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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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予定外の巡り合わせ


昨夜の侵入者が女官長とは無関係の可能性が高いと聞かされたカイは、珍しく長い間沈黙していた。いつも浮かべている笑みも消し、真剣な表情で考え込む彼を見ていると、どうにも落ち着かなかったディアナだ。裏方に徹する仕事をしているのがもったいないほど顔の造作が整っているカイが真顔になると、びっくりするくらいの迫力がある。


『てっきり女官長さんの差し金だと思ってたんだけどね……。味なマネするじゃん?』


ようやく呟いたと思ったら、この台詞だ。目が笑っていない笑顔で、実に楽しげに彼は言った。


『あの侵入者は『牡丹』とは関係ない。それははっきり断言できるよ。それで女官長とも繋がってないとなると……』

『やっぱり、私たちの知らない誰かが動いているってことになるのかしら』

『そういうつもりでいた方が、話は早そうだね。……心当たりは?』

『……多すぎて絞れない』

『クレスター家のお嬢様で、『紅薔薇様』じゃあ、仕方ないか。――分かった。俺の方で、探れるだけ探っとく』

『ちょっと待って。昨夜の侵入者さんのこと教えてもらえたら、探るのはこっちでやるわ』


カイはクレスター家の『闇』ではないのだから、余計な仕事を増やすわけにはいかない。そう考え申し出たディアナに、カイは獰猛な笑みを浮かべた。


『ひょっとして、それ聞くために会いに来たの? 無駄足だったね』

『カイ!』

『心配しなくても、シリウスさんに会ったら話は通しとくよ。でも、ディアナには言わない』

『何言ってるの。あの侵入者は後宮近衛の誰かよ。私だって役に立つわ』

『……昨夜と同じこと、もう一回されたい?』


笑顔のまま一歩近づいてきたカイから、気付いたときには後ずさっていた。――目の前にいる少年が、急に見知らぬ男に見えた気がして。


『そうそう、そうやって大人しくしとくこと』

『……あなた、変よ、カイ。昨夜から、一体どうしたの?』


以前と同じようでいて、実際同じひとのはずなのに、どうしてときどき、違うひとのように感じてしまうのか。分からないまま戸惑うばかりだったディアナに、カイはやっと、見知った笑顔を浮かべた。


『――さぁ、どうしたんだろうね? 俺は自分が何か変わったとは思わないけど』

『……嘘ばっかり』

『嘘じゃないって。強いて言うなら――そうだね、見つけたくらいかな』

『見つけた? 何を?』

『――大事なものを』


それが何なのか、具体的には聞けなかった。カイがそこで話を切り上げてしまったからだ。昨夜の侵入者について、詳しいことは、結局分からなかった。


(……なんだろう、カイが見つけた大事なものって)


大切なものなら、ディアナにだって沢山ある。後宮に入る前には予想だにしていなかった、この閉ざされた世界で、これほど多く大切にしたいひとができるなんて。

けれど、カイが見つけた『大事なもの』は、そういった意味合いとは少し違う『何か』のような気がした。同じひとを、あれほど違って見せるものとは、一体なんなのだろう。


とぼとぼ、人気のない方へと、ディアナは歩を進めていく。カイに会うという目的を果たした今、なるべく早く部屋に戻るべきだと頭では理解していても、そういう気持ちになれなかったのだ。帰ったらユーリに怒られるだろうなー、と思いつつ、誰もいないところでしばしゆっくりしたかった。

たどり着いたのは、裏庭にある古ぼけたベンチ。かなり昔からそこに置き去りにされたまま忘れ去られているらしく、周囲の植物と同化して、不思議な落ち着きを与えてくれる空間となっている。どうもこの後宮は、蔦庭といいこのベンチといい、放置された備品の多い場所だ。

