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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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旅立ちの前に


ライアたち『名付き』の三人に事情を話して留守中の後宮のことを頼み、旅の準備の確認をして、実家にことの次第をしたためた手紙を書き――降臨祭前日は、慌ただしく過ぎていった。その日の夜はいつもよりかなり早く寝台に放り込まれ、当日は朝から用意だ。

とはいっても、ディアナがするのは服を着た後鏡台の椅子に座るだけである。侍女たちは実に楽しそうに、『紅薔薇様』を飾り立ててくれた。華やかでありながら品のよさを忘れないセンスは、流石王宮侍女だ。


そんなこんなで磨き上げられたディアナが、ソファーの上でひーふーしていると、リタが軽い急ぎ足で入室してきた。今いるここはプライベートルームであるため、部屋の中に他の侍女の姿はない。


「デュアリス様からです」

「早かったわね。もう発っていらっしゃると思っていたのに」

「昨日出発しようとした矢先に、ディアナ様のお手紙が届いたそうですよ」

「あら、お父様のお邪魔をしてしまったわね」


ぱらりと開いてみるとそこには、少し急いだデュアリスの字で、こちらも例年通り各地へ行くため、そちらの護衛にあまり手は回せないが、何かあったときのために緊急連絡路は確保しておく。慣れない土地だろうから、万一のために武器は肌身離さないようにしなさい、といった内容が綴られていた。父らしい文面に、ディアナは軽く笑う。


「王家の一行を襲う盗賊も、そうそういないでしょうに。お父様も心配性ね」

「デュアリス様は、他のことをご心配くださっているのでは? 今回の行列に『紅薔薇』が加わることは、後宮では情報規制されていても、外宮ではそうもいかないようですから」

「陛下ではなくわたくしを狙うものが現れかねない、と? だとしても、返り討ちにすれば良いだけの話だわ」


リタがいてくれるもの、と微笑むと、言われた当人は苦笑した。


「いくら私でも、絶対に退けられる保証はありませんからね。ちゃんとディアナ様も、用心なさってくださいよ」

「分かってる。武器もきちんと隠し持っているから」


実に殺伐としたほのぼの会話である。声の聞こえないところからこの二人を見ても、こんな物騒な話をしているとは夢にも思われないだろう。


「用心は必要だと思うけど、あんまり警戒しすぎるのもどうかと思うわ。王宮側を信用していない、と受け取られかねないし」

「『闇』の戦力があてにできないとなると、警戒もしたくなります。王宮の騎士たちとて、どこまで頼りになりますか」

「……一応彼らは、この国で最も優れた剣の使い手、なのだけどねぇ」


だが、それはあくまでも、正攻法で戦った場合のみ。闇に紛れてこっそり背後に忍び寄り、標的殺害のためなら手段を選ばないような輩との闘いにおいては、いかな王宮騎士とて素人だ。

遠慮のないリタの感想に、ディアナは笑った。


「今のところ、『闇』が得意な分野での戦闘は、想定されていないでしょう? そういうことをしそうな敵がいないし」

「分かるものですか。あの二重隠密のように、クレスター家に知られず『裏』で生きる者が、いないとも限りません」

「それはまぁ、可能性だけ考えたら、ゼロとは言えないだろうけど……」


しかし、あれもまた、かなり特殊な例だとディアナは踏んでいる。彼の様子を見るにつけ、どうも本人の言う、『たまたまずっとクレスター家と関わらなかった』という主張は疑わしいからだ。

一見考えなしにひょいひょい無謀なことに手を出しているように見えるカイだが、彼はかなり慎重な性格で頭も切れる。軽い態度で僅かな違和感を煙に巻きつつ、自分のペースに持ち込んで、相手に疑問を抱かせない。相当にレベルの高い対人術だ。

そんな人物が、『たまたま』なんて不確定要素で世の中を渡ってきたとは、ディアナにはどうしても思えないのだ。理由は分からないが、彼はおそらくこれまで、意図的に『クレスター家と関わらない』よう生きてきたのだろう。何故急に宗旨変えしたのか、そこまではさすがに分からないけれど。


「少なくても、カイみたいなのがごろごろしてはいないと思うの。普通に裏稼業で生きて、クレスター家に情報が入らないようにするって、ほぼ不可能だし」

「……アレは稀な例外だと?」

「まぁ、ね。わたくしはそう思ってる」


言ってからヒヤリとする。何故その結論に至ったのか説明しろと言われたら、かなり困ったことになるからだ。何しろカイはいつも、部屋にディアナ以外誰もいないときを見計らって降りてくる。自分の知らないところで、実はディアナがちょくちょくカイと会っているなんてリタが知ったら、次にカイと顔を合わせるとき、問答無用で小刀を投げつけかねない。


「ディアナ様。――少々よろしいでしょうか?」


背中に冷たい汗が流れかけたそのとき、救いの女神がやって来た。ユーリが入り口から顔を覗かせている。


「大丈夫よ。なぁに?」

「それが……陛下が出発前に話をしたいと、使いを送っていらしたのです。ディアナ様のご都合が良ければ、これから部屋まで行くと」


予想外の連絡に、ディアナは思わずリタと顔を見合わせた。


「……珍しいこともあるものね」

「何を考えているのでしょうね?」


疑問には思ったが、国王陛下の申し出に『否』とは言えない。来訪をおまちしているとの返事をするようユーリに告げ、ディアナは立ち上がった。







ジュークがディアナの部屋を最後に訪れたのは、前女官長の一件について詳しい説明をしに来たときだ。ジュークが話すことは、実は全部知っていたディアナであるが、そこは彼女とて貴族の端くれ、軽やかに演技し乗り切った。

