落とされた爆弾
後宮内で最も重大な問題は、警備が手薄なことだ。入口と裏口は衛兵によって守られていても、一度壁を乗り越えて侵入などされてしまったら、中にいるのは無力な女たちのみ。とりわけ現在は側室が多く、それに伴って侍女の数も増え、後宮はかつて無い飽和状態にある。外からの侵入者だけでなく、仮に側室たちの間で争いが起こって収拾がつかなくなった際なども、武術を学んだ者が後宮内に居れば、速やかに解決させることができるだろう。
だが、後宮内に男を常駐させることはできない。そうだ、国内の令嬢から武術を学んだことがある者を募り、後宮専任の近衛騎士団を造ろうではないか。
ちょうど園遊会を開くことにもなった。時期も良いし、園遊会で女性近衛騎士団のお披露目をしよう。
斯くして本日見事に、女性ばかりの近衛騎士団誕生と相成ったのであった――。
……一つだけ、言いたい。
さ き に 言 え !
クリスから女性近衛騎士団創設のいきさつと、園遊会でお披露目するということを聞いたディアナは、文字通り青ざめた。着ているアイスブルーのドレスと同じ色になるくらいには、血の気が引いた。
ちょ、何ですかソレ、聞いてないんですけど!
え、そうなの? でもボクたち、もう集まっちゃってるよ。
えええぇ!? 園遊会までもう時間ないんですよ、今日の予定に女性近衛騎士団を紹介する段取りなんて組んでませんし、そもそも後宮内では誰一人としてそんなモノが組織されてるなんて知りませんから、悪くすればパニックになります!
やいのやいの言いながらしたことは、困ったときの『お姉様』頼み。ライア、ヨランダ、レティシアの三人に至急手紙をしたため、リタが緊急の連絡役を引き受けた。
その後ディアナは、とにかく『紅薔薇』が状況を把握しなければ始まらないということで、クリスの案内のもと、女性近衛騎士団が集まっているという部屋へ急いだのである。
彼女たちが集まっていたのは、後宮内入口にある、国王が後宮に渡る際の騎士詰所だった。案内された部屋に入ると、クリスと同じ服を纏った十数人の女性、そしてアルフォードたち国王近衛騎士団と、さらに何と――。
「……来たか、紅薔薇」
元凶がいた。
この場にいたのがディアナと元凶――もとい、国王陛下の二人だけであったなら、反射的に首を絞めるくらいはやらかしてしまったかもしれない。そのくらいディアナは、頭に血が昇っていた。アルフォードがどことなく怯えた目でこちらを見てくるのは、多分気のせいではない。
「国中から集めた、武術の得意な娘たちだ。本日より彼女たちを後宮専任の近衛とし、常時後宮内の警備を行ってもらう。手始めは今日の園遊会だ。彼女たちの存在を広く知らしめたい、用意せよ」
滔々と語って来る陛下の言葉は、ほとんど右から左へ抜けていった。かろうじて『用意せよ』だけが引っ掛かる。
――しかし、『用意せよ』とは。随分と簡単に言ってくれるものだ。
「……承りました。しばし、女性近衛の団長と、話をさせて頂きたいのですが」
「何を話すことがある?」
「慣例のない隊がこれより、後宮内に常駐することになるのです。側室方への説明もありますし」
「説明もできていないのか。言っておいたはずだぞ、今朝。園遊会前に、話があると」
……確かに今朝、そういう連絡は受けた。しかし、たったあれだけの伝言でこの重大事を察せとは、このトンマは他人を超能力者か何かと勘違いしてはいないか。それとも何か、外宮の、国王の執務室にまで、『闇』を潜ませておいても構わないとか、そう言いたいのか。こっちはこれでも一応、国王の執務室までコソコソ覗くのは良くないよなぁと思って自重しているのに!
「どうした、答えよ。朝に通達したにも関わらず、何故側室たちへの説明が済んでいないのか」
「――畏れながら、陛下。わたくしは確かに、園遊会前に話があるという通達は受けましたが、その話の内容に関しては、一切の説明を聞いておりません。先ほどグレイシー団長が部屋まで迎えに来てくださり、初めて知ったのです」
堪忍袋の尾が切れた。もう、知らん。相手が国王だろうがなんだろうが、言いたいことを言ってやる。
「私がそなたに話があると、わざわざ通達したのだぞ。余程の大事だと、現在の後宮の大事といえば内の警備に関してだと、分かりそうなものではないか」
「お言葉ですが。それは少々、いえかなり、飛躍した論理というものです。実際に後宮に侵入者があったなどという事件があったならともかく、何もない中で突然、後宮内の警備が問題だと考えろなどとは」
「何もないだと!? 貴様一体、これまで何を見てきた!」
彼にだけは言われたくない台詞を言われてしまった。そっくりそのまま返してやりたい。……さすがに、できないが。
「見るべきものを、見てきたつもりですが。何か至らぬところがありましたか」
「至らぬところばかりだ! 後宮内で、側室が側室に危害を加えるという大事を見逃すとは!」
「それは、リリアーヌ様と彼女の親しい側室方が、シェイラ・カレルド様を呼び出し、暴力に及ぼうとした件でしょうか?」
「……し、知っていたのか」
意外そうに言われた。『紅薔薇』は末端の側室のことなど気にもかけていないと、そんな勝手な想像をされていたことが、容易に分かる。
「もちろん、存じておりました。その件でしたら既に、リリアーヌ様とも話し合い、このようなことが二度とないようお約束頂いております。その後は特に問題は起こっていないはずですが――」