ベンチに腰掛け、背もたれに体重を預ける。目を閉じると、日差しの温かさが、落ち着かない心を癒してくれるような気がした。

今日は風も穏やかなので、寒さよりは温もりが勝っているようだ。もうしばらくしたら、外でのんびりするには厳しい季節になるだろう。


「……そこにいるのは、もしかして、ディー?」


――半分眠っていたのかもしれない。よく知った声をかけられ、ディアナはそこでようやく、背後に人の気配を感じ取った。慌てて身を起こすと、くすくす笑い声が響く。


「やっぱりディーね? こんなところで寝てたら風邪引くわよ?」

「大丈夫よ、私、身体が丈夫なことだけが取り柄だもの。……シェイラ、どうしてここに?」


振り返ることはできないが、後ろにいるのは間違いなくシェイラだ。園遊会で最悪の鉢合わせをしてから、ディアナは気まずくて、『ディー』としてすらシェイラに会いに行く勇気が持てなかった。シェイラも部屋に引きこもりがちだとかで、どう接するべきか悩んでいたところだったのに。

――背後の気配はどう控え目に見ても、引きこもってうじうじしている人間の空気ではない。


「ディーもここ、知っていたのね。私も最近見つけたの。人も滅多に来ないし、気分転換にはもってこいの場所よね」

「いえあの、場所の話でなくてね? ……その、」

「――もしかして、園遊会でのこと、気にかけてくれていた?」


ディアナの沈黙を肯定と取ったのか、シェイラが一歩近づく足音がした。


「ごめんね、心配かけて」

「シェイラが謝る必要なんてない。あのときだって、どうしてシェイラが『紅薔薇』に頭を下げたの? あなたの叔父様が彼女に無礼を働いたことは確かだけど、それは彼の罪であってあなたは悪くないのに」

「相変わらず、ディーは私の心配ばっかりね。公衆の面前で侮辱された『紅薔薇様』のことはいいの?」

「よくはないけど…。私は、『紅薔薇』よりシェイラの方が気になるの。友だちを心配するのは、当たり前でしょ?」


よほど振り返りたい衝動を抑え、ディアナは続けた。


「園遊会が終わってから、あなたは元気がないって聞いたわ。あんなことがあったのだから当然だろうって、皆様気遣っていらっしゃったけれど」

「ありがたいことよね。あんな父親がいる側室なんて、後宮追放になってもおかしくないでしょうに」

「保護者は保護者、シェイラはシェイラよ。あなたを知る者なら、彼とあなたを同一視したりしないわ」

「えぇ、本当に感謝しているの。――特に『紅薔薇様』には」


何故そこで『紅薔薇』の話になる?

小首を傾げた様子は、後ろからしっかり見られていたようだ。シェイラの鈴のような声が響く。


「あれほど侮辱した叔父にも、私にも、何一つお咎めなくお許しくださったのよ? あれほどお優しくて、気高くて、お強いお方を、私は他に知らないわ」

「それはシェイラ、色々と買い被りすぎな気が…」

「いいえ、『紅薔薇様』は素晴らしいお方よ。私、園遊会ではっきり分かったの。――嫌われてしまったから、御前に出ることは今後一切控えるけれど、ディアナ様のためならどんなことだってする。…そう、決めたの」


ディアナは本気で、自分の耳と頭の心配をする羽目になった。今、最初から最後まで、理解不能の言葉を聞いた気がする。……そうか、これが幻聴というやつか!


「信じてないでしょ? いいのよ、ディアナ様の素晴らしさは、私だけが分かっていれば良いんだから」

「そこで拗ねられても困る……というか、あれだけ最悪の空気になったのに、どうしてそこでその結論!?」

「最悪の空気を作ったのは、ディアナ様でなくて叔父よ? あれだけ無礼な真似をされて、口頭注意だけで済ませる度量の持ち主はいないわ」

「それは多分、『紅薔薇』として園遊会を台無しにすることができなかっただけだと…」

「えぇ、そう。個人的感情より立場を優先させて、多くを救おうとなさる方なのよ。……どう、貴いお心をお持ちでしょう?」


ここで頷いてしまったら、自画自賛という言葉では済まない居心地の悪さを覚えることになる。……が、背後のシェイラが発する奇妙な迫力を前に、無言を押し通す度胸もディアナにはなかった。


「えっと、うん、まぁ、そういう風にも考えられる、かしらね……?」

「もう、素直に認めないんだから。ディアナ様にまつわる噂があのように酷いものばかりだなんて、私には信じられない。きちんと見れば、そんな悪い方のはずがないって、分かるはずなのに」

