閑話その9~騎士と王の喧嘩~
今回は、苦労人アルフォード団長が頑張ります!
ディアナがキレた。
その様子を間近で見ていたアルフォードは、真面目に肝が冷えた。彼女があそこまで怒り心頭に発することは滅多になく、ああなった彼女は誰に対しても手加減なんてしない。例え相手が一国の主であったとしてもだ。
結果、自業自得ではあるが、ジュークは精神的に多大なショックを受けた。
青ざめたジュークをひとまず回収し、控えの部屋で椅子に座らせた。飲み物を出して、様子を窺う。
……ヤバい、陛下が動かない。このままでは園遊会までに回復できないかもしれない。
ディアナの怒りは真っ当だ。今回のジュークの対応は明らかにまずかった。シェイラに害なす者を威嚇するため、不意打ちで女性近衛騎士団の存在を知らせるという作戦自体は良いが、その作戦を成功させるためには、後宮内に根回しをしてくれる者の存在が不可欠である。後宮の女性全員から不要と切られてしまえば、彼女達がシェイラを守ることすら不可能になってしまうだろう。
断っておくが、アルフォードとて遠回しに、せめて園遊会の責任者である『紅薔薇様』には、女性近衛騎士団の計画とお披露目について告げておくよう、進言していたのだ。当日にいきなり知らされたディアナがあぁなるだろうことは、彼とて予想がついていたから。しかし、それは聞き入れられなかった。『私が最も警戒しているのは『紅薔薇』だ』、その一言で。
だったら采配なんざ任せるなよ、と思ってしまったのはここだけの話だ。ディアナは居たくて後宮に居るわけではない、好きで『紅薔薇』の地位を得たわけでもない。国のため、民のため、戦を起こさないように、ただそのためだけに耐えているのだ。クレスター家の噂しか知らないジュークにディアナの心中を推し量れといっても無理な話ではあるが、それにしてもこれは惨い。
何故警戒する者に園遊会の采配をお任せになったのですか、という質問には――。
『後宮内の行事だ、『紅薔薇』が采配するのは当然のこと。それにこうすれば、奴の器を試すことができるだろう』
ディアナ以前にクレスター家一同には決して告げられない、坊ちゃん陛下の本音である。直接激怒することはしないだろう、しかし間違いなくデュアリスは、ディアナを後宮から引き上げさせる。現在の状況はクレスター家にとってギリギリの譲歩なのだ。国王の下らない思い違いに付き合って、いつまでも愛娘を差し出し続けるデュアリスではない。
そして、今。ジュークはついに、地雷を踏んだ。――ここで踏み止まれなければ、彼は、終わる。
「……っ、クソッ、あの女。何様のつもりだ!」
「陛下?」
「アルフォード! あの女を処罰せよ、今すぐにだ!」
ようやく現実に戻ってきたジュークではあったが、これでは子どもの癇癪だ。ちなみにディアナを処罰するなんて恐ろしいことは、アルフォードにはできない。
「畏れながら陛下、罪状はなんと?」
「決まっている、不敬罪だ!」
「『紅薔薇様』の態度もお言葉も、不敬には当たりませんよ」
「この私を侮辱したのだぞ!」
「どこをどう、侮辱と受け取られたのでしょうか」
「それは……」
受け止めたくない現実から目を背け、ただ言われたことに腹を立てていれば、とても楽だろう。言われた相手が嫌いな人間なら尚更、その人物の気に入らない部分を叩いておけば、自分を正当化できる。
しかしそれは、間違いだ。
「――陛下。『紅薔薇様』のおっしゃったことを、よくお考えになりましたか?」
「何だと?」
「冷静に、思い返して、きちんとお考えください。『紅薔薇様』が果たして、何をおっしゃったのか」
ジュークの顔が歪む。分かっているのだ、彼も、本当は。
――けれど。
「あんな女の言うことなど、耳を貸す値打ちもない! 小狡いことしか考えられぬ、クレスター家の小娘が!」
