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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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閑話その16~荒れ地の診療所~


今回は、ほとんど本編に関係のない、まさに閑話です。

出番のないエド兄さまと、これまで名前しか出て来なかった方のお目見え編ですので、サクッとお読みくださいませ(笑)




エルグランド王国全土に点在する、クレスター家の領地。降臨祭(レ・アルメニ・アースト)の十日間で全ての領地をくまなく回るためには、当然のことながらそれぞれが単独行動で、あちこち移動しなければならない。デュアリスとエリザベスには、それぞれ『闇』の護衛がつくが、エドワードの場合は本当の意味での『単独行動』だ。理由は簡単、『闇』に守ってもらうより、自分で敵を殴り飛ばした方が、早いし確実だからである。

そういうわけで機動力もピカ一の彼は、毎年、レミア大河を挟んだ西側の、そこそこ広範囲を割り当てられる。今年はディアナがいないので、輪をかけて広大だ。


祭り四日目、森月二十三日の朝。この日彼は、昨晩過ごした領地から次の土地へ向かう途中で、おもむろに方向を変えた。毎年の道順を覚えている賢い馬は、怪訝そうに立ち止まってくるりとこちらを向いてくる。


「ごめんな、ちょっと寄り道だ。そう遠くないはずだから、頑張ってくれ」


長い付き合いの馬はそれだけで納得し、彼らはしばし、見知らぬ土地を遠駆ける。エドワードの言葉通り、そう経たないうちに、荒野の崖に隠れるかのように佇む、小さな一軒家が見えてきた。その少し手前で馬を降り、緩やかな足取りで近付くと、ちょうど折よく扉が開いて一人の老爺が顔を見せる。

被っていたフードを脱いで、エドワードは微笑んだ。


「ちょうど良かった。ドリー先生の診療所はこちらでしょうか」

「……どちらさまだね」

「先生と、先生が治療していらっしゃる患者さんにお話がありまして、お訪ねいたしました。エドと申します」


自分の微笑みが胡散臭く見えることは百も承知だが、ここで笑わず無愛想でも不自然だ。父や妹と違い、自分の笑顔は相手に威圧を与えるものではないので、こういう場合エドワードは大抵笑って次の手を探す。


(帰れ! って言われたら……裏から侵入かな)


ここが目的地であることは間違いないのだから、後は用事を済ませるのみである。この後も予定が目白押しな彼は、あんまり凝った作戦を考える気がそもそもなかった。


「……入れ」

「あ、どうも。ありがとうございます」


笑顔が効を奏したのか、あるいはその裏で不法侵入を考えていることを見抜かれたのか、どちらにしても老爺は難しい顔のまま踵を返し、玄関らしき扉を開けた。馬に、この近くで待っているよう告げて、エドワードは扉をくぐる。

――今にも崩れそうな家の外見からは想像できないほど、室内は整然と整っていた。調理台と食卓、小さなソファーと本棚が一つある部屋を素通りし、老爺は奥へと進んでいく。廊下の突き当たりの壁を押すと、地下へと向かう隠し階段が現れた。


(……これは、バレてるな)


何も語らずとも『秘密』らしき部屋へと案内される。これは十中八九、相手は『裏』の人間で、自分の正体も筒抜けだ。まだまだ修行が足りないと思いつつ、エドワードは老爺に続いて階段を降りた。

隠し階段を降りた先には、扉が一つ。中からは灯りが漏れ出している。老爺はコツコツと扉を叩いた。


「――ソラよ、起きとるかね」

「あぁ、起きてるよ」


向こう側から聞こえてきたのは、落ち着いた柔らかい声音。どこか聖職者のような厳かさすら感じられるが、老爺は今、確かに彼を『ソラ』と呼んだ。


「開けるよ。――客人だ」


キィ、と音がして、扉が開く。目で中に入るよう促され、エドワードはゆっくりと、室内へ足を踏み入れた。

そこは、狭い部屋だった。ベッドと洗面台、小さな椅子が二つ、やっと収まっている程度の広さしかない。

けれど、そんな狭さがまるで気にならないほど、ベッドの上に起き上がった人物は、圧倒的な存在感でエドワードを迎え入れた。


「ようこそ、若君。――何のおもてなしもできず、申し訳ありません」

「……あな、たが、黒獅子殿、ですか」


彼は、驚くほどに小さかった。病気で少し痩せていることを差し引いても、もともと小柄なのだろう。ディアナととんとんくらいの背丈しかない。

さらりと流れる黒い髪は軽やかで、黒曜石のごとく黒い瞳は、強い輝きを宿している。二十歳前後の息子がいるとは思えないほど、その顔立ちは若かった。下手をすると可愛らしく見えるくらいだ。確実に四十は越えているはずだが、どう見ても三十代前半くらいにしか見えない。

