閑話その11~外宮室は大忙し~
今回の閑話は、コツコツ堅実に頑張る、キースさんがメインです。
ハンスを連れたキースが、外宮室――が今回の一件を密かに解決するため、秘密裏に確保した部屋、に戻ってみると、そこは悲惨な有り様だった。
「マリス夫人が手を出した宝物類はこれで全てか? 買い手の方は?」
「えーと、前女官長の後宮経費横領について……」
「おいこの紙こっちに置いたの誰だよ? これは向こうだろ、混ざったら分かんなくなるぞ!」
「模造品作ってた業者の裏は取れてるかー?」
「あぁ、その件でしたらあちらの紙の山のどこかに……」
そう広くはない室内に、外宮室の面々と関係書類、証拠の品の一部などが詰め込まれ、真面目に遭難を心配しなければならない段階の荒れようである。キースは思わずいつもの癖で眼鏡を直し、ため息をついた。
「ほんの数時間私が留守にしただけで、一体何があったのです」
「あっ、キースさん! いやね、陛下が、今回の件の全容を何としてでも解明せよと仰ったものですから」
「だからと言って、関係するもの全部この部屋に詰め込む馬鹿がどこにいますか。これでは、却って効率が悪いでしょう」
「それはほら、オリオンさんが、ねぇ……」
面倒を嫌う、外宮室一の大雑把男が諸悪の根元か。一言文句を言ってやりたいのは山々だが、残念ながらオリオンの姿は紙の山に埋もれて見えない。お説教はひとまず、この件が片付いてからになりそうだ。
キースの後ろで、何とも言えない目をして室内を眺めていたハンスが、ぼそりと呟く。
「てゆーか、誰が片付けるんだろコレ……」
「立候補してくださっても構いませんよ?」
「いやいや、さすがにそれはマズいでしょ」
「立ってるものは親でも使え。外宮室の格言ですからね」
「え、今の本気ですか?」
「残念なことに、外宮室は万年人手不足なんです」
キースは未処理の書面の山からいくつかを抜き出すと、インク壺とペンと共にハンスに押し付けた。
「こちらの内容を分かりやすく纏めて一覧にしてください」
「えええぇ?」
「終わらなければ帰れませんよ」
恐ろしい速度で未処理の書面を分類しつつ、キースは事も無げに言う。状況判断能力が抜群に優れているハンスは、喉まで出かかった『俺、平民なんですけど』『それどころか、そこそこダークサイドの人間なんですけど』という常識的な突っ込みを諦めた。クレスター家とつるんでいるだけあって、この外宮室とかいう部署、相当に変わっている。
「俺がやって良いならやりますけどね。俺が加わったところで、焼け石に水ですよ」
「……ですが、やるしかないでしょう」
「そもそも、疑問なんですけどね。あのご婦人……前女官長でしたっけ、あの人の余罪って、どれくらいあるんですか?」
「さぁ……細かく分類すれば、キリがないかもしれません」
ハンスは露骨に呆れた表情を浮かべた。
「その余罪を残らず明らかにしろって? あの王様、随分と無茶なこと言いますね。それだけで年が終わりますよ」
「罪の解明は、必要なことでは?」
「限度があるって話です。今回の目的……つっても、俺も詳しく聞いた訳じゃないですけど、要するに、あのご婦人から職と貴族位を奪えたらそれで良いんでしょ? だったら、誰から見てもその処分が妥当だって思える程度の『解明』にしといた方が、話早くないですか?」
『裏』で生きる彼は、無駄を好まない。最低限の労力で最大限の効果を上げ、目的を達成することこそが、彼の生きる世界の常識だ。この部屋の惨状は正直、手段と目的が逆転している印象を受ける。
ハンスの指摘に、キースは眼鏡の奥の目をぱちくりさせた。冷静な彼にしては珍しく、虚を突かれた顔つきだ。
「確かに……あなたの言うとおりですね」
「それに、今更全容を解明してどうなります? 馬鹿正直に世間に公表しますか? ……宝冠の件も含めて?」
ハンスが最後に付け足した一言は、表向きはいつも通りにてきぱきしつつ、実は寝不足で思考能力が鈍っていたキースの頭を、即座に揺り起こすだけの威力を秘めていた。
やや慌て、キースは入り口近くで作業していた室員を振り向く。
「先程、これは陛下の指示だと言いましたね?」
「え? えぇ、陛下のご指示です。ここまで虚仮にされたのですから、女官長の罪を全て公にして、正当な罰を下したいと、陛下はお考えなのでしょう」
冗談ではない。そんなことをしてしまったら、何のためにここまで苦労して、宝冠を取り戻したのか、分からなくなってしまうではないか。隣のハンスも肩をすくめている。
「……陛下は、どちらに?」
「へ? えぇと、多分隣室においでです。我々がまとめた文書に、逐一目を通していらっしゃいますから」
ここからなら、内側の続き扉を使うより、廊下から回った方が早い。
無言で立ち上がり、部屋を出ていったキースを横目に見ながら、ハンスは思った。
偉い方々は偉い方々なりに、苦労してるんだな――と。