「一度でもそんなことがあれば、後宮内の綱紀のためにも、近衛は必要だ!」
「それはあくまでも陛下のお考えに過ぎません。『話がある』の一言だけで内容まで推し量れとは、いくら陛下の命令ではあれ、不可能というものです」
「貴様、この私を愚弄するか!」
誰が、いつ、誰を、愚弄、したのか。いっそ紙に書いて教えて欲しいものである。顔のせいで誤読されるのはいつものこととはいえ、どうしてこの陛下は、ディアナの言葉をナナメ上に解釈することができて尚且つ、許容範囲が広いことに定評のあるディアナの神経を、逆撫でることが上手なのか。ここまで来るともはや、超常現象だ。
「――陛下」
このままでは収拾がつかずに時間切れになる。ディアナの他にもそう察した人間はいた。現国王お守り役――ではなく、近衛騎士団長、アルフォードである。
「今は伝達の食い違いを論じている場合ではございません。重要なのは、側室方が誰一人、後宮専任の女性近衛騎士団のことを知らぬということ。このままでは、彼女らが側室方に受け入れられぬ可能性もあります」
「女官たちも認めぬやもしれません。後宮の綱紀粛正は、本来女官の職務。一歩間違えれば、役立たずの烙印を押されたと反発するでしょう」
直前にそんなことになれば、園遊会の開催すら危うい。下手をすれば、園遊会に漕ぎつけるまでの三週間が、関係者全員の努力が、全部パアになる。それだけは何としても、避けなければ。
「私はそんなつもりではない! ただ、側室たちを守ろうと」
「今は陛下がどのようなおつもりであったかなど、関係ございません。これからどうするか、早急に考えねば」
「貴様、重ね重ね無礼な!」
「ですから、陛下も『紅薔薇様』も、少し落ち着いてください。口論していても、どうにもなりません」
口論になっているのは、大体全部、陛下のせいである。
何が後宮の安全だ、何が綱紀粛正だ。結局この坊ちゃんは、後宮の中でただ一人、シェイラを守りたいだけだろう。本音を下らない建前で覆い隠し、何の意地か後宮に関わる大事を後宮抜きで進め、挙げ句全てを台無しにしかけている。
――ふざけるな。
怒りが頂点を突破して、ディアナは逆に、落ち着いた。
「――分かりました。実のない話は、ここまでに致しましょう」
「……なんだと?」
「陛下のご要望は、側室と女官、招待客の方々に、女性近衛騎士団を、後宮内常駐の兵として認識させ、尚且つ認めさせること、でしたわね? わたくしは『紅薔薇』、そして陛下に仕える臣民です。ご命令には従いましょう」
淡々と言い募る。怒りが臨界突破したディアナは怖い。百戦錬磨の国王近衛騎士たちが、びびって後退る程度には怖い。
「……な、何だ。何が言いたい!」
「命令には従うと、それだけのことですわ。『命令』しなければ人を動かすこともできない、己の器量の小ささを、よく自覚なさったらよろしいのです」
「何を!」
「――お話が以上ならば、下がらせて頂きます。やらねばならぬことが山積みですから」
これ以上、付き合ってられるか。
遠回しにそう吐き捨てたディアナは、有言実行とばかりにくるりと王に背を向けた。
「待て、紅薔薇!」
「まだ、何か?」
「ぶ、無礼だぞ。王たる私の許しもなく、退室するなど」
「今は、陛下のご機嫌を窺うよりよほど、優先すべき事柄がございます故」
「何だと!?」
ディアナは、上半身だけで振り返り――本気の怒りが籠った眼差しで、ジュークを刺した。
「わたくしに与えられた最重要職務は、今日の会を恙無く終えることです。大勢の者が今日のために、どれほど尽力してきたとお思いですか? 彼女たちのためにも、わたくしは園遊会を成功させねばなりません」
ディアナは『紅薔薇』だ。例え国王が後宮を軽視し、蔑ろに扱っていたとしても、彼女だけは後宮に生きる全ての女性の味方であらねばならない。いつの時代の『紅薔薇』も、そうであったように。
「『紅薔薇』は、後宮と王室のために生きる存在ですから。『王』が、王国に生きる全ての民のため、存在しているように。――陛下が、どのようなおつもりでその座につき、ご自身の権力を使おうとなさっているかは存じませんが」
単なる怒りだけではない。上に立つものとして、真に持つべき矜持がそこにはあった。――今のディアナは、ただその一点だけを拠り所に、毅然と背筋を伸ばして顔を上げている。
ジュークは初めて、ディアナの前で真っ青になった。言葉を失い、呼吸すらままならぬ様子で、魂をどこかへ飛ばしている。
誰も、言葉を発しない。いや、発することができないのだ。ディアナの迫力が、言葉の正当さが、言い訳を許さない。
凍てつくような沈黙が続く中、ディアナは静かに吐息を漏らし、僅かに肩の力を抜いた。
「スウォン団長」
アルフォードに呼び掛けた。完全に呑まれていたらしいアルフォードが、我に返ってこちらに視線を向ける。
「陛下に休んで頂いて。定刻には庭園までいらして頂けるよう、お願い致します」
「か、畏まりました」
「後宮近衛の皆様は、しばしこちらで待機を。――グレイシー団長、本日の警備について、詳しい話をお聞かせ願えますか?」
「はい、『紅薔薇様』。……まだ時間がございます、庭へ参りましょう」
義姉のありがたい誘いに、一も二もなく乗ったディアナだった。