「きちんと見てくれる人が極少数なのが現実です……」

「何か言った?」

「いえ、大したことじゃないわ」


思わずこぼれ落ちた本音にひやりとしつつ、この際だから幻聴の続きについても、突っ込みを入れておくことにした。


「ところでシェイラ、『紅薔薇』に嫌われたというのは? そんな噂が流れているの?」

「え?」

「いや、『え?』じゃないでしょ。あの話の流れで、どうして『紅薔薇』がシェイラを嫌うなんて思うの? さっきも言ったけれど、悪いのはあなたじゃなくて、あなたの叔父でしょう?」

「こんなに厄介事ばかり運んでくる側室を、むしろどうして嫌わずにいられるの?」

「あなたがいつ、厄介事を運んだのよ」

「陛下とのことにしてもそうだし、助けて頂きながらお力になれなかったし、園遊会ではあぁだったし」

「それ全部シェイラのせいじゃないから! 『紅薔薇』がその……そこそこできる人間なら、それくらいのこと分かるでしょう普通!」


シェイラがきょとんとしたのは、顔を見なくても分かった。


「……そう思う?」

「これで『紅薔薇』がシェイラを嫌いだとか抜かしたら、私は彼女の脳天かち割りに行くわよ」

「それは物騒だからやめて。嫌われても仕方ないと思っているし、嫌われていても構わないのよ私は」

「『私』が良くないの」


何が悲しくて、友人に『自分が彼女を嫌っている』と誤解されなければならないのか。百歩、いや千歩くらい譲って崇拝の眼差しは諦めるとしても、これだけは断固として認められない。


「なんなら、『紅薔薇』に会いに行ってみなさいよ。杞憂だって分かるから」

「ディーまでそんなこと言うの? できるわけないじゃない。あんなに迷惑かけたのに」

「気にしなくていいって」

「良くない。言ったでしょ? 私は影ながら、ディアナ様をお助けできたらそれでいいって」


……そういえば、そんなことも言っていた。


「……念のため、何がどうなってそう決めたのか、聞かせてもらってもいい?」

「簡単なことよ。ディアナ様は後宮で、私たち立場の弱い側室の力になってくださっている。その御恩に報い、尚且つあのお方のご不快にならないように、姿は見せずにお役に立つの」


どこの隠密だそれは。既に『闇』とカイがその枠に収まっているので、シェイラまでそちらに方向転換する必要は全くない。むしろシェイラには、これまで以上に側室枠で、友人枠で、頑張ってもらいたいのだが。


「園遊会のとき、ある方からお言葉を頂いてね。それから考えて考えて、これが一番、ディアナ様のお役に立つ方法だって気付いたのよ」

「その気持ちは実にありがたいんだけども…」

「ディー?」


あまりの事態に、『ディー』の皮が剥がれそうになっている。園遊会前に会ったときも思ったが、シェイラの浮上理由は常識のナナメ上だ。まさかの隠密枠参入宣言、これをどう思い留まらせるべきか。


「ディー、どうしたのよ?」

「――そうだ、シェイラ。話はがらりと変わるけれど、陛下から何か便りはなかった?」

「……本当にがらりと変わったわね」


苦肉の策で、陛下を持ち出してみた。友人の言葉は聞けなくても、恋人の言葉なら素直に聞く女も多いという、聞きかじりの、真偽すら定かではない情報を思い出したからだ。

怪訝そうな声で、それでもシェイラは答えてくれる。


「園遊会の後、後宮近衛の団長様が、密かに陛下からのお手紙を届けてくださったわ」

「あら。――差し支えなければ、内容を教えてもらっても?」

「ディーに隠すことなんてないわよ。『これまで悪かった、俺は何も分かっていなかった』……そう始まって、『俺の気持ちはシェイラにしかない、それだけは信じてくれ』『だが、今の俺では、情けなくてシェイラの前に顔を出せない。王として、男として、もっと成長してから、もう一度お前のもとへ行く』『そのときには、お前のことを、色々聞かせてくれたら嬉しい』……とか、そんなことが書いてあったわ」