臣下の進言に広く耳を傾けつつも、誰かの言いなりになるのではなく、自分で考えることを心掛けるようになったジュークは、後宮という場所から眺めているだけでも、かなり印象が違って見えた。以前は軽挙妄動、感情のままに振る舞うことも多く、どこか幼い雰囲気を拭えなかった彼だが、前女官長の事件を境にぐっと大人びたと、後宮の中でも評判である。


「済まないな、忙しいときに」

「とんでもないことですわ。わたくしよりも陛下の方が、ずっとお忙しいことでしょう。お話でしたら、わたくしから罷り越しましたものを」

「それでは意味がない。今回の件は、私からそなたに頼まねばならぬことなのだから」


こうして一つの机を囲み、お茶を飲みながら会話が成立していることが、既に夢のようだ。王とこんな風に話せる日が来るなど、夏に初めて会ったときは、想像もできなかった。


「本当はもっと早くにここを訪れ、話をしたかったのだが」

「どうか、お気になさいませんように。わたくしにとっては、降臨祭の礼拝を、普段と違いミスト神殿で行うだけのことですから」

「……正妃代理とされていることに、異論はないのか?」


ジュークの目が、やや剣呑な光を宿す。あぁ、彼はこれを確かめたかったのかと納得して、ディアナは少し、困ったように笑ってみせた。


「正直に申し上げてもよろしければ……」

「構わぬ」

「異論は、ございます」


浮かべた表情は演技でも、言葉は本心だ。目を瞬かせたジュークに向かい、言葉を続ける。


「わたくし、今は暫定的に『紅薔薇の間』に住まいを頂いてはおりますが、あくまでも側室であって正妃ではございません。それなのに、人がいないからという理由だけで、正妃様のお役目を代行しても良いものかと」

「そう、思っていたのか?」

「もちろんですわ。わたくしが正妃ではないことは、他の誰より、わたくし自身が知っております」


なる気もないし、という本音は胸のうちだけで呟いておき、ディアナはジュークに微笑みかける。


「わたくしが『紅薔薇』である以上、これからも正妃様の役割を代行する機会はあるでしょう。それを拒否するつもりもございません。――ですが、あくまで代理は代理。そう、心得ております」

「……『紅薔薇』でありながら、正妃の冠を望まぬと?」


そう尋ねてくるジュークの顔には、『まさか、そんな人間がいるわけがない』とありありと書いてある。もう少し演技力を磨かないと危なっかしいな、と思いつつ、ディアナはほんの少しだけ、『紅薔薇』の仮面を外してみせた。


「わたくしが『紅薔薇の間』を与えられたのは、他に部屋が余っていなかったからでしょう? 『紅薔薇』と呼ばれているからといって、最も正妃に近いのは自分だなどと、考えるだけ愚かしいです」

「そ、そうか……」

「それに、今の王宮で、軽々しく正妃を決めることができないことも、分かっていますから」


保守派と革新派が常に火花を散らしているこんな状態の王宮で、正妃という権力ある立場を選ぶなんて、油まみれの藁屋根小屋に松明を持って体当たりするようなものだ。確実に火事になって自分も火傷すると分かっている状況を、自ら作り上げるなんて馬鹿な真似、さすがに今のジュークはしないだろう。


にっこり笑ったディアナに、ジュークはどこか、ぽかんとした表情になった。


「紅薔薇、そなたは……」

「はい?」

「……いや、何でもない」


ジュークは首を横に振ると、姿勢を正して、改めてディアナに向き直った。


「――そなたがそう考えてくれていると分かって、安心した。今日から十日間、不自由な思いをさせるが、よろしく頼む」

「勿体無いお言葉にございます。微力ながら、陛下と王国のため、力を尽くす所存です。慣れないことゆえご迷惑をおかけすることも多々あるかと存じますが、よろしくお導きくださいませ」

「実際形式ばった儀式があるのは、主日の礼拝だけだ。他はほとんどが移動だからな。普通、王と正妃は同じ馬車で移動するのだが、今回は特殊な状況ゆえ、できる限りそなたが気苦労を覚えないよう、取り計らったつもりだ」


王と『紅薔薇』が完全隔離されているのは、こちら側への気遣いだったらしい。嫌われているから離されたのかな、とぼんやり考えていたディアナは、密かな被害妄想をこっそり反省し、演技ではない微笑みを浮かべた。


「お心遣いに感謝いたします、陛下」

「今年は例年に比べ、侍女と侍従の数も少ないからな。困ったことがあれば、何なりと言ってくれて構わない。国王近衛からも数名、『紅薔薇』の馬車につける」

「おそれ多いことですわ。それでは、陛下のお側が手薄になりましょう」

「私の警備は、アルフォードが隙無く整えてくれている。心配はいらない」


ジュークはそう言って笑うと、立ち上がった。


「もう少ししたら、行程を取り仕切るものが迎えに来るだろう。それまでゆっくりしていると良い」

「はい、陛下。……陛下も道中、お気をつけて」


ディアナも立ち上がり、戸口までジュークを見送る。ぱたんと扉が閉じた音がして、室内には静寂が戻った。


「……結局、何をしに来たのでしょう?」

「『降臨祭、よろしく』って仰りたかったのではないかしら? 色々考えすぎて、言いたいことが迷子になっていたご様子だけど」


リタの端的な突っ込みに苦笑を返し、ディアナは残っていたお茶を飲み干す。


迎えが来たのは、それからすぐのことだった。リタとユーリ、ルリィに付き添われ、ディアナは慣れ親しんだ『紅薔薇の間』を、後宮を、後にしたのであった。



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