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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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園遊会~兄の場合~


そもそもエドワードは、ディアナの後宮入りには反対だった。


と言えば、まるでクレスター家の中でエドワードだけが反対派だったように聞こえるが、もちろんそんなことはない。初夏に勅書が届いたとき、エリザベスは花瓶を振り回して怒ったし、デュアリスとて良い顔はしなかった。話を聞いたフィオネも、物騒な笑みを浮かべたものだ。

しかし、強硬に反対意見を述べ、既に勅書も降りている段階で、妹の後宮入りを阻止しようと無茶して回ったのが、誰あろうエドワードだったのである。


理由は簡単。遅かれ早かれこうなると、彼には分かっていたからだ。


(こうなったら、後宮から撤退させるしかない)


放心状態の妹の手を引いて、彼は草の生い茂る横道を進む。見世物が始まる瞬間を待って上手く人々の興味をディアナから逸らし、間一髪で茂みの中へ引き込んだ彼は現在、その妹をとある場所へ案内している最中だった。

手を引かれた瞬間は僅かに緊張したディアナであったが、すぐに相手がエドワードだと分かったのだろう。余計なことは何一つ言わず、彼の案内に従って歩いている。ちらりと窺った表情は、まさに抜け殻状態。完璧に容量越えしてしまったのだと、エドワードには分かる。


(くそっ、こうなるって分かってたから嫌だったんだ。ディアナほどのお人よしが、厄介事を背負わないわけがない!)


ディアナに後宮入りの勅命が下ったこと自体、裏があることは明らかだった。勅書を読んですぐ、クレスター家はその裏を探ろうと手を尽くし、しかし後宮内の実情にまでは辿り着けなかったのである。厄介事の具体的内容までは読み解けないまま、みすみすディアナを王宮に渡した結果がこれだ。

ディアナが後宮に入ったことで、謎は解けた。後宮の内情、王宮の勢力図、新王の考えも、次々入ってくる。

――だが、そんなもの。ディアナと引き換えにしてまで手に入れる価値は、微塵もない。


もしも、ディアナが側室にならなければ。クレスター家は多分今、王都にいない。革新派が保守派を苦々しく思い、一部の保守派が革新派を目の敵にしていることは、シーズン最初の夜会で既に分かっていた。たった一年でここまで関係が悪化しているのだ、戦争までは時間の問題、やばいな領地の守りを固めないと、とデュアリスなら判断しただろう。王国で内乱が起ころうが、革新派と保守派がどれだけ激しくケンカしようが、クレスター家にとっては単なる対岸の火事。密かに仲良くしている貴族たちに警告した後は、できるだけ多くの民を守れるように、裏社会も含めた態勢を構築させるだけ。間違っても王宮に乗り込んでパワーゲームをコントロールするなんて、疲れる真似はしない。

しかし、王宮側がディアナを望んだことで、全てが狂い出した。ほとんどの重臣はクレスター家のことなど知らない、ただ数人、国の未来を深刻に憂う『仲間』が、ディアナに希望を託した。彼らの想いを受け取って、無下にできるディアナではない。


――ディアナは、背負うことを決めた。誰に理解されずとも、『紅薔薇』として、王国の命運を。


現在の後宮が、王国の未来を決める鍵だ。後宮の勢力図がそのまま外宮の勢力争いに影響を及ぼし、その先行き如何で全てが決まる。

それを分かっているから、ディアナは容量越えするまで頑張った。エドワードのたった一人の妹は、誰より優しく情が深い。冷たいフリをしても、本当の意味で冷酷になることなど出来はしないから。


誰に嫌われても気にするな、理解者だけを大切にしろ――。


クレスター家に代々伝わる人付き合いのコツを、デュアリスとフィオネは、耳にタコができるほど、何度も何度もしつっこく、ディアナに言い聞かせていた。ディアナはアレが普通だと思っていたようだが、少なくともエドワードは、あんなにしつこく教わった覚えはない。

