開けた。

――開けて、止まる。


「……レイ?」

「――っ、見てはなりませんシェイラ様!」


鋭く叫んだレイが扉を閉めようとしたが、一足遅かった。シェイラの目はしっかりと、扉向こうの廊下に転がる、血塗れの小動物を捉えてしまっていたのだ。……あれは、おそらく鶏か。


「……ちゃんと処理しないと、美味しくないのに」

「ですから、そういう問題ではありません!」


悲鳴に近いレイの台詞には、「何でそんな平然としてるんだ!」という、実に分かりやすい本音が紛れていた。扉の取っ手を握る彼女の手が、力を入れすぎて白くなっている。

シェイラは落ち着かせるように、優しくレイの手をさすり、取っ手から離させた。今度は自分で扉を開けて、改めて、廊下に落ちているものを確認する。――やはり、鶏だった。それも、見た限りでは締めたての雰囲気。


ちょっと考えて、シェイラはぱたんと扉を閉めた。


「レイ、マリカ、着替えるわ」

「は……はい?」

「このドレスでは、さすがに、鶏を抱えるわけにはいかないもの。部屋着に上着を羽織れば、ちょっと外出するだけなら不自然ではないでしょう?」

「鶏を、かかえ……シェ、シェイラ様!? 何をなさるおつもりです!」

「何って……鶏を厨房に届けるついでに、話を聞いてこようと思って」


腐りかけの肉ならともかく、扉の前に転がっているのは新鮮そのものの食材だ。このまま放っておくのは、あまりに勿体無い。


――一年間、ドケチの叔父叔母によって使用人扱いされていたシェイラは、下働きから小間使いまで、ありとあらゆる仕事を経験していた。さすがに料理人は専門家を雇っていたが、食材購入や下処理を任されることも多々あり、締めたての鶏など珍しくもなんともなかったのである。

更に付け加えるならば、叔父叔母によって貴族社会からは完全に隔絶されていたシェイラではあったが、別に彼女は非社交的な性格というわけではない。人と話すことも嫌いではないし、これで意外と、人見知りもしない方だ。叔父叔母から使用人扱いされるようになった後は、家の用事で街に出たときに、馴染みの店の店員や顔見知りの人々と言葉を交わしていた。そのお陰で最低限、世間からは取り残されずに済んだようなものだ。


そんなシェイラにとって、手土産持参でことの真相を直接確かめに行こうと考えるのは、当たり前の結論だった。呆気に取られる侍女二人を置いて、シェイラは衣装棚に頭を突っ込み、手頃な部屋着を引っ張り出す。

そこでようやく、侍女二人は戻ってきた。


「ま、待ってくださいシェイラ様!」

「何を考えていらっしゃるのですか。片付けと報告でしたら、我々がいたします!」

「そんなこと言っても、マリカは虫が苦手だし、レイだって、鶏には触りたくないのでしょう?」


図星を突かれた侍女二人は、揃って口をつぐむ。ややあって、マリカが恐る恐る切り出した。


「……あたし、言いましたっけ? 虫が苦手って」

「聞いてないけど、さっきの様子を見れば分かるわ。単に驚いただけで、あんな派手な悲鳴はあげないだろうし」

「も、申し訳ありません……」

「だから、気にしてないってば」


レイも、似たようなものだ。驚いただけにしては、彼女の手は冷えすぎていた。恐怖のあまり、血の流れが一時的に悪くなったのだろう。


「レイは、虫、平気? もし大丈夫なら、厨房までトレイを持って一緒に来てほしいのだけれど。マリカはリディルのところに行って、他の側室方のお料理に被害がなかったか確認していただけるよう、お願いして」


誰に届け出るにしても、正確な情報が分からなければどうしようもない。シェイラの考えは侍女二人にも伝わったようで、レイとマリカは目を見交わした後、シェイラに視線を戻して頷いた。


動き出したレイに着替えを手伝ってもらい、トレイを抱えた(もちろん覆いは元通り被せてある)レイを従え、シェイラは再び扉を開ける。向こう側に変わらず転がっていた鶏を躊躇なく拾い、シェイラは振り返った。


「マリカ、後はよろしくね」

「かしこまりました、シェイラ様。――行ってらっしゃいませ」


泣きそうになりながら、それでもマリカは笑って頭を下げてくれる。

マリカに笑顔を返しながら、シェイラは。


(これって……やっぱり、嫌がらせ、よね)


――自分に向けられた悪意で、大切な侍女が傷付いた。


少しでも俯けば負けてしまいそうになる現実を前に、だからこそ負けるわけにはいかないと、強く一歩を踏み出した。




あともう一話、閑話を挟んでから、本編に戻ります。

そろそろ物語も終盤、みんな頑張れ!(あ、一番頑張る必要あるの私だった……(´・ω・`)


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