――しかし、全身から発される威圧感は、その眼差しの強さは、紛れもなく『裏』の双璧と称えられるその人のものだった。


「――ご都合をお伺いもせず、突然お訪ねしまして、申し訳ありません」


気付いたときには、ごく自然に、エドワードは頭を下げていた。


「現クレスター伯爵長男、エドワード・クレスターと申します。伝説の双璧、『黒獅子のソラ』殿にお会いできて光栄です」


頭を下げられた方からは、ややあって、少し困ったような声が降ってきた。


「……私に礼は不要です、若君。関わりは持たずとも、私もまた、あなた方に庇護される『裏』で生きる者なのですから」

「いいえ黒獅子殿、ずっと憧れ、尊敬していたあなたに、やっとお目にかかることができたのです。どうか俺のことは、クレスター家の長男ではなく、一人の『裏』に属する人間として、扱ってください」

「なかなか……難しい注文をなさいますね」


黒獅子は、少し、笑ったようだった。


「どうぞ、お座りください。ドリーもどうぞ」

「茶は要らんのかね、クレスター家の若君」

「俺のことは、どうかエドと呼んでください。若君なんて、随分久しぶりに呼ばれましたよ」


そう言って、エドワードは椅子に腰を座る。黒獅子と同じ目の高さになって、その眼差しを正面から受け止めて、再び彼の胸は高鳴った。


「……噂は、まことだったのですね」

「噂、ですか?」

「クレスター家の若君は、『闇』に混ざって『裏』の仕事をしていると、聞いたことがあります」

「言うほど大したことはしていません。人手が足りないときに、シリウスに呼ばれる程度です。シーズン中はどうしても、貴族の社交に出なければなりませんし」


その発言が、既に稼業者の台詞だ。エドワード自身は己を、たまに『裏』に顔を出すだけの人間と位置付けているが、最近では『たまに』が段々と増えてきており、『裏』の者たちからはほぼ同業者扱いされている。おそらく、ここ二百年の中で、最も『裏』に顔が利くクレスター一族の一人だろう。


「噂はともかく、『裏』と関わる機会は多いですからね。あなたの話はよく伺って、いつかお会いしたいと思っていました」

「何も私などに会わずとも……あなたのすぐ近くには、黒翼殿がいらっしゃるではありませんか」

「シリウスは確かに凄腕で、俺なんかまだまだ敵いませんけど。あなたはシリウスとは違い、単独で各地を巡って仕事をしながら、『裏』で生きる誰もに尊敬される、伝説の稼業人と伺いました。何があろうと道理を通し、時に雇い主に反してでも、人々の幸福を守る方だと。――ずっと、お話ししたいと思っていたのです」

「……そこまでご存知なら、私が決してクレスター家と関わらないことも、当然耳に入ったのではありませんか」


静かに発されたその言葉に、エドワードはしゅんと肩を落とした。


「知っています。……父もシリウスも、詳しい話を教えてはくれませんでしたが。ある出来事を境に、黒獅子殿が我らを避けるようになったと」

「そのお言葉は、正しくありません。私の方が、クレスター家の皆様に、会わせる顔がないのですよ」


黒獅子の声は柔らかく響き、エドワードの耳まで届く。


「私がまだ若く……この『世界』のことを、よく知らなかった頃のことです。無知ゆえとはいえ、私は決して赦されない罪を犯しました」

「ですが、」

「えぇ、デュアリス様は、まるで気にされなかった。『知らなかったんだろ? なら仕方ねぇじゃん』などと仰いましてね。目と耳、両方を疑いましたよ」


あの父なら、いかにも言いそうな台詞である。犯した罪を真摯に反省する者に、クレスター家は寛容だ。


「例えデュアリス様が許してくださっても……いいえ、だからこそ、それに甘えるわけにはいかないのです。私はクレスター家に頼らず、この世界で生きて、遠くからご恩をお返しすると決めました。……ただ、息子にまで同じ道を強要してしまったことは、あの子に悪かったと思います」

「息子さん……『仔獅子』と呼ばれている、彼ですね?」

「私の息子ということで、そんな通り名がついたようですね。本人は、『俺に『獅子』は似合わないよ』と笑っていましたが」


黒獅子は、守るべきものを持った男の眼差しを、ひたとエドワードに向けた。


「若君。……いいえ、エド。あなたが『裏』に生きる一人というなら、どうかこの先あの子と出会ったとき、私の罪をあの子に背負わせることだけはなさらないでください。私の罪は私が背負い、冥府の岸まで持って参りますゆえ」

「黒獅子殿……」

「私はおそらく、今年の冬を乗り切ることはできないでしょう。――私が死んだ後は、カイを、息子を、どうかよろしくお願いします」

「……えぇと、それは無理だ、って言いに来たんです、俺」


重い空気が漂っていた小さな部屋に、しばし、妙な沈黙が満ちた。


「……は?」

「黒獅子殿が難しい病気で、けど薬草さえ手に入れば何とかなるって聞いた父が、本気を出しまして。港町に臨時の療養所を作って、薬の流通路も確保しました。これからそちらまで来て頂けませんか、ってお誘いに来たんですよ」