シェイラの声音は、先程までと微妙に違っている。手紙越しでも王の変化を感じ取り、少しの戸惑いと喜び、不安を滲ませた複雑な色。――言葉には出せずとも、彼の存在がシェイラに、少なくない影響を与えていることは明らかだった。


「……シェイラは、どう? 手紙を読んで、どう思った?」

「それは…」

「嬉しかった? ――信じたいと、思った?」


この沈黙は、肯定の証だ。見えないだろうが微笑みを浮かべ、ディアナは頷いた。


「羨ましいわ。そんな風に思える殿方がいらっしゃるなんて」

「ディーは、陛下のこと……」

「興味ないわね。王として優秀なお方かどうかは気になるけれど、男として見たことはないわ」


言ってはみたものの、男の人を『男として見る』という意味は、実のところディアナにはよく分かっていない。父も兄もアルフォードも陛下も男だ。彼らを男の人だと思うことが『男として見る』ということではないのか。……かなり前にエリザベスに尋ねたときは、『そのときになったら分かるわ』としか言われなかった。そのときとは具体的にいつだ。

ちょっとシェイラに訊いてみたい気もしたが、そんな話を持ち出せる空気でもない。途切れた会話を、シェイラの声が引き継いだ。


「……そんなに、いいものでもないわ。綺麗なだけじゃないもの」

「誰かを、想うということ?」

「身の程知らずな感情や、ドロドロとした苦いものも覚えてしまったもの。……知らない方が良かったと、思う日すらある」

「そういうもの、なの?」

「こんな感情が自分の中にあるなんてね。――もしかしたら、見つけちゃったらもう、手遅れなのかもしれない」


シェイラの声は苦かった。恋を知った女性は幸福できらきら輝くというが、彼女の様子を見る限り、その格言も怪しい。

おそらく、まだ、認められないのだろう。自分の中にある想いが、特別な種類のものだと。だから必死に、抵抗する。

そんなシェイラが、なんだかとても、悲しげに思えた。


「私には、よく分からないわ。理性では止められない、そんな強い想い、まだ知らないから」

「ディーって、変なところ子どもね」

「――それでも、これだけは思うんだけど」


凛と背筋を伸ばして、ディアナは言葉を、まっすぐシェイラへ投げかけた。


「自分自身と向き合う勇気のないひとに、誰かを助けることなんてできるのかしら?」

「……え?」

「この世で一番、乗り越えなきゃいけないものは、他でもない自分だと思う。自分の中にある、不安や恐怖、劣等感や絶望が、私にとってはいつも、一番の強敵だから。……多分それは、『紅薔薇』だって同じじゃないかな」


――そうだ。己の中に巣くう暗闇から目を背け、見ないふりをして、強がることは誰にだってできる。自慢じゃないが、彼らから逃げるのは得意だ。

だが、本当に、ひとを強くしてくれるのは。その暗闇に向き合った先にある『何か』ではないのか。弱さを排除して得られる仮初めの強さより、みっともなく泥だらけになって足掻き、そこで見つける強さこそ、ディアナが手に入れたいものだから。


「シェイラが本当に『紅薔薇』の力になりたいと思うなら、自分から逃げるのは却って遠回りよ。彼女は、己を偽って得る『強さ』を求める人間だと、あなたは思う?」

「それ、は……」

「シェイラの言うことを信じるなら、『紅薔薇』だってきっと、ままならない現実を前に苦しんでいる一人よ。そんな彼女を救うために、どんな力をあなたは望むの?」


一陣の風が、二人の間を駆け抜けた。気づけば、太陽は西へと傾いている。


「――ところでシェイラ、お昼は食べた? そろそろ昼食の時間も過ぎるけれど」

「え、……あ」

「まだみたいね。私もなの。……部屋に、戻りましょうか」


柔らかい声音を心掛けたディアナの気遣いは、シェイラにきちんと届いた。ふわり、笑う気配がする。


「えぇ、そうする。……ありがとう、ディー」

「お礼を言われるようなこと、何もしていないわよ?」

「もう、あなたってそればっかり。……ごめんね」


そっと、肩に手が置かれる。細い指先に、ふと力が込められた。


「――私、もう一度しっかり、考えてみる」


可憐な声には、強い決意が込められていた。




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