父上と叔母様は、やたらディアナを構うよなぁ……。幼いながらも謎だったその答えは、王都に出て来てすんなり分かった。人々が『クレスター家』を見る目は、割と他人を気にしない性質のエドワードでさえも、打ちのめすものだったからだ。分かりやすく他人を蔑み、見下す目。『悪意』を形にしたら多分こんな感じ、とまじまじ思い知るほど、それらは強烈だった。

エドワードは早々に『他人』に見切りをつけ、人間を三つに分類した。守るべき身内、協力すべき仲間、利用すべき『その他』。クレスター家を見抜けないアンポンタンは全員『その他』、あちらがこちらをどう見ようが、どうなろうが、知ったことではない。

エドワードにはそれができた。『その他』に放り込んだ人間を利用し、ぽいぽい切り捨てても、全く心は痛まない。非情な人間だという自覚はある。

が、同時に。自分と同じことはディアナにはできないということも、痛いほど理解してしまったのである。


あまり他人に興味のなかったエドワードと違い、ディアナは幼い頃から天真爛漫で優しく、人と関わることを好む少女だった。屋敷の使用人によく懐き、領民たちとも積極的に交流して、災害や不作が起これば誰より迅速に民の救済に動き出す。クレスター家は伝統的に民を大切にする一族だが、ディアナのそれは群を抜いていたと言って良い。

そんなディアナだからこそ、デュアリスは、フィオネは、憂慮したのだ。いずれディアナもクレスター伯爵令嬢として、社交の場に出なければならない。人が好きで、本質的に『人間』という生き物を信じている彼女が、『クレスター家』に向けられる悪意に押し潰されはしないかと、二人は案じたのだろう。そしてそれはほどなく、エドワード自身が最も強く、感じるようになった。


兄妹であっても、自分とディアナは決定的に違う。他人を切り捨てることは、ディアナにはできない。例え悪意を向けてくる人間であっても、困っている姿を見れば、救いの手を差し延べようとするだろう。優しく純粋でお人よしな、彼の愛する妹。……本当なら、王都になど、連れ出したくはなかった。

『貴族』は同じ人間と思うなと、エドワードは繰り返し、ディアナに教え込んだ。両親が、叔母が、既に何度も説明しているだろう、聡いディアナはきちんと理解しているだろう、分かっていても言わずにはいられなかった。彼の妹は、人間の『悪意』の恐ろしさを知らない。いつか向き合うだろうそのとき、少しでも心構えをしていて欲しくて。


『……お兄様のおっしゃること、よく分かりましたわ』


――デビュタントの夜会の後、ディアナがぽつりと呟いた一言を、エドワードは今も忘れられない。これまで見たこともない瞳をして、それでもその澄んだ眼差しは少しも変わらず、ディアナは静かにそう言ったのだ。


明るく笑い、純粋に他人を信じる、そんなディアナは、社交の場を乗り越える毎に消えていった。日に日に『クレスター伯爵令嬢』らしくなっていくディアナ。社交界での悪評が高まれば、それすらも利用して人々を魅了する。数年前のディアナからは想像もできない、『咲き誇る氷炎の薔薇姫』――。