「は!?」


叫んだのは、それまでずっと真横で話を聞いていたドリー医師だ。


「若君、アンタ何言ってる!? マルハバソウの煎じ薬だぞ、一体どれだけの量がいると思ってるんだ!」

「だから、エドって呼んでくださいよ。――俺も詳しく知ってる訳じゃないですけど、何代か前のクレスター家に砂漠の国に移住した人がいて、現地で輸出貿易業始めて、そこがその植物も取り扱ってるらしいです。事情説明したら、薬効を最大限に活かせる煎じ方とかも合わせて届けてくれるらしいので、多分何とかなりますよ」

「イヤイヤイヤ……」


何してんのクレスター家、と、ドリーでなくとも突っ込みたくなる。当事者の黒獅子に至っては、唖然と顔に書いてあるくらいの驚きようだ。


「……受けられるはずがないでしょう。デュアリス様も、私の答えなど、分かりきっているはずですのに」

「生きられる手段があるのなら、活かすべきですよ。我々クレスター家は、その『手段』の幅を、ほんの少し広げているに過ぎません」

「私だけにそんな特別扱いをするというのですか?」

「黒獅子殿が助かれば、同じ病気の人を救う道が開けます。決してあなただけを救う訳じゃない」

「……なら、私ではない別の誰かを、最初の一人になさればよろしい」


聞いていた通り、相当の頑固者だ。ドリー医師は、黒獅子を救う道が開けたと聞いて、今すぐ荷造りをしたそうな風情なので、後は本人の説得のみである。

エドワードは、少し笑って首を傾けた。


「あなたは、生きるべきだと思いますけどね。――息子さんのためにも」

「……何を、」

「気になりませんか? あなたの気持ちを尊重して、これまで敢えてあなたを探さずにいた父が、どうして急にこんなことをしたのか」


黒獅子は、強いだけでなく賢い人だ。少しの沈黙の後、「……まさか」と唇を動かした。


「駆け込まれた訳じゃありませんよ。……少し困って、接触したのは確かですけれど」

「何をしたんですか、あれは!」

「あなたの薬代を稼ぐために、一番報酬の良い仕事に飛びついた結果、真っ向からウチと敵対しました」

「あの、馬鹿……!」


頭を抱えた彼は、次の瞬間、ベッドから飛び降りようと体勢を変えた。エドワードとドリーの二人がかりで、何とかそれを抑え込む。


「おい、落ち着けソラ!」

「落ち着け? あの馬鹿を一発殴るまでは、落ち着けませんよ!」

「いやまぁ、まさかカイが、そんな初歩的ミスをするとは思わんかったが、アイツも必死だったんだ。そう怒るな」

「親子二代であの方々に迷惑をかけるなど、一体デュアリス様に何とお詫びすれば良いのか……」

「あー、別にウチの父には、迷惑かかってませんから。主に色々あったのは、俺の妹の方で」


抑えつつ宥めると、ベッドの上で、黒獅子はぴたりと動きを止めた。やや青ざめた表情で、彼はエドワードを見返してくる。


「エドの妹、とはまさか、末姫のディアナ様……」

「それです。ディアナ今、『紅薔薇の間』の側室として、後宮にいまして。色々あって派閥の長みたいな立場に立たされてるんですが、カイくんを雇ったのが、ディアナと敵対しているご令嬢のお家なんですよ。だから最初はディアナの敵だったんですけど、何か中であったらしくて、今は敵方に雇われつつ情報流してくれる二重隠密として、ディアナに協力してくれています」


三十秒で分かるカイのお仕事を聞いた黒獅子は、そのまま膝に頭を埋め、全身をぷるぷるさせた。……全力で、叫びたいのを堪えている、らしい。


「どこまで、馬鹿なんだ、あいつは……!!」

「ほら、元気になって、一発どころでなく殴らないと、って思うでしょう? カイくんの現在地は後宮ですから、さすがの黒獅子殿でも、病気のままでは潜入できませんよ」

「……そういうことなら、ここは恥を忍んで、お世話になるしかありませんね。馬鹿息子を殴って回収して、土下座で謝らせるのは、父親である私の役目でしょうから」


彼の返事を聞くが早いか、ドリーが地下室から飛び出していく。明らかにさっきより元気に見える黒獅子を眺め、エドワードはよし、と頷いた。


(動機はともあれ、黒獅子殿が治療に前向きになったんだ。病が完治した後の親子喧嘩は、ぜひ見物させてもらおう)


親子喧嘩の片割れが聞いたら、「勝手なこと言うな!」と突っ込むこと間違いなしの感想を胸に、伝達を出すべく紙とペンを取り出すエドワードであった。







と、いうわけで、黒獅子さん登場でした!


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