廊下をぐるりと回って隣室の前に立ったキースはまず、扉前に近衛騎士がいないことに驚いた。国王陛下は今のところは、誰にも気付かれないよう動いているらしい。
「失礼致します」
「……キースか?」
「はい」
ガチャリとノブが回る音。扉が内側から開き、覗いたのはアルフォードの顔だ。
「やはりここにいらしたのですね」
「あぁ、まぁな。……とりあえず、入れ」
促され入ったその先には、予想通り、国王陛下の姿もあった。古びた机に積まれた文書を一枚一枚、真剣な表情で読み進めている。
呆れたことに、室内にはアルフォードの他に近衛騎士がいない。キースは深々と息を吐き出した。
「無用心過ぎませんか?」
「俺もそう思うんだけどな。マリス夫人とその周辺を洗うのに、今は近衛騎士以外を使えないだろ」
「既に確保に動いている、と?」
「いや? ひとまず事実確認に留めとけ、って命じてある。下手に先走って、反撃されても厄介だしな」
アルフォードが現国王の近衛騎士団長に選ばれたのは、方々にとってつくづく幸運だった。彼がギリギリのところでいつも、最悪の状況を回避しているのだ。
「……ところで、陛下が外宮室に対し、マリス夫人の罪状を全て明らかにするように命じられたと聞いたのですが」
「あぁ、必要なことだろ?」
「それはつまり、彼女の罪を公にすると?」
「しなきゃ、正式に罷免できない。……おいおいキース、どうした?」
「――私がお尋ねしたいのは、公にする事柄の中に、今回の『宝冠盗難』も含まれているのかということです」
ズバリ切り込んだキースの言葉に、アルフォードは一瞬言葉を失った。
「……それは、確認してなかったな」
「えぇ、私も失念していましたから。ちなみに、これもある人物からの助言ですが、前女官長の悪事を残らず解明するとなると、恐ろしく時間がかかる。ここは彼女を追い落とすことを優先し、罪人にできるだけの罪を公表するべきではないかと」
「う……一理、あるな」
キースは大きく頷いた。
「もちろん、マリス夫人から財宝を違法に買った者や、彼女の悪事に荷担した者たちを、可能な限り洗い出すことは必要です。が、果たしてそれを同時に行うことは重要でしょうか?」
「下手に処分を大々的に行うと、方々から反発を受けるか……」
「こちらが証拠を握ってさえいれば、罰することはいつでもできます。今はひとまず、前女官長と彼女の協力者を標的にするべきでは?」
「お前の言いたいことは分かった。……キース」
アルフォードが、少し剣呑な目で睨んでくる。
「聞きたいことがあるんだけどな。お前ひょっとして、マリス夫人が国宝にまで手を出していたこと、あらかじめ知っていたか?」
「知らなければ、ここまで準備万端に整えられません」
「やっぱりか! 何で俺に黙ってた?」
今回、外宮室とクレスター家が最大の目的にしたのは、『マリス夫人の罪を暴く』と、『宝冠の件を大事にしない』だ。……そのためには。
「敵を騙すにはまず味方から、と申しますでしょう? 断っておきますが、ディアナ様ですら、詳しい事情は何一つご存知なかったのですからね」
「……ディアナ嬢も? そんな風には見えなかったが」
「あの方々が、どれだけ本心を隠す術に長けているか、それは私などよりあなたの方がよくご存じでしょうに」
「そうだった、そうだったな……。あー、まんまと嵌められた」
頭をがしがし掻いて、アルフォードは身体の向きを変える。
「まぁ、陛下に確認するか」
「お願いします」
「なーに言ってるんだ、話をするのはお前だよ」
「私が?」
怪訝な顔をしたキースに、アルフォードはずびしと指を突き付ける。
「言い出したのは外宮室だろ。お前が言わなくてどうする」
「正確にはウチではないのですけれど……」
「なんか言ったか?」
「いいえ、お話しさせて頂きます」
アルフォードの言うとおり、言い出しっぺが進言するのが道理だろう。キースは静かに、王が陣取る机に近づいた。キースとアルフォードの会話は扉付近の少し奥まった場所で行われていたので、王が気付くことはなかったらしい。
人の気配に気付いて顔を上げた彼は、キースを見て不思議そうな顔になる。
「ハイゼット室長補佐だったか。どうした?」
「陛下に一つ、お尋ねしたいことがございまして」
「私にか? 申してみよ」
冷静な風を装ってはいるが、怒りを隠しきれていない辺り、この国王はまだまだ若い。キースは敢えて、ゆったり切り出した。
「今回の、宝冠盗難と横流しについてですが。陛下はこの件を、どう処理なさるおつもりですか?」
「何を分かりきったことを。首謀者であるマリス夫人含め、関係者全員の罪を明らかにし、厳しい処分を下す」
「……それはつまり、この件を明るみにする、と?」
「内々に収められる話ではないだろう」
――確かに、とキースは思う。女官長の職にある者が国宝を売り飛ばすなど、国家反逆罪にも等しい重罪だ。通常ならば隠すべきではないし、調停局にも調査に入ってもらい、徹底的に真相究明するべき案件といえる。