「――いい加減にしろ!」
意識していたわけではなかった。気付いたときには、掌に痛み。
どうやら怒鳴るついでにテーブルを叩いたらしいという自覚は、遅れてやって来た。
「諌言の相手を選ぶのが、国王の仕事か!? 嫌いな相手の言葉は無視して、痛い言葉には耳を塞いで、それで何になる。テメェはガキか!!」
目を丸くし、ぽかんと口を開けたまま、ジュークは固まった。開いた口から言葉は出ない。
「不敬罪で『紅薔薇』を処刑したいなら、先に俺の首を切れ! あの言葉が響かないような国王に、これ以上仕えてられねぇよッ!!」
ばたばたばた。部下たちが駆けてくる音がする。駆け込んできた部下に、アルフォードは投げやりに言った。
「とっとと俺を牢にぶち込め。どうやら陛下は、不敬罪で臣下を処刑なさるのがお好きなようだからな。第一号になってやる」
「団長?」
「ほら、さっさとしろ」
アルフォードの本気が、ようやく伝わったらしい。ジュークが慌てて立ち上がる。
「ま、待てアルフォード」
「さっきの『紅薔薇様』と今の俺と、どっちが不敬でしたかね? 『紅薔薇様』を不敬罪で罰するなら、同じように俺も罪に問わなきゃ嘘でしょう。それとも陛下はまさか、『紅薔薇様』は気に食わないけど俺は側近だからなんて理由で、俺だけ不問に付すおつもりで?」
ほとんど賭けだった。ここでジュークが逆噴射してアルフォードの処刑を命じても、なんら不思議はない。
けれど、信じたいのだ。人を本当に、純粋に愛することができるジュークなら、と。
アルフォードの強い眼差しと、弱り切ったジュークの視線が、しばしぶつかり合う。誰も何も言えない中、最初に動いたのは。
「……悪かった」
――ジューク、だった。
「皆、下がれ。アルフォードと二人にしてくれ」
「……は」
アルフォードの目線を受けて、部下たちは部屋から出ていった。
しんと静まった室内。ジュークは椅子に腰を下ろし、アルフォードを見上げる。
「座らないか、アルフォード」
「……いいえ」
「頼む。騎士団長としてではなく、アルフォードとして。私と……いや、俺と、話をして欲しい」
不器用ながらもそれは、ジュークが己の非を認めたというサインだった。アルフォードは軽く眉を上げる。
「それは、不敬罪には当たりませんか?」
「意地の悪いことを言うな。……違うな、悪いのは俺だった。『紅薔薇』への発言も撤回する、だから」
「――分かった」
どかりと、アルフォードはジュークの真正面の椅子に座った。明らかにホッとした様子のジュークに笑いかける。
「今だけは、俺はただのアルフォードで、お前はただのジューク。そういうことで良いんだな?」
「あぁ、それが良い。……そうか、それがお前か」
「宮廷式儀礼に則って国王陛下と接していたら、自然とああなるんだよ。普段はこんな感じだ」
もともと気ままな次男坊。そこまで礼儀作法をうるさく躾られた記憶もない。アルフォードが国王の側近にまで出世してしまったのは、家族全員の想定外だった。
「先ほどは済まなかった。つい、頭に血が昇ったんだ。……噂だけで他人を判断してはいけないと、シェイラにも言われていたのにな」
「シェイラ様に?」
「……あぁ。思えばあれが、シェイラとまともに話をした、最後だった」
噂に惑わされずきちんと話をして、その上で人となりを判断すること。シェイラはそう、ジュークに進言したらしい。
「『名付き』の側室たちと一通り話をした後から、俺はシェイラに避けられているだろう。一度秘密の場所まで逢いに行ったが、追い返された」
「そうだったな」
「俺はシェイラに逢いたい。どうしてシェイラが突然、俺を拒むようになったのか、それが分からなくてイライラして、」