見せ掛けだけだと知っているのは、おそらくこの世で自分たちだけだ。


「――ディアナ」

「お、かあ、さま……」


辿り着いた場所は、今は使われていない廃園の片隅。園遊会が行われている現在は、とりわけ人気もない、そんな場所に来てようやく、ディアナの瞳に感情が戻る。

エドワードが連れて来たディアナに、待っていたエリザベスとフィオネが駆け寄った。


「……馬鹿ね。どうしてこんなに頑張ったの」

「おばさま…、だって、」

「分かっているわ。……よく、知っているもの」

「ディアナ……良い子ね。本当に、優しい子。貴女は私の、自慢の娘よ」


エリザベスがディアナを抱き留めたのと、ディアナが泣き崩れたのは、ほとんど同時だった。


「お母様……! ごめんなさい、私…」

「良いのよ。よく、本当によく、頑張ったわ」

「何も、できて、いないのに……」

「馬鹿。貴女のおかげで、一体どれだけの民が救われたと思うの」


座り込んだディアナの頭を、フィオネがそっと撫でる。


「貴女がここまでする義理なんて、どこにもなかったというのに。全く、呆れるくらいお人よしね」

「だって、このままじゃ戦争になる、て、おもって」

「……えぇ、そうね。貴女は優しいから。そうと気付いて、放置はできないでしょう」


ましてや、『紅薔薇』になぞ選ばれてしまったら、余計にね。


呟いたフィオネに、泣きながら、ディアナは大きく頷く。


「守らなきゃ、……って。そういう責任、与えられたって、こと、だから」

「逃げて良かったのよ。貴女は『クレスター伯爵令嬢』だもの。誰も責めないし、責められない。せいぜい、クレスター家の悪評が高まる程度だわ」

「ダメ。……だめ、です、叔母さま。逃げるなんて、できない」

「……ディアナ」


ぎゅ、とエリザベスがディアナの身体を抱きしめる。母にしがみつき、妹はしゃくり上げた。


「わたし、優しくなんか、ないです。だって、自分のためだもの。戦争、見たくないんです。わたしたちのせいで、民が死ぬのが嫌。クレスター領から、別の土地へ、お嫁に行った子も大勢いるわ。戦争になったら、自領の民は守れても、他領の民は守れない」

「……だから、貴女は?」

「わたしが何かしていたら、あのとき逃げ出さなければ、こんなことにはならなかった。そんな後悔、もうしたくないんです。……だから、がんばる、って決めた、のに」

「ディアナ……」

「どうして、守れないんですか。どうして、国を守ることが、シェイラさまを傷つけるんですか。何一つ悪くないあのひとが苦しむなんて、理不尽だわ!」


国を守りたい。――シェイラを、守りたい。

戦を食い止めたい。――シェイラを、幸せにしたい。


両立しない、両立できない、二つの事象。どちらか片方を優先すれば、もう片方が実現しない、そんな苦い現実が、ディアナをここまで追い詰めた。国を救おうとすればするほど、王の『寵姫』は問題にしかならない。シェイラが居なければ、話はもっと早いだろう。あるいは、シェイラの存在を無視、できたなら。


「わたしは、シェイラさまを、守れませんでした。いつもいつも、傷つけてばかり。国だって、民だって、このままじゃ。――わたしは、結局何一つ、守れない!」


守りたいものを、守りたいだけ守る。誰もが普遍的に持っているその欲求は、守りたいものが増えるほど、叶えることが難しい。

ディアナは欲張りなのかもしれない。国中の民と、好きになった人と。目についたもの全部無くしたくなくて、がむしゃらに足掻く。……思えば、幼い頃から。


「……ねぇ、ディアナ。一つだけ、良いかしら?」


しばらく経って、ディアナの呼吸が落ち着いた頃、フィオネがゆっくり切り出した。


「貴女が守ろうとしているものは、とても大きいわ。それはそもそも、貴女が独りで、守りきれるものではないの」

「叔母様……」

「国、というものはね。独りで守るものじゃない。誰かに大きな負担をかける守り方は、必ずどこかに歪みを生んで、犠牲になる人が出て来るわ。……例えば貴女が、シェイラ様を苦しめていると感じるのなら、それはきっと、正しい守り方ではないのよ」

「正しい、守り方……?」


ディアナの瞳が瞬いた。フィオネはふわりと微笑み、彼女の頭を撫でる。


「考えてごらん。シェイラ様を犠牲にせずに、国を守る方法を。難しいかもしれない、でも貴女が諦めない限り、道が途切れることはないのだから」


ディアナの瞳に、希望が戻る。ありのままの心を出し尽くして、ようやく、彼女は。

幼い頃と変わらない、澄んだ瞳で笑ったのだった。






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