だが、それは。あくまでも、『王家が絶対的権威を持っている状態』での話なのだ。
「本当に、それが最善であると、陛下は思っていらっしゃいますか?」
「最善かどうかは関係ない。これは筋として、正さねばならぬことだ」
「――ならばお尋ねしますが、陛下は国王として今すぐにでも、正妃様をお決めになるべき『筋』があるのでは?」
眼鏡の奥にあるキースの目が、厳しく光る。文官である彼は武術には疎いが、ここぞというときに引かない彼の強さが見せる迫力は、戦いに赴く男たちに通じるものがあった。
――そしてジュークは、それをまったく察することができないほど、愚かではなかったのである。
「そ、れは、そうかもしれぬが……!」
「そもそも陛下が即位と同時に正妃様をお選びになっていれば、今回の事件は起こらなかった。事件の『筋』を通すとなれば、当然そこにも触れられることでしょう」
「……何が言いたいのだ。内務省の者たちと同じくそなたも、正妃が決まらぬことが国を混乱させているとでも言うつもりか?」
「私はただ、『筋』を通すことが単なる意地になってはいないかと、案じているに過ぎません。これが私の杞憂ならば、余計なことです」
少し前までの王なら、『そなたの杞憂だ!』の一言で、話を切り上げていたことだろう。しかし、自らにとって痛い言葉でも逃げずに受け入れ、自分の頭で考えることを決めた彼は、キースの目を真正面から見返した。
「……私が、意地から真相究明したいと考えていると、そういうことか?」
「一度立ち止まり、冷静に考えて頂きたいと、そう申し上げております」
「私は冷静だ!」
「そう叫ぶ人間ほど冷静でないのは、世の中の常識です」
返す刀でズバッと切られ、王はぐっと黙り込んだ。何だかんだ言いつつ、頭に血が上っていることは、きちんと自覚しているらしい。
アルフォードは無言で、二人のやり取りを見守っている。人から言われた『答え』に縋るのではなく、自分自身で考え、『最善』を選び取る。――ジュークに今もっとも必要なものはそれだと考えているからこそ、彼は王の選択に、決して口は出さない。
「――……一番、王国にとって、良い結果となること。それが、『最善』であり、私が選ぶべき、道なのだろうな」
「陛下……」
「ハイゼット室長補佐に尋ねたい。……例えばその『最善』が、本来の正道から外れていたとしたら、その選択は正しいものだと言えるか?」
優柔不断な王は侮られかねない、という通説があるが、今目の前で、悩み、迷い、苦慮する王を、キースは情けないとは思わなかった。根拠のない自信にまみれ、自らを省みない王より百倍良い。
「――国政におきまして、何が『正しい』選択かなど、私どもとて分かっている訳ではありません」
「そう……なのか?」
「我々にできることは、現状を正確に把握し、どうすれば国と民のためになるか考え、実行することだけです。その場その場で柔軟に、誠実に、課題に向き合う。その結果良くなれば、あの選択は正しかったとなりますし、悪くなれば間違ったということになる。私は、そう考えております。……ただ、」
言葉を止めたキースを、王は、真っ直ぐな目で見つめ返してくる。
「ただ……何だ?」
「何よりも、一番に優先すべき相手を『民』と肝に命じておけば。自ずと見えてくる『答え』も多いと、私個人は信じています」
王は、大きく目を見開いた。何かを考え、やがておずおずと、困ったような笑みを浮かべる。
「皆、同じことを言う……」
「陛下?」
「何でもない。そうだな――、『民』か」
王はふるふると首を振ると、視線をアルフォードへ向けた。
「マリス夫人の罪状で、今明らかになっていることは?」
「公金横領と後宮備品の私物化、あと職務不履行といったところでしょうか?」
「……国宝の件は?」
「状況証拠からは間違いありませんが、奴らはこの件で、物的証拠を残していませんからね。自白が取れない限り、ことがことだけに、内務省も調停局も、処分には慎重になるでしょう」
「彼女と繋がっているであろう者たちの割り出しは?」
「後宮備品を買い取った者たちの洗い出しは終わっています。ただ……、彼女の悪事を知っていて見逃し、その恩恵に預かっていた者については、推測の域を出ません」
ただ王の側に控えているだけのようで、実はこまめな報告を徹底させ、逐一情報をまとめていたアルフォードである。淀みない水のように、すらすら答えた。
「なるほど、そうか――」
「陛下、どう致しましょう?」
訊ねたキースに、ジュークは毅然とした眼差しを注ぐ。
「何度も手間をかけさせて済まないが。今アルフォードが言った件の証拠固めを急げるか?」
「公金横領と、後宮備品の私物化ですね? 前女官長の職務不履行については、後任のマグノム夫人が、既に調査してくださっています」
「分かった、分担はそちらに任せる」
王は、何かを決意したらしい。彼の視線に、キースは深々と、頭を下げた――。