ジュークの気持ちは分からなくもなかった。過去に同じ過ちを犯した者として。
「……八つ当たり、だったな。『紅薔薇』への、あれは」
シェイラと上手くいかない苛立ちとやるせなさから、シェイラのために計画していた女性近衛騎士団について、後宮側に説明することを躊躇ってしまった。当日言えば良いかと逃げたツケは当然回り、後宮側は寝耳に水と大慌て。それを責めるのはお門違いだと心のどこかでは理解していても、苛立ちと疚しさが虚勢を張らせて折れることを認めさせない。結果最も当たりやすい、もともと嫌いな『紅薔薇』へと矛先が向いた。……そんなところだろうか。
ジュークはそんなことを、ぽつぽつと語った。アルフォードは頷きながら、嬉しくなる。
ちゃんと分かってるじゃないか、陛下。プライドの高さが己の非を認めさせなかっただけで、本当はきちんと自省できている。
まだ、大丈夫だ。ジュークはまだ、やり直せる。
「……しかし、『紅薔薇』があんなに怒るとは思わなかった。もともと言葉に遠慮がない娘だとは思っていたが」
呟いたジュークは青ざめている。ディアナの迫力を思い出したのだろう。
「『紅薔薇』は何故、あんなに怒ったのだろう? ……怒って、いたよな?」
「怒ってたなぁ。そりゃあもう、とんでもなく怒っていたな。心当たりないか?」
「う……。理不尽な言い掛かりをつけたとは、思う」
それはそうだ。無茶苦茶な命令に対し、なんとか必死に段取ろうとしていたディアナに、『説明もできていないのか』とは。難癖つけるにしても限度がある。ディアナでなかったら、あの時点で園遊会すらポシャっていた可能性が高い。
「ジューク、悪いことをしたら、なんて言えば良いか知ってるよな?」
「俺はそこまで馬鹿ではないぞ。……『ごめんなさい』だろう」
「俺に言ったって意味ないぞ。誰に言うんだ?」
「アルフォード、さっきから人を、子ども扱いしてないか?」
「この部屋に入ってから俺がキレるまでの、自分の言動をよく振り返れ。あれが子どもの癇癪でなかったら何だ」
ずばり指摘してやると、ジュークは押し黙った。自覚はちゃんとあるらしい。
「……園遊会が済んだら、『紅薔薇』に謝罪する」
「そうだな、それが良い」
ひとまずそこで話を切り上げて、アルフォードは立ち上がった。
「園遊会まで、まだちょっと時間あるからな。ゆっくりしとけ」
「あぁ。……アルフォード」
見上げてくるジュークは完全に、捨てられそうな子犬の目をしていた。
「これからも、こうやって話をしてくれるか?」
「――二人きりのときだけな」
にやりと笑って頷いてやる。ジュークはこれでアルフォードより年下、懐かれたら無下にはできない。
「――団長」
ジュークを残して部屋を出ると、ドアの前にいた部下が、心配そうに話し掛けてくる。アルフォードは彼の肩に手を置き頷いた。
「大丈夫だ。なんとか落ち着かれた」
「良かった。さすがは団長ですね」
「大したことはしてないけどな」
――そうだ。ジュークの癇癪など、本当は大した問題ではない。
「……『紅薔薇様』のご様子はどうだ?」
目下一番の爆弾について、アルフォードは恐々尋ねた。ジュークの癇癪と違ってあちらは至極真っ当な怒りであり、普段怒らない人ほど怒らせたら怖い。一体どうなることか。
「今は、女官たちに説明をしてくださっているとか。……詳しいことは、グレイシー団長にお尋ねください。先程から外でお待ちです」
クリステル・グレイシー団長。エドワードの婚約者にして、おそらく剣の腕はアルフォードとすら互角の、これまた一筋縄ではいかない女性である。
「――分かった。陛下を頼むぞ」
「はい」
戦々恐々としながら、彼は庭へと出たのであった。
2013年8月4日、慣用句間違い訂正しました!
ご指摘くださった読者さま、ありがとうございました!




